by 中野由紀子
キューバに行ってきた!
代官山のね。(^O^)ノ
今日も中野でゲバラに関する催しがありますね。
都合で行けないので、チェ・ユキコは昨夜、ひと足先に太田昌国さんの
「キューバ学校」に行ってきたのである。
かつて、本気で世界を変えようとした男がいた。
そして、今、本気で世界を変えようとしてる男、太田昌国
…………。へ? (゜ロ゜)
いつでも人気のあるゲバラですが、今また大きなゲバラブームが来てるとか。
◆映画『CHEチェ 28歳の革命 | 39歳 別れの手紙』公式サイト予告編◆
※主役のベニチオ・デル・トロが古谷一行に似てるとかいうことは、とりあえず置いといて。
今回のキューバ学校は第五回『チェ・ゲバラ プレイバック』と題して、41年前に死んだゲバラの思想と行動を、21世紀の現在の再生装置にかけて、その意義を検討するということをしたわけですよ、太田昌国さんが。
なかなか内容の濃いお話でした。
集会やデモ、芝居関係でどこに行ってもこのおっさん(失礼!)に会ってしまう私としては、いつもの調子で打ち上げを大いに期待していたわけです。
だのに、なかったの。(ないよ!講義なんだから ┌┛)`д)
いつもならさー、朝までカラオケだのにさー。
チェ!(←おいおい、こんなとこでかよ!)
余談ですが、太田さんはカラオケでは井上陽水とパフィーを歌います。
では、心に残ってるお話を。
新しいゲバラの映画は若い学生さんもたくさん試写会に参加されていたそうで、その中のひとりの女子学生さんが、
「ゲバラってただの人殺しじゃん」って言ったんだそうな。
太田さんは「どうやってチェのいろいろを伝えたらよかんべなー」と考えちゃったんだって。
今でこそ「非暴力」の考え方は当然になってるけど、やっぱり革命を起こす(なにかを大きく変える)には武装闘争っつーもんが必要だった、必要なんだよー!って時代もある。
チェ・ソウカと時々話すのですが、私は暴力は反対に決まってるが、「非暴力」ばっかり唱えてちゃーダメなんじゃないかって思ってたりする。この問題は複雑なため、まだまだ勉強せねばなるまいよ。話がそれた。
で、チェが1965年3月にアルジェでの演説でソ連を批判して帰国した。
チェは、ずっと「半ソ的言動」が目立っていて監視されていたわけだから、ちょっとずつ孤立してったんでしょうね。
帰国してすぐ、フィデル(カストロ)と二人っきりで、長い時間、語り合っていたらしい。
内容についての推測はたくさんあるようですが、太田さんが思うに、やっぱりゲバラはフィデルと立場が違うし、自由にソ連批判をしすぎたんじゃないかと。
その長い二人っきりの話のあと、チェはたったひとり、さとうきび畑にさとうきびを刈りに行く。
「革命」や「闘争」だけでなく、「労働」も大事に考えていた彼は、土曜も日曜もさとうきび畑に出ていたんだって。
そこでいろいろ考えたんでしょうね。
次の月にフィデルに「別れの手紙」を託しキューバを離れます。
うわわわーーーん!
研究や総括しながらコンゴ、ボリビアなどを経て、その二年後に逮捕、銃殺されます。
その他で興味深かったお話。
グアンタナモ収容所が閉鎖されるというが、オバマ大統領はその先をしっかりやってほしいと太田さんは言ってました。どこか他の場所に移すんじゃなくて!ってこと。根本的に。
パレスチナとイスラエルのことも出ました。
報道の不公平というかな、そもそもイスラエルがパレスチナを不当に占領し続けてきたということを報道しないと。
三里塚とおんなじだよ。ハマスがどうしたとかいう以前の問題でもある。
(オバマさんはイスラエルの自衛権を認めてるんでしょう?うえーーーん!)
大幅にはしょってますが、そんな感じの「キューバ学校」でした。
あとねー、なにがうっとうしいってねー、斜め前にいた「デキル女」風の女性が、いちいちうなづく。そんでもってメモる。ずーっとメモってる。
うなづいちゃーメモってる。動くからうっとうしい。
あーゆー人に限ってなんも頭に残ってないんじゃないか?
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