「原発はいらない」「原発をなくそう」と考えている人たちの多くが、実は原発だけが問題ではないと薄々気がついているんじゃないでしょうか?
そりゃ、最初は「放射能怖い・原発危ない」っていう、人間が持つあたりまえの自己保存的危機感から、「反原発」に立ち上がったって人も多いでしょう。でもこの2年間、いろいろ学んできて、例えば政府が原発をうごかすためなら、平気でウソをつくことが分ってきた。電力だって、2年間、猛暑が続いたけど、原発なしでも十分足りたわけでしょ。「汚染水はコントロールされている」なんて、誰が考えても完全ウソだよね。
その他、原発のような「迷惑施設」が地方に押し付けられて、都会の人間が「豊かな」生活を享受していること、原発を動かすにも、事故を収束させるにも、労働者が何重もの搾取構造をうけながら、被爆させられている現実・・・これって、今の日本社会の「縮図」じゃないですか。沖縄に基地をおしつけて「平和」を享受すること、デフレで「物が安く手に入る」なか、非正規労働者の賃金や社会保障が低いレベルで抑えられている。ブラック企業で働かされて、心も体も壊す若者がいる・・・原発のある社会って、こういった「現実」と繋がっているんだということが、みんなすこしずつ分るようになってきているんじゃないかなと、私は思っている。
じゃあ、原発なくすには、社会を変えないとダメだよね。
あるいは原発をなくすことから、社会をより良い方向に変えないとダメだよねぇ~って考える人も、けっこういると思うよ。その方向や中身が、ちょっと分らないで、デモや集会で集まって、みんなで模索しているというのが今の段階じゃないかな。
でも、十数年前!?までは確実に「資本主義」社会を打倒して、新しい社会を作ろうとした「左翼」が少なからずいたわけで、私もまあその一人だったし、今もそうなんだけど。で、「資本主義社会」ってのは、お金を儲けることが世の中の原動力になっている社会なわけで、そのためには労働者の賃金が低くてもかまわない。格差があっても仕方がない。お金儲けに役立たない「生活保護者」の保護費が削られても止むを得ないって、いろんな矛盾がでてきて、それが溜まりに溜まっている・・・この閉塞感が、今の日本の現状だと思うんだが、じゃあその「資本主義」を止めちゃえばいい。これが左翼なんですね。ほら、脱原発運動の中でも言うじゃないですか。「経済よりも命が大事」って・・・この「経済」ってのは実は「資本主義経済」のことなんだね。
人間、一人じゃ生きられないから、どうしても「社会」や「経済」ってのは必要なんだ。だから「命」を大切にする経済を作る・・・これが「左翼」の求めてきたことなんだね・・・だから「脱原発運動」の中で、左翼的潮流がぐいぐいとそれを引っ張っていくってのが、本来あるべき姿だと思うな。
でも、いろいろあって「左翼」って言葉がネガティブな意味を持っていることは、私も十分承知している。地に足がつかないでゲバルトやったり、武装闘争だぁってやったり、殺し合いしたり…一応、まともな左翼の人たちはそれを「反省」して、どうやって新しい運動を作るか、社会を変えてゆくか、もっかい真剣に考えてきたんだよね。草加さんもそんな一人なんだ。だから私も、せっかくの提案に「呼びかけ人」になることにしたわけだ。
でも、ゲバルトや「武装闘争」ってのも、一つは「怒り」の表現でもあるんだね。日本は日本国憲法によって、本来国家は暴力装置である軍隊は持てないし、警察や官僚だって「民主的」に人々を助ける「護民官」であるべきなんだ。でもそれをことごとくやぶってきたのが、歴代の政権であり、彼らがよって立つ「資本主義社会」なんだな。だから私たちは、日本国憲法の枠をも超えて、「怒る」権利がある・・・てか、怒らないと、日本国憲法はおろか、私たちの生活も守れないでしょってのが、現実だ。だから「怒りの文化を復権させよう」というところに、ビビッと来たわけだ。それが私が呼びかけ人になった、もう一つの理由だよ。
「原発反対!」「福島の人と連帯!」って言いながら、楽しくワイワイやるのも一つの方法だけど、そこにはそうさせたものへの「怒り」がないと始まらないんじゃないかな。「原発への怒り!」「ウソをつく政府への怒り!」「福島の人たちを苦しめているものへの怒り!」そしてそういったものを許容している「資本主義社会」への怒り・・・これを、少ない人数でもいいから、大きく爆発させようよ。どんな形になるのか分からないけどね。
とりとめのない文章になったけれど、とにかく皆さん、集会場・デモ現場でお会いしましょう!
- 「10・13での左翼統一行動の呼びかけ人となる」
(たたかうあるみさんのブログ)
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