ときどき、近くの商店街の脇道で、千葉あたりからの担ぎ屋のおばさんが野菜やくだものを売っている。
少し離れたところから買うともなしにぼんやりと眺めていたら、ふだんは深く眠っている子供のころの記憶がよみがえってきた。
水はけの悪い土地に建つオンボロで小さな平屋。もちろん借家だ。庭なんてものはなかったが、家の際に「ゆきやなぎ」と「山吹」の花があった。前に住んでいたひとが植えたのだと思う。水が悪く、洗濯物が薄い赤茶色に変色する。
担ぎ屋のおばさんは、「おこんちわー」とやってくる。私は「おこんちわさん」と呼んでいた。「おこんちわさん」は、野菜、くだものの他、駄菓子や和菓子などなんでも持ってくる。甘食や海藻(海草を固めたもの)、乾物も。なんでも屋だ。
「おこんちわさん」は、うちの後に必ず「みよし」へ行く。目の前にある「みよし」という名前の小料理屋だ。夕方になると、にわか芸者が三味線を持って通ってくる。酒びたりの父ちゃんはここにいるか、他にもいくつもの居酒屋があるからどこかを覗けば必ず居る。病的に悪い酒なので、大抵は知らないひとかヤクザと大喧嘩をしているのだった。
酔った大きな声が近づいてくると、心臓が「ドクッ」と鳴って逃げる。家でも暴れるからだ。そうなったら疲れ果てて倒れるように眠るまで、家には帰れないのである。よって、母、長兄、次兄、私はいつなんどきでも逃げ出せるよう、洋服を着たまんま眠らずに眠る。
生活はメチャクチャで当時の記憶が定かでない。ならば忘れてちょうどよかろうと思ったが、大人になってから掛かった医者は、「身体が全部、記憶しています」と言った。毎日続く不安と緊張、近所の人たちの白い眼だけはしっかりと覚えているのであった。
小さな子供には本当につらい毎日で、幼稚園も嫌い、学校も嫌いとなって、家の前でひとりで泥だんごを作ったり、絵を描いたりしてる方が楽しかった。
ある日、そんなはずはない!こんなに頑張ってるのに!なんにも悪いことしてないのに差別なんかされるはずないじゃん!と思い立って、信じて、祈るように信じ込んで、家にあった包帯全部出して、全身にグルグル巻いて道に立ってみた。誰かひとりくらいは心配してくれる、声をかけてくれるさ!そうでしょ?間違ってる?
夕暮れまで頑張ってみたが、笑われて終わった。マジか!?人がこわいと思った。ちょいとばかり運が悪かったんだ。
「みよし」の前のドブは、残った酒や残飯を流すのでいつも酒臭く、頭が痛くなる。三味線の音色や民謡などは、子供ごころに聴いていて楽しかった。着物もきれいだった。
その数年後、郵便局勤めが長かった母の退職金で、別の場所にやっと家を建てた。
父は倒れて寝たきりになった。保険を嫌って、「俺が死ぬのを待ってるのか!」と言って全部解約してしまったため、家族はお金でますます苦労した。
それでも倒れるまでの半年は酒の量も減り、山の植物なんぞをむりやりにふたりで見に行ったりしたのだが、なにせ普通に会話したことが一回もないもんで、ふたりとも緊張しちゃって大汗ものだ。
父は酒を飲まないと本当におとなしく無口なひとだもんで、一本の百合を見て、「この百合はもうここらへんには他にない」とひと言、唐突に言ったきりで、私も「へー」と言うのがやっとという始末。(このひとの倒れる前の仕事は日雇いの庭師であった)
しらふの時の父は、ほとんど働かないことを申し訳なくは思っていたようで、普段はひとりの時に台所で立ったままお茶漬けをかきこむようにしていた。
私がいるときは、インスタントの味噌ラーメンをなんでかグツグツ煮込んで、「ゆっこ、半分食うか?」と必ず聞く。
「うん」と言って一緒に食べる。重い空気なんだけど、なんにもしゃべんないんだけど、酒をヤメテ!と言いたいのだけど、父ちゃんのせいでみんなが苦しんでる!と言いたいのだけど。とりあえず、父ちゃんの作った味噌(煮込み)ラーメンはおいしいのだった。
ひとり東京に来る前に、もう二度と帰らないとわかっていたので、最期と思って何十年かぶりにあの古い借家を見に行った。
近づくとググッと緊張してきて吐き気がしたので、ひと休みして再度チャレンジ。
「みよし」は無くなっていた。草だらけの空き地になってた。私らの住んでた家も無くなっていた。ゆきやなぎも山吹も無い。きれいに整備され区分けされた駐車場になっていた。その駐車場の二台分くらいが古い家だったはず。
その上をぐるっと歩いてみた。こんなに狭いとこにいたんだ、いいことなかったなー、とか思ったら泣けて泣けて。
家族がそれぞれをうかがうように心配しながら、でもなんの言葉も交わせず感情を押し殺して、黙って黙って他人のように生きるしかなかった。なぜか深呼吸が苦手な私は、「息をひそめていたのが癖になってる」とセラピストに言われた。みんなに「深呼吸してね」とかばっかり言ってるのはそのせいです。
みんな、家族の感覚がわからないままにばらばらだ。もう一回、もうちょっとだけ普通に生まれ変われたらいいのになぁと思ったりする。
こんな弱気な泣き言を言うのも、実は先週から声がしゃがれて割れて出にくいのです。心因性の嗄声(させい)というやつらしい。
ウラメ、ウラメで泣きっ面。
なにも変わっちゃいないことに気がついて、坂の途中で立ち止まるわけです。
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