(ブログ「戌年男かく語りき」さんのコメント欄でのやりとり)
>「新左翼の活動家は中島みゆきさんの歌が好き」という話を聴いたことがある。本当だろうか?
一般論として80年代頃の左翼にみゆきファンが多かった事は確かだと思います。もちろんみんながみんなではありませんし、アンチみゆき派もいました。党派によっても違うと思います。情緒的で市民運動チックな党派ほどみゆきファンが多く、マッチョな党派には少ない、あるいは落ち目の党派には多く、昇り坂の党派には少ないとか。ちなみにマンガでは小林よしのりファンも多かったように思います。
> かつて怒りをもって石を握ったことのある活動家や、かつて寒い中機動隊に耳を殴られた活動家たちは、中島みゆきさんの歌詞に何を感じるのだろうか?
自分が挫折して活動から離れ、はじめてみゆきさんの歌詞の意味がしみじみとわかりました。「誰のせいでもない雨が」はストレートに挫折した元活動家の心情を歌っていると思います。これは現役活動家の頃にはそうだとわかりませんでした。「現役」と「元」では全くメンタリティが異なるからです。「誰のせいでもない雨が」以外の一見すると運動とは全く関係ないような歌詞にも、そういうメンタリティが染み出ているのが今となってはよくわかります。
ちょっと運動関係のニュースとか流れると、胸の奥底でざわめくものがあり、密かに心の中で「頑張れ!」と拳を握る自分がいました。現役時代にはやはり「ファイト!」や「世情」が好きでしたが、これもそういう心情というか、密かなエールのようなものだったと思えてなりません。
活動から離れた直後は「同志のみんなを、そして何より自分の言葉を自分自身で裏切ったのだ」という思いが強く、本当に苦しくて、辛くて、「誰のせいでもない雨が」は何度も聴いて泣きました。「もう誰一人気にしてないよね?」と。うまく表現できませんが、「もう誰も気にしていない」かもしれないけれど、自分だけがいつまでも気にしていて、自分自身を許せない。そんな感じでしょうか。「船は港を出る前に沈んだと 早すぎる伝令が火をとめにくる 私たちの船は永く火の海を 沈みきれずに燃えている」も象徴的な歌詞です。
自分なりに挫折や活動経験を自分の中で整理して、もう一度自分なりに「左派社会人」として等身大に無理なく生きられるようになるまで、だいたい15年くらいかかりました。
> 草加耕助さま、貴重な体験内容を含めたコメントの書き込み有難うございました。
拝読していて、中島みゆきさんの歌詞作りの奥深さを感じたのですが、それはどうやって生まれたのだろうかと思い始めています。
また、色々と教えてください。
◆参考
◇「世情」と「誰のせいでもない雨が」(戌年男かく語りき)
◇中島みゆき「誰のせいでもない雨が」の歌詞 (J-Lyric.net)
中島みゆきのその歌、こんど聞いてみようと思います。
運動を離れるってことがそういう重さを伴った時代がそもそもなくなってしまったのかもしれませんね。それはそれでいいことかもしれないけど、寂寞たる気持ちにもなります。
中島みゆきは今も昔もファンが多いから(私も好きだけどね)特に左翼にこだわる必要はないと思いますが、ある種の挫折感みたいなものを(運動だけではなく、恋愛でも、日々の生活や仕事でも、人間はそれぞれ挫折するし疎外感を味わいながら生きているわけですから)大変普遍的に表現できている人だと思います。まあ彼女の中では異色作かも判らんけど、私は「キツネ狩りの歌」が結構好きでして。もし興味があったら聴いてみてください。「生きていてもいいですか」というアルバムに入ってます。アルバムとしては「親愛なる者へ」と「EAST ASIA」をよく聴くなあ。
そうそう、発売中の「諸君!」9月号の252ページに、「兄弟」(余華著 文藝春秋)という中国現代小説の書評書きました。これ,本当に面白いから絶対この本読んで欲しい。ついでに言えば私の書評読んで判断してくれてもいい。(笑)これが中国の全てとは言わないが、ある大きな一面を表していることは確かなはず。