3・27三里塚闘争に行ってきた(前編)

◆困難な中で結集してくる人々と共に

2011年3・27三里塚集会 去る3月26日から28日まで三里塚現地に2泊し、三里塚反対同盟(北原事務局長)の呼びかける3・27全国総決起集会に参加してきました。

 私ともうお一方は前日の26日に反対同盟とは別団体(続・木の根物語プロジェクト)が取り組んでいる木の根ペンションの再開(補修)作業に参加し、翌27日、三里塚勝手連の皆さんと成田駅で合流して集会場に向かいました。
 ふだんは早めに集会場に到着するために、駅から割り勘でタクシーを使うことが多いのですが、勝手連の中には震災で生活が苦境に追い込まれている方、実家が大変な方なども現地に駆けつけておられ、今はできるだけ節約するためにと、コミュニティバスを使って会場に向かいます。ですがコミュニティバスは数時間に一本しかなく、時刻表の関係で集会開始には若干遅れての会場入りとなりました。

 なんかこのごろ、またしてもあちこちに文章をいっぱい書くという無謀なことをしてしまいまして、泥沼にはまって体が持ちませんので、詳細な集会内容の報告は別のサイトに譲って私は楽をさせていただきます。が、今回は反対同盟が呼びかける、「民衆の側からの被災者救援運動」という主張が明確に打ち出されたもので、これが集会全体のトーンとなり、最初から最後まで大変に感動的なものでした。三里塚に限らず、80年代から今までを通じて、これほど盛り上がった集会はめずらしいと思います。自分なりに「3・11以降の世界」についての考え方や生き方について、おおいに刺激を受けた集会でした。今回は本当に参加してよかったです。

◆被災地からの切実な訴え

 まず、集会の冒頭に全員で震災の犠牲者への黙祷を捧げました。続いて、被災地から参加した仲間の発言で集会がはじまり、学生からは宮城県の東北大学自治会、労働者からは三里塚闘争に参加したことを口実にした不当解雇と闘っている、同じく宮城県の塩釜市職労の仲間が演壇に立ちました。ちょうどこの塩釜市の仲間からの発言がはじまったところで私たちは会場に到着。他にも震災被害と闘う中で無念にも集会には結集できない被災者からの心のこもったメッセージが何通も届いており、中でも集会で代読された福島県の酪農家、鈴木光―郎さんからのメッセージは、涙なくしては聞けないものでした。丹精込めて作った牛乳が放射能で汚染され、毎日毎日それを搾っては捨てに行くばかりの日々、「無念のきわみです」という鈴木さんの心中はいかばかりでしょう。

 東北大学からの発言は私は聞いていませんが、学生たちによる独自の救援活動などが報告されていたようです。また、塩釜の仲間の発言では、各地の学校などに設けられた臨時の避難所の中で、押し寄せる被災者を不眠不休で助け、必死に救援活動しているのが、「震災前は『怠け者』だ『給料泥棒』だと罵られてきた自治体労働者や教育労働者たちばかりではないか」と訴えるとともに、満足に支援が届かない中での必死の救援活動の様子、現地の被災状況などを紹介し、「彼らを怠け者だと宣伝して迫害した人たち、原発は安全だから反対するなんてとんでもないと宣伝して彼らを迫害してきた人たち、震災と原発事故のとたんに彼らの姿がまったく消えてしまって出てこない。本来責任をとるべき彼らはいったいどこで何をしているのか」と静かに、しかし震えるような怒りをこめて発言されていたのが印象に残っています。

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◆統一委の仲間との感動的な交流

2011年3・27三里塚集会 さて、私たちは集会場の中央部やや後方にシートを広げて旗を立て、そこに陣取ります。ふとその少し前を見ますと、やや!すぐそばにイカ娘のTシャツと「あるみさんズ」の旗が。おなじみ「たたかうあるみさん」の隊列でした。いつもは関西実行委などと一緒に参加しておられましたが、関西から四国への移住を機に独立されたのか?見るとなんと、いつも「1人と4体」での参加でしたのに、人間の隊列が複数になっているではありませんか(笑)。いや、めでたい。軽い挨拶のあと、さっそくに勝手連とあるみさんズの共闘が実現。さらに「社会の隙間から」のヒロさんらも、この日は勝手連隊列に合流。いっきに大部隊(当社比)にふくれあがったのであります。

 さて、集会のあいまに会場内を歩いて、普段はここでしか会えない知り合いに挨拶をして回ります。「市東さんの会」のYさんとは、吉川ひろしさんの選挙の応援に行く約束もさせていただきました。その帰り、舞台から見て会場の右端に集まっている色とりどりのヘルメットの隊列の間をぬけていきます。その中の赤色のヘルメットの人たちの隊列、ここは「共産同統一委員会」の皆さんの隊列です。実はここに所属しているという方と、ミクシィでお友達になったのね。それで隊列を眺めながら、どこにいらっしゃるのかなあと思っていました。

2011年3・27三里塚集会 侵略イカ娘 何度かモジモジしながら往復しましたが、立ち話をしている方を見つけ、思い切って「すみません」と声をかけました。「はい?」とちょっと怪訝そうな顔をされましたが、「実はミクシィで知り合った方がここに所属しておられると聞きまして、Aというハンドルネームなんですが、どなたかわかりませんか」とおずおずと話しかけますと、後ろから「それ、僕です!草加さんですね?!」と満面の笑みで声をかけられました。「Aさん?!」と私も驚いてがっちりと握手。すると最初に話しかけた方が「え?なに、草加さんなの?」と意外な反応。「いつも読んでます。いやあいいですよね」と言われて驚いてしまいました。

 というのも共産同統一委員会の主な前身は「共産同戦旗派(俗称:戦旗西田派)」といいますが、ここは現役左翼時代に私が所属していた「戦旗・共産同(俗称:戦旗日向派、または荒派)とは戦旗派結成からほどなくして喧嘩別れして分裂したところでして、非常に仲が悪かったのです。かなり罵倒しあっていて、私が三里塚に戻りはじめたころも、統一委の隊列を見るたびに、少しばかりのわだかまりがなかったわけでもないのです。だから統一委の人が『旗旗』を見るにも、同じように少しばかりのわだかまりがあるのかなあとか想像していました。それが、こうして三里塚の大地で仲良く歓談している。さらにまったく初対面でネットですら出会ったことのない統一委の方が、『旗旗』をいつも読んでいると言ってくれる。そのことがめちゃくちゃ嬉しかった。自分のわだかまりがちっぽけだなあと思い知りました。

 このごろ思うのですが、活動家でも若い方(三里塚分裂以降に参加した世代)は、何々派だから一緒にできないみたいなこだわりや垣根が驚くほど低い方が多いんですね。私みたいに分裂以前から参加している(分裂に向かう経緯を体験した)世代のもっている、そういうこだわりがほとんどない(人が多い)。これはおそらくはとてもいいことだと思います。私もあんまり嬉しくて、しばらく「こんな滅茶苦茶な状態と情勢の中で『自粛』なんてしている場合じゃないよね」みたいな話をした後、感極まって思わず別れぎわにAさんと固くハグしちゃいました(笑)。

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 え~、今日中に最後まで書いてしまうつもりでしたが、ここまで書いたところで例によって午前2時になりましたので、続きはまた明日にします。ややくだけた感じの「ちょっと一服」的なパートで終わってしまい、なんか集会の雰囲気を誤解されることを恐れますが、まあ、明日のパートと続けて読んでいただくということでご容赦ください。
それではみなさま。おやすみなさぁ~ぃ. ZZzz((オヤスミ))(*´Pω゜`)c[枕]ギュッ

3件のコメント

こんにちは。
いつも拝見させて頂いております。
草加さんのブログで取り上げて頂き大変恐縮です。

集会・デモは一体感があって良かったですね!
統一委の方とのハグには感動しました。
過去の負の遺産が次々と清算されていく事を願っています。

困難な時代ですが、息の長い運動を続けていきたいと思います。

後編も楽しみにしています(^^

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