とりあえず元旦のうちにご挨拶だけしておきます。
振り返ってみますと、このサイトを開設したのが2004年の5月ですから、それから8回目のお正月ということになります。過去にはそれなりに「年頭所感」みたいなものを書いておった時期もあるのですね。いや、懐かしい。
3・11後の世界を迎えて、今年こそそういうものを書かなくてはいけない年であると思うのですが、ちょっと今年はダラダラと言ったら聞こえは悪いですが、まあお正月だけゆっくりさせていただきます。正月休みも大晦日から2日までで、3日からはまた仕事です。その直前まで年末の追い込みで多忙でしたんで、三日間は少し体を休めようと思います。あんまり何をしなくてはと思うことなく、気持ちを空っぽにして、腰をすえてダラダラしようと決めました
昨年は私もなかなか大変な時期でした。まず三里塚の5・20大弾圧で逮捕されちゃってねえ。もうびっくりですよ。「なんで?」って言う感じ。だって私も含めて逮捕されるようなこと誰も何にもしてないんだもん。いやマジで。
護送車に放り込まれるまで、自分が逮捕されたことさえ気がつかなかったくらい。繰り返すけど、本当に逮捕されるような理由なんて何もなかったから。感覚的には「ここにいなさい」「あっちに行きなさない」「こっちに来なさい」という裁判所職員や警察官の指示に素直に従っていたら、そのまま護送車の中にご案内。本当に「へ?」という感じ。
あとから逮捕容疑を書いた紙(公安さんが作ったもの)を読まされたけど、よくもまあ、こんだけ身におぼえのないことをこじつけたもんだと。それが証拠に公安警察から検察庁に送られたとたん、事情を知った検察官があわてて(かどうかしらんが)すぐに釈放してしまったんです。
それでもまだ、公安さんの抵抗があったのか、セクトに所属している人間は獄に留め置かれたが、50名も一度に同じ容疑で逮捕しておきながら、結局はただの一人も起訴することすらできなかった。そもそも最初から逮捕するだけの理由があったのかという点において、これは公安警察の勇み足であって大きな黒星ですよ。だって弁護士さんからして、「こんなこと言ったら不謹慎だけれども、起訴してくれたら面白いことになるよ」と手ぐすねひいてたくらいですからね。結局は起訴しなかったのではなく、できなかったのですよ。逮捕そのものが不当であったということです。
これで私もめでたく「逮捕歴2回の元活動家」から「3回」になったわけです。まさか「元」になってから逮捕されるとは思わんかったけれどね。私ももういい加減おっさんだからね。いちいち驚いてちゃいけませんね。「なんだよこれ、こんなんでコジツケ逮捕なんて、どんな外道だよ」と内心思いつつ、警察署でヘラヘラ笑っていたのは、私の他には逮捕慣れした全学連の織田委員長(当時)くらいでした。一緒に逮捕された中核派のおそらく学生さんなんか、なんどもため息ついておられて、「どうしよう、これからどうなるんだ」的な風情が、見ていて初々しくも気の毒でした。おそらく親や学校やバイト先のことまでが頭の中をグルグルと回っているんでしょう。きっと私も初めて逮捕された時はこんなだったろうなと。「大丈夫だよ、なんてことないよ」と声をかけてあげたいくらいでした。
って、こんなこと自慢にも何もなりゃしないんですけどね。この中核の「過激派学生」さんこそが普通の人なんであって、「一般市民」の私のほうがおかしい. ( ̄▽ ̄;)
それにしても、脱原発デモなんかでも、最近の公安さんはホイホイと本当に簡単に逮捕しています。ちょっと目にあまります。起訴しないで数日から数週間で釈放すれば、それで大きな問題にもならず、誰も責任をとらなくてよいという今のシステムや風潮にはどこかで歯止めをかけないといけません。公安部門に限って言えば、最近は「逮捕」が違法事犯の「検挙」という本来の目的からは完全に離れ、運動への恫喝や制動、プレッシャー(要するに思想弾圧)の一つとして濫用されている。たとえすぐに釈放しようが、「逮捕」そのものが重大なことであって、安易な逮捕権の濫用は許されないという当たり前のことを、しっかりと思い知らせないといけない。昨年は活動家や運動関係者の逮捕事例がものすごく多かった。その中には運動関係者の不注意や、実際に違法と言われても仕方のない破廉恥な事例もあったかもしれない。ですがたとえそうだとしても、こと思想信条、表現の自由に関しては、運動関係者ばかりが狙い撃ちにされており、逮捕までする必要があったのかということまで含め、強い危機感を持って考えないといけない。
ここ数年、格段に活動家の逮捕が飛躍的に増え続けているという事実、とりわけ昨年は、それ以前の年と比べても、格段に増えたということをちゃんと見ておかないといけません。特にネットで意見を表明しているような人たちは、そういうことに敏感でなくてはいけない。自分と意見の違う人が弾圧されているからと言って、それを喜んだり無批判に正当化するような腐った感性だけは持ちたくないものです。
さて、やはりここできちんと書いておかねばならないのは、こんな私を助けていただくために、本当に何人もの方々が素早く動いて適切な救援活動をしていただいたということです。この尊敬すべき方々について、ここでお一人お一人のお名前をあげてお礼を申し上げられないのが本当に残念ですが、皆さん方の救援があったからこそ、私もこんな気楽なことを書いておれるということです。
実際、私は何らの組織・団体・運動などにも属しておらない、全くの一般市民で個人ですから、逮捕後の対応も個人でやる以外にないだろうなと。それが一番の気がかりで重荷でした。それが思ってもみないくらいに多くの皆さんに助けていただき、ご迷惑をおかけしましたこと、かえすがえすもありがたく、申し訳なく思います。釈放の日、変に遠くの警察署に留置されていたものですから、ここからどうやって帰ればいいのかと思いながら獄を出ます時、係の警察官から「迎えの人がきているよ」と言われまして、思わず「そんなことはないでしょう」と返答してしまったのですが、本当に何人もの方々が迎えに来ていただいている光景を見まして、一気に気持ちが明るく、満面の笑顔になってしまいました。あれは嬉しかったです。組織の方々は被逮捕者の人数も多くて、一人の迎えもない人も多かったと聞きます。それが私如き、なんの役にもたっていない個人にこんなに出迎えの方が来ていただけるなんて、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。そして私が留置されている間、皆さんが私のためにいろいろと動いていただいていたことを知りました。今でもなんと言っていいのかわかりません。この御恩はきっと運動の場で返していきたいと思います。
と、まあ、この逮捕については私も言いたいことがいっぱいあるんですが、その一端をやっと書けました。あの時、私も逮捕されたことはだいたいの方が知っておられると思いますが、サイト上で正式に書く事には慎重または反対のご意見をいただくことも多く、とりわけまだ拘留中の方がいるうちは軽々しく書けませんでした。また、逮捕時には「草加耕助」が逮捕されたということを、留置中の私を守っていただく観点から、ネット上でも厳重に秘匿していただくなどのご配慮をいただきまして、それを無にしないためにも慎重にならざるを得ませんでした。
皆さま方のご厚意につきましては、今思い出しても、どう言っていいやら、全く言葉を失うくらいに感謝しております。それと同時に、やはりあの場にいた者の一人としまして、あの逮捕がまったく根拠のないデタラメなものであったこと、誰一人としてあそこで逮捕されるなんて思ってもいなかったし、実際、逮捕されるようなことは何もしておらず、「混乱」があったとすれば、それはほとんど警備公安の自作自演ともいうべき状況であったこと、そういうことが現実に今の日本でおこっているということは、単純な「不当逮捕糾弾」というような政治的な側面だけでなく、目撃者として客観的に伝えて残しておかなくてはと、やはり思うのです。
釈放されてから、まだ多くの方が獄に囚われている段階で、ネットの情報や新聞記事(それもネット上で見たものにすぎないのでしょうが)だけを根拠に、現実とは違う適当なことを、さもさも自分は全部わかっているかのように、断定口調で書き散らしている人も見ました。そういう無責任なものにも、じっと我慢して最低限の訂正しかしてきませんでした。かなりストレスたまりました。その中のお一人は、サイトの更新が止まっているということだけを根拠に、「この団体は現在活動停止状態のようである」などと断定して、関係者から「いい加減なことを言うな」と怒られていたような人ですから、定点観測している人からはどれだけ信用されていたかはわかりませんけど。
何にしても、ネットの中だけで生きている人、あるいは現実にあるものより、ネットにあるもののほうがより真実だと思っている人、こういう人の書くものには要注意です。もちろんただの「感想」や「想像」を「意見(=主観)」として書くのは勝手ではあります。ですが、ある事柄や分野について、単なる「感想」を超えて、人の名誉や事実関係に関するレベルまで、継続的に論評するのであれば、少なくともちゃんと(可能な限り)現実の場にも身を置くべきではないのかと、この方にはご忠告申し上げたこともあるんですが、そういう感覚は「古い」と嘲笑されました。まあ、ネット信仰とでも言うんですかねえ。ネットで見たものや噂話だけですべてがわかるとか、それを根拠に他人の名誉(事実関係)についてまで断定的なことを書くのが「新しい」とは私には思えないです。まあ、それも私の主観ですし、この方のそういう主観には脱力して反論もしませんでしたが、そういう私の感覚って古いんですかねえ。いかがなもんでしょう?
ふう、この半年以上、胸にモヤモヤしてたことを少しだけですが、やっと書けた。このエントリを書き始めた時は、こんなこと長々と書くつもりはなかったのですが、書き出すと止まらなくなっちゃった。やはり事実関係についてはもうちょっと書いておかないといかんと思いますが、このエントリも含め、助けていただいた方々が読んで、ご不快にならないかどうかだけが心配です。なにとぞご理解くだされば幸いに存じます。
今年もよろしくお願いします
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ちょっと遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
去年は記事の件や仕事にお疲れ様でした。
さて、公安さんの話ですが、見た感じ、監視する対象を広げすぎて手が回らないというか、把握できなくてバタバタしているという印象を受けます。
情報が処理しきれなくて『怪しいものはとりあえず逮捕』な状態なのかも。
普通、そんな状態で仕事(一般の)をしたら手直しの嵐で酷い目に遭うんですけどねぇ。
もしくは、『誰も責任を取る必要が無いから手当たり次第に』ということか?
それはともかく、今年も色々あるでしょうけど、身体だけは壊さないようにしてください。・・・いやマジで。
あけましておめでとう。
今年もどうか、よろしく。
今年は、気張って、ガンガン、がんばるぞ!!
たけ(41)さま>
おひさしぶりです。おめでとうございます。
今年もまた少し違った目線からのコメント楽しみにしています。
公安さんについては、忙しいのかどうなのか、70年安保闘争の頃と同じか、むしろそれ以上の人数の公安さんがいるそうなので、今のご時世、どう考えてもそんなに忙しいはずはないと思うのですが。
200人くらいのデモに100人くらいの公安さんがぞろぞろついてきたり、場合によってはデモ隊より公安刑事のほうが多いんじゃないかと思うこともあります。そんなことは80年代には絶対にありませんでした。やっぱり人が余ってるんだと思います。
人が余っていることによる結果として、一つには、対象(一団体あたり)に対する弾圧が無茶になりました。「こんなことで?」と思うようなことでも、まるで重大犯罪あつかいで、仕事求めてわーっといっぱいきます。
二つには、あつかう対象がすごく広くなりました。「過激派」だけでは人が余りますので、小さな市民団体や個人、地方議員やら映画関係者やらフリーライターまで、昔の「過激派幹部」なみに監視してくれます。既成の大政党に関しては、かつては共産党のみを監視していましたが、今は公明党にまで広げているそうで、最終的には自民党や民主党など全政党を対象にする体制とか。弱みをつかんで人員削減とかさせない作戦でしょうか。そういや昔、そんなFBI長官がいました。あれを狙っているのかもね。
でも、なんつーかまあ、公安さんにそういうことを言うと、余ってなどいない!まだまだ足りない!われわれがいなくなれば国が危ない!われわれがしっかりしなければ!みたいなことを言うそうです。公安さんは全国一元管理されていて、通常の道府県警察とは完全に別系列で、管理組織系列も、本当は何をやっているかも非公開ですし、いったん人数と予算をつけると、「これだけ必要なんです」と言われてしまうと削れないんでしょう。何をやってそんなに必要なの?と聞いても、「そんなの機密です」と言われるんだろうし。
まあ、ちょっと昔の陸軍さんあたりを思い出します。軍人さんが「必要」「足りない」と言えば、もう世界を相手に勝てるくらいまでは果てしなく「足りない」わけですし、公安さんなら北朝鮮なみの監視国家になるまでは「足りない」と言い続けるでしょう。それがこの手の職業の方々の習性ですから。それを適正にコントロールするのが政治家の役割と思うのですが、ちょっと期待できないかな。田母神さんとか、ヒゲの佐藤隊長みたいなんが、まだ少数(?)でよかったなあと。
追記)「治安フォーラム」(立花書房)という公安警察の業界雑誌があります。普通に大きな書店で売ってますし、図書館にもありますので、機会があればご一読を。これを読むと、公安さんがどんな目で世の中を見ているか推測されます。日本は凶悪なテロ組織で満ち満ちたスパイの巣窟です(笑)。一度、私もよく知っているホームレスの生活支援団体が特集されていまして、確かに元活動家が多かったのですが、まるで国家転覆をたくらむ悪の陰謀集団みたいに書かれており、あまりの実態とのギャップに吹き出しました。って、笑い事ではないんですが。現役活動家時代から、いつも大笑いしながら萌え萌えで(フィクションとして)楽しく読んでいました。すんごく過大評価してくれるんで、怒るどころか気持ちよくなるんですよね。
田中洌さま>
おー!おめでとうさんです。
昨年はやっとお会いできて嬉しかったっす。
今年はぜひともガチにスクラム組んでバリバリ闘いましょー。
しびれるオヤジさんへ、今年もよろしく。