これは前の記事の続きです。まず、そちらを読んでからごらんください。
その前記事に対してよせられたmixiでのコメントを、何件か選んで匿名でご紹介したいと思います。文責その他、すべての責任は草加にあります。どうか是非読んでください。
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mixiでは、単にてんかんの既往者として思ったことを書いただけで、どうせ叩く奴もいるだろうな程度に考えていたところ、患者やその家族の方から「うれしかった」というコメントをたくさんいただき、本当に驚きました。
そうか、てんかん患者は危険な奴で警戒しろみたいなバッシングにさらされ、歯をくいしばって悔しさに耐えていた人がたくさんいたのかと。私の拙い日記にさえ、「こんなことを書く人もいるんだ」と読んでホッと胸をなでおろすほどにです。その心情を思うと、胸にグッとこみあげてくるものがあるのは、私だけなのでしょうか?
祇園暴走事件から一ヶ月がたちましたが、未だにその原因は不明のままです。今一度あらためて、犠牲になられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げると同時に、勝手な憶測で、何の罪もない無関係の第三者まで傷つける心ない行為や、知ったかぶりの悪質な書き込みはもうやめていただきたいと切に願います。
Contents -このページの目次-
以下、読者の方々からの投稿 引用ここから
自分はてんかん持ちです。この日記読んで涙が出ました。
今回の事件の記事に対する日記やコメントなどを見ていて一番思ったのは、「よく分かってないのに知った風な事をいう奴らの多さ」です。日記やコメントの書き出しで「ちょっと調べたんだけど・・・」とか「さっきwiki見てきたんだけどさ・・・」とかそんなので分かった風な考えを並べ立てられるのがもう悔しいやら、腹立たしいやら・・・。
別に同情が欲しい訳じゃない。慈悲が欲しい訳じゃない。ただてんかんについて少し調べて全てわかったように言わないでほしい。それだけなんです。なのにこんな連中の多さときたら・・・
この日記はそんな事なく、ちゃんと患者の目線にも立って書かれてる気がしました。こういう言い方はおかしいかもしれませんが、とても嬉しかったです。失礼しました。
私がモヤモヤと考えていたことを、まとめてくれたような日記で、気持ちがスッキリしました。
私の旦那さんは、大人になってから発症したタイプです。免許も取りませんでした。
今回の事で、職場の批判好きの人種の方々から、まるで事件の犯人かのような言われ方をされ、手まであげられました。
主様の『めがねのようなもの』といった表現が、しっくりきたので、使わせて頂こうと思いますが。
偏見の塊な人は、居なくならないんでしょうね(T-T )
長々とすみませんでした。
私は、2週間ほど前にてんかんと診断された30代です。
京都祇園の事故の件で、世間の反応が事故そのものではなく、てんかん患者全体に対しての批判や差別、軽蔑があまりにも多いことを知り、かなりショックをうけました。
でも日記読ませていただいて気持ちが落ち着いたのでお礼がいいたくて。
ありがとうございます。
私は、犯罪事件等に関心を持つことは大切なことであるが、当事者でもないのにどちらかサイドに寄り添った気になって無責任に発言する人たちが理解できないと日ごろから思っていました。
それを正義だと勘違いしているように見えるし、ただただネタにして叩いて快感を得ているようにも見えて。
まさか自分が間接的に叩かれる立場になろうとは思ってませんでしたけど。
病気に対する心の準備もまだ不十分な中でこのニュースだったからよけい敏感になってしまったのかもしれません。
そんな中で、ただ感情だけで書き殴っている日記ではなく、まっすぐな内容を拝見しほっとしました。
正直、今後の不安や生きづらさは当分解消されそうにありませんが歪まないでいけそうです。
ありがとうございました。
私も妻がてんかんです。
もちろん、そんな事は関係なく世界一大切と思っています。
今回の事件では早くからてんかんであることだけを強調する報道ばかりで、また、ここ(注:mixi)の日記を読んでも差別的な表現ばかりで本当に腹が立っていました。
でも、前の方も書いておられましたが患者目線での日記で救われた気持ちになりました。
ありがとうございました。
私は高校の時からてんかんになった、現在31歳の者です。小児てんかんでなかったので、これからも薬を飲んで抑えていく事となります。
マスコミに対する反論に同意です。そんな心持ちを大きくしていけば、世界の戦争も縮小していけるので、とても大切だと常々考えております。むしろその心でしか、戦争は無くすことが出来ないとも。
てんかんに対する世間の目は、未だに一定ではありませんね。だから、ご両親が隠したという事もよくわかります。私の別れた妻も、別れる理由を突きつけて来る時にてんかんを持ち出してきました。もちろん全てを説明した上で結婚したのですが・・・別れ際なんて何があるかわかりませんので。それにしてもひどいものだと思いました。
私は病名をオープンにした時に、どれだけの人生を歩めるかを挑戦中です。無謀な挑戦をする気はないですが、どれだけ他人から『全然てんかんなんて見えない』と言わせたく思っています。てんかんは、コントロールできる病気だからこそ、そういう反応が正しいんだという事を周囲に知って欲しいのです。
人によって度合が違ったり、薬によるコントロールの順守率も違うので全てのてんかん患者の代弁とはなりませんが、それでも私を通しててんかんを知る人には、そういう理解をして欲しいと思っております。
かと言って、全てを健常者と同じ扱いをされていると、身体のもたない時もきてしまいます。
てんかん患者として最終的に気づかされるのは、周りの暖かい理解の上に生きているという事です。就職活動の時に、面接でてんかんだと言って内定を取り消された事は多々あります。まあそれが、その会社の出来る優しさだと思いましたし、今の会社は、私は長期海外出張に出てるのですが、薬の無くなりそうな時期に合わせて帰国するように日程を組んでくれています。そのような対応に、最後におっしゃっていた社会の環境の姿があるのだと感じます。
最近のてんかん事故報道が起きるたびに、やりきれなさを感じてたので、たまらずコメントしてしまいました。ありがとうございました。失礼します。
日記を拝見したときに、まだこういう場でも、しっかりとしたご意見を持つ方がいるんだ。と思ってしまいました。
私は、身近にいわゆる障害を持つ方が何人かいます。
その方々は、自己管理ができています。
この事件を起こされた方がどうしていたかわかりませんし、たぶんに知るすべはないのかもしれません。
なので、この男性が自己管理ができていなかったとは、断定しません。
だからこそ、心無い日記を書く方が多いことに憤りと怒りすら、感じていました。
紹介されて来ました。わたしもブログでこのテーマについて書きました。「てんかんを全面規制にするなら、レイプ未遂と示談ですんだやつとレイプポルノ読者の徒歩も規制しろ」と書いたので、レイピストに荒らされましたがブロックしています。
何も知らないで議論のネタにした非礼をお詫びします。
てんかんの方は、「自己否定感」を与えられて育つ苦しみはACや暴力被害者と同じだと思いました。
それへのケアや支援や法律上の優遇制度も必要だと思いました。
よかったら書き込みにきてください。
とりあえず事故発生時に意識があったようなのでテンカンと関係づけるのは今の段階でどうかと。捜査が進まないとどうとも言えないのでは?
世間の無知って怖いものなんですよね、、
日記を読んですごく考えさせられました。
意図してはいないにしても、誰かの心ない無責任な発言で傷つくひとがいるということ。
報道する側はもちろんのこと、ネットを通して何らかのカタチで発言する私たち自身がもっと自分の発言に責任と配慮を持たなければ、と感じました。
<以上、読者の方々からの投稿 引用ここまで>
ここまで悲しいくらいに何の罪もない患者たちを追い詰める、ネット上の心ない差別と中傷。そういう人に限って文の最初か最後にちょろっと「もちろん差別はよくないが」とか一行くらい申し訳程度にいれて、それで免罪されると思いこんでいます。実際は本文の大部分が「てんかん患者」一般に対する差別と偏見で占められています。「差別はよくない」と言い訳ではなく本気で思うなら、まず自分からあらためるべきでしょう。
中には「祇園てんかん暴走」などと、センセーショナルでおもしろ半分なタイトルを使っている不謹慎な人もいました。加害者がてんかん患者だっただけで、病気と事故の因果関係はわからないのに、なにが「てんかん暴走」か!。
この人は同じサイトの別の話題で「マスゴミ」なんて言葉を使っていましたが、自分たちがこんな三文週刊誌みたいな無責任な煽りで人目を引いておきながら、「マスゴミ批判」が聞いて呆れると思います。
子供が乗っていますステッカーをもじった「てんかんが乗っています」ステッカーを作っている人もいました。これを見たときにはもう情けなくて情けなくて涙が出てきました。人を傷つけるためだけにご自分の才能を使われたこの人は、普通のてんかん患者がこれを見て、いったいどんな気持ちがするか小指の先ほども考えたのでしょうか?
そしてまた、こういう人に限って、遺族の気持ちだとか被害者の気持ちがどうのとか、まるで自分が「そちら側の味方」「遺族代表」みたいな、傲慢なドヤ顔文章を書くのです。こういう偽善者に対する反応は、前のエントリでいたしましたので繰り返しません。
どちらにせよ、被害者がそういうことを言うのならまだ理解できますが、あんたは被害者とも容疑者とも全く無関係の第三者、すなわち、あんたと一般のてんかん患者とは全面的に同じ立場でしょ。その同じ立場のあんたから、なんでそんな非論理的で理不尽なことをいわれなきゃならんのか。
要するにこれはね、「在特会」が「日本人の代表」を名乗って、在日外国人一般や、特定の民族・国籍の方々一般を差別・迫害しているのと全く同じ構造なんだと言えば理解しやすい。あんたなんぞは遺族の、あるいは日本人全体の、何一つをも代表も代弁もしていない。どちらかと言えば日本人全体の恥さらしであり、被害者を貶めるものです。
こういう人たちに対しては、横田滋さんの次の言葉を引用するだけで充分だろうと思います。
去年6月だったか、東京のデモ行進で、私たちの知らない団体が参加していて、『在日朝鮮人は東京湾に放り込め!』なんて怒鳴っていてそれがテレビのニュースでも放映されたのです。拉致と関係のない在日の人に対してまでそんな言い方をするのは良くない。筋違いです
他にもいろいろ書きたかったですが、てんかん患者のご家族の方と、医者として患者さんに向き合っておられる方のブログから、一部を引用させていただきます。
もちろん隠して免許取得や運転手の仕事に就いたことは、絶対に許されることではないです。
ブログ「月花のささやき 」様より
しかしながら…運転手の職は論外にしても、普通の会社員すらまともに申告してたら採用は難しいのが現実です。
世間の偏見もまだまだあります。
今回の事故により、癲癇患者の免許取得制限がもっと厳しくなるであろうし、癲癇に対する世間の誤解も更に招くでしょう…
人様の命を危険にさらす可能性がある職業は絶対に就いてはイケナイと思いますが、癲癇には多くの種類があって発作の症状も様々だということを世間の人にわかってもらいたいです。
私は小児性のてんかんであり、すでに完治していますから、就職などでの申告の必要はありません。病歴や既往症など、現在の自分の評価と関係ないことは、個人のプライバシーです。面接などでは「現在の健康状態」以外は聞いてはいけませんし、まともな会社ならまず聞かない。そして聞かれない限りは自分からは言いません。やはりちょっと言えないですね。悲しいかな今の社会では勇気がいる。
でも、聞かれたら隠さずに答えています。つまり嘘をつかないということです。会社の健康診断の際に、医師の問診で既往症を聞かれることがあるので、その時はちゃんと「小児性てんかんですが、完治しています」と答えています。医師はわかっていますから、それ以上は何も言いません。
昔の活動家時代のクセかもしれませんが、不当な解雇のネタに使われたくないという気持ちがある。まあ、幸か不幸かそういうシチュエーションには一度も遭遇したことはありませんし、だいたい「てんかんの既往症を隠していた」から解雇というのは、明らかに不当ですが、未だに世間では「それは仕方ないね」と言われかねない風潮(差別)が特に高齢の方の一部には残っています。
なお、私は既往症だから関係ないのですが、労働基準法も、てんかんを理由にした不当解雇には、はっきりと労働者をまもってくれるかどうか、あいまいな部分があるそうです。それがはっきり不当であり差別だということを法制度上でも保障しないと、雰囲気的に隠さざるを得ない風潮が蔓延してしまい、そのことでまた事故がおこる可能性が高まるという悪循環に陥ってしまいます。とりわけ立場の弱い非正規雇用などではそうです。
まず、亡くなった方々とご遺族に深い哀悼の意を表します。
てんかん患者さんに限らず、車の運転中に車のコントロールが不能になる症状のある方は、運転免許を取得・更新できません。(中略)薬によって治まっている方は、運転免許を取得・更新できます(取得条件があります)。薬を毎日忘れずに内服し、規則正しい生活を心がけていただくというのが前提であり、患者さんの義務でもあります。
てんかん患者さんの大部分は、発作の最中以外はごくふつうの方です。発作を目撃しない限りてんかんとは分かりませんし、その方の能力が劣るわけでもありません。まじめに治療を受け、法令を遵守されている患者さんが「社会の凶器」になることはありません。てんかんは、「泡を吹いて全身がひきつけて倒れる病気」というくらいにしか世間に認知されていません。100人に1人という「ありふれた」病気なのですから、もっと一般人に理解してもらいたい。啓蒙活動がもっと必要です。大きな問題は、てんかんに対する無知です。目に見える障害は理解されやすく、援助もわりあい得られやすいのです。しかし、自分の家族や知り合いに患者さんがいない限り、てんかん発作を見ることはほぼないです。見えないものは理解できない。理解できないものは「得体が知れない」「こわい」。このような偏見があると、患者さんは自分が病気だと人に告げられなくなります。
てんかんという病名による運転免許の一律制限をしたらという極論があるようですが、適切とはいえません。1つは病名による患者差別。てんかん以外でも運転不能になるような病気はいくらでもありますし、意識を失わず運動障害を伴わないてんかん発作もある。個人個人の状況での判断が大切。もう1つは、てんかんか否かをきっちり判定する医学的方法がないこと。
ブログ「あきちゃんの雑記帳」様より
(中略)この問題を根本的に解決するには、みんながてんかんという病気を理解して、患者さんが自分でみんなに病気があることを告げられるような社会にすること。そして、そうすることによって差別や大きな不利益をこうむらないような社会にすることです。これが理想論だとは分かっていますが、この方向に向かわない限り、不幸な自動車事故の予防は難しいでしょう。
結局、大きな方向性としては、これ↑にとどめを刺すと思います。
免許更新などでの申告もれに罰則を作るのは別にいいと思うが(つか、何度も免許更新しているけど、そんな申告制度があるということすら知らなかったぞ)、てんかんだけを運転不能になる他の病気とゆえなく区別して「病名による一律禁止」というのは非科学的な差別です。
報道も問題で、「てんかんは」と特定せずに「運転不能になる症状の病気は」と正しく伝えてくれないと、ますます「得体の知れない」「恐い」という偏見を助長してしまう。
ともかく、上のようなアフォなステッカーを平気でネット配布して、それを「悪いことだ」と思わないような人が蔓延している現状では、まさに一朝一夕にはいかないこととは思いますが、この方向を向いて進んでいかない限り、根本的な解決は永遠にやってこない。問題は、政府や行政がちゃんとその方向を向いているのか、今後ともこの方向に逆行しないかということでしょう。
毎年3月26日は「紫の日(Purple Day 世界てんかん啓蒙の日)」として、世界中でてんかんに関するイベントや、てんかん患者へのサポート、啓蒙がおこなわれています。
日本では、専門の病院でもあまり関係イベントなど見たことが無く、普及しているとはいえません。せめて政府広報などでとりあげるなどあってもいいのではないでしょうか。欧米を中心に、世界のスタンダードはむしろその方向なのだということを知らせるだけでも、大きな意味があると思います。
こと人権や差別の問題に関してだけは、絶対に「衆愚政治」におちいってはなりません。もともと人権というのは少数派や弱者を守るためにあるのです。その時々の少数派や弱者が、その時代の多数派や権力者に、不当に迫害されてきた抵抗の歴史と、その反省の上に人権思想があるのです。衆愚政治と人権思想はまっこうから対立するものです。
だからそれは、てんかん患者だけに関係する話ではないのです。私たちみんなの問題なのです。今回のような時にこそ、政府ははっきりと患者への差別を許さない強い態度を断固としてとらなきゃならない。「票」にならないからといって、そこをあいまいにしていたら、ハンセン病やエイズの教訓が何もいかされていないことになってしまいます。断固とした態度を求めます。
参考記事
てんかん患者悩み深く 祇園暴走、原因不明のまま1ヵ月(河北新報2012年05月13日)
京都・祇園の軽ワゴン車暴走事故から12日で1カ月。てんかんの持病のある男が事故を起こしたことに対し、宮城県内の相談窓口に患者や家族から不安の声が寄せられている。事故と病気との因果関係ははっきりしないが、病気が事故原因というイメージが広まれば、患者が病気を隠しかねない。日本てんかん協会宮城県支部(仙台市)は「病気のことを正しく知ってほしい」と訴える。
県支部の相談窓口には京都の事故以降、深刻な状況を訴える電話が続いている。
ある人は2年以上発作がなく、就職も決まっていた。しかし京都市での事故後、採用が取り消された。勤務先から「世間のほとぼりが冷めるまでは仕事に来ないで」と、自宅待機を命じられたケースもあるという。
萩原せつ子代表は「病気と事故が直接結び付けられ、薬や治療で発作が治まっている人への理解まで失われている」と現状を嘆く。
(中略)…てんかん協会県支部は4月の定例会で「医師の許可が出ていない人は、絶対に運転しない」などと法令順守の徹底を再確認した。出席者からは「患者は免許を取りにくくなるのでは」「規制が厳しくなったら病気を隠す人が増える」との不安も漏れた。
萩原代表は「患者が法を守り、患者が病気を自己申告しやすくなるような社会づくりこそ、事故防止につながる」と病気への理解を求める。
祇園暴走:原因の特定難しく…事故から1カ月(毎日2012年05月13日)
京都市東山区の祇園で歩行者19人が死傷した暴走事故は12日、発生から1カ月を迎えた。京都府警は、殺人や自動車運転過失致死傷の疑いで捜査しているが、運転していた会社員、F容疑者(30)が死亡しており、原因の特定は困難な状況だ。(1)持病とされる「てんかん」(2)過去の事故の後遺症(3)未必の故意による殺意--。府警は、この三つの可能性を軸に、専門家らの意見も聞きながら、手探りの捜査を続けている。
■意識ある発作?
当初からの捜査の焦点は、容疑者がてんかんの発作を起こしたかどうかだ。捜査関係者によると、容疑者は数年前にてんかんを発症した。「抗てんかん薬」を服用し、遺体からその成分が検出された。
(中略)…目撃証言などから、容疑者は駐車車両などをよけており、暴走中にハンドル操作をした可能性が高い。てんかんの発作は意識を失うことが多く、暴走の態様と矛盾するという見方だ。しかし、意識を失わない発作もある。捜査員の一人は「意識は失っていなくても、発作で足が硬直し、アクセルを踏み続けた可能性がある」と推測する。
■事故後の後遺症か
捜査本部は、容疑者が大学生時代の03年11月、バイクの事故で一時、意識不明の重体になったことにも注目している。(中略)言語や記憶に後遺症が残った。リハビリ治療で回復したが、完全に治ったかどうかはわからないという。
父親は毎日新聞の取材に「バイク事故の後、発作とは別に、しかられたりすると激しく取り乱すことがあった」と話す。捜査本部も家族から同様の供述を得ており、バイク事故の捜査資料や藤崎容疑者の治療過程を詳しく調べ、専門医の見解も聞いて関連を調べている。
■未必の故意焦点
捜査本部は、暴走中の藤崎容疑者に意識があったとみられることから、殺人容疑で自宅などを捜索した。しかし、故意に人をはねたことを裏付ける証拠は今のところ、皆無だ。
(中略)…捜査本部は殺意があるとすれば、人が死んでも構わないという未必の故意とみる。最初にタクシーに追突し、逃げるために歩行者をはねたという見方だ。ただ、捜査幹部は「病気や後遺症の要素が消えない限り、殺人容疑は難しい」とする。
■悲しきカーネーション
事故現場の交差点では12日、発生時間の午後1時10分ごろ、地元の商店主ら約40人が犠牲者の冥福を祈って黙とうした後、観光客らに交通安全を呼びかけるチラシを配った。交差点南側の電柱に取り付けられた竹筒には、13日の母の日に合わせたのか、ピンクのカーネーション数輪が手向けられていた。
参考リンク
◇祇園暴走事件と てんかん患者への差別(上)-もういい加減にしてほしい!(ブログ旗旗)
◇「基地外」と書く差別者達(ブログ旗旗)
◇王者の病と詩人の魂(ブログ旗旗)
◇Purple Day(世界てんかん啓発の日)公式サイト(英文)
◇不幸な事故(あきちゃんの雑記帳)
◇てんかん患者の運転免許(月花のささやき )
◇差別語とはなにか(孺子の牛)
◇京都祇園 暴走運転・・・てんかん(心の健康ブログ)
◇てんかん患者への差別報道を許すな(政治に一言!)
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