家族が植物状態となって

 私事(わたくしごと)で少し迷いましたが、もともとここは公共の意見や天下国家を云々するような場ではなく、私事を書く場所だと思っていますので、他人様には興味関係のない話でしょうが、自分なりに思うことをまとめてみます(どこかに書いておきたい気持ちだった)。

 母から電話で弟が植物状態になったという連絡があり、ここしばらく実家の京都に帰っていました。弟の姿も見て、もう何といっていいかわかりませんので、いろいろ細かいところは端折らせていただきますが、テレビのドラマで見るような綺麗なものではない、もっと生々しいものだとだけ……。

 両親と一緒に医者との面談に臨みました。3人のご担当の方がお忙しい中で長く時間をとっていただき、いろいろとお話を伺うことができました。お医者様は両親に気を使って断言はさけられましたが、もう意識が戻ることはないだろう(過去にそういう症例はない)とのこと。万に一つ、もし奇跡的に意識が戻ったとしても、すでに右半身麻痺の状態になっており、非常に重度の認知症が残るだろうとのことでした。

 大酒呑みだったせいで肝機能の低下や糖尿の影響もみられ、体力も落ち続けているようです。いったん容態は落ち着きつつありましたが、頻繁に痙攣(けいれん)をおこすようになり、意識はないが苦しそうに見えます。これは運び込まれた当初に脳内で出血しており、その血だまりで脳が圧迫されているせいであろうとのことでした。痙攣を取り除くために脳外科手術を行うかどうかも聞かれました。

 面談では9割方両親が話しましたが、主に心情的なことや感想が中心で、二人には思うことを充分に話してもらい、最後にそれを汲んで具体的な方針について「もし自分だったらこうしてほしい」と思うことをまとめてお医者様にお願いしました。両親も基本的にはそれに同意してくれたと思います。

 当面の方針として、気管切開(人工呼吸器)、胃ろう(腹部切開による栄養投与)、胸骨圧迫(肋骨骨折や背骨の損傷の可能性があります)など、患者の負担になるような延命措置は行わなくていい、そのかわりに苦痛や負担を取り除く措置は積極的におこなってほしい、そして痙攣を取り除くための脳外科手術は是非おこなってほしいと伝え、モルヒネ投与についても聞かれましたがそれを希望しました。脳外科手術の同意書が両親に渡されましたが、母より「あなたが書いてあげなさい」と言われて私がサインしました。

 もし手術で痙攣がおさまり容態が安定(固定化)された場合、現在の救急病院から療養病院への転院を求められました。療養病院は救急との比較では看護師などの数も少なく、基本的に「治療」は行われません。早い話が寝たきりでそれ以上回復の見込みのない患者さんが入院しておられ、そのほとんどは高齢者です。容態的にも多くの医療機器につながれており、たとえ状況が安定しても自宅療養は不可能とのことでした。

 現在は救急病院でも重症者用の個室を使用して大勢のお医者様がついてくださっています。容態が完全に落ち着かないうちに治療を打ち切ったり転院を強制することはありませんとのことで大変に感謝しています。人員の少ない療養病院に移れる状態になるまで体がもつか、移れたとしてその後どれくらいもつかわかりません。三ヶ月か、一年か、はたまた十年か。また、療養病院はいわゆる「後期高齢者」の患者さんが前提なので、弟のようにまだ若い患者を断るところも多いらしく、今のところ容態が安定したとしても転院のめどはたっていません。

 面談の翌日、両親には「また来るね」と言って東京に戻ってきました。両親には東京に帰るではなく「いってきます」「いってらっしゃい」と言って別れてきました。東京の自宅に戻ってからいろいろ思うところがありました。

 まず、酒をやめろと言われたらやめてくださいね。お酒が好きな人って、とにかくいくら医者や周りに言われても「こればかりはやめられんのよ」とか言って、それを何かしら英雄豪傑っぽく思っている人も多いです。ですが弟もそこから肝臓が弱り、糖尿が悪化していた(それ単体では致命症ではない)のがボディブローとして効いていて、結局こうなった。
 医者が酒を控えろと言ったらマジに控えろ!糖尿とかの持病は動けるうちにしっかり自己管理して計画的に養生しろ!まあ完全なアル中とかだったら周りの人だって無理矢理にでも止めるのでしょうが、陽気に毎日お酒飲んでるだけで人に迷惑かけずに普通に暮らしているうちは、医者に止められてても軽く考えて突然に倒れてしまう。というか、軽く考えるような人が倒れるということでしょうか。

 弟の場合は2年ほど前に自損事故で頭を強打したのがきっかけで、その段階では社会復帰も可能だったのに、仕事には復帰したものの、それから酒を飲むと時々ぶっ倒れるようになり、頭だって何度も強打して救急車で運ばれることもしばしば。昨秋には二週間ほど入院。その退院時に主治医の先生から「今すぐ酒をやめないと次は死ぬぞ!」とまで言われてたのに。
 今回は道で倒れているところを発見されて救急搬送されたので状況はわかりませんが、また飲んでたんだろうと周囲は思っています。両親は「自業自得や!」と無念の思いも込めて言ってます。私も今後はたとえ本人が元気に社会生活を送ってたとしても、周りの人に少し強く言わせてもらうと思う。

 次に自分もいつ事故などでこういう状況になるかわからない、その時のことも考えておかないといけない、必ずしも今日の続きで明日があるわけでないと思いしらされました。
 私はひとり暮らしなので、自分が意識不明になった時に備えて、両親には保険会社の連絡先を渡しておきました。今までは基本的に自分が医者にかかったり入院した時に自分が手続きすればいいと思ってたし、以前に友人に保険会社の方の名刺を預けようとした時も、真面目にとりあってもらえなかったので、そのまま、まあいいかと思ってました。
 さらに、近日中に『私が意思表示をできない状況になった場合、苦痛を長引かせるだけの無意味な延命治療は希望しません。ただし苦痛を取り除き、尊厳ある最期を迎えるための治療は積極的におこなっていただくように希望します』との意思表示、および臓器提供の意思表示を身につけられる形で作成しようと思いました。ただし「脳死」という概念を認めるかどうかは考え中です。

 最後に、毎日をもう少し一生懸命に生きようと思いました。そんなに大層な心構えでなくてもいいから、もう少しだけでも。
 「○○さんのぶんまで生きる」とかの言い方には、今まで口には出さねど生き残った者の気休め的に感じないこともなかった。けどそう言う人の気持ちが少しわかるようになった。
 弟とはそんなに「仲良し兄弟」だったわけでもなく、特に京都を出てからは疎遠ぎみでしたが、この文章を読んだらどう思うかな。きっと「ええカッコしやがって」とか「俺をネタに使うなよ」とか言われそうです。これで私も事実上「一人息子」になりました。そう思うとなんか気持ちが全然違います。

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2件のコメント

これは参考にはならないと思いますが、父が癌ですでに手術してもおそらく治る見込みがないことが分かった時点で、私としては痛みを取るためには何でもしてほしい、とだけ申し上げました。その後もいろいろありましたが、結果的にはそれでよかったと思います。年齢とは関係なく、病気によっては、ある意味麻薬に近い治療の必要性があり、自宅介護では不可能な面があります

ただ、弟さんは弟さんなりの人生を生き抜いたのだと思います
草加さんからしたらこの言葉は認められないかもしれませんが・・・・
英雄豪傑ではなく、何とか忘れたい悩みを、発散するのではなく自分なりに受け止めようとしたお酒だったのかもしれません。やさしい人ほどそうなるものです。
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三浦

 お心遣いありがとうございます。ただ苦しめるためだけに生かすより、安らかに送ってあげたいとは、近年は多くの方が考える主流のようですね。私の自分の時はそうしてほしいと思います。
 弟のことは、まだなんと受け止めていけばいいのか定まりませんが、倒れてまだ半月ほどです。治療も療養もこれからですし、長くなるかもしれません。当面、月に一度くらいのペースで帰省するつもりです。

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