東アジア反日武装戦線とは? 彼らの行なった企業爆破テロとは?
■ 日時:2021年11月7日(日)15:00~
■ 会場:キノ・キュッヘ:木乃久兵衛
〒186-0005 東京都国立市西2−11−32
https://www.kinokyu.com/アクセス/
■ 参加費:¥1500(30名様限定)
■ トークゲスト:
藤井たけし(「狼をさがして」製作)
小野沢稔彦(映画評論)
■ 主催:キノ・キュッヘ&エスパシオ映画研究会
Email:para_kino9@m2.pbc.ne.jp
1974年8月30日、東京・丸の内の三菱重工本社ビルで時限爆弾が爆発した。8名の死者と約380名の負傷者が出たこの事件は日本社会を震撼させた。
事件から1ヶ月後、犯人から声明文が出される。「東アジア反日武装戦線“狼”」と名乗るその組織は、この爆破を「日帝の侵略企業・植民者に対する攻撃である」と宣言。その後、別働隊「大地の牙」と「さそり」が現れ、翌年5月までの間に旧財閥系企業や大手ゼネコンを標的とした“連続企業爆破事件”が続いた。
1975年5月19日、世間を騒がせた“東アジア反日武装戦線”一斉逮捕のニュースが大々的に報じられた。人々を何よりも驚かせたのは、彼らの素顔が、会社員としてごく普通に市民生活を送る20代半ばの若者たちだったという事実であった。
凄惨な爆破事件ばかりが人々の記憶に残る一方で、実際に彼らが何を考え、何を変えようとしたのかは知られていない。
時は過ぎ、2000年代初頭、釜ヶ崎で日雇い労働者を撮影していた韓国のキム・ミレ監督が、一人の労働者から東アジア反日武装戦線の存在を知り、彼らの思想を辿るドキュメントを撮り始めた。出所したメンバーやその家族、彼らの支援者の証言を追うなかで、彼らの思想の根源が紐解かれていく。
高度経済成長の只中、日本に影を落とす帝国主義の闇。彼らが抗していたものとは何だったのか?彼らの言う「反日」とは?未解決の戦後史がそこに立ち現れる。
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