第40回「8・15」を問い続ける京都集会-連続する天皇制国家の敗戦直後と今/京都


イベント詳細


「8・15」を問い続ける京都集会
    第40回「8・15」を問い続ける京都集会-連続する天皇制国家の敗戦直後と今
    ~日本と東アジア・朝鮮半島に平和を築くために~

  • 日 時:2019年8月15日(木)午後2時30分~
  • 場 所:日本キリスト教団 室町教会・ホール
    京都市上京区室町通丸太町上る大門町270
    地下鉄烏丸線「丸太町」駅下車2番出口 西へ徒歩約2分
    http://muromachi-church.org/?page_id=35
  • 参加費:800円
  • 講 師:仲尾宏さん(京都造形芸術大学歴史遺産学科客員教授)
  • 主 催:京都「天皇制を問う」講座実行委員会
        日本キリスト教団京都教区「教会と社会」特設委員会
    後 援:反戦・反貧困・反差別共同行動 in 京都
    問い合わせ:090-5166-1251(寺田道男)

仲尾宏さん
 京都造形芸術大学歴史遺産学科客員教授。
 朝鮮通信使ユネスコ記憶(記録)遺産日本学術委員会委員長。
 反戦・反貧困・反差別共同行動 in 京都 代表世話人。
 (一社)在日コリアン・マイノリティ人権研究センター(KMJ)理事長。
 『朝鮮通信使-江戸日本の誠信外交』(岩波新書)など著書多数。

よびかけ

★8月14日に降伏したのに、なぜ15日が「終戦記念日」なのか

 戦前、戦後も続く天皇制-天皇の名の下に遂行したアジア太平洋戦争。その侵略戦争は、多くの国や地域、そして人びとを蹂躙し殺戮した。日本は1945年8月14日、「国体護持を条件に」ポツダム宣言を受諾し、連合国に無条件降伏した。

 しかし、日本では翌日の8月15日が「敗戦の日」ではなく「終戦の日」として語られる。それは昭和天皇が14日付の「終戦詔書」をラジオ放送した、いわゆる「玉音放送」の日。
 ただし、この日を「終戦記念日」と定めたのは1963年に池田内閣が閣議決定した「全国戦没者追悼式実施要項」であり、今日の名称「戦没者を追悼し平和を祈念する日」としたのは1982年の鈴木内閣の閣議決定による。
 「終戦記念日」は戦後直ぐに始めたものではなく、また8月14日ではなく15日になったのは、「戦前」の1939年から毎年8月15日に行った「戦没英霊戦没英霊盂蘭盆会(うらぼんえ)法要」を踏襲したものといわれる。

 「戦後」74年。ますます風化する戦争体験と記憶。本当に、この国は、戦争を反省しているのだろうか。
 「戦後」は「象徴天皇制」へと装いを変えた。戦争の最高責任者である昭和天皇は、この自らの「国体護持」のために、地上戦で多くの犠牲者を出した沖縄への、半永久的な「米軍の駐留」を約束し(いわゆる「天皇メッセージ」)、「戦後」の沖縄の運命さえも決めた。

★朝鮮半島、東アジアの平和への動きと、日本の植民地支配・戦争責任

 日本は、「戦後」の歩みの中で、右も左も、この「象徴天皇制(国家)」を乱すこともなく、植民地支配、戦争責任を不問にし、歴史認識を曖昧にしてきた。
 今なおアジア諸国から「日本の戦争責任、植民地責任」を問う声が後を絶たない。
 ちなみに隣の韓国では、この天皇制国家=日本による36年間の植民地支配から解放された「光復節」として、8月15日を各地で記念式典を行い、「過去と現在をいろいろ考える日」としている(光復節とは「光を取り戻した」と言う意味)。

 いま、朝鮮半島や東アジアは平和への道を強く模索している。
 しかしこの国は植民地支配・侵略戦争の歴史を不問にするアベ政権によって「日米安保条約」の名のもと、「戦争する国」へと変身させた。

 天皇が代替わりした今年、今一度、敗戦直後の「戦後」に立ち返り、天皇から始まる「日本国憲法」の検証はもとより、タブーにしてきた天皇制、その「象徴天皇制国家」に犠牲を強いられ、苦悩する沖縄を直視し、私たちも、「過去と現在をいろいろ考える日」として、この8月15日に向き合い、共に考え、日本が侵略した朝鮮半島はじめ東アジアの平和を築く道筋を探りたいと思います。
 暑い中ですが、是非、ご参加ください。

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