三里塚 東峰現地行動~追悼 石井紀子さん 飛行制限時間緩和を許さない!成田空港「第3滑走路」反対!


イベント詳細


三里塚 6.28東峰現地行動

追悼 石井紀子さん
飛行制限時間緩和を許さない! 成田空港「第3滑走路」反対! 
安倍政権打倒! 反原発―再稼働やめろ! 沖縄・辺野古新基地建設反対!

東峰現地行動の写真

◦日時:2020年6月28日(日)正午

◦場所:旧東峰共同出荷場跡/集会後、開拓道路に向けてデモ
 京成東成田駅地上 11時00分集合 迎えの車待機

◦デモ終了後、現地調査(第3滑走路計画予定地など)

◦会場への行き方/
 9:13発 京成上野特急→10:22着 京成成田 乗り換え→10:32発→東成田10:37着

◦主催:三里塚空港に反対する連絡会
◦共催・三里塚大地共有運動の会
◦連絡先:千葉県山武郡芝山町香山新田90-5
     電話:FAX0479-78-8101

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■ 命を軽視する安倍政権打倒!

 安倍自公政権は新型コロナウィルスの感染拡大に対して非常事態宣言を発して強力な権限を行使している。しかし、そもそもここまで感染が拡大したのは安倍政権のコロナ対策の遅れとデタラメさに原因があるのだ。
 何よりも最優先しなければならなかった命をどう守るか、という問題をなおざりにして、オリンピックを開催するため全力を傾けた。許されないことは、この事態を利用して安倍の改憲―その中軸をなす緊急事態条項を成立させようと目論んでいることだ。
 労働者・人民にとって安倍政権を打倒することは一刻の猶予もならない。全力で安倍を引きずり降ろさなければならない。

 一方で成田空港は新型コロナの世界的蔓延の影響で航空機の発着回数が大きく減少したとして、4月12日から2本ある滑走路のうちの1本(B滑走路)を閉鎖した。成田国際空港会社は「回復までは相当程度の期間を要すると見込まれる」としている。感染症の流行によって滑走路の運用を止めるのは1978年の開港以来初めてである。

■ 人権・環境破壊の成田空港機能拡大反対!

 それでも国交省―空港会社は空港機能の拡大と称して第3滑走路の建設と飛行時間の延長をセットにして打ち出している。
 当然、現行飛行時間でも騒音被害に苦しむ騒音地区住民、そして新たな騒音直下で被害を受けることになる地域住民は反発し、各地で反対の声を上げ、意志表示を行った。

しかし、国交省・空港会社・千葉県・周辺自治体からなる四者協議会は反対する住民の意志を踏みにじって、地元振興策という金のばらまきにからめ取られ、計画に同意していった。
 国、資本の利益追求のために住民の生活、健康、環境を破壊してでも計画を推進するという構造がここでも再び繰り返されているのだ。

 国土交通省は昨年12月24日、「公聴会」を開催し、賛成、反対双方の意見を聞くというアリバイ的な手続きを行った。それを受けて今年1月、航空法に基づき施設変更を許可した。空港会社は2029年3月末の完成を目指し、用地買収に着手するとしている。

 住民の生活を破壊して、資本の利潤を追求する第3滑走路建設、飛行時間延長計画を断じて許すことはできない。
 用地内農民、騒音被害地区住民と連帯し、計画に反対して闘い抜こう!

 2020.4.20

■ 石井紀子さんは、 3月11日午後6時47分頃、成田市新田路上、軽トラックでご自宅に帰られる途中、軽乗用車と衝突する交通事故で急逝されました。
 6.28東峰現地行動は、石井さんのご冥福をお祈りし、遺志を引き継いでいくことを確認していきたいと思います。

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石井紀子さんの急逝を悼む
三里塚大地共有運動の会ブログ(山口幸夫さん)
https://kyouyu-undou-no-kai.blogspot.com/2020/03/blog-post.html

石井紀子さん 信じたくないことだが、三里塚の石井紀子さんが3月11日の夕刻、帰宅途中に交通事故で亡くなった。1952年12月18日生まれ。67歳と2カ月の人生を、差別と闘い、三里塚を闘い、全力で駆け抜けていった。
 全共闘運動が盛んだった高校生時代に社会主義研究会に入り、70年安保、制服廃止、卒業式粉砕などをたたかって71年に法政大学に入学。そこは学生運動のメッカだった。田中美津のウーマン・リブ運動に共鳴し、学内に女性解放学生戦線をつくって活動した。

 三里塚には71年の第2次強制代執行阻止闘争に労学連を通して、リブの人たちと一緒に参加。現地に行ってみて、三里塚は男の闘争でしかないと、リブの人たちは労学連と分れ三里塚を放棄したが、紀子さんはその理屈に納得せず、独りで三里塚に通った。
 学内で議論に明け暮れている男たちとは違う魅力が青年行動隊(反対同盟青行)にはあり、青行のひとりの石井恒司さんと75年に結婚。反対同盟の農家の嫁という立場になって、「百姓を一人前になるには10年かかる」、「この仕事は二、三年たたないと出来ないから」などと、さんざんに苦労する。

 わたしが紀子さんと出会ったのは76年にワンパック野菜の産直運動が始まってからである。小泉英政さんが、ベトナム行き戦車を阻止しようとする相模原の「ただの市民が戦車を止める会」と「くらしをつくる会」の運動に共感して、始めたのがこの運動である。誤解を恐れずに言うと、小泉さんは三里塚闘争の行く末を考え、展望がなかった青行に希望を抱かせ、ワンパックという運動を始めたのである。

 石井恒司・紀子さんはワンパック野菜運動に最初に共鳴した夫婦である。この運動に現地で加わったのは、小泉美代、島寛征・ひさ子、石井新二・順子、小川直克・篤子、山口義人、染谷かつ、田中富美、下野啓子、守田力、外山哲さんらである。
 97年、小泉さん夫婦はワンパックを離れ循環農場を始めたが、ワンパックという名前は残った。その後、ワンパック農家も入れ替わりがあり、恒司さんと離婚したのち、紀子さんはワンパックに野菜を出荷し続けながら、三里塚の情報を発信し、独自の紀子パックを始めていた。

 ワンパック野菜に初めから熱心に取り組んでこられた近藤悠子さん(元婦人民主クラブ代表)が去年11月に亡くなった。近藤さんを尊敬していた紀子さんは、お通夜の晩と翌日のお葬式に三里塚からかけつけてくれた。たいへん思いやりのあるひとだった。

 ワンパック野菜に入ってくるチラシ「本日の野菜」には生産者の声が交代で載る。
 紀子さんが書いた最後の記事は1月29日付で、「冬の畑」と題して、三里塚の四季の畑の様子とその中の暮らしを生き生きとつづり、「大好きな冬の畑に今日も出かけていける幸せな日々です」と結んでいる。
 その幸せの日々は終わってしまった。謹んでご冥福を祈る。

2020年3月

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