懐古的資料

マキァベリ『君主論』ノート

1.『君主論』とはどういう書物なのか

(1)マキァベリの生きた時代

15世紀頃のイタリア 『君主論』の著者、マキァベリ(1469‐1527)の生きた時代は、ちょうどイタリア・ルネッサンスの真只中である。わけてもマキァベリの住んだ 都市国家(“コムーネ”と呼ばれる)フィレンツェはその文化的中心を担った。

 このルネッサンス期は中世末期すなわち封建時代の解体期であり、それまでの封建体制の制度的・精神的バックボーンであった教会権力が瓦解し、カトリック的キリスト教精神の権威が失墜していった時代であった。
 社会情勢にあっても、教会権力の支配を離れ独立した 諸都市国家がイタリア半島内に群雄割拠し、さながら弱肉強食の戦国時代の観を呈していた。ちなみに同時代、遠く離れた日本列島においても1467年の応仁の乱から始まる『戦国時代」の真只中である。

 この「イタリア戦国時代」とでも呼べる時代にあって、特に力をもった列強国として、スフォルツァ一門の武力を頼みとするミラノ公国、商業利益による財力を武器としたベネツィア共和国、フィレンツェ共和国、キリスト教世界の総本山であるローマ法皇国、イスパニア(スぺ イン)の国力をバックにしたナポリ王国の五国が存在した。これらの国々がそれぞれ全イタリアの覇権を求めて相争っていたのである。

 だがこれ以上にイタリアの未来を決する要因が、イタリア半島の外部に存在した。すなわち、すでに近代的な 専制統一国家の道に足を踏み入れていたフランス、神聖ローマ帝国(ドイツ)、イスパニアの三大国によるイタリア侵略であり、強大国トルコの圧迫がそれである。
 具体的には、神聖ローマ帝国はベネツィア方面より、フランスはミラノを足場にし、イスパニアはナポリを支配下におき、それぞれがイタリアの制圧をもくろんで隙をうかがっていたのである。(このあたりは外からの脅威の存在しなかった日本の戦国時代と決定的に異なる点であろう)

 まさにイタリア各国は半島内で争闘戦を担いながらも、こればかりに専念していたら大国の侵略の餌食にされてしまうといった、二重の重圧下におかれていた。マキァベリの生きたフィレンツェもまたその例外ではない。無力にして富をもつイタリア諸国が大国の草刈場となるのは、運命ともいえる歴史的必然であった。

 かかる戦乱の時代、ニッコロ=マキァベリは、一四六九年フィレンツェにて没落貴族の弁護士の子として生まれ、貴族とは言うものの実際は貧しい生活環境の中で幼少期を送った(政界を追われた晩年もまたそうであった)。
 政治の世界に足を踏み込むのは一四九八年、二十九歳の春である。彼はフィレンツェ共和政庁第二書記局書記官に正式採用された。採用後一ヵ月の一四九八年六月には、彼は書記長のポストにつき、七月にはさらに軍事委員会の事務をも兼任する。無名の一青年はこのようにして 国家の重職につき、以降、一五一ニ年にメディチ家によるクーデターがおこるまでの十四年間、政治の現場にお いてその実務的手腕を発揮しぬくのである。

 その間彼はイタリア内の諸国はもちろん、フランス、ドイツ、スイスの諸外国を駆けまわって縦横に才腕をふるうとともに、各国君主や政治家にその統治・外交・軍事の実態を見聞していった。こうした実践的な政治経験に裏づけられているからこそ、マキァベリの著作は机上の政治評論のレベルを越え出た、実践的な政治書としての内実をもちえたのである。

 だがこうしたマキァベリの公的世界における活躍は、一五一ニ年のメディチ家による政権再獲得によるパージにより、終止符が打たれることとなった。以降、一五ニ七年五十七歳の孤独な死をむかえるまで、彼は二度と政治の舞台に登場することはかなわず、不遇の歳月を強 いられたのであつた。しかしながらこの時期、政治的実践の自由は奪われたものの、彼の精神は死の瞬間まで政治にかけた情熱を失うことはなかった。彼はイタリアの未来と統一に向けた想いをめぐらし続け、政界復帰に かけ続けていたのだった。
 そうした燃えるような情熱と精神の結晶が『君主論』をはじめとする政治書、歴史書として実り、政治思想史に一大エポックを記すこととなるのである。だがそれも また彼の死後の時代においてではあったが。

(2)「抵抗の書」としての『君主論』

 一般にマキァベリその人や『君主論』について口にすると、人々はすぐに「権謀術策」といった言葉を想い浮 かべてしまう。そしてそれを「マキァベリズム」とか 「マキァベリスト」と呼んで、普通の場合、悪意をこめて語られる場合が多い。確かにマキァベリの著作、とくに『君主論』を読めば、そこに出てくるのは権謀術策に関する数多くのマニュアルである。だが現象的にそれらを確認するだけでは、決してマキァベリについて本当に理解したことにはならない。

 そのような表面的、現象的な読み方であったなら、レーニンや毛沢東の組織論や戦術論もまた「マキァベリズム」になりかねない。実際、レーニンや毛沢東はマキァベリストだ、などといったレッテル貼りに終始しているのがブルジョアお抱えの「知識人」たちであり、これを底の浅い共産主義批判などにおきかえている人物もいるほどなのだ。また こうした右翼的論陣にとどまらずに、「進歩派jを自称する部分などでも、マルクスの共産主義は良かったがレーニンまでいくとそのマキァベリス卜ぶりについていけない、これがスターリン主義の原因だ、などとウソ吹く人物さえいるのである。

 ともあれ、以上のことから言えることは、『君主論』を読むに当り、現象的な読み方をせず、本書の時代背景の中でいったい作者は何を訴えたいのか、といった本質に迫った読み方をしていく必要があるということである。 そうしたことを通じて浮かび上がってくる『君主論』のガイスト(魂)とでも呼べるものとは、では一体何であるのか。
 それは短刀直入に言って、まさに大国の覇権と侵略を打ち破り、イタリアの統一と解放を熱望するマキァベリ の炎のような情熱に他ならない。これは『君主論』のみならず、彼の人生そのものを貫く彼の生きざまそのものなのである。その意味で『君主論』は「抵抗の書」に他ならないのだ。

 ある論者は、共和制政府の官僚であったマキァベリが、一五一ニ年のメディチ家のクーデターによるパージ以降、 I今度は政敵であったはずのメディチ家に忠誠を誓い、何とかして政界復帰をはたそうとしたことに対し、彼をただ権力だけを求める無節操な変節漢であると評している。だが彼は、自らに対して陰謀罪の嫌疑をかぶせ一ヵ月余りの投獄を強いて公職から追放したメディチ家に対してさえ接近し、どんな誹りを受けようと、あくまでもイタリア解放に身を捧げんとしたのだとも言える。どんな屈辱にも耐え、憤激をおさえ、フィレンツェ内での小さなセクト主義や我執を捨ててイタリアの統一と解放の大義につかんとしたのである。

 こうしたマキァベリの精神をぬきにして『君主論』を論じることは、例えば『資本論』から人間解放の精神をぬきさった「経済原論」の講義を授業で受けるのと同じように、『君主論』を単なる処世術や経営術のハゥ・トゥ本のレベルにおとしこめるものでしかない。それではガイスト=魂をぬきとったマキァベリの「ぬけがら」を学んだことにしかならないだろう。
 実際『君主論』の結論ともいえる最後の項目は、「イタリアを蛮族から解放するための勧め」といった題でしめくくられており、そこでは次のような訴えがなされている。

「あゝ、だれの目にも明らかなように、イタリアはいまこの野蛮なものたちの残酷と横暴から、彼女自身を救い出してくれる人間を派遣してくれるようにと神に祈っている。まただれの目にも明らかなように、イタリアは旗をかかげて立ちあがる男がいれば、いつでもその旗のもとに従う心がまえができている。」(中公文庫『君主論』 【以下同じ】P144)

 さらにマキァベリはリウィウスの『ローマ史』から引用して、こう叫ぶのだ。
「やむにやまれぬときの戦いは正義であり、武力のほか望みを絶たれたとき、武力もまた神聖である」(P144) と。

 文字通り、受苦に対する抗拒、大国の蛮行に対するやむにやまれぬ抵抗精神の発露こそが『君主論』の根底に横たわるガイストに他ならないのだ。そしてイタリア解放闘争の未来をメディチ家の指導力に託し、その指南書として『君主論』は献上されたのである。
 それ故『君主論』の表現に、ただ権力者におもねるマキァベリの姿を 見い出すのは決定的にまちがつていると言わざるをえない。『君主論』はまさに「抵抗の書」であり、マキァベリ もまた「抵抗の人」に他ならないのである。

(3)政治の本質をえぐり出した『君主論』

 『君主論』は、それまで政治の本質をおおいかくしていた宗教的な倫理や道徳のヴェールをひきはがし、政治の本質を白日の下にさらけ出した。そこで明らかにされた事実、それは、「政治の本質はカである」といったことであった。そしてまたこの力とは決して神などの形而上学的な存在によるものではなく、もっぱら生身の人間自身に由来し、人間自身の技術によって駆使されるものとして描き出されている。

 このことをマキァベリは、むき出しの力と力の激突が支配する時代の真只中で経験を通じてつかみとっていったのである。それは思想史上で見るならば、ルネッサンスにおける 神学の解体と人間学の復興(「ヒューマニズム」の語源はイタリア・ルネッサンスにおいて発生)と対応しているといえよう。

 マキァベリ以前の歴史にあっても、もちろん洋の東西を問わず、政治を扱った書物は多く存在してきた。だがそれらはみな宗教や倫理・道徳と未分化であり、むしろ 人間の技術よりも神や天の摂理の方が先行していたのである。その典型が西洋ならばプラトン、東洋ならば孔子だろう。
 前者では『国家篇』において「哲学者たちが国々において王となるのでないかぎり……国々にとって不幸のやむことはない」とし、後者では『論語』において「政を為すに徳をもってすれば」とか「政とは正なり」としているように、そこでは倫理や道徳が政治の原理とされているのである。もちろん政治に哲学は必要であり、徳もまた不可欠である。だがそれが原理とされる限り、やはり政治の本質を見定めているとはいえないのである。

 ところがマキァベリは違う。彼はどこまでも倫理主義、 道徳主義、理想主義を排し、あるがままの現実に即しきるリアリズムに徹しきっているのである。
 しかし、それは彼がなにかしら倫理や道徳や理想と無縁だったからではない。逆に、むき出しの力の横行するパワーポリティクスの真只中でフィレンツェが生き残り、勝ち続け、何としても祖国イタリアの解放を実現したいと願うやむにやまれぬ気持ちが原動力となり、「導きの糸」となって 政治の根底に横たわる『力の論理」を見極めたのである。

 ともあれわれわれはここで、『君主論』が、政治が宗教や倫理・道徳とは独立した一つの論理を持っており、それは【力の論理』に他ならないことを前面に打ち出した 書物であることをふまえておけばよい。そのことはまた、 ルネッサンスが近代文化の萠芽であったように、『君主論』が近代政治の先駆としての歴史的意義をもっていることを示すものでもある。

→次ページ:なぜ『君主論』を学ぶのか
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