「小説三里塚」第一章 開拓

戸村一作:著『小説三里塚』(目次へもどる

第三話 戦争の果て

 老母しずにとって大きな悩みがあった。それは二番目の息子の雄治のことだった。雄治も軍隊生活が長く、戦後、復員すると間もなく、戦犯でGHQに捕われ、巣鴨の東京拘置所に抑留されていた。その頃、菱田部落には、一応帰還した者の中にも、戦犯に問われる者もいた。いつMP(アメリカ軍憲兵)のジープが逮捕に来るかわからず、夜昼おどおどして暮していた。
 狭い菱田部落にも戦争責任問題は、個人・家族・部落を挙げて、深刻な問題としてのしかかってきていたのである。

芝山出身の鈴木貞一と石井四郎 芝山町の山中出身には鈴木貞一がいた。彼は東条軍閥内閣の企画院総裁で、陸軍少将だった。捕えられて巣鴨拘置所に抑留され、自殺のあそれがあるというのですっかり抜歯されて、歯が一本もなくなった。彼はA級戦犯として東京裁判で裁かれたが、絞首刑は免れることになった。

 それから同じ芝山町の加茂には、731石井部隊で有名な、軍医中将の石井四郎がいた。彼は日本の細菌戦術の創始者で、旧満州を本拠地にしていた。

 この部隊には芝山町、多古町を中心として地方農村から、多くの農民が家族連れで渡満し、軍属や徴用工で働いていた。敗戦と同時に命からがら逃げのびてきたが、途上、栄養失調でわが子を失なったり、病に斃れた者も数多かった。やがて彼等は郷里に帰り、引揚者として優先的に解放地に入植するのである。

 責任者である石井四郎もまた、終戦直後、郷里の多古町加茂にきていたが、幾度か軍事裁判に喚問され、危うくA級戦犯にかけられるところ、一命はようやくとり止めた。

 戦責問題は、上級将校から末端の下士官にまで広く及んだ。
 戦争中よりもかえって戦々兢々として、その毎日を過ごす者がどんなに多かったか。老母のしずは雄治の身の上を思って、夜昼骨身を削る思いだった。何とか救いの手を延ぺたいのは山々だったが、術はなく、悲歎に暮れるのみだった。

 そこへ突如として雄治の獄中縊死の悲報を受けたのである。しずの驚きは大きかった。しずが戦争の痛手を身に染みて知らされたのは、この時だった。五人の伜を日本のために捧げ尽し、一人は戦死、一人は戦犯として獄中死――残る三人は帰るには帰ったが、襤褸(らんる)をまとった乞食同然の姿では、何のためにこの歳まで生きてきたか、わけがわからなくなった。

 しずは雄治の死の報らせを受けてから、裏山に駈けあがって樹の枝で縊死を遂げようとしたことも幾度かあったが、それも嫁や孫の見張りで、果たしえなかった。
 しずの心は暗黒(まっくら)で、獄中で死んだ雄治の身の上を考えると、泣けて泣けて、夜もおちおち眠れず、日に日に痩せ衰えていった。その悲しみを拭い去って励ましてくれたものは、やはり嫁と孫たちだった。

 しずを悲嘆から救ってくれたものは、たしかに家族の愛情だった。しずは、何はなくともなくてはならぬものは、愛情だということを改めて知らされた。とともに大きな矛盾に捉われた。苦しい貧農生活から食うものも食わずに、何のために四人の男の子を育て上げたのか。八八年間をまるで戦争のために棒に振ったように思え、悔まれてしかたなかった。

 過ぎ去った時間は帰ってはこなかった。憎しみといっても、その相手は誰かがわからなかった。胸の中からこみ上げてくる憎しみが、相手が定まらないだけにただ泣けてしかたなかった。そのやり場もなく、しずは独り怒りに燃えた。しずはもういつ死んでも、悔いがないと思った。すると内側から老の身に不釣り合いな力が、しずの体中に漲ってきた。暗い胸の中にも何ともいえぬ、仄々(ほのぼの)としたものを覚えるのだった。

 急にしずの手が動いて、障子をガラリと開けた。そのカはいつもと異なって、若々しいカに充ちていた。
 庭先には武治がいた。むしろを庭中いっばい並べたてていた。そこに武治は腰を屈めて、何ごとかを書き続けていた。すでに五、六枚の荒むしろには筆太に、黒々と文字が書かれてあったが、しずにはよく読めなかった。

「武治、おめえは何するだ?」
 彼はしずの声が耳に入らなかったのか、見向きもせず、返事もしなかった。
「武治や、おめえ聞こえねえのか。何するだよ、むしろなんかひっぱり出して……」
 しずはもう一度、声を高めて、呼ぴかけた。やっと気づいたか、武治は書く手を休めて、腰を伸ばし、老母の方をチラと見た。
「うん、むしろ旗作ってんだよ」
 武治はすぐまた後を書き続けた。むしろは織目が荒いので、紙や布に書くようには筆が滑らなかった。書いてはなぞり、なぞっては書いていかねばならなかった。書体はしっかりした字くばりで、闘魂が逞しく漲っていた。

 武治が今、何ごとかをやろうとしているのを、それとなく感じとったしずは、黙って頷くと障子を締めた。
 武治は無心にむしろに向かって筆を動かしていた。初夏の麗かな日射しが、丸めた武治の背にあたって和やかに照り返っていた。

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