第九章 仄々(ほのぼの)前編
第62話 延びる魔の手
天浪共同墓地は第一期工区内にあった。公団としてはどうしても収用しなければ、空港にならないほど思要なポイントだった。
すでに古込の竹村たまの墓地を残して、他の者はほとんどが改葬を終わったところだった。そこへ武治が土葬のまま葬られたのだから、公団にとっては相当の打撃だったに違いない。
成田市役所では、天浪共同墓地への武治の埋葬を許可した。許可するもしないもないこれは当然なことである。しかし、あの老獪な公団がよくも先手を打って、武治の土葬をくい止める策謀をしなかったかと、戸田は不思議に思った。
いや、公団としては、今は黙って好きなようにさせておけ、どうにでもしてみせるからと、てんから見縊ってかかっていたのかも知れない。彼等はその後も奇妙なほど、黙ったままだった。しかし、公団のブルドーザーは日夜、墓地周辺の掘削に余念がなかった。墓地はくっきりと隔離され、海の孤島のようになって取り残された。
早いものでもう弔いの日から数えて一ヵ月半が過ぎ去った。天浪墓地の強制収用に備えて、武治の眠る墓地を鉄壁の堡塁とするごとが同盟で決議された。もちろん、遺族の了承を得てのことだった。墓地では連日、農民と学生たちの共同作業が続いた。一〇日余りで武治は三〇センチもある分厚な鉄筋コンクリートの鉄壁の中に安置される形になった。
遠くから天浪共同墓地を展望すると、小高い丘の上には白いコンクリートの武治の墓が聳えて、まるで城塞のように見えた。その傍にはものみの櫓が立ち、赤旗が風に靡いていた。櫓の上には警報のドラム罐が吊り下っていて、傍にはいつも見張りの人影が見えた。
元来、墓地の強制収用は不可能といわれている。反対同盟は、遺族が断固、絶対反対すれば、この収用は困難で阻止しうる可能性はあると、踏んだのだ。特に武治の生前の固い決意と、臨終の遺言もあり、武治の眠る天浪共同墓地だけは最後の牙城として、反対同盟も遺族を囲んで徹底抗戦の構えを見せた。そのために武治は、鉄壁の堡塁の中に安置されたのである。
これを見て公団は、少なからず焦り出した。
公団としてもその遺族に徹底抗戦をもって拒絶されては、収用の困難であることは百も承知していた。できればこの困難な障害を避けて、武治の家族とうまく妥協して、ことを円満に運びたかった。それにはどうしてもその家族を、うまく抱き込まねばならなかった。
墓地はその家族に絶対反対されては、仮りに用意万端ととのっていたとしても、九・一六の二次代執行のような理のものではなかった。あの日には一一人の若者を乗せたまま駒井野砦の鉄塔を、クレーン車で一気に曳きずり倒したが……。
公団内では武治の葬られた墓地の収用をどうするかについて、毎日のように特別会議を開いていた。東京からは総裁の今木栄次が、自動車を飛ばしてやってきた。午前一〇時から、その会議が始まっていた。会議室には今木から山田副総裁、石井理事、森用地部長らと、ほかに用地課の者が二人出席していた。
「そりゃ君、やはりね、墓場のことだから機動隊のお世話にならずにやるのが賢明だぜ」と、今木は相変わらずの出目金眼玉をギョロつかせて、煙草をふかした。それを聞いた用地部長の森は、丁重に頭を下げてから「総裁、それはこちらでも、すでに手を打ってあります」と、答えた。
「そうか。それはご苦労だった。だが、君、未亡人と伜をどうやって説得するかが、難問だぜ」
「そうです。まだ一年そこそこの生仏ですから、家族の感情を頭から無視しても収用は無理ですよ」
たしかに森のいうように、そうなると、墓地の強制収用は可能としても、単なる農地や物件と違って至難なものがあった。これは公団内部でも、誰もが承認しているところだった。そこで彼等の陰謀は何としても、木川の家族を反対同盟から離反させ、団結小星の支援学生から切り離す以外に術はないと考えた。
しばらく黙っていた今木が、特有のしゃがれた声で、突然いい出した。
「やはり宮本武蔵じゃないけど、無手勝流こそ必要になったぜ。用地部長森流のカ量発揮の舞台だぜ」
「総裁、やっぱり竹村と木川を、同盟から引き抜くよりほかに道はないですよ」
森が自信ありげにいうと石井が、「先日古込の竹村たまがダンプがうるさくて困るといってきたが、いろいろ語してみると、彼女自身にも改葬したい気持ちは充分あるよ、森君」といった。
「うむ、竹村もあそこには満州から持ち帰った子供の骨が埋めてあるんですよ。たしかに改葬したい気持は重々です」
「だからこの際、竹村をうまく使うことだよ、森君!」
「それに理事さん、幸いに竹村と木川は昵懇の間柄で、実は竹村を使って木川のところへ、相談にやってるんですよ」
「墓にまで機動隊は出したくないからな。森用地部長、頼んだぜ」と、今木は小柄な体を前に滑らせて林の手を握った。公団は木川未亡人と竹村たまを説得することによって、無血陥落を狙ったのである。
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