新着】『小説・三里塚』を掲載しました

小説・三里塚 このサイトの読者の皆さんは御存知の方が多いと思いますが、故戸村一作反対同盟委員長が生前に書き残された「小説・三里塚」を掲載いたしました

 これは他ならぬ闘争の当事者が、農民目線からの三里塚(成田)闘争をありのままに描いた小説です。それは決して「正義の我らが一直線に進んできた歴史」ではなく、あなたと何一つ変わらない等身大の人間が、悩み苦しみ迷い葛藤し、あまりにも多くの過ちを繰り返しながらも、闘争を通じて人間として傷つき成長していく姿です。

 本作は闘いの最中に亡くなられた開拓農民の故小川明治副委員長の生涯をモデルにして1976年に発表され、多くの人に読まれました。活動家時代に読んだ時には、作中の農民の立場と、政治党派である自分の立場に何の矛盾も感じていませんでしたが、今から読み直すと、微妙な思いの違いが感じられて考えさせられました。

 もちろん「支援」は無条件でなされたり、また受け入れたりするものではあり得ません。お互いにとっての思想的な必然性なり、方針の一致が必要なわけです。そこでは、決して一枚岩ではない幅広い個々の農民世論や、様々な支援各派の主張の間にも、自由で対等な討論が保障されていなくてはなりませんし、そこで「何が正しいのか」は、それを主張する者が、実践の中で証明して大衆的な支持を得るという方法がとられていたと思います。そのような過程を経た上で、どうしても一致できない場合や、自己の主張に拘泥する支援は現地を去るしかありませんでした。

 しかし83年の闘争分裂以降は、路線をめぐって一種の純化がおこなわれ、各派混在による「幅広さ」が失われ、この原則がうまく働かなくなった結果、実践ではなく、主張というか「理念」先行で、それを意見の違うものにも押し付けていく傾向が発生してきたと思います。そんな中で、いつしか私たちと一部の農民の間にも、時と共に齟齬が生じてきたりもするわけですが、それでも私たち個々の活動家は最後まで、「支援してあげている」ではなく、「支援として受けれいれていただいている」という思いでしたし、徹底的に「闘う農民主体から謙虚に学ぶ」をスローガンに現地に入りました。

 そしてそこでの自分一人の行動は、自派の行動どころか、たちまち「空港反対派の行動」とさえみなされてしまう重い責任があることも自覚していました。そういう謙虚な思いと、三里塚闘争へのほとんど「ロマンチック」と言えるほどの純粋でひたむきな思いが、農民とのズレを全く感じさせなくさせていたのだと思います。これに対して共産党―民青の皆さんは、結果的にせよ、農民を共産党の考える路線へと囲い込む「指導」が目的化してしまった。そのあたりが大きな違いとなって、新左翼(当時の学生運動)が農民の信頼を勝ち得ていったのです。そのあたりの経過も小説の中で農民の立場から描かれています。

 さて、小説の中では、小川明治さんは「木川武治」という名前で登場します。武治は貧農の次男坊であったことから職業軍人の道を選びましたが、日本の敗戦と共に郷里である三里塚の地に帰ってきます。未だに軍人としての誇りや天皇に対する素朴な信仰心を維持しつつも、戦地から生きて帰ったことの喜びと、二度と郷土を侵犯させてはならないという、これもまた素朴で強い信念を持った復員軍人でした。敗戦と共に軍隊の士官から一転して、耕す土地も職も、明日の食べ物すら事欠く生活にたたき落とされた武治が選んだのは、電気や水道はもちろん、井戸すらない荒地での開拓農民になることでした。この物語はそこからはじまります。

 なお、作中では小川明治さん以外のその他の登場人物もすべて仮名になっていますが、地名や政党名などは実在のものがそのまま使われており、ここに書かれていることはすべて現実におこった事実がありのまま書かれていると考えてくださって結構です。これは最近、有名人の伝記映画などでもよくとられるようになった手法ですが、単純な伝記やルポではなく、モデルという「物語形式」をとることによって、むしろ何がおこったのかをわかりやすく生き生きとした描写でリアルに伝えることに成功していると思います。

 まずは難しいことを考えずに、気軽に小説として楽しみながら読んでみてください。ここでは闘争のみならず開拓農家の生活も含め、反対運動のプロパガンダという観点から考えると隠しておきたいような事柄まで、奇麗事ではすまない、そのすべてが書かれています。よく「事実は小説よりも奇なり」と申します。あなたは意外な展開の連続と、そこでの人間ドラマに引き込まれていくことでしょう。そしてもしも自分が武治の立場だったらどう思ってどう行動したか?是非それを考えながら読んでみてほしいと思います。

 さて、戦後最大の住民闘争に発展し、今も続いている三里塚(成田)闘争ですが、これについてはその賛否を含め、様々な角度からの論評が可能だと思います。ですから、闘争を支援したり農民に同情する立場はもちろん、よしんば否定したり批判する立場の人がいたとしても、それはそれでもかまわないと思うのです。

 もちろん、そこに住んでいて否応もなく闘わざるを得なかった農民の心情を思えば、没主体的にあれこれ論評することは許されません。個人的にはその運動のすべてをひっくるめて全面的に支持する以外にないと思っています。が、世界中のすべての人から支持される運動や思想などというものはありえないのですから、どんな立場に立っても、自分に反対する市民の存在(住み分け)を積極的に受け入れることができないのであれば(石原都知事による警察力を使った「君が代」強制に見られるように)それはもはやファシズムやスターリン主義以外の何者でもありえないのです。

 そんな中でただ一つ強く思うのは、三里塚闘争に賛成するにせよ反対するにせよ、正しい実態を知った上で態度を決定してほしいということです。農民に対する政府の行動については、すでに運輸省(当時)が公式に謝罪まで行っているにもかかわらず、未だに一部の掲示板などで、政治主義的に偏った立場から自分に都合のいい事実のみを歪めて解釈した心無い「三里塚闘争批判」のプロパガンダが散見され、同じ人間として強く心を痛めてきました。そういう政治的な立場からの後解釈ではなく、どんな態度をとるにせよ、まず事実をありのままに知ってほしい。そういう切実な思いからこの小説を掲載したものであり、特定の感想を強要する趣旨ではありません。

 三里塚闘争は先入観を捨てて虚心に向き合うならば、左右を問わずあらゆる政治的な立場の人にとって、それどころか政治という立場を離れて見てさえ、この国の未来や、人間としての生き方に多くの教訓を示唆してくれる宝の山だと思います。そうでなければ、これほど多くの人々が自分とは「無関係」のはずの三里塚闘争にかくも魅せられ、命さえなげうって自己の未来と青春を次々と投機していったことを説明できません。

 そこでは極限状態における人間の美しさや素晴らしさと同時に、醜さやエゴもむき出しになっていき、常に自分が人としてどちらの属性を選ぶのかが問われ続けていたと思います。また、思想信条を問わずにありとあらゆるタイプの人間や勢力がとりあえずの存在を許されると同時に、自己の主張を評論家的に上から目線で言いっ放しにすることは許されず、必ず短期間に実践で試され、口先だけのニセモノは次々と自然淘汰されていくような世界だったのです。

 なお、作者の戸村さんを含め、作中に登場する関係者(のモデル)の皆さんも多くは故人となられていますが、関係者の皆様で問題があるとお考えの場合は、管理人までご連絡をいただけましたら、プライバシーポリシーの規定に従って対応させていただきたいと思います。

 また、本小説は当時某出版社が単行本として出版したこともありますが、これも私の知る限り、すでに何十年も前に絶版となっています。ただし、将来、本小説がどこかの出版社より復刻出版されるようなことがあった場合には、連載途中でもその時点でこのコンテンツを削除することもありえますので、読者の皆様にはあらかじめ御了承ください。

 最後に、「昔の人は偉かった!」日本版「大草原の小さな家」とも言うべき木川武治こと小川明治さんの生涯を読んでつくづくそう思いました。

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