〔資料〕日本、そして日本人の姿勢は幕末以来変わっていないのか…?(その1)

by ときわ列車

常磐在来線主義者

 この日記は『「2号機スルーで北朝鮮核実験に血眼」の矛盾とその原因』で書いた考察の「大元」となったmixi日記の転載です。最初に書いたのが2011年04月14日ですので、引用元のリンク切れ等があるかもしれません。その点はご了承くださるようお願い致します。

【以下追記・修正付きで転載】

 まずは以下の引用をご覧ください…

〔以下引用①、引用元(リンク切れにご注意ください)…http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110330-00000301-sasahi-pol
佐藤栄佐久・前福島県知事が告発 原発問題の「諸悪の根源」は経済産業省であり国だ

 福島第一原子力発電所の事故は周辺の土壌や海水からも大量の放射能が検出され、世界を震撼させる事態となっている。原発の安全性に疑問を持ち、一時は東京電力の原子炉17基をすべて運転停止に追い込んだこともある佐藤栄佐久・前福島県知事(71)はこう憤る。「諸悪の根源」は経済産業省であり国だ──。

 今回の事故の報道を見るたびに、怒りがこみ上げてきます。一部の識者は「想定外の事態だ。これは天災だ」というような発言をしていましたが、だまされてはいけません。これは、起こるべくして起こった事故、すなわち“人災”なのです。

 私は福島県知事時代、再三にわたって情報を改ざん・隠蔽する東電と、本来はそれを監視・指導しなければならない立場にありながら一体となっていた経済産業省に対し、「事故情報を含む透明性の確保」と「原発立地県の権限確保」を求めて闘ってきました。しかし、報道を見る限り、その体質は今もまったく変わっていないように思います。

 端然とした表情で語る佐藤氏の自宅は福島県郡山市内にある。地震から2週間以上経過した今も石塀は倒れたままになっているなど、爪痕が生々しく残る。もともとは原発推進論者だったという佐藤氏が日本の原子力政策に疑問を抱き始めたのは、知事に就任した翌年の1989年のことだった。

 この年の1月6日、福島第二原発の3号機で原子炉の再循環ポンプ内に部品が脱落するという事故が起きていたことが発覚しました。しかし、東電は前年暮れから、異常発生を知らせる警報が鳴っていたにもかかわらず運転を続けていたうえに、その事実を隠していました。県や地元市町村に情報が入ったのはいちばん最後だったのです。

 いち早く情報が必要なのは地元のはずなのに、なぜこのようなことがまかり通るのか。私は副知事を通じ、経産省(当時は通商産業省)に猛抗議をしましたが、まったく反応しませんでした。

 日本の原子力政策は、大多数の国会議員には触れることのできない内閣の専権事項となっています。担当大臣すら実質的には役所にコントロールされている。つまり、経産省や内閣府の原子力委員会など“原子力村の人々”が政策の方向性を事実上すべて決め、政治家だけではなく原発を抱える地方自治体には何の権限も与えられていないのです。

 国や電力会社は原発に関して、地元自治体を「蚊帳の外」にしただけではないという。佐藤氏が「8・29」と呼ぶ事件がある。2002年8月29日、原子力安全・保安院から福島県庁に「福島第一原発と第二原発で、原子炉の故障やひび割れを隠すため、東電が点検記録を長年にわたってごまかしていた」という恐るべき内容が書かれた内部告発のファクスが届いたのだ。

 私はすぐに、部下に調査を命じました。だが、後になって、保安院がこの告発を2年も前に受けていながら何の調査もしなかったうえに、告発の内容を当事者である東電に横流ししていたことがわかったのです。

 私の怒りは頂点に達しました。これでは警察と泥棒が一緒にいるようなものではないか。それまで、東電と国は「同じ穴のムジナ」だと思っていましたが、本当の「ムジナ」は電力会社の奥に隠れて、決して表に出てこない経産省であり、国だったのです。

 この事件で、東電は当時の社長以下、幹部5人が責任をとって辞任し、03年4月には、東電が持つすべての原子炉(福島県内10基、新潟県内7基)で運転の停止を余儀なくされました。

 しかし、保安院、経産省ともに何の処分も受けず、責任をとることもありませんでした。

 それどころか、福島第一原発の所在地である双葉郡に経産省の課長がやってきて、「原発は絶対安全です」というパンフレットを全戸に配り、原発の安全性を訴えたのです。なんという厚顔さでしょうか。

 今回の事故でも、記者会見に出て頭を下げるのは東電や、事情がよくわかっていないように見える保安院の審議官だけ。あれほど、「安全だ」と原発を推進してきた“本丸”は、またも顔を出さずに逃げ回っています。

 さらに、佐藤氏は3月14日に水素爆発を起こした福島第一原発3号機で、「プルサーマル」が行われていたことに対し、大きな危機感を持っているという。

 なぜメディアはこの問題を大きく報じないのでしょうか。「プルサーマル」とは、使用済み燃料から取り出したプルトニウムとウランを混ぜたMOX燃料を使う原子力発電の方法で、ウラン資源を輸入に頼る日本にとって、核燃料サイクル計画の柱となっています。

 これに対して私は98年、MOX燃料の品質管理の徹底をはじめ四つの条件をつけて一度は了解しました。

 しかし、判断を変え、3年後に受け入れ拒否を表明することになりました。

 福島第一とともにプルサーマルの導入が決まっていた福井県の高浜原発で、使用予定のMOX燃料にデータ改ざんがあったと明らかになったからです。

 そして、核燃料サイクル計画には大きな欠陥があります。青森県六ケ所村にある使用済み燃料の再処理工場は、これまでに故障と完成延期を繰り返しており、本格運転のメドがたっていません。この工場が操業しない限り、福島は行き場のない使用済み燃料を原子炉内のプールに抱えたままになってしまう。今回の事故でも、3号機でプールが損傷した疑いがあります。これからも、この危険が残り続けるのです。

 昨年8月、佐藤雄平・現福島県知事はプルサーマルの受け入れを表明し、30日には県議会もこの判断を尊重するとの見解をまとめました。このニュースは県内でも大きく報じられましたが、その直後、まるで見計らったかのように、六ケ所村の再処理工場が2年間という長期にわたる18回目の完成延期を表明したことは、どれだけ知られているでしょうか。

 福島第一原発の事故で、首都圏は計画停電を強いられる事態となっています。石原慎太郎・東京都知事は00年4月、日本原子力産業会議の年次大会で、「東京湾に原発をつくってもらっても構わない」と発言しましたが、この事態を見ても、同じことを言うのでしょうか。

 私は06年に県発注のダム工事をめぐり、収賄の疑いで東京地検特捜部に逮捕されました。控訴審では「収賄額はゼロ」という不思議な判決が出され、現在も冤罪を訴えて闘っている最中です。その経験から言うと、特捜部と原子力村の人々は非常に似ています。特捜部は、自らのつくった事件の構図をメディアにリークすることで、私が犯罪者であるという印象を世の中に与え続けました。

 今回の事故も重要な情報を隠蔽、管理することで国民を欺いてきたと言えるでしょう。今こそ国の責任をただすべきときです。

〔引用①終わり〕

 さて、この記事に関しては2011年4月7日にあるmixiで繋がっていらっしゃる方が日記で扱っておりました。そしてコメントにおいてこのような見方をしておりました。本人の許可を得ていますのでそのコメントを載せます。

〔以下引用②〕
あと明治以来の国家戦略ということでいえば、福島が戊辰戦争で敗北した側であるということが、象徴的ではないかとかんじてます。

中央のために東北地方の福島が大きなリスクをおわされている理由のひとつは、明治以来の社会構造が根底にあるのではないかと。
〔引用②終わり〕

 これを見て僕が前々から考えていることに似通っているところがあるなと思いました。「日本の社会構造と精神性は明治以来、もっと言えば幕末の【尊王攘夷】以来変わっていない部分がかなりあるのではないか」というものです。

 日本が近代化するにあたっては、「市民革命」のように【民衆が自ら立ち上がり、自分たち自身の権力を立てる】のではなく、「幕府→朝廷」に権限を「返し」た…つまり、【民衆が『別の権力(それもより「伝統的」な権力)』を立てる】ことによって体制を確立したと僕は考えています。「自分たちの力」を自ら矮小化し「より強力な『伝統的』権力」にすがったということです。

 猪瀬氏が当選する前に行われた東京都知事選では「強いリーダー」として東京都の人々は石原慎太郎を選び、直近の都知事選ではその「後継者」である猪瀬氏を都民は選択したのですが、石原氏はゴリゴリの保守派。ここにどうにも【尊王攘夷】の精神性を見出してしまうのです。もはや単なる「左翼嫌い」だけで済ませられる問題ではないなと思います。現状からの「変革」を日本人が求めれば求めようとするほど、その求め先が「伝統的で強力な権力」に向かうのが何十年間もの間に日本人の【癖】になってしまっているということです。

 さらに「福島が戊辰戦争で敗北した側」ということが原発政策にも反映されている可能性も指摘しなければならないと思います。以下のリンクはかなり古いデータではありますが、全国の発電所の所在地が出ていますが、福島県は福井県に次いで「原子炉」の数が全国で2番目に多いことが示されています。

http://www.hrr.mlit.go.jp/library/hokuriku2004/s1/1-13/01hatuden/04syozaiti/04syozaiti.html

 一方で明治時代に権力の中枢を担った「薩長」地区には鹿児島の川内があり、さらに計画中の山口県の「上関原発」があるものの、それぞれ原子炉の数は「一つの県」単位で見れば福島の3分の1~5分の1程度であり、しかも「九州電力」や「中国電力」管内です。僕は原発そのものが問題と考えてはいますが、「中央のためのリスク」は相対的に少なく、福島県の原発事情とは大きく異なっています。

 さらにチェックで挙げた福島県民への差別と偏見の問題も、「福島が戊辰戦争で敗北した側」であることとまったく無関係であるとも思えないのです。「中央のために地方がリスクを負うのは当たり前」という認識が、歴史的な過程の中で形成され、そのリスクが生じた場合は地方の「住民」の『自己責任』と捉える……福島は新政府軍との戦いに「負けた」側なのだからということでかねてから差別が生まれ、ここにきて「再噴出」したと言ってもあながち間違いとは言い切れない事態が生まれてしまっているのです。

 震災後にこうして日本の中にある「前時代的な側面」が出ていることに僕は警戒の念を感じざるを得ません。ただ耐え忍ぶことだけが「美徳」なのでしょうか?こういう時だからこそ「要求すべきものは要求」しても良く、政府に適切な批判を加えても良いですし、街頭で反原発のデモ行進をしても良いのではないでしょうか?震災直後の「自粛ムード」は一体誰のためのものだったのでしょうか…

 うまくまとまらなかったですが、噴出しつつある福島県民への差別や一方で都市部で「強い権力」に民衆が向かう動きに危機感を感じ、考察をまとめてみました。

 最後までお読みいただき、ありがとうございます。

常磐在来線主義者

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