〔考察・長文〕差別用語としての「中核派」(使用パターン編)

中核派全学連

中核派全学連
機関紙「前進」サイトより)

by ときわ列車

 こんばんは。ようやくこのテーマの日記を書けます。

 まずは前回の記事のおさらいから…

〔考察・長文〕差別用語としての「中核派」(定義編)

2014.01.19

 「中核派」の正式名称は「革命的共産主義者同盟全国委員会」(革共同)であり、前身組織において書記長の本多延嘉氏を支持した学生組織の派閥名がそのまま通称となっています。そして2006年頃に分裂して現在は「中央派」と「関西派(革命的共産主義者同盟再建協議会)」に分かれております。

 これらを踏まえた「中核派」の(僕の個人的見解による)定義は…

1、1963年以降、本多延嘉氏を支持していた「革命的共産主義者同盟全国委員会」及びその下部組織にいた活動家
2、現在において「中央派」もしくは「関西派」と呼ばれる組織の「党員」となっている人々

 …となります。

 さてその上で「中核派」の使われ方についてパターン別に見ていきます。

(A)正式名もくそもなく、ひたすら相手を「叩く」ためだけに使われる

 保守的な人々はもとよりネトウヨが使いがちなパターンであり、まったく論外な使われ方です。この場合、「極左」や「過激派」とセットになることも多いですが、その関連付は「まだましな方」です。

 問題は「在日」とか「特定亜細亜(特亜。中国、韓国、北朝鮮の三国やそれらに国籍を持つ人々をまとめて指すことが多い)」と勝手に関連付けられる場合で、「中核派」やそのシンパに在日朝鮮人がいるという「一面の事実」を良いことに、すべてじっぱひとからげに「在日」認定することもあります。これは差別に差別を重ねた恐ろしい事実誤認と言えます。

 少しでも「左」や「反日」に見える言動や対応をした個人や団体を「在日」認定することがネトウヨの「常識」と化していますが、この「常識」自体をなくし、「在日」という「出自」だけで差別することを糾弾しなければ、「中核派」という「所属」だけで叩く材料にするという相似の構図も蔓延したままとなるでしょう。

(B)成り立ちや正式名についてある程度わかっていても、結局は「左翼の一種」であることをもって叩く

 (A)よりもタチが悪いパターンかもしれません。以下にURLを貼ったサイトはこれの典型です。

http://www.wdic.org/w/POL/中核派

「中核派には、生活保護や障害者手当(もちろん似非)で食べている人間も少なくない」
「討論では絶対に歯が立たないので、レッテル貼り、人格攻撃くらいしか、可能なことが無い」
「中核派に限らずサヨクには妄想癖があるため、日々奇怪なことを口にする習性ある」

 上記3文はそのサイトからの引用ですが、3つ目に如実なように「サヨク」に対する敵意と悪意と偏見に満ちているのがわかるかと思います。「一部に『9条ネット』が中核派とする論があるが間違いである。この団体は「新社会党」系であり、中核派ではない」というちょっとはマシな部分があるだけに余計に際立ちます。

 やや話が逸れますが、リンク先のサイトが中核派に対して「彼らには確実な情報源(ソース)が欠けている」と指摘しているのは僕自身当たらずも遠からずと思ってはいます(この点は後述します)。しかし、このサイト主やネトウヨなどが言うその「ソース」はネットのサイトだったり、CS放送の『チャンネル桜』だったり(リンク先のサイトはここをべた褒め)、小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』だったり、山野車輪の『嫌韓流』だったりと…そもそも国家主義、排外主義に染まっているような媒体がほとんどです。

 つまりスタンスが「サヨクの嫌がるもの」というだけで「信用に値する情報源」と見なし、それ以外は一切認めない姿勢で構えているに等しく、「決定的にソースが不足」という言葉の裏に「左翼はデタラメしか言わない、けど自分は違う」という「差別主義」と自分たちにこそ「妄想癖」があると自ら証明しているようなものです。

 ちなみに、中核・中央派の機関紙「前進」に関する個人的見解を参考までに言わせて頂ければ、マスコミが報じない集会・デモをきちんと専属の取材班に取材させた上で掲載し、情勢の分析の仕方も事実に基づいたものであるため、「ある程度の信憑性」はあると思ってます。
 ただし、その集会の「評価」が過大だったり、他の党派が関わる部分は軽視するなど「記述の仕方」に身内主義的側面はちらほらあり、そこだけは差し引いて見ないといけないなと思います。まぁ、「機関紙」に身内への過剰な称賛の排除を求めるのが無理のある話ではありますが。

 ここまでのパターンは中核云々以前に「左翼」一般への強い偏見に基づいたものであると言えるでしょう。しかし、ここからはちょっと事情が異なってきます。

(C)大きく見れば「左翼」であるのに「過激派」と言われるのを嫌い、その例として「中核派」を持ちだす

 下手すると保守の人びとやネトウヨの偏見より深刻かもしれないパターンの一つ目です。

 典型的な例は実は「日本共産党」に見られます。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2010-03
-27/20100327faq12_01_0.html

 上記のFAQでは「革マル派」もろとも「中核派」を「凄惨(せいさん)な「内ゲバ」事件などをおこしてきた反社会的な暴力・殺人者集団」と言い切っています。さらに結びでは「これらの集団が、『改憲阻止』などのスローガンをかかげて、憲法を守る人たちの運動の内部に入り込む策動をしていますが、民主勢力のなかでは、『統一行動の妨害団体』として、『共闘にくわえない』となっています」とまで言っています

 要するに、「私たちは『中核派』のような『過激派』ではありません。『過激派』なんて仲間外れにしましょう」とやや遠回しに宣言しているのです。

 一方「中核派」の側も日本共産党を「スターリン主義」(←ハイパーリンク参照)と規定し、批難しています。しかしここまでの段階では「中核派」が「反社会的な暴力・殺人者集団」となってしまったのが過去において事実であった点からして共産党の言うことがもっともらしく思われるでしょう。

まして中核派のうち「中央派」は「反社会的な暴力・殺人者集団」のようになってしまった過去について公式に謝罪も反省もしてはいません(「関西派」は不十分な内容とはいえ一定の「自己批判」をしています…http://kakukyodo.jp/tus0925.htm〔記事:1984年の第四インターに対する軍事的せん滅戦にかんする自己批判〕)。

 だったら共産党の言い分は中核派への差別でも何でもないじゃないか、ということになりそうです。しかし、ここで問題にすべきなのは、いくら過去の事実として「中核派」が「反社会的な暴力・殺人者集団」となったことがあったからといって、「私たちはそうではありませんよ」と宣言して「改憲阻止」などの運動内部の人間を「分断」しようとする日本共産党の「上から目線」な態度です。

 誰だって「反社会的な暴力・殺人者集団」になどなりたくは無いでしょう。共産党はその心理につけ込み、現役の「党員」はもとよりそういう過去を持つ人々や多少なりとも共感を持って一緒に行動する人間を頭から否定しようとしています。これでは共産党自体が「内ゲバ」な党になってしまいます。むしろ暴力を行使するよりねちっこくていやらしいやり方かもしれません。

 「反社会的な暴力・殺人者集団」になどなりたくないしそう思われたくないからといって、「そういう人なら排除しても構わない」という態度をとるのは「なぜ暴力・殺人者集団が出てしまったのか」ということの時代背景やそこに至るまでの過程を無視し、自分たち自身を「きれい」に見せるためのお飾りを作り上げる行為でしかありません。中核派の暴力性を「左」から問題にしたいのであれば、運動の現場で何があったのかをきちんと語ってからにしていただきたいものです。

 なお、中核派の過去から現在に至る問題点については、このサイトの管理人さんの過去ログ、『中核派について(より幅広い大衆戦線のための提言)』にまとめられています。中核派そのものが抱える問題については僕もまた別に記事を書こうと思いますので…

(D)一見して「右」とも「左」とも言い切れないような人が、あろうことかネトウヨと同列に挙げる

 (C)よりも一層深刻なパターンで、これは最近の「流行り」とも言うべきものです。

週刊ポスト記事 その最もたる例が「首都圏反原発連合(反原連)」に属する方々やその周辺の人びとの言動です。
 とくにその中心人物、ミサオ・レッドウルフ氏と上杉隆氏が週刊ポスト2012年8月31日(8/17発売)号において対談記事を出していますが、そのタイトルが「脱原発の敵はサヨクとネトウヨだ」というもの。しかもその「サヨク」とは「革マルと中核」であったとミサオ氏はTwitterで言っています(経緯をまとめたブログはこちら…http://soba.txt-nifty.com/zatudan/2012/08/post-4168.html)。

 日本共産党同様「革マル派」と「中核派」を同列に扱っていますが、それに留まらず何とそこに「ネトウヨ」まで加えるという暴挙に出ています(おそらくこれはミサオ氏よりは上杉氏もしくは週刊ポスト編集部の意向なのかもしれませんが)。

 記事自体は、ミサオ氏の側がそこまで「同列」に扱っている感はありませんでしたが、それでも「中核派」に関しては「主催者名を書かずに、あたかも自分たちが呼びかけ人であるかのような乗っ取りフライヤー(チラシ)を勝手に作ってオルグ(勧誘)に利用しようとしていた。こうしたことをいまやられるとマイナスにしかなりません」として不快感を示し、在特会が首相官邸前を占拠したことに触れた際には「彼らは本物の右翼じゃなくて、ネトウヨ(ネット右翼)でしょう?」と規定しています。

 こういった発言から垣間見えるミサオ氏の認識は「本物の右翼」なら仲間に加えても良いが、「中核」は大人しく自分たちの言うことを聞いて欲しいし、「ネトウヨ」は「本物の右翼」になればいい、といったものであると考えられます。

 語弊を恐れずに言えば、ミサオ氏はインタビュー中で「人生の押し引きとかもわかる」などとと言っていますが、その裏には「右」も「左」も「本物かどうか」を「客観的に判断できる力」が自分にはあるという態度が垣間見えるように思えます。そもそも「中核派」系の団体がビラを配ったりしただけで「運動を乗っ取ろうとしている」と見なすのもちょっと勝手すぎるのではないかと感じます。もっと言えば、ミサオ氏がそれこそ安保闘争や「中核派」について表面的なイメージしか持っておらず、ビラ配りなどの「やり方」を見て「イメージ通りだ」とみなして、「自分たちの管理下」に置かれない限りは運動の参加者と認めないという態度をとるのは大きな問題です

まとめ

 さてそろそろまとめますと、(A)(B)のパターンは明らかな差別用語としての「中核派」の使われ方と断定できます。もともと「右」の人びとやマスコミなどによって広められたマイナスイメージをネトウヨがさらに膨らませてしまっていると言えるでしょう。

 そして問題の(C)(D)のパターンについては、その「出発点」こそ「左」の一部だったりまったくの一般的なところからのものではあると思います。しかしこの2つこそが(A)(B)のパターンを助長し、それはこの社会の多くの差別をも加速しかねないと思います。しかし、特に(D)のパターンに関してもっと厳密に言うならば、やはり(A)(B)のパターンが影響している部分もあります。そこに加えて(C)のパターンでも「中核派」をネガティブな文脈でしか語っていないため、一般的マイナスイメージは相当なものになってしまったと思います。

 自らを「中核派のような過激派ではない」と規定するような、決して「右翼」とも「排外主義的」とも言えない個人や団体が出てくるようになってきたのはその帰結の一つです。しかし、それは「中核派」どころか「左翼」一般への更なる差別を招き、結局社会状況を悪化させてしまうことになります。大事なのは「立場」ははっきりさせても自分自身を必要以上にカテゴライズせず、相手を表面的なイメージで評価しないということになるかと思うのです。

 ほとんど尻切れトンボみたいになった上に、この記事は僕の「中核・中央派シンパ」としての視点が多分に入り込んでしまいました。

 それでも、「中核派」という言葉で思考停止せず、まずどんなパターンの使われ方をしているかだけでも冷静に分析してみることは決して無駄ではないと思います。

 皆さん、ぜひ頭の片隅にでも留めておいて下さい。

 長文を最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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