「小説三里塚」第九章 仄々(前編)

戸村一作:著『小説三里塚』(目次へもどる

第64話 心の動揺(1)

人を乗せたまま引き倒される駒井野鉄塔

 竹村たまは暇を見ては、木の根の説子の家に出かけて行った。まるで日課のようだった。
 たまは反対同盟のれっきとした婦人副行動隊長であり、その年の一月には反対同盟代表団の一員として中国訪問から帰ったばかりである。
 説子も副委長長木川武治の妻で、たまとともに反対同盟にとっては有為な人材だった。
 反対同盟にとって天浪共同墓地は、一期工区内の最後の牙城だった。武治の墓である鉄壁の堡塁もすでに完成し、徹底抗戦の構えを見せていた。その矢先、公団の手に砦が開け渡されるということは、誰にも考えられなかった。

 説子は武治の一年目、彼岸の中日までには、武治の遺体をどこか安全地帯に移したかった。竹村もやはり説子と同じだった。
「だけどよ。竹村さん。反対同盟のことを考えると……私は……」
「うん、そらあ私だっておんなじ気持だよ。だけどよ、公団はそんなに待てねえって……。強制収用をやるらしいんだよ」
「ただ、そうなると心配なんだよ」
「そうだよ、あの代執行見たってよ。あんなむごたらしく墓場を、ブルでほっかじられちゃ俺あ見ちゃいられねえよ」

 竹村は代執行の時の公団の、人を人と思わない残忍な行為を思い返した。
「生きてる人間の乗ってる櫓でも木でもひっくり返すだから、死んだ人なんか何とも思ってやしねえよ、公団は……」
「本当だよ。眼の前で自分の夫の遺休が、ブルでひっくり返されるなんて考えただけでも……」
「見ちゃいられねえよ。反対同盟では人の墓で徹底抗戦ていったって、全然、人の気持がわかっていねえだから……」
 竹村は掌で顔を掩うような仕種(しぐさ)をした。
「ただ、反対同盟のことを考えると、どうしたらいいか、本当にわけがわかんねえよ、竹村さん」
「そらあ説子さん、私もおんなじだけどよ、そっだからといって反対同盟が一切責任をとってくれるかっていえば、あとはほっぼりっ放しだもんよ」
「全くどうしたらいいだろうか」
 と、説子は思案にくれた。

「公団ではどこかでゆっくり話し合いたいっていってるんだよ」
「だけど同盟にでも知れたらよ……、この際」
「だってよ、平和塔だってああなっちゃっただもんよ、もうしょうがあんめえ」
「平和塔は、もうすっかりなくなっちゃったんだってね……」
「うん。そうだよ、こっちだって早く何とかしねえと、気が晴々しなくて……」
「全く、夜もおちおち眠れねえよ、竹村さん」
「うん、そうだよ。前の源二さんや直次さんともよく相談してみて……」

 竹村は帰って行った。説子は一人で、思いに沈んだ。果たして同盟に従いて墓地の徹底抗戦をしてまでも、武治の堡塁を死守すべきであろうか。それとも竹村のいうとおりに公団と密かに落ち会って、穏便な善後策を講じるのが、正しいものだろうかと、戸惑った。
 説子は居ても立ってもいられない焦燥に駆り立てられた。すぐに走って源二のところに行き、どうしたらいいかと訴えたかった。が、そんなことは恐ろしくて、安々と口にも出せなかった。
 説子は悶々として、その夜を明かした。

 最近の木の根も古込も、様相が一変して、木の根部落は三五世帯あったのが、木川一族を残して、三世帯になってしまった。まだ残っている大工の高橋も、最近どこか移転していくにきまったらしい。
 古込も同じだった。竹村たまと石井幸助が隣合って残されているだけとなった。森は伐られ家屋は取り壊され、丘は削られてはるか彼方芝山町の方まで筒抜けになった。あたり一帯を轟音を立てて、表土を掻きむしる公団のブルドーザーが見えるばかりである。

 その中で暮らす者の心境は並大抵ではなかった。夜昼騒音に悩まされ、眠れないばかりでなく、落ち着いて仕事にも精を出せない日が続いた。
 特に古込の竹村たまの家の前の道路は、騒音が絶え間なかった。連日連夜、積載量オーバーの大型トラックが、砂利や鉄骨資材を満載して暴走し続けた。たまの家はぐらぐらと、地震のように揺れた。家の立付けが狂い、戸締りができないほどに歪んできた。風呂場のタイルにはひびが入り、風呂にも入れなくなった。
 たまは五〇CCのバイクに乗って、古込から三里塚の方にもよく出かけてきた。そのたまのバイク姿が最近見えなくなったと思ったら、ダンプのために道路が破壊された上に、ダンプの暴走で危なくて、一歩も外に出られなくなったということだった。
 そのせいか、たまは最近高血圧症にかかり、悩まされていた。家の前をダンプが通るたびに、寝ているたまの体をぐらぐらと揺さぶった。たまは居たたまれなかった。

 ある日のことだった。
 たまは、家人の止めるのも聞かず、寝巻のまま路上に飛び出していった。
 髪を振り乱し、両手を拡げ、暴走するダンプの真前に仁王立ちになった。ダンプは急停車した。後から来るダンプが連なって、数珠繋ぎになった。運転手が窓から一斉に顔を出して、路上のたまを見つめた。

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