組織実践ノート:背景事情の解説

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横堀要塞防衛隊
表紙写真は機動隊と対峙する横堀要塞防衛隊(78/02/05撮影)

80年代前半における「党の武装」への取り組み

 70年代の戦旗派は中核派の「革命軍」や二次ブントの「RG」などの「革命軍団」作りを「代行主義」として批判し「党の武装化」を主張してきましたが、「79問題」克服の過程で一旦は武装を弱め、80年からの倍々ゲーム的な大衆的な動員の急速な拡大を実現しました。
 やがて82、3年頃からはGP戦闘(ゲリラ-パルチザン戦闘)の実現などで「武装と大衆的拡大の両立」を目指しますが、組織の急激な拡大で大半が新メンバーだったため、その取り組みはゆっくりとした無理のないものからはじまりました。

 ところが83年、突然に中核派からの理不尽な党派戦争宣言(内ゲバ恫喝)を受け、具体的にはそれへの対処と同時に、対権力闘争での組織防衛体制の構築もにらみつつ、党的武装の質を短期間でいっきに高めようとします。その過程で出た多くの内部向けの論文やマニュアルは、秘匿のためにほとんどがすぐに処分されて現存しませんが、ここに展示した資料はかろうじて手元に残っていたものです。

 これを読んでいただければ活動家というのものが、だいたいどのような日常生活を送っているかがよくわかると思います。私もアジトをマニュアルにしたがって最上階とし、窓も完全バリケードした結果、部屋は夏ともなれば夜になっても50度を超えてまさしく地獄でした。いまならクーラーなんて普通でしょうが当時は贅沢品の扱いでした。

内容は初心者向き

 運動経験のない方には結構すごく見えるかもしれませんが、内容的には「初心者向き」つまり新しく結集したメンバーや大衆的な公然組織でも「最低限これくらいは守ってほしい」という穏やかなものです。実際には年を経るごとに複雑化・高度化していくのですが、ともあれ、ここに書いてあることは、別の言い方をすれば公安警察の不当な弾圧や、内ゲバ党派の理不尽な標的とされることから反戦の闘いを守る、いわば「被害者」としての立場から書かれた最低限のものです。

 これを超えるようなレベル内容となると「反撃」、つまりゲリラだとか実力闘争、あるいは防諜ではなく、こちらから尾行や盗聴などの諜報活動をしかけることを前提したのものとなります。盗聴対策の文章を読めば、自分達も盗聴を仕掛ける意志のあることが誰でもはっきりと読み取れると思います。そういうレベルの活動もあったことも言っておかねば公平ではありますまい(私達はそれを広い意味で「受苦に対する抗拒」「防衛」「反撃」と位置付けていました)。

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 しかしそのようなレベルのスキルに関しては、そもそも文書化して組織内に配付されるようなことはありません。諜報活動もゲリラと同じく活動実態は報告されません。ただその「成果」だけが「中核派の内部文書」などの形で報告されました。それらの情報を手に入れた経緯などは尋ねないのが「礼儀」でした。それはゲリラの「手口」を尋ねないのと同じでした。三里塚反対同盟にまで諜報活動を行っていたことを、元現地闘争団の小林さんに暴露されたのは記憶に新しいところです。

考え方の普遍性はどこでも役に立った

 とはいえ運動の大衆的高揚が実現されているわけでもない「平和な」都会の80年代市民社会において、70年安保や開港阻止決戦の経験すらない私達若いメンバーが、こういった所から文字通り手作りで武装を高めていくのはかなり大変でした。必要以上に神経質になってやり過ぎたり、逆に肝心な所がぬけていたりで、古参メンバーは私達のドタバタにかなりあきれていたでしょうが、根気よく指導助言してくれました。

 何よりこれらのマニュアルを雇われ人的・アリバイ的に単なる「任務一般」として守るのではなく「何故そうしなくてはならないのか」という政治的意志統一のレベルから主体化しようとし、その政治目的達成のために自己の主体・実存を否定的に問い直して作り変える「試練としての苦闘」という、戦旗派独特の発想回路がふんだんに発揮された取り組みでした。この課題の「組織全体としての実現」には厳冬期にくり返し行われた組織山行での経験も大きく生きています。

 ここで学んだこと、たとえば「マニュアルは100%守られなくては意味が無い」と同時に「マニュアルそれ自体が目的ではないのだからマニュアルに縛られてはいけない」という、一見矛盾した命題の止揚という発想や、マニュアルの「目的」レベルから意志統一(=動機付け)をして、新規メンバーでも自分で主体的・自発的に実践させていく指導の仕方、下部メンバーの意見や提案を積極的に検討して取り上げていく組織運営など、戦旗派を辞めてからの社会生活にも大いに役立っています。

日常ニュースも組織視線で見てしまう(苦笑

 あと、老婆心ながら、皆様も少しは周辺に気を使ったほうがいいですよ(^_^)
 たとえば書店の左翼本のコーナーで、党派の機関紙やそれっぽい本を、周辺に気を使わず無造作に買って行く人のなんと多いことか。私は活動家時代そういう人を見かけると、買った機関紙の種類と乗って来た車やバイクのナンバーなど必ず控えて会議等でも報告してました。電車の中で革命談義している人もいましたっけ。話の内容からだいたいどこの活動家かもわかってしまいます。彼らがどこの駅で何人降りたかは貴重な情報になってしまいます。私が公安だったらどうするつもりなんでしょう。なんで「旅行者」を装えないんでしょうかね。

 また左翼でなくとも、たとえば会社やお店の内情を、飲み屋などで愚痴ったりするサラリーマンもいただけません。もちろんまともな店の店員は、客から聞いた話をもらさないのが職業倫理ですが、アルバイト店員にはあまり期待できませんし、えてしてそういう時に限って側でライバル店の人間が飲みに来て聞いていたりするもんなんです。

 あと、余談ですが、最近続発する企業の不祥事やマニュアルを守らなかったことによる事故などを見るにつけ、ついつい戦旗派的な視点からその「組織運営の未熟さ」とか「カードル層(企業なら中間管理職か?)の育成の失敗」はたまた「主体形成(動機付け)のなさ」などを考えてしまいます。

 日本は欧米のように「資本主義に対するイデオロギー的な礼讃」が弱いので、公平(フェア)だとか利益追求を通じた社会貢献などの思想、つまり「やってはいけないこと」への歯止めが弱いように感じます。企業活動も煎じ詰めれば「しょせんは金儲けにすぎない」ので、うまくやったもんの勝ちという、それ自体は非常に正しい資本主義への理解なのですが、それがむき出しになることにより顰蹙を買うという構図のように思います。いずれにせよ、根本的な所で思想やイデオロギーというのはものすごく大切なのです。

注釈)RG=『エル・ゲー』と読む。『ローテ・ゲバルト』の略。第2次ブントの軍事部門。

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