昨春以降の活動を駆け足でふりかえる(3)

 さて、昨年は(ブログでは)参加した闘争の報告を全然書かなかったので、まとめて振り返ってみよう企画の第3回です。やっと5月後半です。先を急がないといけないのですが、今回は時間がないので5月分だけにします。

5・20 天神峰現闘本部裁判 高裁判決闘争 まず、三里塚天神峰現闘本部裁判の5・20高裁判決闘争です。これは何度か書いてますね(→画像報告ブログ記事1ブログ記事2)。ご存知の通り、裁判所内で50名もの不当逮捕事件がありました。私もいつの間にか気がついたら逮捕されてたんですが、そちらのほうばかりに注目が集まってしまい、裁判の内容自体、その無茶苦茶さなどにはあまり言及されてないきらいがあります。

 一番の争点である地上権の存在、その前提となる内部木造建物が現存しているかどうか、それらについていっさいの証拠調べをしなかった。とりわけ木造建物の存在の調査については、空港会社側も含めて原告・被告双方が同意しているにもかかわらず、裁判所がこれを許可しなかった。普通、空港会社側が「必要ない」とか主張して、裁判所が一方的に空港会社の主張を擁護することをもってして「不当な訴訟指揮」という。それが、空港会社側も必要を認めて「やりましょう」と言っているものを、裁判所が「いや証拠は調べないから」とはどんなやねん!という話であって、それで判決文なんか書けへんやろと。要するに空港会社の主張をそのまんま判決文に書くために、それが不可能になる証拠は記録に残らないようにするということであって、いわば裁判所が当事者化してしまっているわけです。

 こういった手続きの問題、判決の内容、さらには強制執行をめぐる法的な手続きの問題など、とりわけ訴訟法、民事執行法、行政法などの法律を学んでいる人は、是非とも詳しく調べて知ってほしい。なんでこんな違法につぐ違法がスルーされていくのか。これでどうやって納得しろというのか。運動の側の「違法行為」などお前らが言う資格があるのかと。むしろ無法行為に異議を申し立て、体を張って止めているのだから、賞賛されこそすれ、無法者どもに非難がましいことを言われる筋合いはまったくないわけです。自分にとって都合のいい時にだけ法律を持ち出すなと。逮捕の時の状況などもふくめて、これはやはり法を学んだ者のはしくれとして、まとめておく必要があると思いますが、やりだすと長くなるので、今回はこのへんにしておきます。

 それで、前に書いたように、逮捕時の状況を知った検察官が「これはまずいことになる」と思ったか、私は勾留延長がつかずに2泊3日ですぐに釈放されました。同時に釈放されたのは反対同盟の農民と、廊下で弁護士を待っていただけの弁護士事務所の職員です。この職員さんはちゃんと自分は弁護士事務所の職員で、たまたま仕事でここにいるだけと申し立てたにもかかわらず、公安刑事さんから「そんなの関係ねえ!」と田母神さんみたいな暴言を吐かれて逮捕された。つまり言い訳無用の完全100%の誤認逮捕なのですが、なんの謝罪もなく、普通の被疑者として「釈放」されています。つまりこの人は指紋とられて「前歴」がついちゃったわけで、これはもう本当に酷いです。どの面さげて法治国家でございますと言えるのか?さらにこの事実は、その場で「暴れていた人」が逮捕されたのでも何でもないということを雄弁に物語っています。

 一方で、「全員釈放」では公安警察の顔が丸潰れなわけですから(結局最後は「全員釈放」の大敗北だったわけですが)、何かの運動体や党派に属している人には何やかやの言いがかりをつけて勾留延長がつきました。その中には当日、現場の前の公園であった、裁判員制度反対集会に参加しにきて、時間があったのでちょっと見に来ただけという人も数人いました。これも自分がなんで逮捕されるのかわけがわからないうちに引っ張られたわけで、おまけに政府と違う意見の運動をしているからということで勾留延長までつけられたわけですから、本当に気の毒な拉致被害者としか言えません。

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5・30 東京高裁弾圧・勾留理由開示裁判闘争 その勾留延長された人たちのための、5・30勾留理由開示裁判闘争に参加してきました(→画像報告)。なんせ人数が多いので、前後3日間にわたって裁判があったのですが、私は仕事の関係で真ん中の30日だけ傍聴しました。

 ところがというか、この日は中核派(一部解放派)の人ばっかりということを、裁判所についてから中核派の救対のおじさんから聞かされて、ちょっと困ってしまった。この中核のおじさんに「私なんか参加していいんですかね?」と聞いたら「いや、それはもう、もちろん」と、かえって気を使っていろいろと親切にしていただきました(その節はありがとうございました)。

 でもまあ、私、中核派には一人の知り合いもいないんだよね。なんでも無党派の一般市民運動の人は前日に終わっていて、知り合いの人もそこに出廷していた。んで、翌日には残りの党派関係の人の裁判だということで、これも知り合いの統一委派の人はそこに出廷ということだった。やはり顔見知りが傍聴に来てくれるのはそりゃもう本当に嬉しいものですから、できればそちらに出て励ましたかったですが、三里塚を闘う人はみんな仲間です。とにかく最後まで傍聴闘争を貫徹しました。

 なお、この日は朝昼夕と3回にわけて開示公判があったのですが(なんせ人数が多いから)、その合間に裁判所の近所を散歩しておりますと、ちょうど反貧困ネットの皆様が、生活保護法改悪のための国と地方の密室協議への緊急抗議行動をしておられました(→画像報告)。しばしその場に立ち止まって、いろいろとお話をうかがうことができました。

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