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小説・三里塚

小説・三里塚 戦後最大の住民闘争、三里塚。実在の開拓農家をモデルに、敗戦、開拓、闘争と、その波乱の道のりを感動で描く。

市東さんの農地取り上げに反対する会

市東さんの農地取り上げに反対する会 親子3代90年も耕してきた農地を、違法に取り上げる動きを見過ごすことができません。

結衣ちゃんは革命家

結衣ちゃんは革命家 誰でも遊べるブラウザゲーム。ヒロインの声は声優さんによるフルボイス。君はエンディングを見ることができるか?

mixi 三里塚勝手連

三里塚勝手連 当コミュは三里塚闘争に共感し、様々な形で農民を応援していきたいと考えている有志の集まりです。

戦旗派コレクション

戦旗派コレクション 20世紀、1970~80年代を駆け抜けた「戦旗派」の写真集。かつての同志たちへ、そして……。

過激派への100の質問

現役活動家時代に一般の方からよく聞かれた質問、100問100答集。過激派FAQ。
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22 人の同志が革命的にオンライン中です。 (2 人の同志が ブログ旗旗 を参照しています。 )

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3・26反原発統一集会~3・27三里塚全国集会へ

326反原発統一行動へ文字通り直前になっちゃったけど、紹介だけしておくよ。もちろん私も参加するよ。

つながろう福島!守ろういのち!
福島原発事故から5年・チェルノブイリ事故から30年

原発のない未来へ!3.26全国大集会

◆会場:代々木公園(東京都渋谷区)

◆スケジュール
 11:00~ブース出店販売開始
 11:30~サブステージ開演
 12:15~メインステージ オープニングライブ開始

※私は「ジグザグ会」と共に第三会場~渋谷デモに参加するつもりです。その他の会場については主催者のサイトを参照してください。

◆第3ステージ(ケヤキ並木)11:30~13:00
 テーマ:基地も戦争もいらない 

・オープニングライブ:ジンタらムータ
・司会あいさつ 
  満田夏花(国際協力NGO「FOE Japan」理事/辺野古・高江を守ろう!NGOネットワーク)
・憲法・戦争法
  戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会
  安保関連法に反対するママの会
  SEALDs
  枝木美香(アーユス仏教国際協力ネットワーク事務局長/非戦NGOネットワーク運営委員)
・沖縄から
  高里鈴代(「基地・軍隊を許さない女たちの会」共同代表/「オール沖縄会議」共同代表)
・海外ゲスト(逐次通訳)
  ラリータ・ラムダス(インド・反核運動全国連合)
  メチン・グルブズ(トルコ・シノップ反原発プラットフォーラム)

◆デモ出発 14:40~ 
 神宮通公園コース(市民コース)
 …代々木公園ケヤキ並木→渋谷駅→明治通り→神宮通公園で流れ解散
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逃げる海外航空】航空業界の「成田縛り」って何?【成田空港の公共性を問う

成田縛りで逃げる海外航空】
航空業界の「成田縛り」って何?どんな影響が出ているの?
(The Page 2015.02.05 より一部抜粋)
http://thepage.jp/detail/20150204-00000011-wordleaf

成田空港の「公共性」を問う―取られてたまるか!農地と命 英ヴァージン・アトランティック航空最後の便が1日、成田空港を出発しました。1989年の就航以来、25年にわたって東京とロンドンを結んできた同社が、とうとう日本から撤退してしまったのですが、奇しくも翌日、カタール航空がやはり日本路線からの撤退を検討しているとの報道がありました。

 日本から外国の航空会社が撤退していくのは、基本的には需要がなくなっているからなのですが、理由はそれだけではありません。背景には「成田縛り」という行政指導の影響が大きいとの声があります。

 成田縛りとは、国土交通省が成田空港に発着枠を持つ航空会社に対して、羽田空港に国際線を新しく就航させる場合には、成田発着便を残すよう求めている行政指導のことを指します。これは法的根拠のないものですからあくまで水面下で行われるのですが、航空会社にとっては、実質的に政府からの命令と解釈されています。

 なぜそのようなことをするのかというと、航空会社に対して自由に路線の申請を許してしまうと、便利な羽田空港に路線が集中してしまい、成田空港を存続させることができなくなってしまうからです。成田空港を運営する成田国際空港株式会社は政府が株式を所有する国有企業で、多くの公務員が天下っています。(中略…)
国内航空路線数と滑走路総延長の推移
 しかし航空会社にしてみると、採算性の悪い成田便を残したまま羽田便を新設しても、日本路線全体としての利益は薄くなります。その結果、一部の航空会社は、日本路線そのものから撤退した方が得策と判断したものと考えられます。ヴァージン航空は、デルタ航空との共同路線拡大を理由としており、「成田縛り」が原因だとは説明していませんが、これが大きな要因になっていることはほぼ間違いありません。カタール航空も撤退理由は不明ですが、日本の航空行政が影響を与えている可能性は高いでしょう。(中略…)
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緊迫する三里塚・新年デモに参加 2・18千葉→3・24現地闘争へ

◆一人でも多く!と双方のデモに「はしご参加」

三里塚新年デモ 反対同盟と勝手連 もう2月になっちゃいましたけど、先月の13日には反対同盟の旗開きがありまして、しかも反対同盟のいわゆる北原派と旧熱田派が同日に開催。どちらも旗開きの前後に現地デモを敢行しました。

 最初に結論から申しますと、私は両方の現地デモにはしご参加してきました。最初に「三里塚勝手連」として中野由紀子さんと一緒に二人で北原派の新年デモに合流、中野さんはそのまま北原派の旗開きに参加されました。私は中野さんと別れて旧熱田派の東峰現地行動・デモに参加しました。こちらには、横堀団結小屋破壊のニュースを見て怒りに燃え、20数年ぶりに三里塚に個人で来たという方が勝手連に合流。こちらのデモも勝手連は2名の参加ということになりました。

 つまり時間的に北原派は午前中にデモして午後から旗開き、旧熱田派は午前中に旗開きして午後からデモです。私はその両方のデモにだけ飲まず食わずで参加したわけで、最後は予想以上に腹が減って死にそうでした(笑)。いやー、どうせなら両方の旗開き(どちらも飲食付きなので)にだけ出たらよかったかなんて冗談で言ってましたし、それのほうが多くの話が聞けたろうし、交流もできたんだろうけど、かなり豪華な飲食が出るのでそれはそれでなんだか顰蹙な気がしたし、何より直前にあった突然の第三誘導路「前倒し供用」発表、横堀団結小屋の破壊、市東さんの裁判闘争などを思うと、もう現地を何回でもデモして怒りを叩きつけたかったんです。そして卑怯卑劣な空港会社に対するに、できるだけ多くの現地デモ参加者で盛り上げたかった。それが「はしご参加」の一番の理由です。まあ別の日にやってくれて、フル参加できたらよかったんですが、こんなふうに思っている今年に限って同日なんだもん。

◆市東さん農地決戦の爆発を! 北原派デモに勝手連で参加
三里塚新年デモ
 最初に北原派の旗開き前の新年デモは120名が参加、市東さん宅前の開拓組合道路から、市東さんの畑まで往復という、かなり長いデモでした。シュプレヒコールも市東さんの問題が中心でした。

一方、反対同盟北原派も同日、成田市内で旗開きとデモを行った。デモには約120人が参加した。3月7日に同空港B滑走路西側誘導路の利用が始まると、同派農家の市東孝雄さん(62)宅と農地が空港用地に囲まれる。NAAが市東さんに農地の明け渡しを求めた千葉地裁の民事訴訟も3月中の結審が予想され、北原紘治事務局長(90)は「国とNAAは市東さんの生きる権利を奪おうとしている。闘争を強めていこう」とあいさつした。(2013年1月14日毎日新聞


 この2月18日には市東さんの農地法裁判において市東孝雄さん本人の証言が予定されています。この日が裁判の最大の山場となり、かつ裁判所は3月結審、早ければこの春から夏にかけても市東さんの畑の強制収容が目論まれているのです。さらに3月7日の第三誘導路「前倒し供用」が実施されれば、市東さんは自宅もろとも完全に空港内に閉じ込められ、窓の外をジェット機が爆音を響かせて常に通過するという残酷な状況におかれます。常識で考えて普通ならこんなことは絶対に許されないのですが、事前の環境アセスメントは市東さんや島村さんら多くの東峰部落の地元住民を「住んでいないと仮定して」作成、「認可」されているというのです!一体全体そんなことが許されるのか!と叫ばずにはいられない杜撰かつ暴力的な愚挙です。

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三里塚三人デモご報告(後編)‐ 鈴木さん宅へ

三里塚二人デモ去年の暮れに書いた記事の続きを、何事もなかったからのように今さら書く私であった(笑)。
前編の記事はこちら呼びかけと趣旨はこちらです。

◆ここでもヘタレの私 orz

 さて、最初に見かけた公安私服の車はついてこず、山武署の刑事さんだけを引き連れてひたすら歩きます。実はこのコース、何度か車で送ってもらっただけで、徒歩で行くのはこの日がはじめて。事前に地図は何度も確認しましたし、Google Earth でもよく確認したから大丈夫とは思っていましたが、それでも道を間違えて刑事に指摘されないかとヒヤヒヤでした(無謀)。

 このあたりから鈴木加代子さん宅あたりまでは条件派の拠点です。反対派の拠点集落からは遠く離れていますし、こちらが少人数なのをいいことに、空港職員とか変な奴が文句つけてくるかもしれんということも想定していました。一応、事前の「実行委員会」では、そういう変な奴が出てきても、我々はあくまでも毅然としてデモを続ける、殴られようがツバかけられようが、そんな輩は相手にしないという確認をしていました。まさに鈴木加代子さんはそういう中、日常的にあらゆる嫌がらせを受けながらでも一軒で、断固として義を貫いて闘っておられるわけですから、私たちがフラフラとした無原則な一対一対応でご迷惑をかけるわけにはいきません。

 でもまあ、実際にはなんつーか、三里塚現地デモはいつもそうなんですが、人通り自体がすごく少ないというかほとんどいなくてね。車もたまにしか来ないし。田園地帯はやはり綺麗で立派だし、素人目にも農業に適した豊かな土地なのは素晴らしいのですが、それをぶち壊すように唐突に現れる工事用道路。これが「空港と共に発展する芝山町」の実態なんですかね。やっぱり空港というのはその性格上、周辺が発展して賑やかになるなんてことにはならないんですね。せいぜいが倉庫か駐車場くらい。むしろ一番太いのは、反対運動潰しのためにもばらまかれる、補助金狙いの空港利権だけ。それは原発や基地と同じことで、一旦出来てしまうと、地元の自律的な発展や未来なんてなくなってしまう。そして逆に原発や空港に寄生する以外に生きる道がなくなってしまう。それを空港や原発の「おかげで」とか、ましてや「共存」なんて言うのは悲しい詭弁です。他に仕事も選択肢もない福島の人々が、不安を抱えつつも除染などの被曝労働に従事しているなどと聞きます。やはりそんなの悲しすぎるし何かが間違っていると思う。

 さて、話を戻しますと、一応この日もヤフオクにて3980円で買ったトラメガ(拡声器)を持参していたのですがね、なんか緊張と照れくささでなかなか最初の一声が出てこない。このあたりはデモはおろか、現地調査でもあまりコースにならないくらい、運動的にはこれといって何もないところですし、街中の普通のおっさんが二人だけで、そのあたりにある条件派(?)と思しき普通の民家に「裏切り者めー!」とか押しかけるのも、客観的に見たらちょっと痛いと思うわけで。

 でもやはり、卑劣な嫌がらせに負けずに営農を続ける鈴木加代子さんを励まし、条件派や共存派に対して「お前らのすることをちゃんと見ているぞ!」という示威をすることで、微力でも鈴木さん一家を守るというのが当初の目的だったわけです。しかも駅から鈴木さん宅まで30分はかかると思っていたのが、少人数のせいで意外と早く鈴木さん宅に続く農道に差し掛かってしまいました。いかん!もうこれではいかん!いつまでもヘタレていたんじゃダメだと、シュプレヒコールの一つもあげようと、緊張で唾を飲み込んだ時、後ろからクラクションを鳴らす車が一台。ついに条件派の嫌がらせが!と思ったら、鈴木加代子さんと娘さんのお二人の乗った車でした。
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熱田一さんがお亡くなりになりました

 47年間におよぶ三里塚闘争で、闘争第一世代のお一人でもあり、三里塚芝山連合空港反対同盟(旧熱田派)の元代表であった熱田一さんが、この1月8日にお亡くなりになったそうです。93歳の大往生でした。13日の反対同盟旗開きにて発表されたことでマスコミにも伝わり、各社が報道するところとなりました。すでに葬儀はご家族にて密葬がすまされているそうです。

 2006年86歳の時、熱田さんはついに老齢で体が動かなくなり、農業を続けられなくなって、かつて自分名義の土地を売り払って出て行った長女の娘婿に、ご夫婦ともども引き取られることとなりました。その際、三里塚・横堀部落に最後まで残っていた熱田さんの農地は、空港会社に売り払われてしまったのです。奥様のテルさんはお別れの挨拶に来た支援の人に「申し訳ない」とただ泣いていたそうです。

 農家の後継者問題は三里塚に限ったことではありませんし、ましてや反対農家でのこと。ご家族の問題に支援が無責任に口をはさむことはできませんが、それでも本当にお体が最後の最後のギリギリの状態になるまで、大切な家族を失ってまで、それでも反対運動を続けようとした熱田さんの、この時の心情はいかばかりだったでしょう。そんな熱田さんを支えることができなかったことは罪悪感で胸がいっぱいになります。テルさんの涙は、北原派、熱田派を問わず、私たち「支援」を名乗る者すべてに突きつけられたものだと思います。

 その後どういういきさつかはわかりませんが、結局、近くにいたこの長女の娘婿のところではなく、都内の次女宅に身を寄せ、そこで余生をすごされていたようです。訪問された方のお話では、熱田さんのお話はいつも自分が苦労して開拓してきた横堀のことばかりだったとか。周囲から大切にされた穏やかな余生であったそうなので、それがせめてもの救いです。そんな熱田さんもやっと三里塚に還られ、小川源さん小川明治さん、戸村一作さんらと同じ墓所で眠られることになります。きっと今ごろみんなで思い出話に花を咲かせていることでしょう。

 私が初めて援農に入った農家が熱田さん宅でした。3月とは思えない寒風が吹く中、ニンジンの収穫をお手伝いしました。ほかにも向こうは覚えておられなかったでしょうが、私には思い出がたくさんあります。今も三里塚を歩けば、どこからか、あの元気で独特なダミ声が、今にも聞こえてきそうに思えます。思えば戦争、開拓、理不尽な空港建設への抵抗と、苦難と波乱に満ちた生涯でした。最後まで徹底抗戦を願っていた熱田さんの思いを支えきれなかったかつての支援の一人として、今はただ本当に長いあいだご苦労様でした、そして心の底から申し訳ありませんでしたと言うよりほかありません。そしてそんな熱田さんの生涯を貶したり愚弄する人がいるのなら(とりわけそれが現・元の支援の人間なら)絶対に許せないと思います。熱田さん、どうかゆっくりとお休みください。心よりご冥福をお祈りいたします。

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報告:2013反対同盟旗開き&東峰現地行動2013年1月16日反対同盟大地共有委員会(2)

 1月13日、三里塚芝山連合空港反対同盟(代表世話人:柳川秀夫)は、横堀農業研修センターで2013三里塚反対同盟旗開きを行い、50人が参加した(中略)…柳川秀夫さん(反対同盟代表世話人)は、冒頭、「昨年12月に小川むつさん(元婦人行動隊)、今年1月5日に熱田一さん(反対同盟元熱田派代表)が亡くなった。かつてともに闘った先輩たちの冥福を祈りたい」と報告した。(後略)

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成田空港に反対、熱田派元代表の熱田一さん死去2013年1月13日朝日

 成田空港建設の反対闘争で象徴的な農民の一人だった三里塚・芝山連合空港反対同盟熱田派元代表の熱田一(あつた・はじめ)さんが5日、老衰のため東京都練馬区の自宅で死去した。93歳だった。葬儀は親族で行ったという。

 成田空港の建設に反対する同盟が結成された1966年から活動に参加。用地買収を複雑にする土地の共有化問題などをめぐって反対同盟が北原派と熱田派に分裂した83年、熱田派の代表に就いた。90年に健康問題を理由に代表を辞任した。※

 成田問題解決のため91年から国と旧熱田派のメンバーらで行われた「成田空港問題シンポジウム」「円卓会議」では、「農地死守」を貫き、参加しなかった。円卓会議後も暫定滑走路建設などに反対し続けた。

※実際には熱田派が闘争第二世代の相川さんや石毛さんらの主導権の元、「円卓会議」に進んでいく中で、徹底抗戦派の熱田さんが「そんなことに俺の名前を使うな」ということでの代表辞任だったらしいです。これ以降マスコミでは「旧熱田派」という呼称が使われるようになります(草加注)

戦旗派86年総括(懐古的資料室)

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成田空港に反対、熱田派元代表の熱田一さん死去2013年1月13日読売

 成田空港建設に反対した三里塚芝山連合空港反対同盟熱田派の元代表、熱田(あつた)一(はじめ)さんが5日、老衰のため東京都練馬区内の自宅で亡くなった。93歳だった。告別式はすでに親族による密葬で行われた。

 千葉県芝山町に生まれ、1966年に成田空港の建設が決定すると、農民らが結成した反対同盟に身を投じた。反対派農民の中心的存在で、行動隊長などを歴任。反対同盟は83年に運動方針の違いで分裂し、推されて一派の代表に就任した。「熱田派」は名前から名付けられた。

 90年には「体力の衰えと家庭の事情」を理由に代表を辞任。その後、公の場に姿を見せず、組織的な反対運動から距離を置いた。2006年には空港用地内に所有する土地を成田国際空港会社に売却し、反対運動から引退した。

熱田さんの「移転」について(ブログ旗旗)

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三里塚】またか!突然の第三誘導路「前倒し供用」を許さない

NAAがまたしても地元住民には何の通告もなく、第三誘導路の供用開始をマスコミに発表
現地地図(航空写真)
◆地元に何の説明もなく前倒し供用を発表

 お正月三ヶ日明けの4日、成田空港株式会社(NAA)は、市東さんの自宅のすぐ脇を通る第三誘導路の供用開始を、当初通告していた3月31日から3月7日に前倒し変更すると、突然、そしてこっそりと、マスコミに向けて発表しました。要するに供用一週間前に大規模な現地全国集会が予定されていて、学生さんや年金生活者など、時間に融通がきく老青連合がそのまま残り、そこに交代で休みをとった労働者が合流して、現地行動を展開されるのが恐いから、その前にやってしまえということなわけですが、またしても、最も深刻な影響を被る市東さんや、その他の地元住民にも何の説明もなく、彼らがその事実を知ったのは翌日のマスコミ報道を見てからという有様です。

 こんなことは許せない、というか、国民の義務として許してはならない。結局は国もNAAも、建設当初から何もやり方は変わっていない。その発想はあいかわらずの同意なしの着工、軒先工事、逆らう者には脅しと暴力、札束による甘言、立ち退き以外の交渉にはいっさい応じない、相手に対して人としての礼儀や尊厳などいっさい認めないやり方です。

 こんなやり方を「成功」させたら、この国は本当にダメになってしまう。何がなんでも成田空港は失敗させなくてはならないのです(まあすでに失敗していて税金の投入で延命の夢を見ているだけですが)。まさしく三里塚農民の、そして一億円の札束を前にして「私にとっては一億の札束より、一本100円の安全な大根を作るほうが価値がある」と言った市東さんの「利益」を守りぬくことこそが、イコール本当の意味での「全体」や「公共の利益」を守りぬくことにつながる。沖縄や福島を見てその思いをますます強くしています。

◆政府や空港会社の謝罪はいったい何だったのか

 かつて、いわゆる「円卓会議」に参加された農民のうち、その一部分は反対同盟(旧熱田派)から別れ、芝山町の相川勝重町長や、何かことあるごとにマスコミから「元反対派」の肩書きで引っ張り出されてはNAA擁護のコメントをすることが役割になってしまった石毛博道氏などを筆頭に、当初からの条件派とはまた毛色の違う「共存派」になったわけで、この方たちによると、誠に手前勝手というか都合のいいことに、自分たちが参加していた時の反対運動は「意義があった」が、自分がやめた後の反対運動は(内容や主張が変わったわけでもないのに)、「意義がないもの」なんだそうです。相川さんも石毛さんも、私の1万倍はエゲツナイ反対運動をしていたわけで、それはよくて、今の私がやっているような「おとなしい」ものはダメだという、本当に都合のいい話なのですが、その理由として彼らがあげているのが、円卓会議において、上で私が書いたような政府・公団の無礼極まりない態度を、明確な言葉をもって農民に謝罪したという、まさにその一点にかかっているのです。だからもう反対するべきでないと。本当にそうでしょうか?

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三里塚三人デモご報告(前編)‐ 実は二人デモに(・_・;)

◆いきなり「二人デモ」に

三里塚二人デモ実施中 前のエントリで書いた、「三里塚三人デモ」のご報告です。えーと、まず最初にですね、当日ドタキャンが入って部隊の3分の1を失い、三人デモならぬ二人デモとなってしまいました(°_°;)(; °_°)アセアセ

 まあ、もとから一人でもやる!という気持ちでしたし、別に二人になってもかまわない……はずなんですが、不意打ちをくらったのと、やっぱり二人と三人では全然違うわけで、ただでさえ初めての「独自デモ」に緊張しまくっていた私たちは、出だしから意気消沈してテンション下がってしまいました。呼びかけに賛同してもらったマイミクのSさんと顔を見合わせて「どーする?」って感じでしたけど、いまさら後には引けないわけで、「えい、もう覚悟決めて元気にやろうぜ!」と、予定よりも一本遅い電車で現地に向かったのでした。

◆デモ申請顛末記「申請は不要です」

 実はここに来る2週間ほど前に、所轄である千葉県警山武署にデモ申請の件で電話しました。しかしだいたいですねー、百人にも満たない人数で旗持って歩くだけで、いちいち申請がいるのって、仮にも「民主国家」と呼ばれている国では日本くらいなわけで、そのこと自体が非常識なわけですよ。しかも今回は多くても数人なわけでしょ、まー三里塚の集会に参加する時も、会場まで旗持って歩いているだけで、機動隊から「無届デモ」扱いの嫌がらせを受けるし、不当弾圧を心配する人たちからもアドバイスもらったんで、一応は交渉するけどさー、ものすごくナンセンスだよなとか思いながら電話したわけです。

 自分でデモ申請なんてもんをすること自体が初めての経験で、未経験なのに誰にも頼ったり相談できない中、自分一人で交渉するというのはちょっとしたプレッシャーで、少なからず緊張しながら電話しました。
 電話がつながり交換の人に「デモ申請の担当をお願いします」と言ったら交通課に回されました。最初からデモ申請するとは言わず、電話口の担当者に「3人で旗をもって声出して歩きたいのだが、デモ申請って必要ですかぁ?」とすっとぼけて聞いてみました。てっきり「当然だろ!」とか言われると思ったら、「そんなことに許可なんていらないでしょ」と言われた。「たとえば学生さんが10人で道を歩くのに、いちいち許可をとりますか?」などと、ものすごく真っ当なことを言われた。普通そういうのは警察じゃなくてこっちが言うもんじゃないか(笑)。「まあ、許可とりたいんならとってもいいけど」とまで言われ、これじゃこっちのほうがよほど変な人あつかいです。

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ただいま三里塚三人デモ実施中!(のはず)

本年3月の三里塚全国集会に決起した三里塚勝手連 これは予約投稿です。このエントリが公開される頃、「三里塚勝手連」の有志による独自デモが出発しているはずです。出発地点は三里塚空港脇の芝山千代田駅付近の路上で、解散地点は「農家便り(ブログ版)」でおなじみ、中郷の鈴木加代子さん宅前です。勝手連は何かを主催するような団体ではありませんが(つか言葉の正しい意味での「団体」ですらない個人共闘です)、今回はその中の有志3名の責任による取り組みです。初めてのことだし、弾圧などが予測できないので、準備段階では公開も呼びかけもせず、いわばお試し(というか人柱)として取り組んでみました。

 私たち有志の趣旨としてはまず第一に、反対同盟の萩原進事務局次長が各人、各団体での独自行動をどんどんやってほしいと呼びかけておられます。これに自分たちなりに応えたいと思いました。
 萩原さんの提起を受けて、いろいろな人たちがいろいろな取り組みを行われるようです。ただ、やはり農地取り上げで焦点化している市東さん宅付近、東峰、天神峰とかに集中する傾向があるんじゃないだろうか?と予測しました。確かに市東さんの農地が焦点だし、そこに注目も集まる。また、あの地域は反対派農家の拠点ですから当然でしょう。

 そこで第二に、鈴木さんとこは条件派の拠点である中郷部落でたった一軒の反対派農家、家族の盾となっておられた謙太郎さんも亡くなって大変な状況です。周辺には反対運動の拠点もない。組織が新しい人を連れて行くにはむかない。もちろん支援団体の方々も援農などで継続してもの凄く頑張っておられるのは充分に知っていますし、その努力と献身は私たちがとやかく言うのもおこがましいと思っていますが、デモとかそういう部落内で反対派が声をあげて存在を知らしめるような取り組みも今以上に必要だと、僭越ながらそう考えました。

 たしかに運動や党派団体の取り組みが、決戦の東峰・天神峰に集中するのは当然だし、何よりも必要なことです。そこで私らみたいな組織と関係ない個人が、比較的手薄になるような鈴木さんとこや中郷で、小さくてもいいから声をあげられないかなと思いました。農村共同体の中で、たった一軒になっても農業を続けることは、援農があるとはいえ、私ら都会の人間にとっては想像を絶するような決意と困難をともないます。陰に陽に鈴木さんに圧力を加え続ける条件派や共存派に対して、外から反対派支援の声をあげることは重要だと思うのです。

 第三に、かつての三里塚闘争の明るさ、無謀さ、野蛮さ、そんな自由な雰囲気を取り戻していきたいと考えました。こういう中郷デモとか、三里塚三人デモとか言うと、きっと無謀だからやめとけとか、無計画でいい加減だとかいう反応があると思うのです。別に組織や団体や反対同盟の主催する催しに参加するだけていいじゃないかと。もちろんそのほうが無難で誰からも文句言われないし、責任を問われることもないでしょう。それは私たちもわかっています。

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「頑張ろう日本」の前に効率優先主義の責任をとらせよう-反対同盟萩原進さん挨拶

【4・15反対同盟団結お花見会における萩原進事務局次長の挨拶】

画像報告 →動画報告1

……いわゆる旬の野菜っていうのはそこにあるんですよ。それを無理してハウス栽培とか、促成栽培とか、抑制栽培とか、そういうものをもってして、その、食料をごまかそうとしているのが今のやり方なんです。われわれがジャガイモを植えた時点で、もう何日かすれば九州のほうでは新ジャガができる。沖縄にいけばもう最適な気候になっているわけです。ですから、無理してそういう形で化学肥料あるいは企業の言いなりになって、資材のかかる石油製品のものを使わなくともですね、そういう形で、日本列島というのはできる地形になっているんです。ですから、そういう中で食料というものを考えていけばいいわけです。

 それはTPPにも通じることで、今政府がやろうとしているのは、広大な面積において、そしてその中で、効率主義的にやっていけばいいんだというようなやり方を導入しようとしているわけです。それはあくまで机上の計算であってね。それを日本の農業の形態にあてはめようなんてのは、そんなやり方ってのは、絶対的にダメです。ですから、自分たちはやっぱり、その地域にみあった、そして家族を主軸とした、そしてやりがいのある、そういう魅力ある農業を育てていこう、そしてそういう人たちと一緒になってやっていくと、そういうやり方の農業を追求したい。

 そういうやり方を昔からやってきたわけですよ。それをいっぺんに変えようとしている。その一つの大きな転機が飛行場建設だった。市東さんの土地の問題にしたって、100年近い、一世紀近い耕作をしてきたわけですよ、もう本来であれば市東さんの土地なんですよ。それを一方的に奪い去ろうなんてね、そういう形でやってくるなんて、もうとんでもない話です。ですから、そういう土地の問題だけでもこれは一時間は話したいんだけれども、そういう形で、土地そのものを商品化して、そしてそれを効率主義的に展開していこうというやり方が今の農業政策であるし、これに対して農地こそ、土地こそ、侵したら元にもどらないんだと、ですから耕す者に権利があるんだと、そういうことを今、本当に胸をはって言える時代にはいったんじゃないか。

萩原進さん(反対同盟お花見会にて)
 本当にそういう意味でね、ほんとに今、めちゃめちゃなやり方しているでしょ、再稼動を今度は認めるって形で、なんとかして再稼動ありきで、認めるって形で今進めようとしているわけですよ。そうじゃないでしょやっぱ。今までの責任を明らかにしない、そして責任をとらない、こういう中でね、それをやっていこうなんてとんでもない話ですよ。3月集会でも言いましたけども、ガレキ処理にしたって、そういうガレキを作ったのは誰なんだと。

 あの福島の集会で高校生が、経済を言う前に、人間の命のほうが大切なんだと、そして、この状況を作ったのは天災じゃない、人災なんだとはっきり言ったわけでしょ。年寄りはやっぱり、戦時中の問題を引きながら市民政策で、これで支えあわなくちゃならんと、農民は、自分たちは悪くないんだと、こういうことを実際におこしちゃダメだし、そしてこの責任を絶対にとらせるんだ!という形で発言した。そのことをわれわれはどうとらえて、どう実践していくかという問題ですよ。

 そういう中ではね、これは絶対的に天災じゃない、人災なんだと、このことをはっきりさせ、認めさせるべきだと、そしてそういうことの中から、責任をとらしていくと、そして、ガレキにしたって、それを作ったのは誰なんだと、それをまた作ろうとするのが再稼動ですよ。決して「原子力をなくそう」とは言わないわけですよ、「こういう時だから、それを全国に一律化していこう」という。こんな言い方はないでしょう。われわれはそういう責任を絶対にとらせる、そういうやり方をしていこうじゃないか。あらゆる現場であらゆる地域で、ガレキ処理の問題で住民説明会なんていらないだろうと、だったらそれに対して反撃を開始しようじゃないか。そういう中から今の政治、社会の問題を提起し、知らしめていく、このままじゃだめだということをはっきりさせていく。

 TPPの問題にしたって、日本の圧倒的多数はね、まだまだ実態を知らないんですよ。そのことをわれわれは本当にほじくりかえし、そして満天下に示していくと。そして、今の、「がんばれ日本」じゃなくて、日本はもう、われわれがつくるんだというところに展開していく。今日のこの英気をそこにもっていきたい。

 まあ………(無言で宙を指差して)、そこに謙太郎いますよ。そして幸司オヤジもいます。それからあの高台には、本当にわれわれの指導者であった戸村(一作)さんが、「あの飛行機を撃ち落せ」と、そういう発言をなされたここ第一(公園)でね、われわれが誰はばかることなく、他から見たら「なんの団体だろうか?」と、そういう中でね、大胆に花見を今日できたのはね、本当に嬉しいと思う。彼らが作ってきた“葵の御紋”をね、われわれが踏み潰すんじゃなくて、それをもっともっと、二つも三つも全国に作っていく、そういう闘いをしたいと思います。よろしくお願いします。

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昨春以降の活動を駆け足でふりかえる(5)

 一月の上旬には終わらせる予定だったこのシリーズですが、もう2月になっちゃったよ。今日はじめて見た人からすれば、節分の声を聞いてからまだ「昨年をふりかえる」って何をやっているんだこいつはってとこですね。今までなら、もうやめようかであいまいにしてきたところですが、こっから先はしばらく画像アルバムで報告したものが続くので、そんなに細かく書く必要もないと思う。だからとにかく今回は最後までいくよ。しかし春までに終わるのかね。

木の根ペンション・プール開き
◆ついに!木の根プールで泳いだよ

 さて、7月ですが、17日には木の根ペンション20年ぶりのプール開きに行ってきました。これは主に旧熱田派系の人が中心ですが、私は中野由紀子さんら勝手連の皆様と前日の16日から準備作業に参加、さらに翌18日の反対同盟(いわゆる北原派)主催の緊急集会にも参加しましたので、三里塚に二泊三日となりました。
 これは画像報告にかなり詳しく書きましたから、詳しくはそちらを見てもらうでいいですよね(→こちらを参照)。よって以下は具体的な報告というより感想になるかな。
 あっ、でも動画を編集も掲載もしてないΣ(゚□゚ 今さらだけど見たいですか?動画の編集は非力なパソコンだと、すんごくストレスたまる、めんどい作業なので、最近は後回しにしてしまいます。うーん、まあ、未編集の携帯動画がたまってるので、そのうちぼつぼつやるかなあ。

 しかし私みたいに、ごくたまに手伝いに来ていただけの者が見ても感慨無量でしたよ。20年間放置されたまま、大量の泥がたまって緑色の沼と化していたプールを、まる一年がかりの作業でよみがえらせたわけですから。木の根と言えば、やはり死ぬまで土地を売らなかった開拓農民・小川源さんのことが思い出されますが、きっと源さんも空港に覆われて荒れ果てた、今の木の根を寂しく思っていたでしょう。そしてこの日のプール開きに、昔みたいにたくさんの人が集まってくれたことを喜んでくれているに違いないと思います。

 とりわけこの日のプール開きには、三里塚闘争のことなんて何も知らない若者がたくさん来てくれたことが嬉しい。まあ、いつまでたっても「何も知らない」ままなのはどうかと思うが(笑)、「生まれた時にはとっくの昔に反対同盟は分裂してました」「その両派の違いって見ててもよくわかりません」的な人には、やはり世代ギャップを感じました。部外者から見たら、そんなに対立するほどの大きな違いには見えないみたいです。「過激さの度合い」が違うくらいにしか思えないみたい。うーん、まあそういうもんかねえ。私らの世代にしたら、その違いは路線的なものだったわけですが。

 でもとても楽しかったですよ。プールで泳いだのも、模擬店(?)の店員やったのも、コンサートも、太鼓たたいてチャングを踊ったのも、具体的なことは画像報告のほうに譲りますが、こういうプールだのペンションだのの取り組みだって、原則的な農地死守の闘い(現地攻防)と立派に両立すると思います。ドリルの先端みたいな闘いは必要だけど、それを支えるためにも、広範に裾野を広げるような活動も大切で、それはそれで頑張るべきかと。ところがそれを具体的な敵の攻撃が迫っている目の前で、「あんな決戦主義じゃダメだ」とペンションやプールやコンサートとかを現地攻防に対置するものとして語るからおかしくなる。それじゃとりわけ空港用地内の農民の中に不満を持つ人が出ても当たり前だし、そういう不満を持つことを、ただの「誤解」だのなんだの「わかってない」みたいに言うこと自体がおかしい。

 一方でその逆に、「ペンションやプールやコンサートなんかやることは闘争の破壊だ、だからそんな奴はやっつけてしまえ、それが闘争勝利の道だ」というのも全然違います。ペンションやプールだって、空港会社にとっては嫌なものであり、目の上のたんこぶには違いないのです。それを同じ空港反対派がぶっ潰して取り除いてくれたら、政府-空港会社は困るどころか大喜びで、今度は残ったその実力闘争派のほうに弾圧を集中させてくるだけのこと。
 また、今のペンションやプールに集まってくる若い人々は、かつての人々と(良くも悪くも)同じではありません。年配の方の中には今でも「一坪再共有化運動最強伝説」にこだわっている人もいます。それはご自分の人生の総括がかかっていることなので、少なくとも第三者が軽い気持ちで否定はできないけれど、世代も変わってもっとフリーに物を考えられる方も出てきています。また、これらの施設も今や反対運動全体にとっても貴重な拠点の一つでもあるということは理解してほしいと思います。

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