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小説・三里塚

小説・三里塚 戦後最大の住民闘争、三里塚。実在の開拓農家をモデルに、敗戦、開拓、闘争と、その波乱の道のりを感動で描く。

市東さんの農地取り上げに反対する会

市東さんの農地取り上げに反対する会 親子3代90年も耕してきた農地を、違法に取り上げる動きを見過ごすことができません。

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結衣ちゃんは革命家 誰でも遊べるブラウザゲーム。ヒロインの声は声優さんによるフルボイス。君はエンディングを見ることができるか?

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三里塚勝手連 当コミュは三里塚闘争に共感し、様々な形で農民を応援していきたいと考えている有志の集まりです。

戦旗派コレクション

戦旗派コレクション 20世紀、1970~80年代を駆け抜けた「戦旗派」の写真集。かつての同志たちへ、そして……。

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現役活動家時代に一般の方からよく聞かれた質問、100問100答集。過激派FAQ。
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戦争が身近な沖縄と「平和ボケ」した本土の右翼

対話羽賀さんの投稿への返信です)

 ビラの内容のことを言ってるのかな?正直言って、ないものねだりかなと感じました。なぜかと言えば、書いてあるように、これは集会に来てくれた方(およびこのブログの読者)に配布する、つまり集団的自衛権と安倍に反対するという目的(価値観)を共有する方に、では次に何をすればいいのかを提起するための文章だからです。文章や議論というのは、まずお互いに同意できるところまでおりていって、その共通の土台から出発しないとかみあった議論になりません。その意味でネット(掲示板など)は極めて議論に不向きです。

 さて、その上で以下申し上げるならば、まず私が見るところ、集団的自衛権に反対している方々の考えや潮流としては、大きくわけて3つです。

■戦後体制の「防衛」か「克服」か

 一つは、「戦後体制防衛派」で、憲法や平和、個人の尊重などを基礎に考える方々。戦後民主主義派というか、これが一番目立つし数が多い。ネトウヨさんが念頭においているのもこの部分。羽賀さんが攻撃しているのもここですね。この人たちは良心的だし、別に間違っているとも思わないし、共に手を取って闘いたいと思う。ただ、ビラにも書かれている通り、冷戦構造を前提として成立した戦後民主主義とその対立軸が、すでにそうとう劣化してきていることを、多くの人が知っているか、もしくは肌で感じています。閉塞感や漠然とした不安がある。とりわけ若い世代がそう。そこを右翼的に突破しようと呼びかけるところにファシズム登場の本質があるのであって、もはや保守の人でさえついていけない安倍政権のようなものが登場しうる根拠も、実はそこにある。一方、戦後体制防衛は世論でいえば年配を中心に3割くらいあると思うので、運動のスタート時には説明もしやすいことから、どんどん仲間が増えていく快感を味わえるでしょうが、実はこれでは過半数はとれないし、何より戦争に向かう世の中を変えることはできないだろうなと思っています。ただこの層が集会などで可視化されることは歓迎します。

3・21新宿反戦デモ

3・21新宿反戦デモ

 そこで二つめの潮流として、戦後民主主義の崩壊の中で、それを「守れ」だけでなく、危機の中でそれにかわりうる新しい価値観と社会を展望するべきだというのが私たちのような人たちです。「危機」とはなんでしょう?今までのやり方ではダメだと、みんなが感じているだけでは危機とは言いません。古いものは改めればいいだけ。そうではなく、ではどうすればいいのかということがわからない、それを危機といいます。この潮流は一つめ(たとえば社民・共産などの大政党)の影に隠れて目立たなかったし、今でも一つの「党」などにまとまっていないので、羽賀さんのおっしゃるようにわかりにくくはあるのですが、この10年であちこちで噴出してくるようになりました。私はここに期待をもっていますし、それはまだ「ふんわりとした方向性」を共有できればいいと思っています。一つの主張や一つの党にまとめる必要はない、大きな方向性の中で、雑多な人々が自由に議論して決めていく、むしろそういう空間を国境を超えて広めていくことに意義があると思っています(島国に住んでいるとピンとこないでしょうが)。ここについて語ると戦後民主主義(戦後資本主義)とは何か、それはどうして成立してきたのかという歴史的なところから全面展開しないといけませんので、ビラと同様にここでは指摘だけにとどめて先に進みます。
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日本人3人が「在日」について語っています

racism
 前の投稿に関して、羽賀さんからのコメントが発端になって続いている問答です。ここんところの更新はみんなこの問答へのレスでして、かなりの分量になりましたので、多くの方に読んでいただきたく、ここにスピンオフ(転載)します。

 なにぶん、日本人3人で深い知識もなく「在日」のことを語っているもんですから、気づかないところで地雷を踏んでいるような予感がしています。そのあたり特に私の発言について指摘していただければと。できれば私以外のここを読んでいる第三者にも理解できるような言葉で語れる方の指摘であればいいなと思います。

 なぜなら、在日韓国・朝鮮人と一口に言っても、たとえば政治的にも保守から左翼からノンポリまでいろいろおられますし、考え方は千差万別です。私の知っている在日の方々は、たとえば普通に神社に初詣するような人たちが多かったし、一見すると「違う」と感じることでも、よく話を聞いてみれば、なるほどもし日本人が彼らの立場だったら、同じような言動をするだろうなということが多かった。欧米人ならまた違うんでしょうが、むしろ日本人の感性でなら理解できることが多かった。だから在日の人たちに何かしら自分の思想や思い込みにあわせた役割人格を押し付けることには、強い違和感を持たざるを得ないのです。

 ツィッター上で繰り広げられた「仲良くしよう(ぜ)」論争も、確かに「このスローガンは日本人としての加害性を無視している」という意見を、日本の人たちが自己を捉え帰す中で持つのは素晴らしいことで、それは100%正しいと思います。そしてこういう方の周囲には、それを受け止めるだけの意識をもった在日の方がおられるのだろうなと思う。
 一方で、このスローガンに対して、それはおかしいと、とっさに切り返すような在日の方が、とりわけ30代以下の若い世代でどれだけおられるのかも疑問に思いました。むしろ、ヘイト「デモ」に対して日本人がこういうプラカードを掲げてくれたことを、素直にうれしいと思う在日の方も多いはず。それはどちらも在日の方々の本当の声なんだと思います。そのことは前提にしないといけない。

 確かに差別問題というのは、加害性の問題を無視したところの上から目線で「差別反対」を言っても、それはやがて「お前らのほうがよほど差別者だ」と言いたくなる、おそましいものに変質してしまうことは避けようがありません。だからそこは「どちらが在日の立場や歴史性を理解・擁護しているか」みたいな地平で相手を攻撃するのではなく、あくまでも日本人としての自己の内在性を省察できるようなものとして、日本人の問題として深めてほしいなと思うのです。その上で「仲良くしよう」にまた新しい意味をこめられるなら、それをカウンターに参加するみんなで共有していけるのなら、それはそれで「あり」ではないかとも思うのです。

 私は以上のような問題意識を持つものです。ご意見がありましたらお願いします。
 なお、もし批判されるとすれば、それは羽賀さんとなおじさんの「素朴な疑問」に対して頓珍漢な「回答」をした私に対するものであるべきだし、私の間違った回答を正すという形で行われるべきものだと思います。異質なものに対して漠然と不安や疑問を感じるとしても、そこまでは別に「悪いこと」ではないと思います。そこから一歩踏み出そうとした人を叩くようなことは筋違いです。それを変な方向に導いたみたいな点で叩かれるのなら、仕方ありません。私の気がつかなかった点を指摘していただくのは歓迎です。
 あと、こういう他人様の意見を紹介(転載)した時に限ってはいつものことですが、紹介させていただいた方へのご迷惑をさける意味で、あまりへんてこりんな叩きや煽りや荒らしは削除させていただきますので、あらかじめご了承ください。

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「画像アルバム」に新規画像1,057枚追加しました

カメラのイラスト
 当サイトの『画像アルバム』のコーナーは、主に私自身が参加した集会の写真などを掲載・保存しています。けれど時期によっては力尽きて、せっかく参加させていただきながら、アルバムやブログ、動画コーナーなどでの参加報告もなされていないものがあります。ただ、アルバムについてはだいたい載せてきたつもりでいまして、数件くらい載せてないものがあるかなあくらいに思っていました。ところが、調べてみると、時期によっては3件に1件くらいの割合でしか掲載していない期間もあり、全部あわせてなんと33件も(!)掲載していない集会等がありました。それでこの機会に3日ほどかかって全部掲載することにしたものです。もちろん掲載画像はある程度は取捨選択しましたが、それでも今回掲載した未掲載画像は全部で1057枚になりました。

 内訳は以下の通りですが、こうしてみますと、むしろとてもいい集会やデモで、ちゃんと説明や報告文をつけたい、あるいはブログや動画とあわせて紹介したいと思っているうちに日がたってしまったものが随分とあります。今回はあえて目をつぶって、写真の説明文などはほとんどつけませんでした。やはり何につけ完璧主義はいけないと反省しているところです。自分から見て簡単・不充分でも、何も紹介しないよりは100倍マシです。あと、やはり欝期で、紹介せずに死蔵していたことさえ覚えていないものも結構あります。

 今回は画像なので一気に処理もできましたが、これ以上に未編集の動画や、講演などの録音がたくさんあります。これはさすがに一度に処理できませんので、機会をみてぼつぼつ編集・記録・保存していくしかありません。あと、2009年以前のものについては、実家の古いMacの中にあります。これもいつかはちゃんとサイトに保存・公開したいと思っています。また、『画像アルバム』は読者の皆さんがお手持ちの写真を投稿できるようにもなっています。発表のあてのないご自身の行動や写真などの紹介にご利用いただければ幸いです。枚数が多くて投稿が大変な場合もお知らせ(の上で気長に待って)いただければ対応します。

 なお、以下のリストにありますのは、今回掲載いたしました「新着」の画像でございまして、比較的時期に遅れず普通に掲載されたものは含まれておりません。すべての画像一覧は、『画像アルバム』のメニューからご覧下さい(→集会等の画像一覧についてはこちらにあります

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活動家は「細かいこと」を気にしないほうがいいよ

なおじさんのコメントへの返信が長くなりましたので、大幅に加筆修正の上でこちらにスピンオフしておきます。なお、私の自室は業者さまのリンク写真より約40%ほどマシ…かもしれないです(笑)。さらに本文には書きませんでしたが、私は近所のコンビニで済ませられない用事や手続きなどは間違いなく半年か一年以上滞る社会生活不適合者です。しょっちゅう電話とめられて随分たってからコンビニに電話代払いにいきます。仕事は真面目にしてるから、かつかつながらもお金がないわけでもなく、決して面倒だとも思っていないのです。ならなぜ払わないかと言われても自分でもその理由がわからないのです。特に欝期はそういう傾向がひどく、焦燥感と自己嫌悪の中で暮らしています。でも今回はそういう話ではありませんので念のため。

散らかった部屋の片付け屋さん。私もたのもうかなあ
 私なんかの書いたことでも なおじさん のお役にたてたようで嬉しいですが、そんなにおほめいただくと、なんかかえってこそばゆいなあ(笑)。

 きっと私と実際に合って、三日も一緒に暮らしたら、絶対に心底がっかりしますよ。どっかに一億円が落ちてないかなあとか、いきなりどっかで素敵な女性とお知り合いになれないかなあとか、そんなこと考えて暮らしている、どこにでもいるただのおっさんですから。とりあえず部屋をなんとかしてちょっとは片付けないとね。

◆世の中に「いい人」も「悪い奴」もいない

 基本的に現世には神も悪魔もそのへんをうろうろ歩いていたりはしないので、特定の誰かを祭り上げて依拠したり、逆に貶めて叩きまくるのはどうかと思っています。人間の心というのは誰でも7割くらいが善で、3割くらい悪で、それから弱い部分が7割くらいで、でも強い部分を3割くらいもっている。私もそういう普通の人間です。それから大切なのは、人間はいかようにでも変われるということだと思っています。一人の人間をとってみれば誰でも良いこともすれば悪いこともする。だからどんな指導者に対しても「おまえのそこはおかしいぞ!」と気軽に議論できること、その議論のやり方(不毛な「内ゲバ」や内紛や分裂にならないこと)、そしてそういう議論を容認できる組織や運動や指導者であるのかという点を私は重視しています。特に政治や市民運動の分野では、一時的な成功やら「時代の風にのっている」ことより、それが一番大切なことです。

 なおじさんのおっしゃるその彼も、実は本質は7割くらい「いい人」なんろうなと感じました。「差別者が日常の中で『いい人』だからってそれがどうしたというのだ」という人もいるだろうし、それはまったくその通りです。「いや、彼はいい人だよ」と言われても、差別されている側からすりゃ、だからなんだって話にしかなりません。ただ、そこで終わらずにもう一周考えることも、差別イデオロギーと闘うに際して有益なこともあるのではと考えています。私とその彼も、さらに「差別糾弾」とか言っている人とでさえ、実は紙一重でさほど変わらない人間だということを忘れちゃダメだというか、そうでないと、またぞろかつてのような「奴は敵だ。敵は殺せ」というレベルの低劣な政治(「在特会」がまさにそうなわけですが)に舞い戻ってしまうと思うのです。

◆差別には麻薬的な快感と習慣性がある

 思うに自分より下の人間をつくって差別するというのは、一種の快感があるんですよね。だけれど単純に差別して虐げると良心に咎める場合がありますから、それを正当化する屁理屈が必要になってくる。その屁理屈が時代によっていろいろ変わるだけで、本質的に江戸時代から今にいたるまで何も変わっていないわけです。
 それが今だったら「なんちゃら特権」とかいうんですか。厳しい毎日の生活のなかでも、「ほら、君はむしろ被害者なんだよ。君は本当はもっと偉いんだよ。なのに…」みたいにささやかれたら、本当の敵と地道に闘うより、本当は手をとりあうべき自分より弱い者を(ネットや脳内にしろ現実にしろ)イジメるほうが簡単で手っ取り早く、ほとんど麻薬的で抗いがたい快感があるんだろうなと思います。しかも「それが正義なんだ」とか囁かれるんだから!

 「在特会」とかのメンバーには、ニートや引きこもりなど、本来なら左翼として闘わなくては問題の解決にならないはずの人がなぜか多く存在しているといいますが、それはこういう理由からかと思います。日雇い野宿労働者のおっちゃんにも「朝鮮人」や「部落」を差別する人もいます。彼らを許せないと思う前に、手を取り合うべき生きづらさを抱えている底辺の人同士がお互いを差別して傷つけあうことで自己確認するなんて、なんで悲惨なと思います。
 それはまんまと分断されて本来の敵の手のひらで踊らされているだけなのですが、そうやって一度分断されて孤独に過ごしてきた彼らが、「お仲間」同士の中で現代社会で奪われた連帯感を、歪んだ形で「取り戻す」という面もある。かつての原理研(統一教会・勝共連合)なんかがまさにそうでした。一度その麻薬や「連帯感」にどっぷりはまると、そこから抜け出て本来の現実と向き合うのは、とても辛いことなんだろうと思います。

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初詣の思い出

死後裁きに合う
 他に書かないといけないことが沢山有り、実際三里塚のことを続けて書くつもりでおりましたが、マル共連BBSに投稿した以下の私の思い出話から、若干議論めいたレスがつきまして、それに回答すると本当に議論になりかねないので、こちらに回答(誘導)しておくことにします。それというのも、同BBSは共産趣味者の話題や情報提供、交流を設立の目的としたもので、短期で速攻の口喧嘩くらいならまだしも、特定の議論が延々と続くことになればBBSの趣旨を妨害し、一般参加者の迷惑になってしまうので禁止されているからです。

 この「議論」の意味がわからない方のために簡単に書いておきますと、なんでも中核派の前杉並区議会議員、北島邦彦さんが、初詣したとかしないとかいうことをブログで書いたことが、ネットの一部で話題となり、あちこちでお祭り騒ぎになっているわけです。まあ、中核派の日頃の行いの悪さから、ここぞと揶揄や皮肉をくれてやる程度の問題なら、わからんことはない軽い話題なんですが、そういう程度の人はさっさと次の問題(話題)に移行し、だんだんと「マジ」な人たちが残って、中核派の路線問題にまでからめたお祭りが続いているようです。

 それを見て一番最初に私の脳裏に浮かんだのは、毎年初詣の人ごみの中、「裁きの日は近づいた」「地獄に落ちる」とか書いたプラカードを持って、キリストを信仰しない者は地獄行きとかいう説教のテープを流しながら、じっと参拝客を睨んでいるカルト宗教の皆さんの暗い目でした。あるいはそういうのって、私には、なんだか以前に党旗を忘れた民主党が、とっさに日の丸を加工して党旗を作ったのがけしからんとか、国会の場でまでキイキイ言ってた人たちとだぶって見えてしまいます。キリシタン狩りの踏み絵じゃあるまいしと思ってしまいます。

 初詣が生活習慣だろうが宗教行為だろうが、「自分が初詣に行く」のと、行かない他人を攻撃したり、ましてや国家や行政機関が自身で「公式参拝」なり代表者が「私人名目」で参拝を行うなどの脱法行為で有形無形の圧力を加え、あまつさえそれに反対する者を民間右翼と公安警察が連動して弾圧しているのは全くの別問題です。
 それと同じように、自分が初詣に行かないのと、行った人を攻撃するのは全然違う問題だと思います。また、左翼でもクリスマスパーティーくらい参加する人はいくらでもいますが、それでキリスト教徒になったわけではありませんし、ましてや教会の帝国主義侵略に随伴した歴史まで肯定しているわけではありません。

 こういう議論は歴史的にも日本に限らず世界中にあるわけであって、たとえばアフガンでイスラム教の生活習慣をアプリオリに否定、蔑視したために(原因はそれだけではないだろうけど)民心を離反させて崩壊した左翼政権と、イスラム的生活を徹底して強要し、女子教育まで敵視したタリバーン政権のどちらを支持するのかと言われたら、私はどちらも支持しないし、その上で、アメリカの軍事侵攻をも非難します。そのことに何の矛盾も感じませんし、私の価値観は一貫したものであると思います(エントリ巻末リンク等参照)。

 北島さんの初詣については、まあどうでもいいというか、軽く皮肉の一つもくれてやりますが、それ以降の「原則的」にこの問題を長引かせようとする議論について言えば、要はこれは正しくスターリン主義の問題にいきつくと思います。左翼はカルトやポルポトであってはいけないと思います。

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読者の皆さまへ

工事中更新が滞っています。申し訳ありません。
現在、公私にわたって、3つほど取り組んでいることがあります。
時間がいっぱいいっぱいで、ネットにまでさく時間がありません。
もう少ししたら、いろいろご報告ができると思います。
どうか見捨てないで(;_;)、時々はのぞきに来てください。

サーバーを移転しました

引っ越しました あまりにも表示が遅い(重い)、文字コードが特殊なのでトラックバックの送受信ができない、携帯やスマホから見にくい、などの声を受け、先日、ついに懸案だった内部の文字コードやシステムの入れ替え、ついでに見た目のリニューアルを行いました。

 ところがその直後から500エラーが頻発しだし、いろいろ調べて対策を試行錯誤いたしましたが、どうしても直りません。検索してみますと、どうも私の使っているレンタルサーバーで、WordPressの最新版を使っている方に多い事例のようです。以前からこのサーバーは、XoopsやWordpressなどのCMSをガンガンに使っている人には向かないなあと思っていましたが、Wordpress以外の画面でも500エラーが出だし、とうとう疲れ果ててサーバーを移転することにしました。

 移転にあたっては、このページを参考にさせていただきました。ブログ主様はアフェリエイトもなさっておられるようなので、感謝をこめて、ちゃんとアフェリエイトのリンクからサーバー契約をさせていただきました。

 話はそれますが、だいたい私はアマゾンとかで本を買う時でも、適当に検索してできるだけ誰かのアフェリエイトリンクから買うようにしています。世の中には「ただリンクを貼っているだけの奴に儲けさせたくない」だの言って、わざわざアフェリエイトリンクを避けて購入したり、なんとアフェリを無効にする「アマゾン殺し」というフリーソフトまであるとか。別に自分がその分損をするならわかりますが、払うお金が一緒なんだったら、リンクを張っただけだろうが何だろうが、自分の購入で誰か見知らぬ人がちょっと幸せになるほうがずっといいと思いますけどねえ。

 さて、どうですか?快適に表示されてますでしょうか?私の環境からはトップページを含めて一瞬で表示されるようになり、苦労した甲斐があったとご機嫌なんですが。データのリニューアルとその直後の引越しで、なんかちょっとしたサーバー引越しマスターの気分です。かつて一番重い時(当時無知だった私のサイト構成のまずさが主原因でしたが)はページがすべて表示されるまで30秒から一分もかかっていたのが夢のようです。リニューアルで表示速度は4分の1くらいまでに短縮できていたのですが、移転でさらに早くなりました。

 きっと環境の変化でかえって動かなくなったり、エラーが出ている箇所もあると思いますので、ぼちぼち巡回してチェックしていきます。皆さんも気がついたら、サポート掲示板などでお知らせくだされば幸いです。

京都市長選に関する記事へのコメントより

「ニュースとお知らせ」コーナーの、京都市長選に関する記事に、珍しくコメントをいただきました。うちはアクセス数から考えても、異様なくらいコメントが少ないサイトでして(泣)、さらにニュースのコーナーへのコメントはさらに少ない(たまにランキングくらいは押せよな)。めったにないことなので、あんまり嬉しくて一生懸命にレスを書きました。一生懸命すぎて、コメント欄とは思えない、ものすごい長文になってしまいました。そういう場合の例にもれず、もったいないので、今回もエントリに再利用しちゃいます。京都市長選や反(脱)原発運動の内容的な論争について、私はまったくの無知ですので、ひょっとしたら、とんでもない的外れを書いているかもしれません。その場合はご教示いただけましたら、勉強になるので喜びます。

ゲストさん>
中村和雄さん

 いろいろと重要なご指摘をありがとうございます。うちはサイトの外では感想とか激励とかよくいただくんですが、コメント投稿がめったにありません。なぜその感想を直接書いてくれないのかときくと「なんか濃すぎて書き込むのが恐い」のだそうです(笑)。それだけに、こうしてたまにコメントをいただくと、とっても嬉しいです。あらためまして、ありがとうございます。恐くないので(爆)、これからもお気軽にお願いします。

 さて、沖縄知事選の「新基地反対」でもそうでしたが、重要な争点について、今まで基地や原発などに反対せず、あまつさえ推進してきた勢力が、言葉の上で「同じ主張」を掲げて争点化をさけるという戦術をとりました。争点さえあいまいにしてしまえば、あとは支持政党の基礎票の多いほうが勝つという作戦であったと思います。残念ながらこの策略が的中したことは投票率の低さが雄弁に物語っています。共産党も含めた本物の「オール与党体制」だった船橋市政時代も含めて史上4番目の低さというのですからね。市民に争点が浸透しなかった点、とりわけ無党派層を投票所へと足を運ばせるまでにいたらなかったことは深刻です。実はここをもっと「ぜひ考えてほしい」と思う。

 もちろんそのような門川氏の策略が欺瞞的であることは明白です。当選さえしてしまえばあとは何とでもなるということです。門川氏はかなりの危機感をもっていたようで、唐突に「脱原発」を言い出したことはもちろん、直前の大阪市長選では対立候補を応援しておきながら、手のひらを返して橋下大阪市長に擦り寄り、その応援をあてにする無節操ぶり(→産経新聞報道)など、まさになりふりかまわないもので、「脱原発」もその流れ、いわば橋下氏にあやかったものでもあったのでしょう。本当に「脱原発」を貫けばどうなるのか、しがらみをふっきって場合によっては山田知事や自民・民主と対立することも辞さないのか、その覚悟も決意も門川氏にあるとは思えず、ちょっとしたポーズでお茶を濁すことは今から目に見えています。

 この点につき、沖縄知事選でもそうでしたが、選挙期間中において、はっきりとそのことを批判し、違いを明確に示して、その違いを争点として浮上させていく努力は正当なものであると思います。沖縄知事選でも、基地問題が争点であると認識されていた選挙選のスタート時には、基礎票の違いを乗り越え、現職とほぼ互角の情勢であったものが、現職が新基地反対を言葉の上で打ち出して争点隠しをはかるにつれ、徐々に水をあけられていったものです。

 それは残念なことではありますし、反省しなくてはいけない点も多々あるでしょう。ですが、とりあえず結果が出てしまった後は、今度は現職候補が言葉の上だけであろうがなんだろうが、「公約」として打ち出した「新基地は受け入れない」とか「脱原発」という約束を、しつかりと守らせていく、それを「なんちゃって」にしないで、実質を伴ったものにしていくように要求し、監視していくことが重要になっていくと思います。沖縄ではそれがそれなりの力を発揮していると思うし、少なくとも、知事は基地反対の主張に真っ向から対立することができないところに追い込まれています。

 その意味で、中村氏が選挙結果を受けた第一声として、門川氏に「私と同じ公約を掲げたのだから、それをしっかり守れ」と言ったことそれ自体は正当であると思います。中村氏を支持した陣営にとって、今後は門川氏の公約を、「ちゃんとやりましたってば」というようなアリバイ工作、「なんちゃって」なものにさせず、しっかり「私と同じ」、つまり内容のともなったものにしていくよう要求する闘いが待っています。それは沖縄と同じです。

 それを「ついに中村は自分が門川と同じであることを自白した」みたいな書きかたでは、まるで一昔前の新左翼党派の機関紙を読まされているような気がします。そういうロジックでは同じ主張をもっている仲間内とか、運動界隈ではともかく、そういうロジックに慣れていない一般の運動経験のない人々の心に届かず、かえって反感ばかり買うのではないでしょうか。

 かつてこういう「線引きロジック」が多様されたのは、自分と同じ考えのコアな「仲間」を同心円的に広げていく、つまり、あまり「一般的」とはいえない主張でまとまったセクト的な運動においては、それが極めて有効な手法であったからです。しかしネット時代においては、そういった同心円的な発展を追求する、いわば純化路線とでもいうべき手法それ自体の有効性がきわめて疑問であると私は思っています。今は「一枚岩の団結」よりも多様性を含んだ運動のほうが人を集めている。また、ごく少人数の段階ならまだしも、運動がある程度社会性を帯びてきた段階で、そもそも一枚岩の運動なんてものが、情報筒抜けのネット社会で維持できるのかという疑問がある。一方で、そういった運動の欠点である、すぐに仲間内で喧嘩になりやすいとか、外の人間から見れば「ささいな違い」で分裂してしまい、その分裂した両派ともに(=運動の総体として)力を失っていくという欠点だけが残ります。議論や批判を封じるのはよくない。まして「中村氏を批判してはいけない」とか言っているのではなく、その点を考えてうまくやっていただきたいなと思います。

 さて、そのことはどうしても言っておきたかった点でして、とりあえず頭の片隅にでも置いといて、ときどきにでも思い出していただければ、それだけでも幸いです。やはり本論は「脱原発」として語られる中村氏の政策への批判ですよね。

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若干の補足

 先ふたつのエントリ(「反対する会」と6・11主催の間における確執)について、メールや口頭でのご指摘、はてブのコメントなどで、いくつか面白いものをいただきました。そのうちで、私が書いておきたいと思ったいくつかのものについて取り上げておきます。一応この問題についてはこれで終わりにし、さらにどうしても書きたいことがあった場合はコメント欄などに追記していくつもりです。

大衆や民衆という言葉の使い方について。

 これは普通の人とか一般の人という言い方とも共通することだけど、政治的な文章において、ことさらに「自分は大衆や普通の人であると強調しながら特定の意見を書く」という行為には、概ね二つの動機が存在します。まず、自分と違う意見を「普通の人」から排除して、そんな意見は検討する必要がない、反論なしに否定してもかまわないという印象操作のため。これはネトウヨさんがよくやる手口。ただし政権交代や震災以降、自分のほうがよほど「特殊」な存在であることに気が付いたので、最近はあまり見ない。もう一つは自分が表明したことを「単なる一大衆の意見」として、一見「へりくだる」ことで、自分の責任を軽減して気が楽になるため、同時に反論に対して、「てめえ、大衆(国民)の素朴な意見に、お前のような特殊な立場からの罵詈雑言はないだろうな!」という予防線をはる効果もある。例として某党派が左翼から「パラダイムチェンジ」し、その機関紙に『ただの庶民だが言わせてほしい』という気色悪い題名のコーナーを作ったことがあげられる。これはネトウヨさんもやるけど、それ以外でもわりと無意識にやっちゃっている人が多い。政治的な文章以外でも「17歳の普通の女子高生で~す」とか(君たちそんなに「普通」がいいのかね?)。

 でもまあ、考えてもみましょう。自己の外部に向かって意見を表明した場合、ましてや政治的な「会」を作って不特定多数に意見を表明した場合、いったいそれは誰に向かって意見を表明し、同意を求め、共に行動することを期待しているというのか?その呼びかけている不特定多数の対象を「民衆」とか「大衆」と表現して何の不思議があるというのでしょう?まったくの「つぶやき」で、特に他者への影響や同意を期待せず、単に思ったことを書いただけというのはもちろん「あり」です。でも、この場合はそうではないし、自分の意見を通すために実力行使までしています。呼びかけられた対象(大衆!)としては、その「意見(理論)」と「行動(実践)」の両方について、意見を言う権利があると思います。どうしてそれが「大衆蔑視」になるのかわかりません。もちろん「会」に所属する人間も大衆の一人ですし、その関係性は可変および互換性があるものです。しかしだからどうだと言うのでしょう。「私もまた大衆だ」という当たり前のことを言われても、上の一つ目の動機に対する反論にはなりえても、自分が大衆に向かって呼びかけ、行動を求めたことについて、運動におよばす影響への責任逃れにはなんらなりません。

「ヘイトスピーチに反対する会」は北朝鮮の人権侵害に無関心であるという指摘について

 同会の主張について詳しく知っているわけではないので、急いでそのブログをほんの一部ですがざっと読んでみました。まあ、日本の報道だけを見慣れている人には、それなりに刺激的で頑なに見えることもあるでしょうが、別に決定的に間違ったことが書いてあるとは思いませんでした。むしろ、現在の吹き上がるナショナリズムの中で、少人数で勇気ある行動をしておられるように感じました。また、次のようにも書かれています。

念のためつけくわえれば、あくまでわたしたちが主張しているのは、中国政府や中国ナショナリズムの「擁護」ではありません(そのただしい「理解」ではありますが)。中国政府や中国ナショナリズムにいかなる問題があろうと(あるいはあるからこそ)、日本の中国人への敵意と蔑視を、つまりはレイシズムと植民地主義をなくす責任が、日本人にはあるということです。また釣魚台/尖閣についても、ことの本質は、領有権がどちらの国民国家にあると正当化されるかということではなく、どの国が先に近代世界における力ずくの領土拡張(帝国主義、植民地主義)をはじめたのかこそが、この件にかんしてもっとも重要なのです。


 この文章の考え方についても特に異議はありません。気になる点があるとすれば、見た範囲で、まだ北朝鮮や中国政府に対する言及、その評価についてのエントリが、過去一年分以上について見つからないことです。ただひたすら日米(とりわけ日本政府)の差別排外主義への批判や、それとの闘いがつづられています。もちらん、これらが日本に住む日本人である私たちにとって、まず第一に考えなくてはならないことです。ですがそこにおいて、北朝鮮や中国政府による、自国民への人権侵害や迫害などが、まるで無いもののように触れられていません。見落としているのかもしれませんが、少なくともそのことについて考察したエントリはないようです。また、上に引用した文章でも、「問題がある」のは中国政府の「ナショナリズム」、いわば「思想」であって「現実」としての人権侵害については指摘されていませんし、それへの中国人民による不満や抵抗などには触れられていません。この点は気になります。強制収容所などという存在は、それが日本にあろうが北朝鮮にあろうがグアンタナモにあろうが許せないと私は思います。

 これは70年代の言葉を借りて言えば(あまり左翼全般で流通した言葉ではないかもしれませんが)、「反帝純化主義」というものです。たとえば、荒岱介氏の著書によるならば、70年安保闘争の「イケイケドンドン」な情勢の中、二次ブント指導部の一人であった塩見孝也氏は、「スターリン主義なんて無いものとして考える」とか言っていたそうです。当時の情勢の中で、運動的にはとりあえずそのほうが都合がよかったのでしょうが、やはりそれではいけません。運動も思想も薄っぺらなものになってしまう。

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民主党の「エエカッコしい」に使われているだけの朝鮮学校排除

写真素材 PIXTA
(c) har.s写真素材 PIXTA
こちらのコメントとほぼ同じ内容です。書いているうちに長くなったので、例によって(貧乏性だから)もったいないのでエントリとしてもあげておくよ。もともとコメントなんで、エントリにも増して、記憶だけでしゃんしゃんと書いたもんですから、資料的なことは自分でちゃんと調べてね。細かい間違いがあったら教えてちょんまげ(おやじギャグ)

—————–
 本当は、他の方へのレスを先に書かないといけないのですが、ちょっと興味をもったので先に書きます。天下御免さん、たけさん、ごめんなさい。

 まず、無償化の対象を公立高校のみにすべきだという主張はべつにOKです。それだと、高校無償化という脈絡では、私立学校に通う子供や保護者への差別になりますから、単に「公立高校の授業料を無料にする」という政策になると思います。学校ごとに授業料が違うのは、同じものでもメーカーによって値段が違うのと同じことなので、差別には該当しないと思います。buveryさんが、そのほうがよりよい政策だと思うなら、それは自由ですし、エントリーの趣旨とは何の関係もない自分の意見の開陳ですから、私から本エントリのコメント欄で何も言うことはありません。

 次に、高校無償化に反対する論拠に、憲法89条を持ち出してこられたのは、多少おもしろく感じました。私も法学部出身なので、89条の解釈において「私学助成金も本当は憲法違反」という極少数説があることは知っています。ただ、この解釈では、民間のボランティアやNGO、それのみならず、私立の介護・福祉施設などへの補助金や助成も違憲になってしまう可能性があり、妥当ではありません。共産主義社会が実現したのならともかく、現在の国家、社会において、教育・福祉・慈善などの社会的な事業については、むしろ在野や地域の人々の営む事業や取り組みに行政が適切に協力し、公的機関でしかできない分野との共同をすすめていくことが求められていると思います。しかるに公的な行政機関(お役所)の営む事業以外には、いっさい公金を使ってはいけないという解釈は、13 条、25条、26条などとの整合性を考えても失当であると思います。

 思うに憲法89条の立法趣旨は、公金が徒に浪費されるような「ばらまき」を危惧したものであり、いわば国家が教育・福祉・慈善などの分野において、これを在野と「協力・援助」するのではなく、「丸投げ」して後は知らない、結果として税金が濫費されうるという事態を禁止するところにあるものです。よって、たとえば行政が「歳末たすけあい運動」なんかに税金を、その具体的な使い道の監査もなしに寄付するような行為は89条違反の疑いがあります。しかしそれは支出先を日常的に監督していることや、まして行政機関が運営するものにしか公金を使ってはいけないという趣旨ではなく、税務やその他の特別法において、運営状態(とりわけ会計)の監査や公開、審査というゆるやかな方法があれば、89条の「公の支配」の条件には足りると解します。実際、そういった監査の結果、翌年からは補助を打ち切るなんてこともあるわけですから。つか、昔の教科書を見ずにうろ覚えで書きましたが、これが通説であると思います。

 老婆心ながら、こういう極少数説を信奉するのは別に悪いことではないし、それはそれでいいのですが、それが特殊な考えてあることを隠して、いきなり「こうなのである」と自明の真理みたいに断言して終わらせてしまうのは、印象操作などというレベルを超えて、ほとんど嘘を書いているに等しいと思います。学部の試験だったら赤点がつくと思います。こういう少数説をとる場合は、まず、「一般的にはこう言われている」と通説的な考えを紹介し、「しかしこれは××という理由で妥当ではない」とそれを批判したあと、「ゆえに私は○○という考え方が正しいと思う」と自説を展開するべきです。そこまで書いてはじめて、読者としては正しい判断を下せると思います。私はこれが面倒なので、憲法についてはできるだけ通説を採用するようにしていることは内緒です(笑)。ところが、ネットではよくこういう「いきなり少数説真理教」みたいな言説をみかけます。まあ、「地球は丸くない」みたいな、「地球は丸い」という通説がほとんど常識として通用している分野なら、通説をはしょってもいい場合もあると思いますけどね。ところが、こういう法律解釈のような一般的でない分野でまで、「知ってる?真実はこうなんだよ」的な文章があふれているので、ネットは恐いんですよね。

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