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資料】生活保護制度に関する冷静な報道と議論を求める緊急声明

つまり、こういうこと
生活保護問題対策全国会議 代表幹事 弁護士 尾藤廣喜
全国生活保護裁判連絡会  代表委員 小川政亮

1.
 人気お笑いタレントの母親が生活保護を受給していることを女性週刊誌が報じたことを契機に生活保護に対する異常なバッシングが続いている。

 今回の一連の報道は、あまりに感情的で、実態を十分に踏まえることなく、浮足立った便乗報道合戦になっている。「不正受給が横行している」、「働くより生活保護をもらった方が楽で得」「不良外国人が日本の制度を壊す」、果ては視聴者から自分の知っている生活保護受給者の行状についての「通報」を募る番組まである。一連の報道の特徴は、なぜ扶養が生活保護制度上保護の要件とされていないのかという点についての正確な理解(注1)を欠いたまま、極めてレアケースである高額所得の息子としての道義的問題をすりかえ、あたかも制度全般や制度利用者全般に問題があるかのごとき報道がなされている点にある。

 つまり、(1)本来、生活保護法上、扶養義務者の扶養は、保護利用の要件とはされていないこと、(2)成人に達した子どもの親に対する扶養義務は、「その者の社会的地位にふさわしい生活を成り立たせた上で、余裕があれば援助する義務」にすぎないこと、(3)しかも、その場合の扶養の程度、内容は、あくまでも話し合い合意をもととするものであること、(4)もし、扶養の程度、内容が、扶養義務の「社会的地位にふさわしい生活を成り立たせ」ることを前提としても、なお著しく少ないと判断される場合には、福祉事務所が、家庭裁判所に扶養義務者の扶養を求める手続きが、生活保護法77条に定められていることなどの扶養の在り方に関する正しい議論がなされないまま、一方的に「不正受給」が行なわれているかのごとき追及と報道がなされているのである。

 また、そこでは、(1)雇用の崩壊と高齢化の進展が深刻であるのに雇用保険や年金等の他の社会保障制度が極めて脆弱であるという社会の構造からして、生活保護利用者が増えるという今日の事態はて当然のことであること、(2)生活保護制度利用者が増えたといっても利用率は1.6%に過ぎず、先進諸国(ドイツ9.7%、イギリス9.3%、フランス5.7%)に比べてむしろ異常に低いこと,(3)「不正受給」は、金額ベースで0.4%弱で推移しているのに対して、捕捉率(生活保護利用資格のある人のうち現に利用している人の割合)は2~3割に過ぎず,むしろ必要な人に行きわたっていないこと(漏給)が大きな問題であることなど,生活保護制度利用者増加の原因となる事実が置き去りにされている。(注2)

 さらに、今回の一連の報道は、厳しい雇用情勢の中での就労努力や病気の治療など、個々が抱えた課題に真摯に向き合っている人、あるいは、苦しい中で、さまざまな事情から親族の援助を受けられず、「孤立」を余儀なくされている高齢の利用者など多くの生活保護利用者の心と名誉を深く傷つけている。

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野宿労働者への襲撃事件に思う

江東区は排除をしないという約束を守れ とてもお世話になっている(との一言ではすませられないくらいに)鈴木加代子さんの御夫君、三里塚農民の鈴木謙太郎さんが急に亡くなられたことがショックで、仕事中もぼっとしている。本当はそちらを先に書きたいんだけど、どう書いていいのかわからない。急ぎの呼びかけがあったので、そちらを先に書くことにした。

 山谷労働者福祉会館のブログで知ったが、東京の江東区で昨年の12月11日、公園で野宿していた労働者が深夜子供たちから暴行を受け、肋骨を折る重傷を負うという重大な事件が発生した。犯人の子供たちは年長でも中学生で、小学生まで襲撃犯にまじっていたというから恐ろしい
 野宿労働者(ホームレス)への子供たちによる痛ましい襲撃事件はいまだに後をたたない。石をぶつけられて怪我をしたり、金を盗られたなど、表ざたにならない大小の事件が毎日のように発生しており、野宿労働者たちは貧困からの生活苦に加えて、このような心無い陰惨な襲撃に怯えなくてはならない毎日だ。

 それが殺人・放火のような、新聞に載る大きな事件に発展するたびに、一般(=非政治系)の市民やサイトでも「こんな悪ガキどもは……」といった怒りや憂慮の投稿が、あちこちの掲示板やニュースサイトやSNSの日記などにアップされる。だが、それは子供たちだけの責任だろうか?また、こんな大事になる前に、もっと打つべき手はなかったのか?

 大阪の野宿労働者の場合、行政が特に追い出しなどをしていない公園では、野宿者と周辺住民の関係は、ごく普通の近隣関係と何ら変わらず、むしろ交流なども生まれて良好である。ところが、行政が追い出し、テント撤去などを実施し、「警告」などの張り紙や隔離フェンスなどを設置している公園では、周辺住民との交流も生まれないばかりか、日常的に少年による投石などの襲撃事件が頻発するようになるのだという。あるいは、野宿者をリンチ殺人で死に至らしめた少年の父親は、日常的に野宿者に対する差別や偏見を口にする人物であったとも報じられている。

 大人たちの野宿労働者に対する差別、無知からくる偏見、子供たちは単にそれを反映しているだけではないのか。大人の心にあるケダモノが、私たちの大切な宝物である子供たちを、本物のケダモノに変えてしまっているのだ。全く同じことは野宿労働者だけでなく、韓国・朝鮮などをはじめとする在日市民への差別デマや襲撃事件に対しても言える。

野宿当事者を招いた中学校での特別授業 貧困で住む所を奪われた人たちも、地震で家を奪われた人たちも、本質的には同じなのである。野宿者に対する無知からくる偏見を除くために、子供たちによる野宿者へのリンチ殺人が発生した大阪では、野宿者自身を小中学校に招いて、子供たちに「野宿者とはどういう人なのか、どんな人が野宿者になるのか」を知ってもらう特別授業などの取り組みが実施された(→参照「子どもたちにホームレスが特別授業」、他、当エントリ巻末にリンク集)。

 結局、野宿労働者と言っても普通の人であり、いわゆる「いい人」もいればそうでない人もいる。それは自分のお父さんや、隣の家のおじさんと何も変わらないし、野宿者になったのもたまたまで、誰でもそうなる可能性がある。そのことを知ってしまえば、もう差別もましてや襲撃などできなくなってしまう。野宿者を襲撃するのは、隣の家のおじさんを襲撃するのと何も変わらない「悪いこと」なのだとわかる。

 子供たちが(実は大人も)野宿者や在日市民のコミュニティなど、自分の知らないものに、漠然とした不安や恐れを持つのはある意味で当然だし責められない。だが、子供をそのままの状態に置いておくことは大人や行政や教育の責任放棄として責められるべきである。問題はその漠然とした不安の心に、野宿者への偏見と差別を植えつけるのか、それともただ境遇が違うだけで(本当はそれが大きいし、重大な社会問題なのだが、教育の中立性という観点から)自分たちと何も変わらない人権享有主体なのだという真実を教えてあげられるかだ。「悪ガキども」と特定の子供を責めて個人の問題にする前に、大人が反省し、取り組むべきことはいくらでもある。まずは行政の担当者の意識改革からだ↓。

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選挙で「変わる」ことを望むもの-公共性の回復を



 投票にいってきました。私の選挙区は、今の情勢では当選確実の民主党前職に、前回は比例で当選した自民党前職と、共産党新人の二人が挑むという構図でした。その民主党前職はと言えば、いざとなればどっちに転ぶかわからない中間派ながら、一応は9条護憲派らしい。

 そいでまあ、ちょっと考えた末に、「保守2大政党制」そのものへの批判票として、選挙区は死票覚悟で共産党候補に、比例区は「絶滅危惧種保護」と民主党右傾化の防波堤という二つの観点から社民党にいれてきました。もちろん最高裁国民審査では、自分で呼びかけた通りに竹内行夫さんに「×」をつけてきました。

 まあこれで政権交代になって何かが「変わる」かと言えば、わたし的には変わらないだろうと言うしかないです。それはまず何をもって「変わる」と言うかの認識から議論しないといけないわけで、私としては民主党政権になったところで、現在の体制の枠内での同じ保守政党同士の政権たらい回しを、とても「変わった」とは表現できないわけです。民主党支持者の皆さんみたいに浮かれてはいられません。

 それはともかく、それでも私のような下層の人間にとっては、理想がどうあれ、現実問題としてとにかく少しでも「マシ」になってほしい。それは切実な願いです。

 そういう意味で、例の民主党の「子供手当て」なんか例にとってみますとね、自民党は「ばら撒きだ」とか言うし、共産党まで「配偶者控除を廃止するので増税になる」とか言っているわけです。しかし、もともと配偶者控除というのはなんだかんだ言っても「(専業)主婦の座」を保護するもんであって、昔はともかく今の時代ではかえって女性の社会進出を阻み、その非正規化を固定してきた制度なんですよね。それを廃止し、かわりにどのような家庭であれ、今まで「私事」とされてきた子育てに国家が手当てを出したり、さらに高校教育を無償化していくという行き方も私は「あり」かなと思うわけです。

 たとえば、ついこのあいだまで日本人が思い浮かべる「福祉」といえば「高齢者」や「障がい者」くらいしかないような現状だった。そのせいで「ホームレス支援」などは他の先進国では当たり前にボランティアのメニューに入っているのに、日本では長い間、いわれなき偏見の目で見られてきたんだろうと思うわけです。そこに「若くて健康な人々が人間らしい暮らしをするために税金を投入する」、それも福祉なんだという考えを導入するのは悪くない。決して「景気対策」とかそんなケチな話じゃなくてね。

 それを麻生さんは(賛成・反対はともかく)「ばら撒き」だの「景気対策としての効果」としてしか議論できなかった。麻生さんはこれを「福祉」という観点から、国家の大きな路線のあり方として政策論争していくなんて全く考えもつかない古臭い人なのではないか。それこそ麻生自民党政権の貧困な「福祉観」を表現しているのではないだろうか。そんなふうに漠然と考えていたところ、広島瀬戸内新聞のさとうしゅういちさんが、「控除から給付・サービスへ」という表現で的確に表現してくださいました

 私ら貧乏人からしてみたら、税金をまけてくれというよりも、「人間らしい生存を保障してくれ」というほうが断然に優先レベルが高いです。税金は取ってもいい。ただし収入や社会的な責任に応じて公平に。そのかわり、真面目に働いてきた人間が、突然に路上に放り出されて明日食べるものもなくなったり、子供が病気になっても医者にも見せられないとか、職を失って学校にもいかせてやれないとか、収入がないから子供を作れないとか、そういうことをなくしてほしい。

 一言で言って「自己責任から生存の保障へ」ということです。「自己責任」とセットのように「官から民へ」などという偽りのスローガンの元に進められてきた小泉改革は、まさしく行政や国家の「公から私」への転換にすぎなかった。今の世の中でこそ、政治が「公共性」を取り戻さないといけないのです。その主体が「官」だろうが「民」だろうがそれは問題ではないのです。むしろ在野の人々の努力を政治が後押しするのは良いことでさえあると私は思うのですよ。

 ところが小泉改革のやってきたことは、むしろ「公共性」を「私=資本の論理」に丸投げする結果でしかなかったのではないか。それとセットになった金持ちや企業優遇の減税や規制緩和は、(民衆の目線から見れば)すべからく行政が「安かろう悪かろう」化していく結果しか生み出さないのではないでしょうか。それは体制の危機を民衆に押し付けることで乗り切ろうとする発想であり、付け加えるならば、そういう社会の中でこそ「在特会」のような排外主義やファシズムが育っていくのは以前に書いた通りです。決して民衆をこそ守ろうとする努力は「無駄遣い」ではないし、私たちは寛容性を取り戻していかねばならないのです。

 「私から公へ」、今回の選挙がそういう政治の転換点になって、死ななくてもいい人が一人でも助かるならば、そして真面目で不器用な人が生きやすい社会になるならば、たとえ「体制内の改良」レベルでも、ちょっとくらいは今回の選挙も意味があろうというものだし、つけ加えれば、こういうことを議論してくれてこその「政策論争」だと思います。そんな観点からみれば、麻生自民党のほうがよっぽど「ばら撒き」の名にふさわしいのです。

※映像は日本以上に新自由主義と民営化の嵐が吹き荒れたアルゼンチンで、国鉄労働者の家族を描いた映画『今夜、列車は走る』と、日本の国鉄労働者の家族を描いた記録映画『人らしく生きよう』の予告編です。

大阪府警西成署の暴力を許さない!緊急集会報告

 もう1ヶ月以上前のことになってしまいますが、去る2008年7月5日、大阪の釜ヶ崎で開催された「大阪府警西成署の暴力を許さない!逮捕した仲間をかえせ!7・5緊急集会」に参加してきました。西成署による暴行事件については、こちらの記事に経過が書いてあるので詳しくはそちらをみてください。また、このエントリーの最後に掲載した動画にうまくまとめられていますので、是非ごらんください。ともあれ、そろそろ載せる機会を失ってしまいそうですので、簡単な報告だけでもしておきたいと思います。

 とにかく今回の大阪府警の滅茶苦茶な暴力事件には腹が立って仕方がなく、何もできない自分が歯がゆくて、せめてこの集会にだけは何とか参加して抗議の意思を表明したいと思い、前の日の深夜に高速バスに飛び乗り、ひと晩かけて、大阪まで行ってきました。大阪に着いたその日の夜にまた高速バスに乗って日帰り、そのまま出勤というかなりの強行スケジュールでした。

 大阪に着いたのは早朝の8時ぐらい。3時からの集会にはまだまだ時間があったんですけど、一人で久しぶりに釜ヶ崎の中をブラブラと歩いていると、職安センターの前で今日の集会のビラを巻いておられた主催者のお一人をお見かけし、声をかけて少しだけ手伝わせていただきました。他にも釜ヶ崎の労働者の方が何人かいて、紹介していただき、パンと飲み物をいただきながら少しお話する機会がもてました。

 その後、集会まで自由行動ということで解散になり、とりあえず会場の釜ヶ崎三角公園に行きました。公園内ではちょうど地区の労働者の皆さんによる当事者のボランティア活動として、労働者への炊き出しが行われており、この日は枝豆を配っておられました。冷凍枝豆の袋をそのまんま茹でて配っておられます。通りかかった私も「一つ持って行き」と労働者の方にすすめていただきました。ただ、あんまりとお腹が空いてなかったので、できるだけ小さい袋をとろうと捜していますと、奥で枝豆を茹でていた炊事係のおっちゃんから「選んでたらあかん!」と怒られてシュンとしてしまいました(笑

 カンカン照りの炎天下の中、ベンチに座って枝豆を食べながらあたりを見ていますと、公園で寝泊りしているらしい人が10年くらい前に来た時と比べてもすごく増えているように感じました。また、あたりを歩いてる労働者が高齢化しているのが、ちょっと見ただけでもよくわかりました。

 そのうちやっと集会の時間が近づき、人も集まりはじめました。集会に先立って名古屋の笹日労の方によるウクレレでのパフォーマンスがあり、司会の方の挨拶に続いて「6・13救援会」の方より、抗議行動への弾圧状況の説明がありました。とにかく、逮捕者の数さえわからない、弁護士が正式に問い合わせても西成署はいっさい状況を教えようとせず、弁護活動の妨害をしている現実が報告されました。かなりの抗議行動の末にやっと状況が判明し、今一生懸命救援活動をしているということですが、どうも逮捕者は全員、片っ端から起訴されるのではないか、かなり長期の救援を覚悟しないといけないという見通しが報告されました。

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釜ヶ崎で暴動が発生中―事態の概要

2008釜ヶ崎暴動 すでに多くのブロガーさんも取り上げておられますが、この6月13日、大阪の日雇い労働者の街釜ケ崎(西成・あいりん地区)で労働者による暴動が発生し、これを書いている17日現在も続いています。数百名の労働者がサミット蔵相会談が行われている大阪のど真ん中で激しい暴動をおこしているわけで、これはどう考えても大事件なのですが、ごく一部で断片的に報道されているのみであり、これらの記事を読んでも、いったい何がおこっているのかよく理解できないと思います。そこで多くの目撃者の方々の証言などをまとめ、事件の概要を時系列を追ってまとめてみたいと思います。

◆事件の発端

 事件の直接の発端は、地区にある某お好み焼き屋の店員が、客である日雇い労働者に非常に差別的で見下したような言葉を投げつけ、ぞんざいな応対をしたところからはじまります。この労働者は自身客でもあり、何の迷惑もかけてもいないのにこのような差別的な対応を受けたことに対して店員に口頭で抗議と注意をしたところ、店員は問答無用で警察を呼びました。一方、「仲裁」にかけつけた西成警察署の刑事たちも、よく事情も聞かずにこの労働者だけを一方的に警察署に連行しました。

 店員と刑事の日雇い労働者に対する差別的な対応や決め付けという問題はあるとしても、ここまでは飲食店におけるささいなもめごとと言えなくはありません。しかしその後、労働者を西成署の3階の個室に連行した4人の刑事たちは、抗弁する労働者に対して一方的に自分に非があると認めるように迫り、なおも労働者が抗弁すると、4人が代わる代わる顔を殴ったり紐で首を締めたり足蹴りをするなどの暴行を加えました。さらに両足を持って逆さに引きずったり、顔に何かのスプレーまでかけたということです。

 それでも労働者が刑事が言う通りの供述をしないと、「認めへんのやったら生活保護も受けられんようにしたる」と脅され、とうとうこの労働者は刑事が言う通りに「二度と店には近づきません」という内容の始末書を書かされ、ようやく解放されました。この労働者に実際に会った方の目撃証言によれば、顔は何箇所か腫れあがっており、首にははっきりと紐のようなもので絞められた跡がまだ赤くくっきりと残っていたそうです。

 もちろん密室の中でのことですから、当人たちの証言以外に何かの証拠があるわけではありません。そこで、警察署に連行されて帰ってきたら顔が腫れあがっていたという場合に想定されることを考えてみました。たとえば、1)この労働者が取調べ中に自分で自分の顔を腫れあがるくらい何度も殴り、さらに紐で自分の首を絞め、かつ刑事たちはそれを何もせずに眺めていた。もしくは、2)刑事が労働者の態度に腹をたてて手を出した。くらいが考えられると思います。私は日頃から西成警察が日雇い労働者に対し、非常にぞんざいな態度をとっていたという経験から考えて、圧倒的に2)の蓋然性が高いと考えていますが、あなたは合理的に思考してどう思いますか?

◆日常的に行われていた日雇い労働者への暴行

 この事件はその日のうちに、日雇い労働者の当事者団体や支援団体にも知れ渡りました。しかしこの日はG8サミット蔵相会談の初日でもあり、ほとんどの活動家たちは(そして多くの警官たちも)G8への抗議や対抗行動に参加するために出かけていたようです。そのような中でも支援者が被害にあった労働者に付き添って病院につれていくと、怪我の状態を診察した病院の医師は「これはやりすぎや…」と絶句していたそうです。

 さらに当事者団体の一つ(釜合労)が事件を知らせて抗議するビラを地区内でまかれました。ところが事件のことを労働者たちに説明していると、驚いたことに「わしもやられた」「わしも同じことをされた」という人が次々と名乗りをあげはじめたのです。中には「あんた、よう名乗り出てくれた」と涙を流している労働者もいたということです。今まで悔しくても立場が弱くてほとんどの労働者が泣き寝入りしていた現状や、今回の事件が突発的なものではなく、日頃から西成警察が日雇い労働者には暴力的な対応していた組織的な問題であることが明らかになってきました。

 盗んでもいない自転車を「盗んだもんだろう」と言いがかりをつけられ西成署の取調室で暴行された、金をひったくられて相談に行ったら逆に道場につれていかれて投げ飛ばされた、労働者同士のもめごとを相談にいったら取調室に連れて行かれてへんなスプレーをかけられた、友人がやった事件で誤認逮捕され、ふるえがとまらないほど暴行を受けたなどの証言がよせられています。これは関西では有名な話なので御存知の方も多いと思いますが、西成署では日雇い労働者のことを「450」という隠語(ヨゴレという意味)で呼び、基本的に保護すべき存在ではなく、危険で蔑視すべき存在として扱ってきました。

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「右も左もない」ではなくて、「右も左も全部ある」のほうが楽しい

 いや~、ただでさえ筆が遅いのに、ここんとこ体調崩して、おまけに時間もなくて、この文章書くだけで一週間近くかかってしまいました。すでに喜八さんのブログでも下に沈んでしまった記事への、蒸し返し的な反応になってしまって恥ずかしいのですが、せっかくやっとこさの思いで書いたので載せておきます。

◆「自由と生存のメーデー」 喜八さんのレポートを読んで

 去る5月3日に自由と生存のメーデーが開催されました。これは連合や全労連などのメジャー系労組に属さない、独立系労組・派遣・非組織・日雇いなどの有象無象、いわゆるプレカリアートたちの自主的な「インディーズ系メーデー」であり、何よりも退屈な役員や政治家など「偉い人」の演説がない、メーデー本来の姿である「労働者のお祭り騒ぎ」であります。

 2004年の小規模な「フリーターメーデー」を起源とし、それから参加者も毎年100人ずつくらい増え続けていましたが、今年は一気に倍増し、沿道からの大量の飛び入り参加を含め、解散地点付近ではついに1000人規模の大集団になりました。さらに今年は札幌・仙台・茨城・東京・松本・名古屋・京都・大阪・広島・福岡・熊本など全国で横断的に開催されたのが特徴です。催しの詳細については公式サイトをご覧ください。

 このメーデーについては様々な人たちが生き生きとした参加レポートを書いておられます(巻末リンク参照)。その中で違和感と共感を同時に感じたのが喜八さんの参加レポートでした。「右も左もない!」をモットーにしておられる喜八さんは、御本人によれば「50代に近い40代」だそうですから、だいたい私より5歳前後年上の方かと思われます。だから私なんぞは幼少時の記憶の彼方にかすかに残っている(ような気がする)連合赤軍事件以降の、左翼が坂道を転げ落ちて崩壊していく過程を、思春期にかかる多感な頃に見聞きしておられるわけです(と思う)。喜八さんは大衆から遊離していく過程の左派組織の嫌な面をうんと見せられた上で、それを裏返したにすぎない「右」になることも拒否し、「右も左もない!」と叫んで、理論やドグマ(教条)ではなく、何よりも自己の良心と信念に従って生きておられるわけで、その点では私の姿勢と共通するものであり、尊敬と共感をよせるものです。

 さて、そんな喜八さんのレポートは、「右も左もない!」姿勢全開で、見たまま感じたまま「いやー、楽しかった!」参加して「正解でした」「来年以降は友人知人を誘っていきたい」と述べておられます。元気な女性参加者を見ては「やはり日本女性は素晴らしいと、改めて痛感した」と感嘆し、昨今のネット上ではありがちな「左っぽいから」だけで何も考えずに頭から否定みたいな、ヘンテコに偏った姿勢がない素直な感想には好感を持ちました。なんの偏見もなく素直な目でみたら、「この画期的なデモを成功させた執行部の方々には深い敬意を表します。あなたたちは素晴らしい」というのが正直な感想ではないでしょうか。一方で、デモ出発前の宣言集会には「左翼色が強すぎてヘキエキとしました」とも述べておられます。

 ただ総じて何と申しましょうか、やはり喜八さんは「ちょっと古い」と思いました(スマソ!)
 もちろん喜八さんが批判する旧来型の左翼はもっと「すごく古い」わけなんですけどね。つまり最初にそういうものに反発して出てきた喜八さんのような世代の考え方も、すでに少し古くなりつつあるんじゃないかと。私は「右も左もない!」ではなくて、「右も左も全部ある!」のほうが楽しいんじゃないかなあと最近は思っているのです。

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2008 謹賀新年 貧乏人が貧乏のまま幸せになれる年へ!

あけましておめでとう! みなさま、あけましておめでとうございます。
 旧年中は旗旗を御利用いただき、大変にありがとうございました。

 毎年そうですが、2007年も多くのご縁をいただき、多くのみなさんに助けていただき、なんとかここまでくることができたと思います。

 今はなんとなく人が大切にされない時代のように思います。人の存在はすべて統計上の数字に還元されていきます。そこには一人一人の人生があるというのに。そこに思いいたる人々の想像力も減退し続けています。
 そうだからこそ、今年も人との出会いを大切にしたいと思います。誰かに出会ったとき、それを「敵か味方か」「損か得か」でわけたくないですよね。

 政治的に右か左かなんてことは、その次の問題だと思うのです。人が食べるものも住む家もなくて寒空に震えていたり、他国の軍隊に踏みにじられて爆弾や銃で殺されていたり、あるいはそこまでいかなくても、たとえばごく普通の市民が素朴な善意や正義感で開設したブログやサイトが心無い人に荒されていたり、そういう理不尽な事態を見聞きして、怒ったりなんとかしたいと思うことは「政治運動」ではありません。人間としての最低限の良心の発露です。そういう心情を非難することは誰にもできないはずです。

 政治姿勢の左右なんてものは、その次の段階です。「では具体的にどうすれば、寒空に震えている人や理不尽に殺されていく人を救うことができるのか」という考えをすすめていくなかで、はじめて左右がわかれてくるのです。だから、こういう人々のことなんて「ほおっておけばよいのだ」という意見は、政治的な左右の違い以前の問題なのです。こういう暴論や人々の無関心とこそ、私たちは今後とも一致して闘っていかなくてはなりません。

 こんな問題にもならない暴論が幅をきかせる、人間が大切にされない社会では、人との出会いや「縁」が大切にされません。人々の間の「縁」が次々と切れていきます。それこそが新自由主義やネオリベ、グローバリズムの思い描く「理想の社会」です

 たとえば釜ケ崎などの日雇い労働者の街も、かつては貧しいながらも家族が肩をよせあって暮らす、ちょうど落語の貧乏長屋のような時代もあったと言います。それがいつしか資本の使い捨て労働力として便利な、単身の男性下層労働者がドヤと呼ばれる簡易宿泊所で暮らす街になりました。それも今や住人が高齢化し、福祉の負担が増えてくると住民票を取り上げ、極寒の寒空に野宿者のテントを破壊して「早く死ね!」と言わんばかりの殺人行政がまかり通っています。さらに信じがたいことに、こういう非道な人殺し行政を支持するような人までいると聞きます。

 釜ケ崎などの日雇い労働者の街が、こうした高齢化による衰退や縮小に向かっているのは、何も社会が豊かになったからではありません。資本主導の「労働ビックバン」以来、労働者がバラバラにされ、抵抗の手段を奪われ、かってのカッコ付「左翼」がそれと妥協・屈服して体制内化しています。その中で生まれてきたのが「ワーキングプア」や「格差(=差別)社会」「ネットカフェ難民」などの問題です。
 つまりかつての釜ケ崎などでおこってきたことが社会全体でくり返されているのです。日本中が釜ケ崎化している。だから特別に釜ケ崎のような街や、今まで日本を支えてきた日雇い労働者が資本にとって不要となり、その利害を代弁する行政から「死ね!」と言われているわけです。

 いえ、それは「日本中」に限りません。グローバリズムの波の中で、それは世界中に広がっています。グローバリズムの洗礼を受けた国では、今までごく普通に暮らしていたその国の人々が、均一の資本主義イデオロギーの元で「貧乏人」の烙印をおされて不幸になっていきます。
 つまり昔の釜ケ崎のように「貧乏長屋」から「ドヤ街」への流れが、全世界ですすんでいます。お金だけが基準で人々が差別されていく層の薄い単一イデオロギーの社会では、お金の無い貧乏人が幸せになることは難しい。それが「縁」のない社会です

 「縁」とは、何かしら超自然的なものや宗教的なものではなく、人間が社会的な諸関係の中でつくりだしていくものです。私たちはこういう新自由主義やネオリベの資本主義イデオロギーに対抗しうるような、「縁」を大切にする豊かな文化を対置していかなくてはならないと思います。たとえば「釜パトの会」のような野宿労働者(マスコミ用語でホームレス)支援・連帯の運動の中に、人間が本来持っている無限の可能性、隣人への慈しみや仲間同士の助け合い、理不尽な仕打ちへの人間的な怒り、そしてそれを文化や生き方にまで高めていく萌芽のようなものを見ることができます。

 と、言いつつ、自分の生活の厳しさや忙しさを言い訳に、メールなどの返信もなかなかできていない私です。本当にすみません。いつも大変にありがたく思っています。大晦日まで仕事で正月休みもろくにありませんでしたが、社会人が忙しいのは当たり前なので、そんなことを言い訳にしないようにしなくてはと頭では理解しております。でも、仕事から帰ると体が鉛のように重くてなかなか体が言うことを聞いてくれません。

 とりあえず、サーバーを引っ越して以来、うまく動かなくて削除した「ショップ旗旗」の復活を最優先でとりくんでいます。続けてリクエストをいただいたものですから。

それでは、本年も見捨てずにゆるゆると気長に見守って下さい。よろしく御願いします。

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労働者派遣法を解体せよ!

 「UnionTube」で紹介されています、「鎌田慧さん『派遣法を解体せよ!』」 というビデオがあります。参議院会館内で行われたシンポジウム「格差是正と労働者派遣法改正を考える」でのあいさつを5分間にまとめたものです。

 ここでの鎌田さんのあいさつが、私が先日に書いた散漫な文章の問題意識を、かなり政治的にかっちりした方向性でまとめておられるように感じましたので、文章におこしてみました。

 私の感覚的でフワフワした「普段の生活で感じていること」と、鎌田さんのような分析に基づいたかっちりした(前衛的な?)提起をつきあわせて、今後もいろいろな角度から考えてみたいと思います。また、先日の投稿でChic Stoneさんから教えていただきました「赤木論文」も面白く拝読しました。第一印象では、私と赤木さんは全く同じことを感じながら、赤木さんはそこに「絶望」を見、私は「希望」を語っているというところでしょうか。

///////// 鎌田さんあいさつ ここから //////////////

 「格差社会」と言われていますけれども、これは明らかに「差別社会」でして、あるいは「不平等社会」と言ってもいいと思いますけれども、この根源にこの労働者派遣法があります。85年に成立されてずっと拡大してきた労働者派遣法があります。ですから、この集会は「労働者派遣法改正」とされてますけど、僕は「解体」と言ったほうがいいかと思っています。

 この法律を準備して頑張った信州大学の高梨昌教授は、どういうふうに書いているかと言いますと、彼はこういうふうに書いています。
 「必要なときに必要なスタッフを必要とされる期間のみ企業の要請に応じて派遣する」これが派遣法なんですね。
 これ、聞いたことがありませんか?「必要な部品を必要な時に必要な量だけ企業の要請に応じて供給する」。トヨタのカンバン方式なんですね。

 駅におかれている無料の求人雑誌の裏表紙に、トヨタ自動車の募集がずーっと載っています。三大紙にも地方紙にも、ずーっとトヨタの期間工が載っていますけれども、そういう期間工が、最低の労働者だった。ところが、労働者派遣法によって、その下に、膨大な、さらに劣悪な労働者が存在しちゃったわけですね。これがどうして民主主義と言えるかということなんですね。同じ構内で、同じ工場で働いている労働者が、まあ、800万とか900万とかの収入があって、同じ労働をしながら、もっと酷い労働をしながら、同じ構内で働いている労働者が200万くらいしかない。それもいつクビになるかわからないし、それから、住居も全く安定しない。

 僕がトヨタ自動車で働いていた時には、寮費とか電気光熱費とか、それは全部無料だったですね。無料だったけれども、今はそれを全部ピンハネしてますよね。安いマンションにいるよりか高い部屋代をとる。電気代から何から全部徴収する。これは昔の炭鉱の「納屋制度」と言いまして、炭鉱労働者を納屋にいれておいて、そこから出してピンハネし、それから賄い料とか酒代とか搾取する制度があったわけですけれども、そういう前近代的な炭鉱制度、あるいは鉄鋼とかセメントとか、そういう近代産業の中につくられていた労働制度が、新たな装いをもって、合法的に復活したんですよね。

 旭ガラスでは、僕は70年に働いてますけど、そこでも、違法な、こういう労働者供給業はありました。それはあくまでも闇に隠れた部分であったわけですよね。それを、労働者派遣法は、こういう学者先生たちが、御用学者が力をつけて、あるいは労働組合も御用組合は反対しなかったわけで、今、「特権クラブ」として、こういう、足元に無権利の労働者が多ければ多いほど正規労働者が安定するという構造を作っていて、その上に乗っかっているわけじゃないですか。こういう不正をどういうふうに直すのかという、社会正義の問題なんですよね

 今まで、臨時工の闘争はあちこちでありました。でも、ほとんど解体しましたね。どうしてかと言うと、支援するところがなかったからです。単産も単組も、身分不安定な労働者を支援しなかったわけですね。ところが、むしろそういう運動が解体することによって、地域で頑張る、今日みえているようないろんな地域ユニオン、あるいは、個人別加盟の労働者、未組織労働者を組織するような労働運動が、ずっと地域に広がってきたわけですよね。その広がりに支えられて、そのネットワークに支えられて、この派遣労働者の労働運動がはじまってきたわけですよね。

 僕はこのガテン系労組の結成集会にも行ってアジったんですけれども、つまり、「もうすでにクビになっている労働者」なんですね。派遣労働者は「クビなし部隊」なんです。クビなし部隊は闘うしか、自分たちの生存はできないんですね。人間の尊厳、労働者の尊厳は闘うことでしか開けない。それを、この、去年、一昨年からはじまってきた、フリーターといわれる派遣労働者の運動が切り拓いてきたわけですね。そして、「連合」もそれに対応せざるを得なくなった。民主党も社民党も共産党も対応せざるを得なくなってきた。

 これは天下の悪法ですから、いくらしゃべってもきりがないんですけど、時間がないのでこれで終わりにしますけれども、天下の悪法ですから、すみやかに解体していく、その第一歩を改正からはじめていく、そして、労働者が同じ権利と同じ尊厳をもって働いて生活していくという、そいうふうな社会を作るために、ぜひ頑張っていこうじゃありませんか。労働運動として新しい出発を、これからしてほしいと思います。以上です。

///////// 鎌田さんあいさつ ここまで //////////////

●漫画家の壱花花さんが鎌田慧さんの話に触発されて風刺漫画「人間の部品化」を描かれました。
  ↓
http://www.labornetjp.org/news/2007/1013hana

ついに警察にN君を釈放させました!

大阪地方裁判所N君不当弾圧事件とは? ◇N君関係リンク集
激励・カンパ・抗議先 ◇ブログ旗旗関連記事

 今日(9月5日)の夕方頃、天皇警備の事前拘束で逮捕されていたNさんが釈放されるとのご連絡をいただきました。ただし公安刑事さんは、いまだに逮捕時にN君から取り上げた携帯電話を返却していません。それもなんと、ちゃーんと毎日の充電も欠かさず、勝手に留守番電話にセットにして待ち構えているようです(やり方がいやらしいよね!)。ですからN君のお知り合いの方は、当然に持ち物も返却されたものと思って電話をなさらないように注意してください。

 ふり返れば、もともと何らの警告さえせずに、いきなり「排ガス規制」で逮捕すること自体が異常でした。何しろ大阪市内を走行する自動車の2割(つまり5台に1台)がまだ排ガス規制をクリアしていないにもかかわらず、そのすべてが放置されています。そんな中で、処分はおろか逮捕されたのは、後にも先にもN君一人だけなのです。別に「みんながやっていることじゃないか」という意味ではなく、普通に注意を促せばすむことです。もっと言えばN君はその車を所有していたわけでもないのに、なんでN君「だけ」なんだ。つーか、そもそもそんなの「公安の仕事」じゃないだろ?

 たしかに今の日本では公安部門が暇なのはわかりますが、いくらなんでもこんなあからさまな思想弾圧の事例で、裁判所が通常の常識感覚を無視し、逮捕のみならず10日間の拘留延長まで認めたため、本日までの長期拘留となってしまいした。そして法律上はさらに10日間の拘留延長をすることも可能だったのです。

 しかしこの2週間ほどの間に、多くの方々の抗議や支援の声で、警察・検察・裁判所を包囲することができました。さらにマスコミにも批判的な記事が掲載されはじめます。東京新聞の記事だけでも60万世帯以上の人々の目にふれましたし、学者やジャーナリストのコメントもよせられました。多くの有名ブログでもこの問題が取り上げられ、これだけでも今までに延べ数万人がこれらの記事を読んだ計算になります。結果、釜パトのアドレスには担当者が悲鳴をあげるくらいの激励や同情のメッセージが殺到しました。事態は警察側であれN君の側であれ、私たち誰もの予想をはるかに凌駕して展開していったのです。

 つまり今回の逮捕のおかげで、かえって野宿者問題など何も知らなかった人々の間にも、世界陸上の裏側を知らせて関心を集める結果となったのです。勢いは完全にこちらのものとなり、さらに昨日の拘留理由開示裁判の流れから考えても、もはやこれ以上の拘留延長は無理だし、長引かせるのは得策ではないとの判断が、検察・警察にも働いたものと思います。

 だからそういう意味では、警察に「釈放された」というのは正確な表現ではありません。彼らは本当はもっと拘留したかったにもかかわらず、法的・道義的に追い込まれてそれができなかったのであり、文字通り皆様のお力でN君は「奪還」されたのだと考えています。これは激励文の送信やブログでの言及など、どんな小さなことでもN君のためにアクションをおこしたすべての人が、胸をはって誇ってもいい成果だと思います。

 しかし「ご苦労様でした」とは言えても、「おめでとう」とは言えません。なぜなら……

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N君不当逮捕-拘留理由開示裁判の報告

大阪地方裁判所N君不当弾圧事件とは? ◇N君関係リンク集
激励・カンパ・抗議先 ◇ブログ旗旗関連記事

 今日は午後からN君不当逮捕事件の拘留理由開示裁判(西野牧子裁判官)がありました。
 大阪地裁には平日の昼間にもかかわらず、N君の友人・知人ら約50人ほどが急を聞いてかけつけました。法廷は傍聴席が20しかない小さな法廷で開廷され、傍聴は抽選となりました。傍聴人は途中で交代することができますので、特にN君と近しい方々を中心に、随時交代してできるだけ多くの友人たちがN君の元気な姿を確かめ、傍聴席から自分の顔を見せることで、少しでもN君を励まそうとしておられました。

 結局私はずっと廊下にいて、一度も法廷には入れなかったのですが、法廷のドアについている小さな覗き窓を通して、できるだけ中の様子を見ていました。

 以前にこのブログでも、鹿砦社松岡さんの拘留理由開示裁判をレポートしたことがありますが、だいたい今回の裁判も似たようなものだったようです。そのあたりは予想の範囲内のことではありましたが。

実務上、裁判官は「刑事訴訟法60条○号に該当する事由がある」とか、「一件記録によれば、関係者に働きかけるなどして罪証を隠滅するおそれがある」など、抽象的な内容を述べるにとどまることが多い。そのため、弁護人が裁判官に「求釈明」を行い、より詳しい勾留理由の説明を求めることが多い。もっとも、弁護人の求釈明に対しても、「捜査の密行性を確保する必要がある」などとして回答しない裁判官も多く、「これでは勾留の理由を開示したことにならない。手続は形骸化している」との指摘もある。
(「ウィキペディア」-「拘留」より)


 だいたい20年ほど前から、法的な拘留はすっかり法律(刑訴法60条)の趣旨を逸脱・無視した運用がなされています。条文に書いてある勾留理由がなくなった場合でも、被疑者が少しでも事件を争う限りは絶対に出さない。「私が悪うございました」と検察や警察に土下座するまで拘留し続けるのです。テレビで大きく報道されるような大物政治家や大物経済人が被疑者の場合は必ずしもそうではないようですが、一般の名もない被疑者の場合はほぼ例外なくそうです。こういう不正常な運用を学者たちは「人質司法」と呼んで批判しています。

 とりわけ今回の西野裁判官の場合、N君がちゃんと自分の氏名、職業(アルバイト先)、住んでいる公園のテントの住所(ちゃんと郵便も届く)をすべてちゃんと供述しているにもかかわらず、警察さえも言えなかった「住所不定、無職、逃亡のおそれ」を拘留理由に勝手につけ加えるなど、警察のいいなりどころか、それを超えて極めて司法の中立性が疑われかねない危険なことをしています。

 まあ、検察の決まり文句である「罪証隠滅のおそれ」だけでは、今さら何も「隠滅」のしようがないわけで、そのあたりを弁護士に突っ込まれることを予想したのかもしれません。しかしどちらにせよ、たかが「排ガス規制違反」で高飛びして行方をくらますなどと、裁判官自身が本気で信じているとは思えません。そんなのただの口実です。だいたいこんなケースで逮捕はおろか、拘留延長まで認めるほうがどうかしています。

 実際、西野裁判官は弁護士の求釈明に対してまともに返答せず(できず)、木で鼻をくくったような釈明に終始したようです。傍聴に来たみんなは口々に怒っておられました。が、おそらくこの50人以上の人々の中で一人だけでしょうが、私は西野裁判官に対して少し違う印象をもちました。

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