糞をよけるのは怖いからでなく汚いからだ-「在特会」の小学生襲撃事件について考える

 以下は「なめ憲ブログ」様のコメント欄への私の投稿を、大幅に加筆した上で転載・再掲したものです。「在特会」の小学生襲撃事件についてはこちらをご覧ください(IE以外では表示されないようです)。

◆事件の本質は何か?

 小学生襲撃事件は在特会の「罠」だから「注意せよ」ということですが、それはすなわちIさんが奴らの主張をまっこうから否定し、対決する立場、すなわち私たちの仲間であるという意味になるはずです。ですが実際の内容は、在特会が民族差別を自己正当化するために持ち出した理屈を紹介し、あたかもそれに理由があるかのような主張を延々と繰り広げられています。

 Iさんの主張の是非についてはとりあえず置きます。しかしそもそも問題の本質はそんなところにあるのでしょうか?
 在特会のゴロツキがやっていることは、たとえば公園の鳩の足を折ったり、子猫をナイフで惨殺するのと何ら変わらない弱いものイジメであり、それを政治的なスローガンという「正義」にくるんで自己陶酔にひたっているだけです。そもそも大の大人がですよ、勝って当たり前の幼い子供相手に暴力をふるって泣かせる。これを批判することに、いったいどんな理屈が必要だと言うのですか!実行犯にとっては絶対安全な立場から無抵抗の弱者をいたぶって、しかもそれが「正義なんだよ」と親分衆から民族排外主義の呪文を耳元でささやかれるんですから、おそらく麻薬的な快感だったんでしょうね。

イジメを楽しむケダモノ(在特会)たち それはテレビゲームの中で「正義の戦い」をやっているのと同じ感覚です。ただ決定的に違うのは、相手はテレビの画面上の「モンスター」ではなく、私たちの子供と何一つ違わない、生身の小学生だったということです。この子達が受けた心の傷ははかりしれません。Iさんは、恐怖のあまりに泣き出した子供たちの心の傷を慮ることさえできないのですか?そういう普通の人なら誰でも持っている良心がないのですか?

 私は日本人の一人として、それ以前に子を持つ普通の親として胸が痛みます。もしわが子が同じ目にあわされている現場に遭遇したら、絶対にそんな卑怯者はぶん殴っていたことでしょう。そんな当たり前のことに思想の左右なんて関係ありません。そういう人間らしい感覚を否定するような思想なんて、右であれ左であれいっさい信用しません。私は被害者である在日の子供たちに心から謝罪したいし、こんな輩ばかりではないのだから、どうか日本人を嫌いにならないでほしいと願わずにはいられません。

 いったい、こんな民族差別の塊のような糞どもをどう思うのですか?何よりも、こんな奴らを生み出してしまった日本の風潮をどう考えるのですか?そしてこんな奴らを二度と生み出さないためにはどうすればいいと思うのですか?それこそがこの問題の論点です。その上で、Iさんの対案を出せばいいではないですか。

 こういう一般的な意見に対して、さらに私の個人的な考えを付け加えさせてもらえば、私は在特会を批判すればそれで済むというものではないと考えています。これは子供の世代に対する大人の責任なのです。子供を襲撃するという行為は、一般の人のみならず、さすがにどんな右翼でも引くとは思いますが、個別の団体を批判したり「打倒」すべしという問題ではなく、あくまでも自分(たち)の問題、社会が産み出した病理現象をみんなで「克服」していくという観点が大切だと思っています。もちろん社会全体の問題だとしても、個別の犯行が許されるわけではありませんが、とりわけ再発防止の観点からはそういうことも考えていかないといけません。

◆在日朝鮮人問題は少数民族問題である

 さて、Iさんの主張は、在特会のしたこととは全く関係のない論点なので、ここで論じるのは迷惑以外の何ものでもないと思いますが、一言だけ付け加えるなら、今や世界的には、その国に居住する少数民族に、民族固有のアイデンティティを保障することは国家や社会の義務であり、とりわけ言語や文字を後の世代に伝える教育を保障されることは「権利」として認められつつある方向だと聞きました。私もまたそれはそうだろうと思います。中国のチベット政策はこの観点からも強く非難されているのです。在特会とその支持者は、チベット問題で二度と中国を批判する資格はなくなったと思います。

イジメを楽しむケダモノ(在特会)たち 冷静に考えてもみようではありませんか。在日朝鮮人は、戦前に自分の意思によらず日本人とされ、本土に移住して生活の基盤を築いたとたん、今度は自分の意思によらず一片の通知で突然に国籍を剥奪された人々とその子孫です。
 このことは在日の人たち自身が民族的な自尊心に反するのか、あまり言いたがらないことであり、カタカナウヨクも、それに乗っかっていい加減なことばかり書いているわけですが、事実だと思うので在日の人たちの反発を覚悟ではっきり言うなら、彼らは「特権を付与された外国人」ではありません。事実は全く逆で「権利を剥奪された元日本人」なのです

 これは当時の諸外国における植民地独立時の常識に照らしても、全く非常識で非人道的な政策でした。無知なアホどもが「特権」とかぬかしているのは、この非人道性を緩和するためにお茶を濁した程度の措置にすぎません。この愚策のため、日本は国内に少なからぬ「外国人」を抱え込むことになったのです。そして世代を重ねていくうちに、この「外国人」たちは(こう言ったら彼らは怒るかもしれませんが事実として)本国の人々ともまた違う独自の存在として、すでに日本社会を構成する一部分となっています。

 このような経緯から考えても、在日朝鮮・韓国人の問題は外国人問題としてではなく、本質的には日本内部における少数民族問題として考えないと、何の解決も見えてきません。つまり私たち日本人の内部問題なのです。これを「外国人問題」にしてしまったから、問題が複雑になっているのです。100年、200年の長期スパンでみれば(やはり彼らに怒られるでしょうが事実として)日本への融合はもっと進んで一体化していくんだろうと思いますが、少なくとも現時点でまたもや自分たちの都合で「日本人になって同化しろ」みたいなことは言えません。

 私たちの社会の一員でありながら、中間的で不安定な地位にあり、不充分な権利しか与えられない在日市民の法的地位をどうするかは、在特会のような感情論や暴力を排し、みんなが知恵を出し合って理性的に、からんだ糸をほぐしていかないといけませんが、最低限、人口の数パーセントを擁する国内少数民族として正当な扱いをなし、対立ではなく共存していく道筋をつけた上で子供たちの世代に引き継いでいかないといけません。いわゆる「定住外国人の地方参政権問題」もこの視点から見ないと本当のことはわかりません。在特会と「新風」の民族浄化政策など問題外ですが、そういう極端な主張でなくとも、このような現状で対立や差別を煽ろうとするのは、イデオロギーに関係なく、客観的に見てまさしく愚策としか言いようがありません。それは日本社会を弱くし、その美点を破壊するだけの愚かな行為です。

◆単純な問題に屁理屈を持ちこむ人々の果たす役割

 このブログはそのように考える人たちが集っている場所(?)です。もちろんそれに対立するIさんのような考えもあります。ですが、そういう考えの違いを乗り越え、立場の違いに関係なく、在特会のように何の罪もない子供や老人のような弱者を連続して襲撃する行為に対しては、すべての人が共同で批判し、社会的に克服していくべき対象以外の何者でもありません。多数派民族の一方的な都合だけからなる、カビのはえた古臭い「在日批判」を、今さらこの場で持ち出すのは、問題の本質をずらし、本当の論点を隠すものです。

 単純なことじゃないですか!「大人が子供を襲撃して泣かせる」これを許すのですか?そんなの最初っから許せないに決まっているので、これも論点とは言えません。これを許すとか、あれやこれやの前提条件や留保をつけて実際には襲撃を容認する狡猾な人間は、とうていまっとうな普通の感性が欠落している人ですから、そもそも会話が成立するとは思えません。こういう社会病理現象(と個別事件の犯人)にどう対処するのか、そしてどうすれば再発を防止できるのか、これが普通の大人の論点です。左派は左派なりに、右派は右派なりに、みんなで知恵を出し合わないといけない時です。

イジメを楽しむケダモノ(在特会)たち つーか、むしろIさんのような考えを持っている人こそ、もっと在特会に怒って抗議すべきではないですか?「お前たちのせいで、かえって俺のような者まで一緒にされて大変に迷惑だ、すぐにやめて子供たちに謝罪しろ!」と、”在特会に”言うべきでしょう。それをなんで”自分と考えの違う人のサイトに”殴りこみをかけ、今回の事態とは直接関係ない自分の固有の主張を延々と繰り広げ、在特会の蛮行を相対化しようとするのですか?在特会をさけて、あまり「恐くなさそうなサイト」を選んでいるのですか?だったら在特会と同じ弱いものイジメの発想ですね。それとも神様目線で「どっちもどっちだ」とか高みに立っていたいのですか?

 私にはIさんの主張は、弱い立場の人々の不安な気持ちを想像することすらできない、多数派民族の驕りに満ち満ちた無神経なものに感じられますが、それもまた私の固有な感性なのかもしれません。ですが、たとえIさんの考えに立って朝鮮学校を批判するとしても、その前にまず「今回の事態については日本人の一人として大変に恥ずかしく思い、とりわけ子供たちには心から謝罪する」と冒頭に表明するべきでしょう。それこそが今回の事態に関する論点のアルファでありオメガです。主張の違いの問題ではない、人間性の問題なのです。それを無視した「どっちもどっち論」は中立ではなく、在特会の暴力を全面擁護するものであり、事実上の結果としてもそのような役割しか果たしません

 たとえIさんのように、子供らの親を批判する考えを肯定すると仮定しても、だからと言って何の罪もないその子供を暴力で襲撃したり、そもそも小学生をターゲットにするような人間の言うことに、いっさい耳を傾ける余地はありません。まずはそういう人でなしの卑劣漢を共同で排除し、その後ではじめてゆっくりと討論すればよいことだと思います

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 なお、「(日本は)不法滞在者の子供でも、無国籍の子供でも誰でも分け隔てなく入学して無料で勉強できる」のは過去の話で、今回の入管法の改正でできなくなりました。Iさんが自慢するような日本が誇るべき美風を破壊する行為には、ちゃんと抗議・反対してくださいね。そしてまさしく今回の襲撃事件は、こういう日本の古き良き部分が崩壊していく風潮の延長上にあるという点について、もっと日本社会の行く末に危機感を持ってほしいと思います。

==(転載・再掲ここまで)=============

 いろいろ読んでおりましたら、朝鮮には「糞を避けるのは怖いからで無く汚いからだ」という諺があるそうです。なるほど今回の事態を一言で言い表していることわざだと思います。

 あと、黒目さんのところからの引用。私がこれほど延々と長文を要したことを、非常に簡潔にまとめておられることに舌を巻きます。当サイトにも、多様な意見が並立的に存在することの価値がわからないパラノイア系の方々が大量に押し寄せると思うので、あらかじめ引用しておきます。

*ネット論争ごっこのネタとして消費していこうとするもの。
これは、最近はどういった種類の議論にも必ず登場して、ケッタイな理屈を開発することに意義を感じている人たちで、甚だうっとおしい。
というか、これはこの事件によって、いい年こいたおっさんにハンドマイクで罵倒されるという目にあった小学生のガキとか、そういうところのリアリティをあらかじめ切り捨てることによって、「純粋な議論としての消費」が可能になっているのであり、議論の建て方として根本的に間違っていると俺は思う
「腐れナショナリズムの憂鬱」(ですぺら)より

 エントリー本文に登場するI氏をはじめとする、こういうケッタイな輩に対しては上の引用で充分であり、それ以上何も付け加える必要はありません。こういうパラノイア系の人あらかじめそれを踏まえて書き込むこと。
 つーか、引用文を読んで「俺のことだ…」と思ったあなた(・∀・)カエレ!

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<参考>

これが私たち「日本人」の醜い姿です(ですぺら)
腐れナショナリズムの憂鬱(ですぺら)
日本人の恥・へなちょこ在特会!かかってこい!(なめ憲!憲法を守る意思表示の会)
レイシストは許せないが(TAMO2ちんの日常)
“在日特権”叫ぶ右翼集団が朝鮮初級学校を襲う 怯え泣き出す子どもたちを前に警察は傍観したまま(日刊ベリタ)

 なお、以下の通り22日に襲撃抗議集会が予定されています。朝鮮学校を支援してきた方々が中心な印象を受けますが、実際には様々な考えの人が参加を表明していますし、第一今はそんなことを言っている場合ではありません。「在特会」抗議の一点で、右も左もすべての人が一致して集まろう!

●転載開始●●●●●●

朝鮮学校への攻撃を許さない!12・22緊急集会 ―日本社会の排外主義を問う―

◆一団のおこない◆
新・教育基本法が生み出す未来

 12月4日、現在各地で排外主義を煽るデモや情宣を行ない、市民運動などの集会を妨害してまわる「在特会」が、京都朝鮮第一初級学校への襲撃を行ないました。
 「公園を不法占拠している」という言いがかりをつけ、拡声器で聞くに堪えない差別的な言葉をはき、子どもたちを脅迫するという許しがたい行為です。
 この日初級学校では、京都第一、第二、第三、そして滋賀の初級学校の子どもたちが集まって交流会を行なっていました。子どもたちは大音量で自分たちを侮辱する言葉を浴びせられ、不安をつのらせ、泣き出す子どもまでいて、交流会場はパニック状態になってしまいました。
 これに対して、警備要請を受けて出動した警察官は、在特会を何ら規制しようとはせず、好き放題にさせました。私たちは在特会のこのような行ないを決して許しません。

◆日本社会全体の問題◆

 同時に私たちは、この問題が一部の排外主義者の集団だけの問題ではなく、それを許してしまった日本社会全体の問題であると考えます。今回の事件は、間違いなく現在の日本社会の排外主義的な土壌の上で起こったものです。
 「いまこそ“日本社会の良識”を問うべきだ」
 事件に遭遇された保護者の方のこの言葉を、特に日本人は痛烈な反省をもって受け止めなければなりません。

◆集会へご参加を!◆

 そこで私たちは、今回の事件に抗議し、日本社会の排外主義を問うため、以下の要項で緊急の集会を開催することにしました。在特会は、1月や2月にも、再び朝鮮学校を攻撃すると予告しています。この集会を通して、在特会に抗議する声を大きくおし広げていき、生徒たちを激励し、朝鮮学校への攻撃を二度と許さないたたかいをともに推進していきたいと思います。

 平日の開催ではありますが、できるだけ多くの方の参加を呼びかけます!!

★日時:12月22日(火) 19:00~21:00(開場:18:30)
★場所:京都会館 会議場  (アクセスマップ)
イジメを楽しむ奴ら(在特会)を通すな!★参加費:無料(会場カンパを要請します)

★内容(予定)
:朝鮮人側からのアピール
:日本人側からのアピール
:襲撃の様子を撮影した映像の上映など

主催:朝鮮学校を支える会・京滋
問い合わせ:江原

京都会館には駐車場はございませんので,岡崎公園市営地下駐車場か、みやこめっせ駐車場をご利用ください。
(有料:乗用車1時間以内500円,以後30分ごとに200円)
岡崎公園市営地下駐車場(乗用車506台・バス28台)平日上限駐車料金1,300円
TEL:075-761-9617 ((財)京都市駐車場公社)
みやこめっせ地下駐車場(乗用車163台)平日上限駐車料金1,300円
TEL:075-762-2630 ((株)京都産業振興センター)

参加費:無料(会場カンパを要請します)

※襲撃の様子を撮影した映像です。

☆★激励の呼びかけ★☆

朝鮮学校の子どもたちは突然の襲撃におびえています。
子どもたちに励ましの手紙、メール、FAX、寄せ書き etc…を送りましょう!!(イラスト入りの紙を使うなど、子どもたちが喜ぶような工夫をこらすといいと思います)

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【例文】
みなさん、このまえはたのしい交流会をしているときに、そとからおおごえでどなられて、こわかったでしょう。
あんなことをさせてしまって、ごめんなさい。

みなさんが、だいすきな学校にかよい、公園でげんきにはしりまわるのに、なんのえんりょもいりません。

みなさんがげんきにがっこうにかよい、げんきにはしりまわるすがたを見ると、わたしたちまでげんきになります。

これからもげんきにがっこうにかよい、たくさんべんきょうして、たくさんあそんで、おおきくなってください。

ファイト!
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6・13集会の時に作ったバナーです【郵送で送られる場合は直接学校へ】
○京都朝鮮第一初級学校
  〒601-8112京都市南区上鳥羽勧進橋町23
○第二初級学校
  〒615-0924京都市右京区梅津尻溝町3
○第三初級学校
   〒603-8454京都市北区衣笠鏡石町41
○滋賀朝鮮初級学校
   〒520-0812大津市木下町2-24

【メール・FAXで送られる場合は、支える会でいったん集約します】
○朝鮮学校を支える会・京滋
  075―752-1055(FAX) mhsuemoto@mrg.biglobe.ne.jp(メール)

【直接訪問を希望される方も、支える会にお問い合わせください】

☆★被害児童の保護者からの訴え★☆

皆様

 私は朝鮮第一初級学校に二人の子どもを通わせている保護者の金と申します。

 ご存知の方もいらっしゃると思いますが先日4日に名前を言うのも忌まわしいようなレイ シスト(人種差別)団体が京都朝鮮第一初級学校のすぐ前で騒乱を起こしました。

 今まで生きてきてこんな腹立たしく悔しい思いをしたことがありません。学校の前で子どもたちに聞こえるようにスパイの子どもたち!朝鮮学校を日本からたたきだせ!などと人として信じられない暴言を拡声器の爆音をもって騒ぎ立てました。子どもたちはおびえて 、中には涙を流すこどもたちもいたそうです。

イジメを楽しむケダモノ(在特会)たち 私が悔しい、腹立たしいと思ったのは、何もその団体に感じたことではありません。朝鮮 語のことわざに糞を避けるのは怖いからで無く汚いからだという言葉があります。私が本 当に許せないのはこのような事態が許されているこの社会の規律と良識に感じています。

 当日警察も子どもたちがおびえてるにもかかわらず自分たちは間に入っている立場とし制御しようともしない。スピーカを校門のまん前で校舎に向けて騒いでるにもかかわらず禁止させない。これが言論の自由ですか?法や警察はこどもを守ってくれないというのがむ なしくてたまりませんでした。

 自由使用の公園なのにも関わらず不法占拠とののしり、地域の方々も使っているゴールポストを動かしたり、利用する子どもの安全のために設置されたスピーカーの線を切り、朝礼台と一緒に校門前に投げつける暴挙。器物破損ではないのですか?強制執行は一般市民に権限があるのですか?子どもたちがおびえ、泣いているのに脅迫罪ではないのですか? そこにいる個人や団体を誹謗中傷し侮辱罪ではないのですか?

 そこに駆けつけた私たちは声がかれるまで警察に訴えたのに取り合ってくれませんでした。私は学校に駆けつける前に、某大学で人権教育の招かれ、人権とこどもの学ぶ権利を物知り顔で語っていました。このときほど人権と子どもの学ぶ権利が虚しく聞こえたときはありません。私はこの問題が一部のレイシスト集団の問題ではなく、それを許容する日本 社会の良識を問いたいです。

 たしかにこのような集団は日本人の一部かもしれません。日本人は悪い人ばかりではありません。信じてくださいとおっしゃりたい方もいるでしょう。そういう意味では日本の方々も被害者かもしれませんが、今回の問題の本質ではありません。明確にこのような事態が起こったことは、これが許されたことになると思います。いまこそ日本社会の良識にと うべきだと思っています。

イジメを楽しむケダモノ(在特会)たち いままで本当に悔しい思いをいっぱいしてきましたが、もうたくさんです。今後このような事態が起こったとき、また私たち朝鮮人は門扉の前で歯を食いしばり、血の涙をのみながら我慢に我慢を続けないといけないのでしょうか?正直に今回子どもたちに守ってやれなくて申し訳ないとの考えが頭を離れず夜も悔しくて眠れませんでした。

 亡くなった祖父母や一世たちが空の上からこの事態を見ているならば、どんな思いをして るでしょうか?自分たちの曾孫までもこんな仕打ちをされているのかと嘆き苦しんでいる でしょう。

 長々と書きたて、最後まで読んでいただきありがとうございます。もうこのような事態が 起こらぬよう皆さんどうかこの社会を良識とあるべき姿を考えてください。。。

●転載ここまで●●●●●●

34件のコメント

Kの思い出話

Kの友人Mは、昔の同僚である。私も知り合いになり、この記事に出てくる友人がMである。バブル期でありながら、低賃金・長時間労働にさらされていたブラックなソフト会社で働いていたKとMは、ある意味、戦友みたいなもんだ。Mは思想・信条とは別に、Kがやっていた管制塔カンパ運動に、部屋にあった小銭貯金のすべてを差し出してくれた。

バブル崩壊とともに、Mの会社(Kは既に退社していた)に試練が訪れた。次…

なんかさぁ、あれなんだけど、トラックバック送りました。

ふつうの人がなんとかがんばってふつうに生きてきたことを否定するのがあの団体のやっていることの本質のように思えるんですよね。ちょっと油断すると、「青森出身のくせに、賃金上げろとは100年早い!」と言いそうな気がします。「沖縄のくせに、米軍基地要らないとは、2億6000万年早い」なんて、平気で言いそう@あの人たち

なのなの勢力さん、慧眼だと思いました。個人的にも色々な体験があるし、在日朝鮮人の味方ヅラなんかする気は全くないけど――朝鮮学校が公園に他人が入れないようにしていたとするならば(こういうのは現地で確認しなければ本当のところは分からない)それはただの犯罪ですしね――、それでも彼らが彼らの状況で一生懸命生き、地域でそれなりの位置を占めていることを否定できる人間なんていませんよ。

先日、松山をうろついていたら連中がいて「ゴミはゴミ箱へ 朝鮮人は朝鮮へ」と抜かしやがるのを聞いて、何年かぶりに血が瞬間沸騰しました。横に妻がいなければ今頃留置所だな。

あいつらが朝鮮人と語る場合、知人とか職場の同僚とか幼馴染とかいないんだろう。居たらそんなこと言えない。

朝鮮学校側にも多少の非があったということは否定しません。
行政がこの問題を放置していたために起こったというのも理解はできます。
しかし、何故わざわざ子供がいる時間帯を狙って実行したのか?

その神経が理解できませんし、したくもない。 少なくとも大の大人がやることではない。

・・・・・・

しかし『2ちゃんねる』などでこの件についての書き込みをチェックしてみましたが、在特会擁護の書き込みが案外あることに背筋が寒くなる思いがします。
『法に触れなければ何をやってもいい』という感覚がそうさせているような気がします。
人の心はここまで荒んでしまったのかと・・・何か日本の教育に重大な欠陥があるのではないかと・・・

しかし、在特会の連中は、自分が在日朝鮮人だった場合に同じことをされたら、そそくさと荷物をまとめて半島に帰るつもりなのでしょうかね?
それじゃただのヘタレなんですけどね。

たけさん>
結局そのあたりなんですよね。なんというか、在特会は公式に攻撃目標としている人々ではなくて、常にその家族(子供や老人、女性など)を襲撃することで屈辱感や恐怖心を与えるという戦術をとっています。また、従軍慰安婦という言葉にとりわけ過敏に反応するなど、性的倒錯やサディズムのような傾向さえ感じます。普通ならその戦術に激しい嫌悪感を持つのは当然です。

しかもそういった倒錯的な傾向を、民族の違いを理由として正当化するという精神構造をもっているわけで、そういう極限的なまでの差別感情を、差別どころか「正義」と言いくるめてサディスティックな自己陶酔にひたっている。
本当に寒々とした心的風景です。その病的な内心の感情や「高揚感」を考えると、本当に吐き気がするし、一部であるにせよ、それを肯定する人がいるということに、この国や日本人に限らず、人間そのものに対する絶望感を感じてしまいます。

朝鮮学校のあり方とか、民族的な共存については、在特会とは全く別の話ですよね。人種差別・民族差別の立場に立たない限りは、朝鮮学校を批判するからという理由で在特会の児童襲撃を支持することは全くできません。同じように、在特会の児童襲撃をどんなに激しく批判したところで、イコール朝鮮学校を支持したということにもならない。両者は何の関係もない。

・・・・・・

私は朝鮮学校に関しては極めて同情的に考えておりますが、どうしても総連とのおつきあいという面で、一歩引いたところから見ています。なぜなら、私は朝鮮総連に関しては敵対はしないまでも極めて批判的な印象を持っているからです。旧幹部を一掃して北朝鮮と手を切らない限り(それは事実上の解体的出直しを意味しますが)支持も連帯もできない。

「敵対」まで言い切れないのは、なんというか私が知る総連にいた人々というのは、良くいえば極めて牧歌的、悪く言えばかなりいい加減だったからで、公式見解における北朝鮮支持というのも、かなり図式的な主張であったからです。いわばさして深くも考えていないお題目でした。

それだけに、かえって始末が悪いということも言えるのですが、逆に、本来それをつきつめれば矛盾するような行為や主張でも、「それはそれ」という感じで、わりと共存が許されていたという現実を見ているからです。つまり「イデオロギー」よりも「現実の生活」が優先されているというか、要するに差別が激しい時代において、少数民族の生活共同組合的な役割を果たしていたという側面があると思う。そこまでひっくるめて否定してしまっていいんかという思いがあります。ただしそれは極めてルーズで放漫経営といわれてもしょうがない形態においてですけど。

まあ、言ってしまえばぬるま湯なんですよね。内部的には。北朝鮮の非人道的な所業についても、それを否定するような北朝鮮政府の公式見解を、それこそお題目唱えるように適当に流しておけばいい。中にはそんな公式見解なんて半信半疑の人なんていくらでもいたのですが、それでも「まあそれはそれ」でやっていけたんです。決定的な証拠をつきつけられるまではね。

もちろんこれは私が政治とはあんまり関係ない、現実の在日朝鮮人の生活や友人関係を通して間接的に総連を見たからだと思います。はじめから政治的にかかわったり、昔からの友人や同僚がいない(いたとしても、そいつが極めて嫌な奴だった 笑)人が見れば、全く違った印象もあるんでしょう。ただ、そこで暮らしている人にとっては、政治的なスローガンよりも、現実の生活のほうが優先されるし勝ってしまうんですよ。

・・・・・・

おそらく、在特会の襲撃犯というのは、そのあたりの社会経験というのが圧倒的に不足しています。いわば現実に存在する本当の在日ではなくて、ネット上で彼らがイデオロギー的に作り上げた、彼らの脳内にのみ存在する架空の在日と闘っているんですよ。

要するに、こういう民衆の生活の現実を無視したところで、総連の「打倒」なり「方向転換」なりを迫っても、そしてそれがよしんば理念的にはどんなに「正しい」主張であっても、あんまりうまくいかないんではと思います。総連なり民団なりが果たしてきた生活や権利擁護に対する代替措置なしにはね。仮にそういう代替措置なしに総連がなくなっても、かえって悪い結果しかもたらさないというか、あるいは逆に、少数民族の生活や権利擁護なんてことさら言わなくてもいいような社会になったら、総連などの政治的なスローガンなどから在日社会の民心は自然かつ一気に離れていくでしょう。

別の言い方をするならば、総連批判は差別的な動機(不正義)ではなく、在日の人たちを含む人権擁護とセットにした動機と方向性(正義)によってのみ、はじめてその目的を達成できるということです。

>朝鮮学校が公園に他人が入れないようにしていたとするならば(こういうのは現地で確認しなければ本当のところは分からない)それはただの犯罪ですしね

少し、単純化しすぎてるんじゃないの。ただの犯罪かね???小学生じゃないんだから、背景抜きに語っちゃだめじゃないの。

あと、自分は正義感だけhがまだ残っているという言い方、よくないと思います。

猛獣文士さん>
ここでははじめまして。よろしくお願いします。
おそらくは私の理解力が足りないせいだと思いますが、よくわかんないのですけど、軽々しく「自分は正義だ」とか言うのはよくないという意味かな?

だと仮定したら言いたいことはわかりますし、趣旨には同意します。
私もこういう言い方すること自体に抵抗を感じていた時期がありました。
さらには「みんなが同じ意見で同じ行動をすること」にもね。

要するに特定の主義主張にこだわらなくなる過程でそういう心情になっていったんだろうと今では思っています。
でも今はあんまりそれにすらこだわりがなくなってしまいました。

「子供をイジメるのは不正義である」「それに反対するのは正義である」
それでいいじゃん!って思います。
正義という言葉をさけるのは、ある意味責任回避だと思うし、場合によっては単に態度表明をさけているだけだったり、あるいは態度をはっきり表明する勇気を持っている人を高みから見下ろしたり、あらかじめ逃げ道を用意する卑怯な行為になってしまう場合もあると思う。

ただ次の点には注意しています。
・特定の主義や思想や信仰に「正義」という冠をつけない
・弱いものを攻撃することを「正義」の名で正当化しない
・「正義」とか「真理」は常に相対的にしか存在しない
・あっちよりかはこっちのほうが正義ということはあり得るが、絶対的な正義というものはない
・時間的に同時に複数の「正義」や「真理」や「真実」が存在することを認める

背景抜きに語っちゃダメというのはその通りだと思います。
「法律に違反しなければ何をしてもいい」ということにならないのは当然のことですし、その逆もあると思います。もちろん法律なんて無視していいという意味ではなく、その場合は早急に法律のほうを是正して正常化しないといけないだろうと思います。取り締まるにしてもそういう場合はよくよく考えて慎重な対応をしなくてはいけません。

まあ、そのあたりはたけさんもわかっているだろうと思います。猛獣文士さんの言っていることと実際にはそんなに変わらないだろうと思いますよ。ただ、たけさんの書き方のほうが、より「一般人的な表現」であるだけで(笑

「共有地」に「入れない」ようにするのが犯罪でないという論理を知りたいものです。

朝鮮学校が公園を24時間占拠して、他人を一切入れないようにすることなど、常識的に考えられますか。そういう非常識な仮定を、観念的に作り上げて、それがただの犯罪とは、なんだろうね。

他人が犯罪者だなどという仮説は、もう少し慎重に語ってほしいものだ。

公園は公共の場所だから、誰でも自由に使用する場所じゃないの。とすれば、朝鮮学校の生徒が使用するのは、問題ないでしょ。

当然、そうでない子供も使用するために来ることもあるけど、あるグループの子達がそこを使用していたら、そのグループに入っていない子は使いにくいよね。でもこういうことはいくらもあることで、そのレベルで解決するもので、その公園で遊びにくかったら別の場所を探したりする。私が子供のときにも、すべての公園を共有地だから絶対自由に使用できなければならないなどと観念的に思ったことは無いよ。

問題ではあるが、犯罪とまではいえないでしょう。

ビデオを見ると、在特会の連中は朝鮮学校の民族教育そのものを否定する暴言を吐いている。そもそも問題の所在が共有地云々のところには無いと思いますが。

草加さんへ

とにかく、むかつくんです。私は人間ができていないから。

朝鮮学校への暴挙、許せませんね。

在特会などの主義主張についてはご自由にどうぞ、でも人の迷惑は考えてね!という意味しかなく、私にとってはどうでもいいですし、興味もありません。

しかし、蕨の件や今回の件など、『人としてどうよ?・大人としてどうよ?』と考えれば、許せない!と思うのは、ここにコメントを寄せた方たちを含めてほとんどの“普通の人”が持つ感情だと思います。それこそ、『脊髄反射』的に嫌悪感を感じるのではないでしょうか。

どうせ憂さ晴らし(?)をするのなら、権力の横暴に立ち向かっていけば少しはカッコもいいのですがね。

おかしいことはおかしいと、ダメなものはダメなんだとかすかな声ではあっても言い続けたいと思います。加害者は一時の憂さ晴らしで済むのでしょうが、被害者は一生の十字架を背負わされるのですから…。

草加耕助さんへ

以前書かせてもらった者ですが少し質問させてもらってもよろしいですか?
草加耕助さんは抗議活動を行うとのことですが
今回の問題の今後の行方がどのようになると考えてますか
1.在特会が謝罪をして在特会が解散をする
2.在特会が行き過ぎだったと謝罪活動方針を変える
3.在特会が謝罪のような動画を上げる
4.抗議活動は無事終了在特会側からとくに発言はなし
5.抗議活動を知った在特会側が会場に殴りこみをかけてくる
6.在特会は会場に来なかったけど活動をしている他の個人もしくは団体がやってきた
7.今回の抗議活動が呼び水となり在特会と他の友好団体の話だけではなくなり新規に参加をする人が増えて結果的に今まで以上に活動範囲が広がる

べつに答えがひとつと決まっていません3と4の間でもいいですし2と6のふたつでもいいですもしよかったら回答をください

やっぱり許せないレイシズム

ひさびさに酔っ払っての勢い投稿です。どんな理屈をつけても小学生のいる校舎に向かって野卑な言葉を投げつけるのは許せないのであります。

自分たち(在特会)でアップしたyoutubeが削除されたようなので、塀の内側から撮った映像を↑
「議論をしに来たのではない」とキッパリと言い切るというのは、つまり恫喝と嫌がらせということです。せっかく弁護士のおじさんが出ていって「抗議したいことがあるなら、ちゃんと文書にして提出しなさい」と言っているのに、猛々しく「講釈はいいんだ!」とつっぱねる・・・。アホじゃないですか。(在特会映像でありました)
やっぱりこういうのを許してはいかんと思うのです。じっさいに人が傷ついているのです…

いつも読ませて頂いております。

本日の中日新聞「こちら特報部(の、右側)」に、ようやくこの件に関する記事が載りました。
なぜ報道されないのか、少々失望していただけに、少しばかり前進したかな、という気持ちです。

今回の事件、逆の立場で考えてみれば、日本の一部の人々に想像力(妄想力に非ず)というものが欠けてきている証左ではなかろうかと。

海外で、日本人学校の生徒たちが、或いは日本人コミュニティのパーティに集った人々が、押しかけたごろつき達に「ジャップゴーホーム」と叫ばれたら何を感じるか。

謂れ無き差別をされたことのない人々には、それがどれ程の痛みと屈辱を相手に与えるか、分からないということなのでしょうけれども。

草加耕助さんへ

もうひとつ質問ですがこのような話が出ていますがこれは事実ですかでっちあげですか?
京都朝鮮第一初級学校は、京都市の勧進橋児童公園を、
朝鮮学校の運動場として子供に教えています。

11月1日にも、京都市に無許可でバザー(学校運営資金集めで、焼肉やビールなどのア ルコール販売等)をしました。
京都市も占有利用を認めてないにもかかわらず、注意も無視して強行突破でイベントを行 ないました。
(公園の利用申請許可書類は、今まで提出されたことがありません。)
オモニ会の(保護者会?)親までが学校の運動場と苦情を言われるまで
知らなかった??と自分たちも子供のころに、学校の運動場と教えられたそうです
注意も受けたその後も、今でも授業やサッカークラブの練習を行なっており、
サッカーゴールや、コンセント、放送設備等の撤去も行なわない。
自分でも京都朝鮮第一初級学校に対して問い合わせてみますがここに書かれているほかの方でもいいのですがこれは事実ですかでっちあげですか?
どちらですか教えてください

公園の不法占拠はデマであり、今回の騒動は「単なる差別的な嫌がらせ」だったようです。

朝鮮学校側はちゃんと近隣住民の許可を得て使用していました。

共産党議員の「こくた恵二」氏のサイトによると、この公園は朝鮮学校が地元住民の承認を
得て50年以上も使用して来たようです。
http://www.kokuta-keiji.jp/column/nisshi/1094221827.html

↑ 
ひとつ上の投稿ですが、ご操作で編集せずにアップされてしまいました。
すみません。

「四トロ掲示板二次会」からの情報です。
一山いくらさんの参考になればと思います。

書き忘れていた部分が在ったので補足
京都朝鮮第一初級学校に対してだけではなく京都市にも問い合わせてみます

さっき書き込んだことが事実だとすると,たしかに保護者の話のつじつまも合うし,在特会がやってきた理由もわかるでここから少し私個人の意見を書きたいと思います。
私は美しい言葉を掲げて,それ以上前に進ませないようにすることするような人間が大嫌いです。草加耕助さんや,ここに書き込んでいるほかのみなさんからすると人間の屑のように思うかもしれませんが,むしろ白い猫でも黒い猫でもネズミを捕る猫は良い猫だという言葉のほうが,しっくりくるような人間です。このサイトに来る理由も,以前書き込んだのも自分と違う考えの持っている人たちの考えを知りたいと思っているためです。
でなければわざわざきません,あと最後に昔から左翼のいわれる人たちは,自分たちが先頭となって人々を,教え導いてゆく使命を持っている
(その内容はともかく)と考えている人たちだと思っていたのですが,*
*ネット論争ごっこのネタとして消費していこうとするもの。
これは、最近はどういった種類の議論にも必ず登場して、ケッタイな理屈を開発することに意義を感じている人たちで、甚だうっとおしい。
というか、これはこの事件によって、いい年こいたおっさんにハンドマイクで罵倒されるという目にあった小学生のガキとか、そういうところのリアリティをあらかじめ切り捨てることによって、「純粋な議論としての消費」が可能になっているのであり、議論の建て方として根本的に間違っていると俺は思う。
「腐れナショナリズムの憂鬱」(ですぺら)より引用
これはなぜそうなったのか原因を考えることを私はやめましたと知ることもやめたいですということを,他人の言葉を借りて書かれたのですか。

一山いくら さんへ

はじめまして。在特会が鬼の首を取ったように、朝鮮学校に押しかけて乱暴狼藉を働き、暴言を吐くからには、それなりの事情があったことは推測できます。しかし、学校とは、はるかに離れた地区に住む私には、その事情の詳細は分かりません。貴殿が草加さんにそれを聞くということは、草加さんはそれを知りうる立場にいるということを確認したということでしょうか。

私としては、仮に貴殿が書いた程度のことがあり、それが法律や条令に軽微に抵触する部分があったとしても、目くじらを立てるほどのことには見えません。もちろん、私と違う感覚でそのことを問題にする人がいても、仕方がありません。しかし、ビデオに出てくるような方法で暴言を吐いている人たちの行動が論外であることは疑う余地もないし、このことを指摘することが、「これはなぜそうなったのか原因を考えることを私はやめました」ということにつながるというのは、こじつけです。

とにかく、私は詳しい事情を知らないし、貴殿のような角度から問題に食い込もうという人も、私の周りにはあまりいないと思うので、貴殿の調査で何か分かったら、教えてもらいたいものです。

猛獣文士さんへ
個人的に気になる点をひとつ
サロン吉田山というサイトから
2004年 11月 17日にかかれた京都朝鮮第一初級学校の勧進橋公園使用に関する要望
http://www5d.biglobe.ne.jp/~mingakko/minapi041117.htm
この中にある
勧進橋公園は、代々の京都市長のリーダーシップのもとで公園を管理されている建設局と国際化推進室のご支援をはじめ、学校周辺の地域の皆様方の深いご理解を得て、京都第一初級学校が五十余年間、体育の授業をはじめクラブ活動など、毎日、教育の場として使わせて頂いてまいりました。
と書かれていますが,この文章の意味をどのように受け取りましたか特に代々の京都市長のリーダーシップのもとでの部分ですここから考えられる
意味としては
1五十年以上まえから京都市側より使用許可をえて使用していました
2ほんらい使用できない場所であるために使用許可を取ることができずに使用していた
そのため市長決裁という形で五十年以上むりを押し通してきた

どっちだと思いますか遊具のまったくない公園ほんらい公共の公園ならブランコとかジャングルジムとか普通あるのにおかしいと思いませんか

まちがえた朝鮮学校側の書き方になってる
1五十年以上まえから京都市側より使用許可をえて使用していました
2ほんらい使用できない場所であるために知りつつ勝手に使用していた当然使用許可はとれない
そのため市長決裁という形で五十年以上むりを押し通してきた

これが正しい意味だとおもう

一山いくらさんへ

ご紹介いただいた資料の対照は勧進橋公園で、今回在特会は乱暴狼藉した原因の公園は京都児童公園ですが、これは同じ公園でしょうか。

児童公園を体躯の授業などに使用していたということですが、何が問題なのかよく分かりません。たとえば、広大な校庭のある裕福な学校でも、マラソンの授業で公道を使用することもあります。

この書面を見る限り問題があるとは思いません。この書面は、今まで使用してきた公園が高速道路建設で失われると困るので何とかしているという事情所であるので、公園の使用は既成事実として承認されているという前提があるように見えます。

一山いくらさんへ

資料提供ありがとうございます。資料が長いので、検討するのに時間がかかります。

とにかく、朝鮮学校の行為が「明白な犯罪」というのは、地に足の付かない、先走った推定ではないかと思うのですがいかがでしょうか。こういうような発想から、事件を見ていこうとすれば、論点には強いバイアスがかかります。偏見ともいいます。

なお、ビデオを見たり、他の掲示板での論議を見た限りでは、「在特会」の行為は明白な犯罪であると印象を固めています。

【京都市役所緑地管理課への電話による問い合わせより】

1. 公園は誰もが使用できるので、それを体育の授業で使うことは問題ないと認識している。

2. サッカーゴールや朝礼台等について、何年か前から現場に置かれていることは認識していたが、とくに危険なものでもないのでとりたてて問題とはしていなかった。

3. サッカーゴール等の私物を置いている件に関して、住民からの抗議は4~5人の住民から複数回あった。ある特定の人で、何回も抗議をしてくる人もいた。

4. 抗議が始まったのは2009年の5月頃から。それ以前には、この件に関する抗議はゼロ(電話に出た人は勤続27年。緑地管理課に配属されてから3年)。

5. 朝鮮学校に撤去を要請したのは、これらの抗議を受けてのもの。

6. 来年1月にサッカーゴールを撤去するということで、学校側と合意していた。

7. これは公園内における道路工事の範囲が1月ごろから拡大して、サッカーグラウンドとしての使用は不可能になるため。

8. 朝鮮学校とのこの件に関する話し合いは、市役所としては「トラブル」とは認識していない。

在特会がやってることは脅迫だね。それを警察が見てるだけで取り締まらないのだから、警察が犯罪幇助をやってるといっても過言ではないね。これはもう『恐怖政治』としか言いようがない。そもそも自衛隊も警察も国家権力の暴力装置なのだから、国民が監視を怠ると暴走する危険があることを知るべきだね。

自衛隊の幕僚長が田母神で、警察庁長官が漆間だったんだから、警察が在特会とグルになっていたとしても不思議ではないと思うね。一昨年の始めに漆間がこんなこと言ってたのを思い出すね。

「北朝鮮に日本と交渉する気にさせるのが警視庁の仕事。・・・『ここまでやられるのか』と相手が思うように『事件化』し、北朝鮮が困る事件の摘発が拉致問題を解決に近づける」

在特会の朝鮮学校への脅迫も『事件化』なのではないかと思うね。

国民が自分のことはかり考えて社会的不正義に対して無関心でいると、多勢が無勢に圧倒されてしまうことだってある。

自由や民主主義は本来、国民が国家権力に対して抗って勝ち取ってきた権利なのだ。そして権力に対して闘わないでいると再び権力に奪われてしまうものなのである。

在特会の暴挙を許すな!

日本の良心よ、起ち上がれ!

許し難いニセ「左翼」暴力集団の妄動だな。
お前らがやってることは在特会とやっていることと同じ!

日本には民主主義がなっているんですよ~?
暴力行為で何をやっているんですかぁ?

本当に日本の進歩に邪魔な存在ですね。ニセ「左翼」は。
お前らの妄動はずっと昔から勉強しているが・・・
財界の片棒持って何が楽しいのかね?
教えてほしいよ。

あさん>

内容が無い独り言なのはいいのですが、「ずっと昔から勉強している」にちょっと興味ひかれました。

「ずっと昔」というのはどれくらい前から勉強しているのですか?
どこで、もしくは誰から学ばれたのですか?
勉強に使用された文献の書名、著者とその肩書き、出版社などはどのようなものですか?

以上、特に他意はないので、よろしければ後学のために教えてください。
ああ、でも、民青時代に共産党地区委員会で学びはじめたとか、使用文献が共産党のパンフレットや「新日本出版社」の書籍とか「祖学」の特集記事だとかいうなら、もう教えていただかなくて結構です(笑)。
↑そういうのなら、私もすでに何冊も読んで、だいたい内容もわかっているからということであって、特に揶揄しているわけではありません。ご返答がない場合は「やっぱりそうか」と思っておきます。

あと、これは個人的な興味なんですが、もうほとんど影響力の無い新左翼系理論の「勉強」なんて、今は趣味者と運動経験者くらいしかしていないと思うのですが、なんでわざわざそんな物好きなことしてるんですか?
はっきりいって、あさんの立場からは時間の無駄以外の何者でもないと思うし、せっかく「勉強」したことを生かす場所もないと思うのですが?

あ、だからここに書き込んでいるのか・・・と今気がついた(笑

※意味がわからない方のために補足。「新日本出版社」は共産党系の出版社。「祖学(祖国と学問のために)」は共産党系全学連の機関紙

あさん>の、
『許し難いニセ「左翼」暴力集団の妄動だな。』というのは、朝鮮学校への在特会の暴挙に対して、今現在草加さんのサイトで非難をしているコメントをしていることに対してでしょうか?また、そのような人達を、ニセ「左翼」暴力集団と呼ばれているのでしょうか?

そうだとすれば、蕨の件も今回の京都の朝鮮学校への暴挙に対しても、嫌悪感を感じませんか?このようなことが、同時代に起きていることに怒りや悲しみを感じませんか?このようなことは、常識をわきまえた大人のすることでしょうか?在特会の行動によって、何ら罪もない子供たちが犠牲になっているのです。一生消えない傷を負わされるのです。私達大人は、おかしいことには声を出し、行動すべきだと思います。

もし、あさんの趣旨と違っていたのなら申し訳ありません。しかし『お前らがやってることは在特会とやっていることと同じ!』とのコメントからはそう捉えられる誤解が生じると思います。あさんが共産党の方や支持者の方なら、在特会の行動を非難する立場からコメントをされることを願います。

※草加さんは、よく『祖学』と略することを知ってましたね!私は逆の立場からですが、『若ボリ』は知っていましたが、理論戦線を『理戦』と略するのを最近知りました。

在特会のリンクを辿って来ました.いささか時機を逸した感がありますが,大きな感銘を覚えたのでコメントさせて頂きます.
感銘したのは下記の文章です.

>彼らは「特権を付与された外国人」ではありません。事実は全く逆で「権利を剥奪された元日本人」なのです。

>在日朝鮮・韓国人の問題は外国人問題としてではなく、本質的には日本内部における少数民族問題として考えないと、何の解決も見えてきません。つまり私たち日本人の内部問題なのです。

長い間,それほど真剣にではないにせよいわゆる[在日問題]について考えを巡らせてきましたが,この文章を目にして話が意を得たりと思うと同時に,自分の中の霧が一挙に晴れていくような思いを感じました.そう,いわゆる在日とは[権利を剥奪された元日本人]のことであり,彼らを取り巻く(そして同人に自分たち自身に降りかかってくる)問題は[少数民族問題]以外のなにものでもないのです.少なくとも,こう考えることにより一見煩雑で複雑な諸問題を解きほぐすための道標が見出せるのです.

簡潔で尚かつ本質的な視点をご提供下さりありがとうございました.これからも,しばしば立ち寄らせ得ていただきたいと思います.

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