人を殺して埋めてしまうことはそうそうないとしても

荒岱介を偲ぶ会(2012/04/22)
荒岱介を偲ぶ会(一周忌)

 お前はなんで昔の党派時代のことにいつまでもこだわったり、党派を擁護するかのような古臭いことを言うのかと、複数の方から問われたので、一応の問題意識をここに記しておこうと思う。

 まず私は自己に対する拘泥が激しいと思うが、そのことに気がついているだけマシであると思う。いわば肩まで自己拘泥の泥沼に漬かっているので、身動きはとれないが、一応、その泥沼だけは見えている。本当にズブズブに頭のてっぺんまで自己拘泥に埋まっている人は、その沼さえも見えず、そこが沼の中ではなく、普通の世界だと思いこんでいる。現・元を問わず、ある種の活動家やウヨサヨ気分な人(趣味者含む)においては、それは「常に自分のいる場所(立ち位置)が一番正しい」という症状として現れる。

 別にここでカビのはえたステレオタイプな「党派批判」をしたいのではない。むしろその逆かもしれない。
 たとえばサヨ経験も党派体験もない人が、サヨだの党派だのを見て「キモイ」という感想をもらしても、それは仕方がないと思う。私の周りの多くの人は、それは違うと言うが、若い人が政治の話題をうっとおしがり、その一方で橋下のような人間を「何かやってくれそうだ」と支持したとしても、それはサヨのあり方に対する反省材料でこそあれ、そういう人や発想をストレートに非難することはできないと私は思う。

 けどなんちゅうか、マル共連BBSなどで「ある種の投稿」を読んでたまに思うことなんだが、たとえネットの上だけだとしても、いまだにサヨ業界に片足突っ込んでいるかのような言動をする人が、ありがちな「党派批判」を上から目線で垂れ流し、それでなんか自分が「未だ愚かな党派の人間」を超えた「もののわかった人間」「良識ある大衆代表」みたいな顔してると、なんかイラつくのである。おまえなんかより、今もアクティオに残って環境運動している「愚かな党派の人間」のほうが、ずっと尊敬できるよというか。

 ここまで典型的でなくても、たとえば元活動家の人なんかと飲みにいったりするとありがちな流れなんだけど、ひとしきり昔の話に花が咲き、その後、自嘲的な党派批判とかにうつっていく。俺たちは闘った、正しかった、でも党派や運動方針がダメだったと、まるで自分が被害者みたいな話になることもある。総じて「なっちゃいねえ」みたいな話になる。
 そこで私が「今」の三里塚の話をして、できる範囲で協力してくれと言うと、急に歯切れが悪くなって、「いやぁ!これからは君ら若い人の時代だから」とか言われたりする。

 つか、俺は若くねえよ!その若くねえ俺がかなり無理して頑張ってるんだから、「闘ったし、正しかった」皆さんも、ちょっとくらい応援してくださいよ。そのくせ、俺が昨年に逮捕されたことは、「たかがそんなこと」とか、「逮捕なんてヘマしてんじゃねえよ」みたいな言い方を「経験豊富な先輩方」からはされる。けど、あんたらがあの時代に運動の一員である学生として逮捕されんのと、俺がこんな時代にまったく個人の中年として逮捕されんのとは、本人にとっても周りの方々への迷惑にしたって、そりゃもう天と地くらい全然わけが違うんだよ。そんなの今の自分が逮捕されたらと考えてみればわかることでしょ。昔話をしているんじゃないんだよ。諸先輩の皆さん方は、「今」の自分に引きつけて考えてみてくださいよ。そしたら私が「今」やっていることの意味がわかるでしょ。昔話の延長で「そんなのよくあることじゃん」とか言うんなら、自分が今やってみせてくださいよ。

 けど、別に俺は「今こそ逮捕覚悟で実力で闘おう」とか言ってるわけじゃないんだ。だいたい俺自身がそんなことなかなかできないよ。そんな風な発想にもっていくのは、俺じゃなくてむしろ諸先輩のほうだね。集会にだって、いろいろな理由で来れない人だっているだろうとちゃんと理解している。昔やっていたからこそ、現場に顔を出すことには抵抗感があるという人は多い。それはわかる。だって自分がそうだったからね。さすがの私だって、全力で闘い、深く傷ついたがゆえに、今の運動にかかわる気になれない物静かな方に、威勢良く「オルグ」するほど空気が読めない「ゴリ」ってわけじゃない。

 けど、酒の席でさんざん「武勇伝」を語って説教してくれるような元気な先輩方には、たとえば年に3,000円(月にではない!)の会費で市東さんの会への入会をお願いするとか、その程度のことくらいは言ってみる。農民のことを思えば、そして彼らと実際に知り合ってふれあってみたら、私だって誰だって必死になりますよ。「三里塚の日本階級闘争における位置」とかそんな高尚なことを討論しにきているわけじゃないんです。それ以前のもっと素朴な問題として、市東さんが現に耕作して住んでいる土地に年内にも機動隊がやってきて、国家が暴力で強奪していくかもしれんのですよ。現に目の前で知り合った尊敬すべき人たちが、そういう目にあわされるところを見ているんだ!必死になって何が悪い!

 まあ、だいたい「楽しい酒の席で何いってんだ」みたいなKY扱いされて終わるんですけどね。いっそのこと「三里塚にかかわったことは間違っていた。人生の汚点だ。もうかかわりたくない」と言ってくれたほうがまだ納得できる。本人の意思がそれならそれで、もう何も言わないんだけど、「三里塚は正しかったし、オレは闘ったんだ」とか言うから、お願いしているのであって、なんで「今も(心の中で)応援してるぞ」とか言ってた人が、急にモゴモゴして、いろいろ言うけど要するに「一円だって協力はしない」という結論になるのかわからない。厳しい言い方で本当に申し訳ないが、三里塚農民のことなんかより、そんな「闘っている(いた)自分」のほうにこだわってるだけなんじゃないだろうか。

 だが、私の周りのほとんどの人は、こういう私の感想とは逆で、上から目線の「良識ある大衆代表」の言葉にうんうんと頷き、橋下支持の若い人には、せいぜいが「騙されている」という程度の愚民扱いである。確かにそれぞれの主張というか、字面をみていけばそういうことになるんだろうけどさ、でもなんか違う。座りが悪い。

 思うに、私がこういう人に違和感を感じる理由は、常に自分が正しいという点で、しょせんは一貫して何も変わっていないし進歩もないというところにあるのだと思う。そこに自己正当化や自己拘泥が見えるからだ。古臭いのは私ではなく、むしろこういう人たちではないのか?活動家だった時代も、それをやめた今も。もし、今の自分と昔の自分が矛盾していたとしても、それは今の自分が「物のわかった人間」になっているからで、常に「今の自分」が正しいのだ。

 これは一見すると反省や総括をしているように見えて実はそうではない。常に「間違っているもの」は自分以外の外(含む「昔の自分」)にあって、自分はその被害者であるという発想は何も変わらない。だから自己正当化、自己拘泥が激しく、結果として尊大で上から目線になる。とりわけ「昔の自分」に似たものを見つけると、「今の自分」を守るために、いっそうこの上から目線の説教が激しく、必死になったりするのだ。
 本当に総括している本物は、もっと謙虚で物静かで、決して他人の実践を上から目線で頭から否定したりなど絶対にしない人だ。

 かつて右翼活動家のMさんから「連赤の永田洋子さんの事件当時の言動は、まったく正しいではないですか」と指摘されたことがある。考えてみれば、革命戦争を闘っている軍隊内部において、やがて私怨や行き過ぎが出てくるとしても、永田さんの過激な意見はまったく正しくて当を得たものであると。問題はその「革命戦争状態にある」という情勢分析が間違っていたわけだが、そういう情勢であると全員が自分の意思で確認したのなら、永田さんの言うことに誰も反論できないはずだ。もちろん、そういう認識を前提としても、永田さんの方針が正しかったかどうかは別の問題としてあるわけだが、さらにMさんは「連赤事件をどう総括しているかで、その左翼の値打ちが決まるのです」とも言われた。左翼の間でも、永田洋子さんをまるで人格破綻者のように描き出し、彼女一人の個人的性格に事件の責任を負わせる言動が目立つ中で、なるほどそうくるかと思った。

 古くはスターリンの粛清から、連赤、内ゲバまで、みな、それを実行した人は、与えられた情報とそこでの判断、あるいはそういったものの歴史的な蓄積の中で、常にそれが「正しい」と信じておこってきた。段々と「何かおかしい」と気がついても、途中でそれを止めることは至難であった。それから何十年もたって事件の全貌を客観的に眺められるようになってから、「こいつらなんてバカなことをしてたんだ」となじることは、実は誰でもできる簡単なことである。あるいはそれを「悲劇」として正確な歴史的検証をすることさえ、事件当時に気がつくことにくらべれば実にたやすい。

 思うに問題は情勢分析の誤りのほうではない。情勢を見誤ることなんて、いくらでも考えられることだ。だからそこを指摘して総括としているうちは、いくらでも同じ過ちを繰り返すことになる。たとえばスターリン主義の過ちを、「一国社会主義論批判」という理論主義的な指摘のみに還元してしまった中核派やカクマルのように。ただ、それでもまだ、問題を個人の性格や人間性のせいにするような愚劣な思考よりは、いくらかはマシというものだろう。私はそういうことを考え続けてきた。たとえどんなに間違った方針の中でも、決してこういう非人道的な「悲劇」を繰り返さない思想性とは何かと。

 だからこそ思う。右であれ左であれ上から目線で他人を否定する人は、その否定の内容(たとえば情勢分析や組織論など)がどれだけ正しくても、ある意味で小型の永田洋子さんにすぎないのではないか。まあ人を殺して埋めてしまうような極端なことはそうそうないとしてもだ、それでも決して連赤事件を笑えない人たちだと思う。

 最も過激な武装主義者と、最も穏健な市民・エコロジー運動だって、それを忘れたら単に同じコインの裏表にすぎない。たとえば80年代の昔から、ヨーロッパのエコロジー主義を源流にするような、ピラミッド型組織に対するネットワーク型組織であるとか、新しい反資本主義だとか、右からの蔑称(?)としてはネオレフトだとか、いろいろ言われている潮流めいた考えあるわけで、それは三里塚闘争にも影響を与えてきたわけだけど、そういうのは組織や運動の内部の人間にとってはいざ知らず、外の無関係の人間にとっては、あまり関係ないことかもと最近思うようになってきた。

 だって自分を抑圧し、集会や運動などから暴力的に排除するような人々がいたとしよう。そういう人たちの集団が「ピラミッド型かネットワーク型」かなんてことは、被害者にとっては当面どうでもいいことなんではないだろうか。ネットワーク型の運動や組織が、自分たち以外の人民に対して抑圧的な存在にならないという根拠はなんなのだろう。そんなもの存在しないんではないだろうか。ただ、ピラミッド型とはまた違う形でそれが発生するというだけのことで。現にそういうエコロジー的な運動の中でも、他人に対して「わかってないねえ、キミぃ!」みたいな尊大な言い方をする人はいくらでもいる。

 わが身に突きつけて考えるのが難しかったら、「在特会」などを見たら、私の言っていることがなんとなくわかるんではないか。こういう「行動する保守」の中には、表には出ないが左翼運動出身者が少なからず参加しており、運動や組織作りのノウハウにおいて運動を牽引しているという。左からいきなり極右にいく人は、本当に自己拘泥(自分に対するこだわり)が激しい人が多い。彼らの手法は元からの保守派の人たちからは違和感をもたれているそうだが、かなりの成果をあげているそうだ。そう思ってみると、なるほどと納得できることが多いのではないだろうか。

 つまり、自己拘泥や自己愛が激しく、それと矛盾する他者の存在を否定する思想はそのままにして、極左から極右にワープしようが、市民主義やエコ路線に横滑りしようが、本質は何も変わらないということだ。むしろ元々がそうだからこそ、平気でこういう横滑りやワープができてしまうのだ。そしていつも自分の意見なり運動なりが今の日本で特別なものだという、一種の「選民思想」にとりつかれている。だから俺に対して過激な左派的言動で激しく罵倒している人を見るにつけても、こういう人たちも10年後には反共の闘志かもなあという冷めた目でしか見れないのだ。

 私のこういう問題意識に、それなりの人なら原稿用紙一枚以内、あるいは5分間のオルグトークの中で、すらすらと答えを述べるだろう。現役時代の私だって、あるいはそうできたかもしれない。でも、そんな非の打ち所のない綺麗な解答などいらないし、そんなものにたいした意味があるとも思えない。せっかく組織活動を離れたのだから、問題の周辺をいつまでもグルグルと回って考え続けたいし、その謙虚な営為にこそ意味があるのだとしみじみ思う。

12件のコメント

いつもありがとう。

自分の中でグルグルまわっていることが整理される気がします。

高校闘争 1969-1970

(これは、久しく会えていない草加さんへの文章です。)
あまり多くは…というか、詳しくは語れないのですが。
タイトルの本を買いました。「高校闘争 1969-1970」(小林哲夫著-中公新書)です。知り合いがインタビューに応じたというので、読みたいなと思っていたら、登場する知り合いは、一人ではなかったです(笑)私もあと10年早く生まれていたら、こんな性格なもんで、インタビューに応じる側だったかもしれません。珍しく、徹夜モードで5時間かけて、300ページを読みました。感慨深く読ませていただきました。
さて、いつものお仲間の中で、「それは、党中央がアホだったから」とひとつあるごとに口にする方がいらっしゃいます。そんなに党中央がお嫌いならば…

私は現に党派と関わって内ゲバや引き回しにあった者としては、ノンセクトは被害者という実感は拭いきれませんね。全国党派とシングルイシューでたたかっている、地方の活動家と相互に尊敬・協力しあう関係をこそ求めたい。

草加さん、こんにちは。
記事を読んでいろいろ自分と思うところが重なったのでコメントさせていただきます。

>自己拘泥や自己愛が激しく、それと矛盾する他者の存在を否定する思想

人間を敵と味方に分けて、敵を一方的に否定して、全滅させれば、すべての問題が解決するという単純な二分法的発想そのものが間違っていると思います。そもそもマルクス主義でいう弁証法は「相手を一方的に全否定して抹殺して終了」という考え方じゃないですから。こういう発想から「警察の皆殺し路線」だとか、内ゲバが起こるのだと思います。市民運動の中にも会社や学界の中にも派閥争いという名の内ゲバはありますから、左翼だけに限らず、日本人一般にこういった考え方をする人が多いように思います。

弁証法はそもそも対話の文化から生まれてきたものなんですが、日本では対話の文化が十分に発達してこなかったことに加え、公教育などを通じても論理的に物事を考える訓練は十分になされていません。このことから、日本人一般のコミュニケーションや対話の能力は諸外国と比較しても、かなり低いのではないでしょうか。その結果として、一方的に自分の主張だけを延々と繰り返したり、異論を持つ相手をやっつけて黙らせるのが、自分の主張の正しさを証明することだと勘違いしたり、問題の是非を論理ではなく好悪で判断したりすることなどが起こってくるのだと思います。運動とか政治活動と言ったって普通のコミュニケーション行為であって、なんら特別なことではないはずですが、運動の担い手さんのなかに普通にコミュニケーション能力が無い人が多いというのは問題だと思います。

吉田信吾さん>
こちらこそ、書き込みありがとうございます。
また次の記事を書こうというモチベーションになります。
関西の某新聞とかで書いておられる方かな?
文章を書くことでお礼を言われるなんて、なんだか変な気分です。

大熊寝子さん>
私は学生時代はノンセクト王国の京都でしたからねー。
赤ヘルノンセクトだけで200人はいましたし、その他、黒ヘルとか、色とりどりのいろんなノンセクトがいました。対して党派は各拠点にせいぜいが5人いれば多いほうでした。
そんな中で、党派の人間はすごくイジメられてねー。学内で普通にビラをまくことも妨害されたりしてました。中にはいい人もいて、一緒に協力しあえるノンセクトもいたけど。
だから私は大熊さんとは逆で、ノンセクトにはあまりよい印象がないのです。
セクト主義と聞くと、すぐに当時のノンセクトの人たちが思い浮かぶ。
この問題ではすぐに「党派が」という話になりますが、「巨大ノンセクト」の縄張り根性のほうがよっぽど陰湿だよと思っちゃう。今はまあ、そうも思わないので、自分の経験だけで先入観をもたないようにしようと思ってます。党派時代はいい人に思えたのに、元活(ノンセクト)になってから態度が横柄な人もいますし、それもお互いの環境のTPOなんでしょうね。

Apeironの人さま>
次のエントリでも書きましたが、コミンテルン以来、「一枚岩の団結」がいいことで、それが正常という考えが長く続きましたからね。左翼運動はもともと多様性のあるモザイク的な国際運動だったのに。
確かに組織論とか難しいこと言わず、普通に相手を同じ人間として認めてコミュニケーションとるだけでいいのにね。
いずれにせよ、この問題は何かの金科玉条な公式にまとめるのではなく、常に問題そのものを考え続けることしか、対処法はないんだろうと思います。

に反応します(-_-;)

某「旧左翼(苦笑)」に牛耳られてた京都の大学で
ノンセクト活動家してました。

特に、日韓戦線では「社問研」の人々と仲良くさせていただきました。
D大のSさんとか…

草加さんともお会いしてるかもしれませんね。

吉田信吾さん>
げ、それって絶対会ってます…(;´゜,∀゜)
つか、お互い顔をみたら「お前だったのか!」とわかると思う。
「中にはいい人もいて、一緒に協力しあえるノンセクトもいたけど」というのは、
吉田さんとこの人たちを念頭に書いた文章やから。

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