衆院選の結果分析をいろいろ見させていただきました。その多くの方が、実際の有権者の選択(民意)と、獲得議席があまりにも乖離しすぎていることを指摘しておられました。つまり下記のグラフのような分析です。
ありがちな分析
うん、確かに酷いよね。45%の得票で、議席の7割近くが配分されてしまうのですから。上図は比例区の得票ですが、小選挙区だともっと酷い。多くの国の小選挙区制度のように死票をできるだけ少なくする工夫がまったくこらされていない、常に時の第一党だけが超抜群に有利になるように設計されているからですね。「それってどこの遅れた独裁国家の制度なんですか?え、日本!嘘でしょ!」と言いたくなります。
だけどね、もし「民意と結果が乖離している」というのであれば、じゃあ、あなた、いったい有権者は本当はどういう判断をしていたというんですかと。実際の民意(社会的力関係)はどうなっているのか?私たちの位置はどれくらいなのか?それを当落に一喜一憂せず、投票動向から冷静にさぐってみようというのが今回のテーマです。
その前に……やっぱり今の制度って酷いよね
まあ、3党や5党で争えば、第一党が総取りしていく制度なのはわかってますし、世論調査でもそのことは示されてました。小選挙区に限れば自民党は48%の支持で議席の75%を独占しています。イカサマはわかっているので、私はむしろここで書こうと思っているような社会の勢力比がどうなっているか分析できる機会だということに関心があって、その結果を楽しみにしていたくらい。
もちろん上のグラフのような分析が意味がないって言ってるわけじゃないですよ。いつものこととはいえ、あまりにも結果が民意とかけ離れていることは明白です。最近は選挙のあり方そのものを考えようという運動や催しが増えてきているようですが、そのこと自体には意味があると思いますし、とりくんでいる方には敬意をはらいます。それも必ずやらなくてはならない。
小選挙区制が導入される時には「汚職や口利きなどの悪いことをした議員が2位や3位では当選できないから確実に落とせるし、政権交代だって簡単になるので政治家は悪いことができなくなる」と説明されていましたが、実際は全く逆でしたね。どんなに悪いことをしても疑惑があっても、過半の支持を失っても、とにかく第一党でさえあれば、小選挙区制に守られてのうのうと逃げおおせるのですから。個別の政治家だって、小選挙区で大物が2位や3位になっても、重複立候補で復活するので結局は落とせない。
かつて中選挙区制度の頃は「有権者は実に絶妙な判断をするなあ!」という感嘆が議員からよく聞かれましたが、小選挙区になってからその言葉は一度も聞かれません。かつてのように有権者が「政権交代は望まないが、議席を減らして反省させる」こともできない。つまり「どの党に3百議席を与えるか」という選択しかないという現実!
市民運動はどの政党や政治家の味方でもないはず
さて、今は非常事態だから仕方ないんですが、それでも近年、市民活動をしている人が過剰なまでに選挙や政治家にのめりこんでいる印象です。それはいいことでもあるんだろうけど、危険な面もあるでしょう。
市民運動というのは権力や特定政党からも自由であるべきで、立民が政権をとれば立民と闘う、共産が政権に入れば共産党と闘う、どこの味方というわけでもない、政治家や国家の縄張り争いにまきこまれない、常に権力者をチェックし、誰が権力者になろうが一喜一憂せずに行動や目的がブレない、それが本来の市民運動というものです。
ただでさえ国家とか政府というものは徐々に相対化していく流れにあると思っています。かつてのように各国が独自の判断で、しのぎを削りあうような時代はゆっくりと終わりをつげています。鸚鵡のように何かと北朝鮮を例にあげるまでもなく、強権的な国家や政府というものは未だに存在していますが、そういう発想で、国というものを崇め奉り、旧来の国家感を墨守している国は、長期的には衰退していくほかないと思います。安倍もまた、北朝鮮と同じくその方向を向いている一人だと思う。
そんな時代でも政党や政治団体の活動家は、やはり「わが党が政権をとったら(議席が伸びたら)」「革命が成就した暁には」的な発想があって、そこにすべてを流し込む、囲い込む、「その日」まで歯をくいしばって頑張る。それはそれでいいですよ。頑張ってください。でもあまり魅力を感じないし、おつきあいする気もおきないなあ。「別に権力をとれるならとってもいいけど」くらいでちょうどいいと思うよ。権力をとれなきゃ(選挙で勝たなきゃ)何にも成就できないという発想だけは捨てるべきだと思う。勝手にどんどんやればいい。とりわけ「非暴力直接行動」を名乗るのであればなおさらですよ。
もしどうしてもやるんなら、イタリアやフランスみたいに、逆に政治家を引き回して自前の「政党らしからぬ政党」を立ち上げて、政権を目指すくらいやらないといかんと思う。でも私はこれにも懐疑的で、つまり、誰が権力をとっても今の資本主義を、民衆に犠牲を強いずに立て直すことはおろか、延命させることすら難しいと思う。別の言い方をするならば、権力だけじゃダメ、何も変わらないということ。社会変革が先にあるべきで、政府なり国家が、あとからそれを追認せざるを得ないという形しかない。つまり権力を手にするとしても、それははじまりではなく結果だということです。
こういう考え方って、20世紀左翼の間では「社会革命主義」とかいうレッテルを貼られて夢物語あつかいされ、政党や政治団体の皆さんからは否定的に語られていた。そしてそう言われる根拠もあった。それは「国家」というものの存在が今よりはるかに大きかったからですね。でも21世紀からは、この方向で考えていくしか根本的な問題の解決はないと思うのですよ。その具体的な中身は今までも散漫ですが書いてきたし、これからも書いていきたいと思う。つまり選挙や議会さえそのほんの一部として「私たちのやるべきことをやりましょう!」ということです。
古い政治家的な発想ではなく、そんな「これから」のための一助として、選挙の分析をするんだということを確認したい。ということで、やっと次回から本論です。
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なお、分析や統計の数字として、総務省の選挙結果データーおよび、プレカリアートさんのブログ「アフガン・イラク・北朝鮮と日本」でご紹介されていたグラフや表を参照させていただきました。ここにご報告と共に、表の作成者に心からの敬意と感謝を伝えたいと思います。
RT @kousuke431: ブログ更新 連載1】得票で見る現実の社会的力関係ー何をなぜどのように分析すべきか https://t.co/0iJro5Wdf1 @kousuke431 より
とても興味深い新連載です。次回が楽しみです。
でも無理しないで下さいね。
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