蟹工船/小林多喜二

投稿者:草加 耕助

 四

蟹工船 靄(もや)が下りていた。何時も厳しく機械的に組合わさっている通風パイプ、煙筒(チェムニー)、ウインチの腕、吊(つ)り下がっている川崎船、デッキの手すり、などが、薄ぼんやり輪廓をぼかして、今までにない親しみをもって見えていた。柔かい、生ぬるい空気が、頬(ほお)を撫(な)でて流れる。――こんな夜はめずらしかった。

 トモのハッチに近く、蟹の脳味噌の匂いがムッとくる。網が山のように積(つま)さっている間に、高さの跛(びっこ)な二つの影が佇(たたず)んでいた。
 過労から心臓を悪くして、身体が青黄く、ムクンでいる漁夫が、ドキッ、ドキッとくる心臓の音でどうしても寝れず、甲板に上ってきた。手すりにもたれて、フ糊でも溶かしたようにトロッとしている海を、ぼんやり見ていた。この身体では監督に殺される。然(しか)し、それにしては、この遠いカムサツカで、しかも陸も踏めずに死ぬのは淋し過ぎる。――すぐ考え込まさった。その時、網と網の間に、誰かいるのに漁夫が気付いた。
 蟹の甲殻の片(かけら)を時々ふむらしく、その音がした。
 ひそめた声が聞こえてきた。
 漁夫の眼が慣れてくると、それが分ってきた。十四、五の雑夫に漁夫が何か云っているのだった。何を話しているのかは分らなかった。後向きになっている雑夫は、時々イヤ、イヤをしている子供のように、すねているように、向きをかえていた。それにつれて、漁夫もその通り向きをかえた。それが少しの間続いた。漁夫は思わず(そんな風だった)高い声を出した。が、すぐ低く、早口に何か云った。と、いきなり雑夫を抱きすくめてしまった。喧嘩だナ、と思った。着物で口を抑えられた「むふ、むふ……」という息声だけが、一寸(ちょっと)の間聞えていた。然し、そのまま動かなくなった。――その瞬間だった。柔かい靄の中に、雑夫の二本の足がローソクのように浮かんだ。下半分が、すっかり裸になってしまっている。それから雑夫はそのまま蹲(しゃが)んだ。と、その上に、漁夫が蟇(がま)のように覆いかぶさった。それだけが「眼の前」で、短かい――グッと咽喉(のど)につかえる瞬間に行われた。見ていた漁夫は、思わず眼をそらした。酔わされたような、撲(な)ぐられたような興奮をワクワクと感じた。

 漁夫達はだんだん内からむくれ上ってくる性慾に悩まされ出してきていた。四カ月も、五カ月も不自然に、この頑丈(がんじょう)な男達が「女」から離されていた。――函館で買った女の話や、露骨な女の陰部の話が、夜になると、きまって出た。一枚の春画がボサボサに紙に毛が立つほど、何度も、何度もグルグル廻された。

…………
床とれの、
こちら向けえの、
口すえの、
足をからめの、
気をやれの、
ホンに、つとめはつらいもの。

 誰か歌った。すると、一度で、その歌が海綿にでも吸われるように、皆に覚えられてしまった。何かすると、すぐそれを歌い出した。そして歌ってしまってから、「えッ、畜生!」と、ヤケに叫んだ、眼だけ光らせて。
 漁夫達は寝てしまってから、
 「畜生、困った! どうしたって眠(ね)れないや」と、身体をゴロゴロさせた。「駄目だ、伜が立って!」
 「どうしたら、ええんだ!」――終(しま)いに、そう云って、勃起(ぼっき)している睾丸(きんたま)を握りながら、裸で起き上ってきた。大きな身体の漁夫の、そうするのを見ると、身体のしまる、何か凄惨な気さえした。度胆(どぎも)を抜かれた学生は、眼だけで隅の方から、それを見ていた。
 夢精をするのが何人もいた。誰もいない時、たまらなくなって自涜をするものもいた。――棚の隅にカタのついた汚れた猿又や褌(ふんどし)が、しめっぽく、すえた臭いをして円(まる)められていた。学生はそれを野糞のように踏みつけることがあった。
 ――それから、雑夫の方へ「夜這(よば)い」が始まった。バットをキャラメルに換えて、ポケットに二つ三つ入れると、ハッチを出て行った。
 便所臭い、漬物樽(つけものだる)の積まさっている物置を、コックが開けると、薄暗い、ムッとする中から、いきなり横ッ面でもなぐられるように、怒鳴られた。
 「閉めろッ! 今、入ってくると、この野郎、タタキ殺すぞ!」

        ×     ×     ×

 無電係が、他船の交換している無電を聞いて、その収獲を一々監督に知らせた。それで見ると、本船がどうしても負けているらしい事が分ってきた。監督がアセリ出した。すると、テキ面にそのことが何倍かの強さになって、漁夫や雑夫に打ち当ってきた。――何時(いつ)でも、そして、何んでもドン詰りの引受所が「彼等」だけだった。監督や雑夫長はわざと「船員」と「漁夫、雑夫」との間に、仕事の上で競争させるように仕組んだ。
 同じ蟹つぶしをしていながら、「船員に負けた」となると、(自分の儲けになる仕事でもないのに)漁夫や雑夫は「何に糞ッ!」という気になる。監督は「手を打って」喜んだ。今日勝った、今日負けた、今度こそ負けるもんか――血の滲(にじ)むような日が滅茶苦茶に続く。同じ日のうちに、今までより五、六割も殖(ふ)えていた。然し五日、六日になると、両方とも気抜けしたように、仕事の高がズシ、ズシ減って行った。仕事をしながら、時々ガクリと頭を前に落した。監督はものも云わないで、なぐりつけた。不意を喰らって、彼等は自分でも思いがけない悲鳴を「キャッ!」とあげた。――皆は敵(かたき)同志か、言葉を忘れてしまった人のように、お互にだまりこくって働いた。ものを云うだけのぜいたくな「余分」さえ残っていなかった。
 監督は然し、今度は、勝った組に「賞品」を出すことを始めた。燻(くすぶ)りかえっていた木が、又燃え出した。
「他愛のないものさ」監督は、船長室で、船長を相手にビールを飲んでいた。
 船長は肥えた女のように、手の甲にえくぼが出ていた。器用に金口(きんぐち)をトントンとテーブルにたたいて、分らない笑顔で答えた。――船長は、監督が何時でも自分の眼の前で、マヤマヤ邪魔をしているようで、たまらなく不快だった。漁夫達がワッと事を起して、此奴をカムサツカの海へたたき落すようなことでもないかな、そんな事を考えていた。
 監督は「賞品」の外に、逆に、一番働きの少いものに「焼き」を入れることを貼紙(はりがみ)した。鉄棒を真赤に焼いて、身体にそのまま当てることだった。彼等は何処まで逃げても離れない、まるで自分自身の影のような「焼き」に始終追いかけられて、仕事をした。仕事が尻上りに、目盛りをあげて行った。
 人間の身体には、どの位の限度があるか、然しそれは当の本人よりも監督の方が、よく知っていた。――仕事が終って、丸太棒のように棚の中に横倒れに倒れると、「期せずして」う、う――、うめいた。

 学生の一人は、小さい時は祖母に連れられて、お寺の薄暗いお堂の中で見たことのある「地獄」の絵が、そのままこうであることを思い出した。それは、小さい時の彼には、丁度うわばみのような動物が、沼地ににょろ、にょろと這っているのを思わせた。それとそっくり同じだった。――過労がかえって皆を眠らせない。夜中過ぎて、突然、硝子(ガラス)の表に思いッ切り疵(きず)を付けるような無気味な歯ぎしりが起ったり、寝言や、うなされているらしい突調子な叫声が、薄暗い「糞壺」の所々から起った。
 彼等は寝れずにいるとき、フト、「よく、まだ生きているな……」と自分で自分の生身の身体にささやきかえすことがある。よく、まだ生きている。――そう自分の身体に!
 学生上りは一番「こたえて」いた。
 「ドストイェフスキーの死人の家な、ここから見れば、あれだって大したことでないって気がする」――その学生は、糞が何日もつまって、頭を手拭(てぬぐい)で力一杯に締めないと、眠れなかった。
 「それアそうだろう」相手は函館からもってきたウイスキーを、薬でも飲むように、舌の先きで少しずつ嘗(な)めていた。「何んしろ大事業だからな。人跡未到の地の富源を開発するッてんだから、大変だよ。――この蟹工船だって、今はこれで良くなったそうだよ。天候や潮流の変化の観測が出来なかったり、地理が実際にマスターされていなかったりした創業当時は、幾ら船が沈没したりしたか分らなかったそうだ。露国の船には沈められる、捕虜になる、殺される、それでも屈しないで、立ち上り、立ち上り苦闘して来たからこそ、この大富源が俺たちのものになったのさ。……まア仕方がないさ」
 「…………」

 ――歴史が何時でも書いているように、それはそうかも知れない気がする。然し、彼の心の底にわだかまっているムッとした気持が、それでちっとも晴れなく思われた。彼は黙ってベニヤ板のように固くなっている自分の腹を撫(な)でた。弱い電気に触れるように、拇指(おやゆび)のあたりが、チャラチャラとしびれる。イヤな気持がした。拇指を眼の高さにかざして、片手でさすってみた。――皆は、夕飯が終って、「糞壺」の真中に一つ取りつけてある、割目が地図のように入っているガタガタのストーヴに寄っていた。お互の身体が少し温ってくると、湯気が立った。蟹の生ッ臭い匂(にお)いがムレて、ムッと鼻に来た。
 「何んだか、理窟は分らねども、殺されたくねえで」
 「んだよ!」
 憂々した気持が、もたれかかるように、其処(そこ)へ雪崩(なだ)れて行く。殺されかかっているんだ! 皆はハッキリした焦点もなしに、怒りッぽくなっていた。
 「お、俺だちの、も、ものにもならないのに、く、糞、こッ殺されてたまるもんか!」
 吃(ども)りの漁夫が、自分でももどかしく、顔を真赤に筋張らせて、急に、大きな声を出した。
 一寸(ちょっと)、皆だまった。何かにグイと心を「不意」に突き上げられた――のを感じた。
 「カムサツカで死にたくないな……」
 「…………」
 「中積船、函館ば出たとよ。――無電係の人云ってた」
 「帰りてえな」
 「帰れるもんか」
 「中積船でヨク逃げる奴がいるってな」
 「んか?! ……ええな」
 「漁に出る振りして、カムサツカの陸さ逃げて、露助と一緒に赤化宣伝ばやってるものもいるッてな」
 「…………」
 「日本帝国のためか、――又、いい名義を考えたもんだ」――学生は胸のボタンを外して、階段のように一つ一つ窪みの出来ている胸を出して、あくびをしながら、ゴシゴシ掻いた。垢(あか)が乾いて、薄い雲母のように剥げてきた。
 「んよ、か、会社の金持ばかり、ふ、ふんだくるくせに」
 カキの貝殻のように、段々のついた、たるんだ眼蓋(まぶた)から、弱々しい濁った視線をストオヴの上にボンヤリ投げていた中年を過ぎた漁夫が唾をはいた。ストオヴの上に落ちると、それがクルックルッと真円(まんまる)にまるくなって、ジュウジュウ云いながら、豆のように跳ね上って、見る間に小さくなり、油煙粒ほどの小さいカスを残して、無くなった。皆はそれにウカツな視線を投げている。
 「それ、本当かも知れないな」
 然し、船頭が、ゴム底タビの赤毛布の裏を出して、ストーヴにかざしながら、「おいおい叛逆(てむかい)なんかしないでけれよ」と云った。
 「…………」
 「勝手だべよ。糞」吃りが唇を蛸(たこ)のように突き出した。
 ゴムの焼けかかっているイヤな臭いがした。
 「おい、親爺(おど)、ゴム!」
 「ん、あ、こげた!」
 波が出て来たらしく、サイドが微(かす)かになってきた。船も子守唄程に揺れている。腐った海漿(ほおずき)のような五燭燈でストーヴを囲んでいるお互の、後に落ちている影が色々にもつれて、組合った。――静かな夜だった。ストーヴの口から赤い火が、膝から下にチラチラと反映していた。不幸だった自分の一生が、ひょいと――まるッきり、ひょいと、しかも一瞬間だけ見返される――不思議に静かな夜だった。
 「煙草無(ね)えか?」
 「無え……」
 「無えか?……」
 「なかったな」
 「糞」
 「おい、ウイスキーをこっちにも廻せよ、な」
 相手は角瓶(かくびん)を逆かさに振ってみせた。
 「おッと、勿体(もったい)ねえことするなよ」
 「ハハハハハハハ」
 「飛んでもねえ所さ、然し来たもんだな、俺も……」その漁夫は芝浦の工場にいたことがあった。そこの話がそれから出た。それは北海道の労働者達には「工場」だとは想像もつかない「立派な処」に思われた。「ここの百に一つ位のことがあったって、あっちじゃストライキだよ」と云った。
 その事から――そのキッかけで、お互の今までしてきた色々のことが、ひょいひょいと話に出てきた。「国道開たく工事」「灌漑(かんがい)工事」「鉄道敷設」「築港埋立」「新鉱発掘」「開墾」「積取人夫」「鰊(にしん)取り」――殆(ほと)んど、そのどれかを皆はしてきていた。

 ――内地では、労働者が「横平(おうへい)」になって無理がきかなくなり、市場も大体開拓されつくして、行詰ってくると、資本家は「北海道・樺太へ!」鉤爪(かぎづめ)をのばした。其処(そこ)では、彼等は朝鮮や、台湾の殖民地と同じように、面白い程無茶な「虐使」が出来た。然し、誰も、何んとも云えない事を、資本家はハッキリ呑み込んでいた。「国道開たく」「鉄道敷設」の土工部屋では、虱(しらみ)より無雑作に土方がタタき殺された。虐使に堪(た)えられなくて逃亡する。それが捕(つか)まると、棒杭(ぼうぐい)にしばりつけて置いて、馬の後足で蹴(け)らせたり、裏庭で土佐犬に噛み殺させたりする。それを、しかも皆の目の前でやってみせるのだ。肋骨が胸の中で折れるボクッとこもった音をきいて、「人間でない」土方さえ思わず顔を抑えるものがいた。気絶をすれば、水をかけて生かし、それを何度も何度も繰りかえした。終(しま)いには風呂敷包みのように、土佐犬の強靱(きょうじん)な首で振り廻わされて死ぬ。ぐったり広場の隅に投げ出されて、放って置かれてからも、身体の何処かが、ピクピクと動いていた。焼火箸(やけひばし)をいきなり尻にあてることや、六角棒で腰が立たなくなる程なぐりつけることは「毎日」だった。飯を食っていると、急に、裏で鋭い叫び声が起る。すると、人の肉が焼ける生ッ臭い匂いが流れてきた。
 「やめた、やめた。――とても飯なんて、食えたもんじゃねえや」
 箸を投げる。が、お互暗い顔で見合った。
 脚気(かっけ)では何人も死んだ。無理に働かせるからだった。死んでも「暇がない」ので、そのまま何日も放って置かれた。裏へ出る暗がりに、無雑作にかけてあるムシロの裾(すそ)から、子供のように妙に小さくなった、黄黒く、艶(つや)のない両足だけが見えた。
「顔に一杯蠅(はえ)がたかっているんだ。側を通ったとき、一度にワアーンと飛び上るんでないか!」
 額を手でトントン打ちながら入ってくると、そう云う者があった。
 皆は朝は暗いうちに仕事場に出された。そして鶴嘴(つるはし)のさきがチラッ、チラッと青白く光って、手元が見えなくなるまで、働かされた。近所に建っている監獄で働いている囚人の方を、皆はかえって羨(うらやま)しがった。殊(こと)に朝鮮人は親方、棒頭(ぼうがしら)からも、同じ仲間の土方(日本人の)からも「踏んづける」ような待遇をうけていた。
 其処から四、五里も離れた村に駐在している巡査が、それでも時々手帖をもって、取調べにテクテクやってくる。夕方までいたり、泊りこんだりした。然し土方達の方へは一度も顔を見せなかった。そして、帰りには真赤な顔をして、歩きながら道の真中を、消防の真似(まね)でもしているように、小便を四方にジャジャやりながら、分らない独言を云って帰って行った。
 北海道では、字義通り、どの鉄道の枕木もそれはそのまま一本々々労働者の青むくれた「死骸」だった。築港の埋立には、脚気の土工が生きたまま「人柱」のように埋められた。――北海道の、そういう労働者を「タコ(蛸)」と云っている。蛸は自分が生きて行くためには自分の手足をも食ってしまう。これこそ、全くそっくりではないか! そこでは誰をも憚(はばか)らない「原始的」な搾取が出来た。「儲け」がゴゾリ、ゴゾリ掘りかえってきた。しかも、そして、その事を巧みに「国家的」富源の開発ということに結びつけて、マンマと合理化していた。抜目がなかった。「国家」のために、労働者は「腹が減り」「タタき殺されて」行った。
 「其処(あこ)から生きて帰れたなんて、神助け事だよ。有難かったな! んでも、この船で殺されてしまったら、同じだべよ。――何アーんでえ!」そして突調子なく大きく笑った。その漁夫は笑ってしまってから、然し眉のあたりをアリアリと暗くして、横を向いた。

 鉱山(やま)でも同じだった。――新しい山に坑道を掘る。そこにどんな瓦斯(ガス)が出るか、どんな飛んでもない変化が起るか、それを調べあげて一つの確針をつかむのに、資本家は「モルモット」より安く買える「労働者」を、乃木軍神がやったと同じ方法で、入り代り、立ち代り雑作なく使い捨てた。鼻紙より無雑作に! 「マグロ」の刺身のような労働者の肉片が、坑道の壁を幾重にも幾重にも丈夫にして行った。都会から離れていることを好い都合にして、此処でもやはり「ゾッ」とすることが行われていた。トロッコで運んでくる石炭の中に拇指(おやゆび)や小指がバラバラに、ねばって交ってくることがある。女や子供はそんな事には然し眉を動かしてはならなかった。そう「慣らされていた」彼等は無表情に、それを次の持場まで押してゆく。――その石炭が巨大な機械を、資本家の「利潤」のために動かした。
 どの坑夫も、長く監獄に入れられた人のように、艶(つや)のない黄色くむくんだ、始終ボンヤリした顔をしていた。日光の不足と、炭塵(たんじん)と、有毒ガスを含んだ空気と、温度と気圧の異常とで、眼に見えて身体がおかしくなってゆく。「七、八年も坑夫をしていれば、凡(およ)そ四、五年間位は打(ぶ)ッ続けに真暗闇(まっくらやみ)の底にいて、一度だって太陽を拝まなかったことになる、四、五年も!」――だが、どんな事があろうと、代りの労働者を何時でも沢山仕入れることの出来る資本家には、そんなことはどうでもいい事であった。冬が来ると、「やはり」労働者はその坑山に流れ込んで行った。

 それから「入地百姓」――北海道には「移民百姓」がいる。「北海道開拓」「人口食糧問題解決、移民奨励」、日本少年式な「移民成金」など、ウマイ事ばかり並べた活動写真を使って、田畑を奪われそうになっている内地の貧農を煽動して、移民を奨励して置きながら、四、五寸も掘り返せば、下が粘土ばかりの土地に放り出される。豊饒(ほうじょう)な土地には、もう立札が立っている。雪の中に埋められて、馬鈴薯も食えずに、一家は次の春には餓死することがあった。それは「事実」何度もあった。雪が溶けた頃になって、一里も離れている「隣りの人」がやってきて、始めてそれが分った。口の中から、半分嚥(の)みかけている藁屑(わらくず)が出てきたりした。
 稀(ま)れに餓死から逃れ得ても、その荒ブ地を十年もかかって耕やし、ようやくこれで普通の畑になったと思える頃、実はそれにちアんと、「外の人」のものになるようになっていた。資本家は――高利貸、銀行、華族、大金持は、嘘のような金を貸して置けば、(投げ捨てて置けば)荒地は、肥えた黒猫の毛並のように豊饒な土地になって、間違なく、自分のものになってきた。そんな事を真似て、濡手をきめこむ、目の鋭い人間も、又北海道に入り込んできた。――百姓は、あっちからも、こっちからも自分のものを噛みとられて行った。そして終(しま)いには、彼等が内地でそうされたと同じように「小作人」にされてしまっていた。そうなって百姓は始めて気付いた。――「失敗(しま)った!」
 彼等は少しでも金を作って、故里(ふるさと)の村に帰ろう、そう思って、津軽海峡を渡って、雪の深い北海道へやってきたのだった。――蟹工船にはそういう、自分の土地を「他人」に追い立てられて来たものが沢山いた。

 積取人夫は蟹工船の漁夫と似ていた。監視付きの小樽(おたる)の下宿屋にゴロゴロしていると、樺太(かばふと)や北海道の奥地へ船で引きずられて行く。足を「一寸(いっすん)」すべらすと、ゴンゴンゴンとうなりながら、地響をたてて転落してくる角材の下になって、南部センベイよりも薄くされた。ガラガラとウインチで船に積まれて行く、水で皮がペロペロになっている材木に、拍子を食って、一なぐりされると、頭のつぶれた人間は、蚤(のみ)の子よりも軽く、海の中へたたき込まれた。
 ――内地では、何時までも、黙って「殺されていない」労働者が一かたまりに固って、資本家へ反抗している。然し「殖民地」の労働者は、そういう事情から完全に「遮断」されていた。
 苦しくて、苦しくてたまらない。然し転(ころ)んで歩けば歩く程、雪ダルマのように苦しみを身体に背負い込んだ。
 「どうなるかな……?」
 「殺されるのさ、分ってるべよ」
 「…………」何か云いたげな、然しグイとつまったまま、皆だまった。
 「こ、こ、殺される前に、こっちから殺してやるんだ」どもりがブッきら棒に投げつけた。
 ドブーン、ドブーンとゆるく腹(サイド)に波が当っている。上甲板の方で、何処かのパイプからスティムがもれているらしく、シー、シ――ン、シ――ンという鉄瓶(てつびん)のたぎるような、柔かい音が絶えずしていた。

 寝る前に、漁夫達は垢(あか)でスルメのようにガバガバになったメリヤスやネルのシャツを脱いで、ストーヴの上に広げた。囲んでいるもの達が、炬燵(こたつ)のように各々その端をもって、熱くしてからバタバタとほろった。ストーヴの上に虱(しらみ)や南京虫が落ちると、プツン、プツンと、音をたてて、人が焼ける時のような生ッ臭い臭いがした。熱くなると、居たまらなくなった虱が、シャツの縫目から、細かい沢山の足を夢中に動かして、出て来る。つまみ上げると、皮膚の脂肪(あぶら)ッぽいコロッとした身体の感触がゾッときた。かまきり虫のような、無気味な頭が、それと分る程肥えているのもいた。
 「おい、端を持ってけれ」
 褌(ふんどし)の片端を持ってもらって、広げながら虱をとった。
 漁夫は虱を口に入れて、前歯で、音をさせてつぶしたり、両方の拇指(おやゆび)の爪で、爪が真赤になるまでつぶした。子供が汚い手をすぐ着物に拭(ふ)くように、袢天(はんてん)の裾(すそ)にぬぐうと、又始めた。――それでも然し眠れない。何処から出てくるか、夜通し虱と蚤(のみ)と南京虫(ナンキンむし)に責められる。いくらどうしても退治し尽されなかった。薄暗く、ジメジメしている棚に立っていると、すぐモゾモゾと何十匹もの蚤が脛(すね)を這い上ってきた。終(しま)いには、自分の体の何処かが腐ってでもいないのか、と思った。蛆(うじ)や蠅に取りつかれている腐爛(ふらん)した「死体」ではないか、そんな不気味さを感じた。
 お湯には、初め一日置きに入れた。身体が生ッ臭くよごれて仕様がなかった。然し一週間もすると、三日置きになり、一カ月位経つと、一週間一度。そしてとうとう月二回にされてしまった。水の濫費(らんぴ)を防ぐためだった。然し、船長や監督は毎日お湯に入った。それは濫費にはならなかった(!)。――身体が蟹の汁で汚れる、それがそのまま何日も続く、それで虱か南京虫が湧(わ)かない「筈(はず)」がなかった。
 褌を解くと、黒い粒々がこぼれ落ちた。褌をしめたあとが、赤くかたがついて、腹に輪を作った。そこがたまらなく掻(か)ゆかった。寝ていると、ゴシゴシと身体をやけにかく音が何処からも起った。モゾモゾと小さいゼンマイのようなものが、身体の下側を走るかと思うと――刺す。その度に漁夫は身体をくねらし、寝返りを打った。然し又すぐ同じだった。それが朝まで続く。皮膚が皮癬(ひぜん)のように、ザラザラになった。
 「死に虱だべよ」
 「んだ、丁度ええさ」
 仕方なく、笑ってしまった。

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