むしろこうした点で、最もすぐれた観点をわれわれに教えてくれるのは毛沢東であり、彼の西欧的近代主義への傾斜と憧憬を退けつつ、遅れた農民に依拠し、それに学ぶことにより自己を改造するといった、いわゆる「下放の精神」の提起は、いわば思想としてのスターリン主義をたち切るヒントを示している。
それはあるいは非対象的なままにおこなわれているのかもしれないが、家父長的家族制度の残存といった特異性をもつ東洋、なかんずく中国にアプリオリに西欧的近代の開示としてのマルクス主義を持ちこむことは否定されており、中国農民に理解される内容と形態において、一方で儒教的色彩さえおびつつ独自の、いわゆる「毛沢東思想」として、共産主義が敷衍(ふえん)されている。
レーニンが近代的自我の確立を自明のものとみなし、西欧的知識人の集合体で事実上あったロシア社会民主党に、規約と規律の考え方を持ち込み、『何をなすべきか』的党建設として民主的中央集権制を訴え、ひいては西欧的個人主義の克服をはかっていこうとしたことは、それ自体独自の発想であり、すぐれた観点の提出であったといえるだろうが、毛沢東の場合には『党内の誤った考え方の是正について』や『党八股を克服せよ』などの整風運動が軸となり、都市中産階級やインテリゲンチャに多くみられる理論的教条主義や、逆に教育のない幹部に多くみられる自分だけの経験だけから真理をおしはかろうとする経験主義を主観主義の二つのあらわれとして批判し、主観主義を排した作風、すなわち現に存在する抑圧され、貧困にあえぐ農奴的状態にある中国農民の解放の規範としての中国共産党と人民解放軍の実践という考え方をおしすすめ、都市中産階級はこれに学び自己を改造せよと教えたのであった。
そこでの人民解放に献身する主体への自己の改造、人民一人ひとりの魂に触れる革命の提起は、近代個人主義とは別個の地平で共産主義的主体が確立する可能性を与えたし、いわば歴史上はじめて中国人民がみずからの手で歴史をきり開き、作りあげる主体的基礎を創造した。
われわれが中国革命と毛沢東から学ぶべきことはこの内容であり、近代合理主義を止揚しえる方向性の開示であって、思想としてとらえられるべきものであり、毛沢東哲学だのプロ独=社会主義論などの誤った理論内容ではない。
そしてこれ等は、(1)党員と非党員のあいだでの差別・分断を止揚する方向をつかみとること、(2)人民の意志を代弁せず、党の意志が人民におしつけられるにすぎない政治を克服すること、あるいは(3)セクト主義を止揚できず、他派との共存を認められずに内ゲバ主義を構造化させることからの自己止揚をかちとることなどの問題として深められ、方向づけられていくべきことだと考えられる(くわしくは『ブント主義の再生』収録「共産主義的主体と党風」を参照)。
レーニンがロシアにおける西欧的近代の存在を信じ、またその実現としての資本主義経済関係が一度はロシアヘ導人されるべきことを主張した時(=ネップ政策)、結局その内容は都市プロレタリアートの統制下、ひいては党の下に農民をひきつけ支配しきることを意味し、従って社会主義的蓄積のためには農民から収奪せよという、存在としての農民を両極分解する中間層としてしか見きれない左翼反対派的主張を一面では必然化せしめた。『ロシアにおける資本主義の発達』におけるごとき、発達につれての資本主義の純化、階級的両極分解の考えは、しかしながら全社会機構を完全には資本主義化せず、むしろ不純な要素をのこしたまま特定部門における固定資本の巨大化をつうじ、独占体が形成されていく金融資本主義時代へのロシアの転化発展につれ、次第に現実にそぐわないものとなり、レーニンにあっては民族問題などへのアプローチをつうじ、帝国主義の腐朽性概念の提出となって、次第に内容的な変更がくわえられていった。
それは『帝国主義論』において論理的に方向づけられていったわけだが、そこでは第一に、二大階級以外の様々な階層、中間層が構造的に派生し社会的に滞留していく問題として、第二にプロレタリア、ブルジョア両階級内部に階層分化が激しくおこり、プロレタリア階級内部の上層部は超過利潤により、ブルジョア階級に買収されるという提起として、問題の整理がなされた。
このことは政治的にはロシアにあっては西欧よりもさらに遅れた条件下、近代個人主義を開花せしめるような知性なり教養なりを修得した人的素材は、ボリシェヴィキ党内部にあってもごく少数しか存在していないということに基因したのであり、いわんやムジークとよばれる農民大衆にそうした規範をさしむけることなど到底できないということを意味するものであった。
『何をなすべきか』的党建設は、ツアー専制とそこでの政治警察との死闘のために、必然ではあったが、しかし適用を誤れば人民にとり桎梏ともなる「両刃の刃」的位置をしめている。大衆の自然発生性と前衛の目的意識性といった概念は、政治の質の問題として止揚される方向をとらない場合、たんなる先走りや党的理念の大衆への押しつけにしかならない場合もある。権力掌握後のレーニンが、『プロレタリア革命と背教者カウツキー』を書き、『左翼小児病』を執筆するのも、結局は党的主体の思考方法の転換の要請であり、大衆と結合し、意識性をひきだす政治の実現を呼びかけるものであった。
事実この時期のレーニンの文章には「社会主義経済の基礎を仕上げる(特に小農民の国で)というような画期的な企てを、誤りを犯すことなく、時には後退するということもなく、またなしとげなかったものや誤ってやったことに無数の手直しをすることなしに、なしとげることが可能であると考える共産主義者は敗北の運命にある」(『政論家の覚え書』)というような記述がいたるところに見られる。
そしておくれた、ギリシア正教的な考えにそまった封建的因習とも訣別できないロシアの大衆と結合しえず、その風土的現実にマルクス主義を適用しえないまま西欧的近代主義をふり回しただけの形となったトロツキーなどは、進歩的インテリ層に支持者を持ちはしたものの、結局は農民大衆から遊離し、国外に追放される以外なかった。
一方、スターリン統治下のロシアは、慣習的、風土的にはロシアを代弁する政治の質を持ちつつも、生産力の発展による資本主義への対抗という図式が基底におかれることによって、近代化=重化学工業の推進、農民の集団化=社会主義経済の実現がしゃにむに遂行されたにすぎず、工業社会としての西欧的近代への憧れの域を政治の質として少しも超えでることはできず、それゆえレーニンの意図を実現するには全くいたらなかったのである。
これらのこととの関連で言えば、中国革命における毛沢東の独自性とその思想的意義は、東洋的=中国的なものの発現として共産主義を組織したその特異性にあり、それが大躍進期における土法高炉による鉄の生産の提起、人民みずからが鉄をつくることの実践として、経済発展を実際には阻害していったという弊害を持ったとしても、なお「学ぶべき何か」をわれわれに提示している。
別の言い方をすれば、われわれが日本においてプロレタリア革命を推進し、天皇および日本ブルジョア階級を打倒しようとする時、西欧マルクス主義の直接導人による本工プロレタリア主義、純プロレタリア第一主義を持ち込み、近代的自我の確立を前提としたような西欧個人主義に立脚した党活動を推し進めても、われわれは日本労働者階級人民の土着性、長く天皇をその歴史の頂点にあおぎ支配をうけてきたという特殊な歴史性に、とても太刀打ちできないだろうし、従って敵権力を震憾せしめる人民の支持を得ることはできないと思えるのである。
同時にまたそれは、日本共産党および革共同的な政治の不断の孤立と、大衆からの離反をも意味するのであり、われわれ独自の発想にもとづくスターリン主義の止揚克服の道は、われわれ独自の党風・作風の確立と軌を一にするといわねばならない。そしてその方向においてのみ、日本労働者階級・人民の解放の道は広がっているのだ。
まさに近代主義として表現されるブルジョア思想が、自己を絶対化し唯一無二のものとしたがるブルジョア的尊大さと共存していることを考えるならば、党組織がスターリン主義的反人民構造におちこむ内在的根拠は、党それ自体や党的主体がシビアな自己切開の観点、自己批判の思想を欠落させ、人民の実存的苦悩から遊離する場合に生起するのであり、他者からの批判を認めず小ブルジョア的な傲慢さにひたった時、みずからのスターリン主義的偏向が指摘されねばならない。その観点を血債の思想、猛省精神と共にわれわれが守り続けることができるのか否かに、われわれの前進は求められるのであり、スターリン主義の内在的克服の道は唯一定められる。
まさしくその意味では自己を捨てて党と人民の勝利のため献身する作風のもと闘いぬいたベトナム人民や、中国人民解放軍の闘いは、一国社会主義建設可能論や二段階戦略というイデオロギー的なスターリン主義の未止揚にもかかわらず、その実践的誤謬と疎外から自由となりうる道を、一定われわれの前に先人としてさし示したといえる。その思想的内実において、いくら反スタを叫んだとしても常に自己を絶対化し、のりこえの対象だ何だといって他党派解体を自己目的化し、内ゲバ主義を構造化させるカクマルなどよりは、ずっと開かれた方向性を有しているのである。
スターリン主義を内在的に越えでた党派への自己止揚のためにも、共産主義的主体性を獲得しきり、小ブルジョア的組織体質を否定し、人民思想に立脚することにより自己批判の精神をつちかい、自己絶対化や尊大さを克服しきる党風・作風を真につくり出し、闘う人民の支持と連帯をおのがものとするならば、われわれは必ずや実践的にスターリン主義的疎外を克服しえる道をつかみうるのであり、だからこそたんなる外的世界の革命にとどまらない内的世界の革命、革命的共産主義者への自己形成の闘いが真剣なものとしてとりあげられ、課題として設定されていかなければならないのである。そのためにもブルジョア的近代主義の思想的克服は、人民思想に立脚した組織建設の実現によっておしはかられていかねばならず、その方向性においてのみスターリン主義批判は革命的意義をもってわれわれに迫ってくる。
7.『革命運動のスターリン主義的歪曲を克服せよ』
以上の如き展開からも明らかなように、われわれがスターリン主義を批判し克服しようとする方向は、たんに理論としてのスターリン主義の誤りをならべたて、それへの批判をなすことで置き換えようとするものにはなりえない。これまでの新左翼運動の多くは、スターリン主義批判を口に出しさえすれば、自分たちが既にスターリン主義をこえ出た地平において闘いを実践し、思想的内実をつくりあげているかのような、はかない幻想にひたってきたものが多く、従って主体に内在化されるスターリン主義批判の戦取といったことは、実際には何もなされてこないのが常であった。
本多書記長をカクマルに殺害された中核派の苦しみ、やむにやまれぬ報復の心情は理解できたとしても、だからといって帝国主義国家権力とカクマルに対する闘いを、対カクマルニ重対峙報復戦のように戦略的に固定化し、日帝打倒闘争と直接に等置していくことは、スターリン主義批判の内実を形づくっていく闘いとしては正しい方向といえるだろうか。もとよりそれは世界にも例をみない、自分たち以外のあらゆる対立党派の打倒ののちに、はじめて帝国主義との闘いがはじまるといったのりこえ運動を提起し、敵権力の背後からわれわれを襲撃してくる日本階級闘争史上における全く特異なカクマルという党派の存在に規定されたことであったとしても、結局は連合赤軍による14名もの同志殺害事件とならんで、この構造化された内ゲバ主義が70年代階級闘争の前進をばばんできたことは否定できない事実であるし、だからこそこのデッド・ロックからの止揚を、われわれは願うものである。
つまり、われわれが新たに「革命運動のスターリン主義的歪曲を克服せよ」とのスローガンを提起するのは、われわれ自身が内在的に未だ克服したものとはいえない革命運動のスターリン主義的歪曲を、みずからの課題として克服しようとするからに他ならず、理論としてスターリン主義を批判すればすまされるというような現実に、日本階級闘争それ自体がおかれていないと考えるからに他ならない。
その意味から言えば、「反帝・反社帝」としてソ連に対する批判を綱領化させ、みずからが理論的にもスターリン主義をこえでていない現実にほっかぶリする、現在の中共派系ブント諸派もまた、全くの客観主義的な没主体的存在であり、革命的イストヘの自己形成の闘いをネグレクトした発想といわねばならない。問題はソ連が悪いということを百万回口にすることでも、その反対に中国がいいということをならべたてることでもなく、みずからの課題として共産主義運動が切り拓くべき方向を明確化することであり、スターリン主義の内在的止揚にむけて奮闘することである。
ソ連が国際共産主義運動を裏切り続けてきたことは事実であるけれども、中国もまたベトナムヘ侵攻することにより、全く民族主義的な一国的利害をあらわにし、プロレタリア国際主義の精神を踏みにじってきたことを無視することはできず、否それ以上に日本の戦闘的労農学人民に対し、われわれ新左翼白身が内ゲバ主義を止揚できず、混乱と失望のみを与えていることを忘れてはならないのである。だから外在的にスターリン主義を批判し、いくら悪いといったところで、われわれがその陥穿から自由になりえないようなモメントをもってしては、われわれの闘いの旗じるしとなすことはできない。自己に内在しえる、内なる革命をはたしえる内実を持つものとしてのみ、スターリン主義批判は位置を持つし、巨大な歴史的意義を持つ。
われわれが「革命運動のスターリン主義的歪曲を克服せよ」と呼びかけるのも、まさしくその意味においてであって、反スタ主義を標榜したがるなどという理論主義的なアプローチからではない。これは厳然と峻別されねばならない。
われわれは他のブント系諸派のように、「トロツキー主義か、それとも毛沢東主義か」などという二者択一において問題をとらえることはできないと考えるし、その意味ではわれわれはブント主義の結実化をめざすのであって他のいずれにも与するものでもない。
トロツキーからも毛沢東からも学び、日本におけるプロレタリア革命の推進の独自の条件を考えぬくことによって、いずれわれわれ戦旗派は不抜の第三次ブントをつくりあげ、日本労働者階級人民の解放に一歩でも貢献する決意である。スターリン主義の批判と克服、それはまさに、革命的共産主義者への自己形成の闘いと同一であり、「人民を大事にし、人民を助け、人民を守る」気概を持つものだけが結局は実現しえるのだとわれわれは確信する。
「革命運動のスターリン主義的歪曲を克服せよ!」のスローガンは、かかる方向性の下に提起されており、かつその内容には近代ブルジョア思想をこえでる地平での、われわれ独自の共産主義思想の確立を希求する意味がこめられている。
すべての同志、友人、兄弟達!
われわれがスターリン主義の止揚克服につき対象化しえる領域は未だせまく、極めて不充分なものでしかないが、以上述べてきたことをふまえることによって、日本労働者階級人民の解放のために貢献しぬける、独自の思想性をもち独自の戦争の論理を駆使しうる不抜の戦旗・共産主義者同盟の建設をめざし、最後の最後まで共に闘い抜かん!
(初掲1980年4月『戦旗』415号)
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