by ジグザグ会/岩山昇太
8月28日 防衛副大臣視察に抗議
朝七時半に宿を出発。キャンプシュワブ・新ゲート前で、まずはテントづくりだ。最初から「作り方がなってない」と現場責任者の山城博治さん(沖縄平和運動センター事務局長)に叱られてしょげた。
テントが完成すると、県内・県外から集まった人々が次々に発言した。沖縄の日差しは強烈で、テントがあってもつらい。座り込みを続ける方々に頭が上がらない。
10時半、武田防衛副大臣が「視察」と称して辺野古上空をヘリでやってきた。「何しに来た、帰れ」と座り込み参加者は立ち上がり、ゲート前でシュプレヒコールを繰り返した。旋回しているヘリに向けて「辺野古埋め立て阻止」のプラカードを突きつけた。
抗議行動の後、辺野古浜のヘリ基地反対協議会のテントに移動。沖縄国際大の学生達が教員に引率され見学に来ており、安次富浩さん(ヘリ基地反対協代表)から説明を受けていた。横でこっそり拝聴する。
続いて海上見学をさせてもらった。安倍政権が勝手に設定した「臨時制限区域」を示すフロートの内側に、ボーリング調査を行っているスパット台船が二台あるのを確認した。近寄ると海上保安庁の船が執拗に追尾してきた。海保は「危ないですから近寄らないで」と警告するのだが、カヌー隊の青年を「確保」と称して暴行を加えたり、わざと水深の浅い航路を通らせようとするなど、危ないことをしているのは海保のほうだ。
8月29日 海保の暴力を許すな
朝、ヘリ基地反対協の第二テントで待機していると、「カヌーの漕ぎ方を教えてあげる」というので急遽、講習を受けることになった。滞在期間が短いので、カヌー隊への参加はあきらめていた。
辺野古浜の浅瀬で、基本的な漕ぎ方を教わる。カヌー隊の経験者が親切に教えてくれたので、飲み込みの悪い自分は助かった。ただ、カヌーが転覆してからの回復訓練が難しかった。
一通り練習が済んだら、小船にヒモでつなげ、沖にある平島という小さな島まで曳航してもらう。ここで休憩となり、少し泳がせてもらった。珊瑚の周囲に、青い海水魚がヒラヒラ泳ぐ姿が美しかった。これを見れば、「ここを埋め立てるなんて絶対に許せない」と誰しも思うはずだ。
次にいよいよ、ボーリング調査が進行中のスパッド台船近くまでカヌーを漕ぐ。待ち構えていた海保のゴムボートに取り囲まれるが、暴力的な排除はなかった。カヌー隊は、フロートに沿って並び、台船の上で黙々と作業を続ける作業員に対し、「調査を中止せよ」と声を限りに叫び続けた。
その後、22日に海保職員に暴行を受け頚椎捻挫のけがを負った青年が、名護裁判所に告発を申し入れるというので仲間たちと同行。裁判所前で記者会見した青年は「もうこれ以上、海保職員の暴力を許さない」と告発の意図を明らかにした。
8月30日 フロートを突破!
今日のカヌー隊は37人も集まり、これまで最多の人数という。さあ出発かと思いきや、雨雲がたちこめて来たので待機する。
正午前、ようやく雨雲が去っていったので、それ急げと辺野古浜からカラフルなカヌー部隊が一斉に海に乗り出していく。
二人乗りのカヌーだったが、私の同乗者は、なんとあの「日の丸焼却決起」「ゾウの檻の反戦地主」として沖縄のたたかいの先頭に立ってこられた知花昌一さんだった。別のカヌーには作家の目取真俊さんも乗っている。那覇から毎日駆けつけている若者もいれば、私のように県外から参加している人もいる。みな「ボーリング調査を何としても止めなければ」と固い表情でカヌーを漕いでいる。
やがて正面には例によって海保の黒ボートが数隻、待ち構えていた。しかしカヌー隊は力強く突進し、18隻のうち8隻ほどがフロートを突破した。大半がすぐに海保に拘束されたが、なかには台船の近くまでたどり着いた人もいた。
大きな怪我をした人はいなかったようだが、羽交い絞めにされて海水を大量に飲まされた人、メガネを壊された人もいる。20人の仲間が海保のボートに拘束された。小船に乗って山城さんがトラメガで猛烈に抗議をし、1時間後に解放された。海保の暴力に対する告発が効いてる。もっといえば、カヌー隊の背後には沖縄の人々の怒りがあるから、海保も「一時拘束」以上のことはできないのだろう。
短い滞在だったが、ここで体験したことを多くの人に伝え、次の現地派遣につなげることができたらと思う。
(月刊『コモンズ』75号への投稿から)
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