職場(組合)内活動の実践―全逓湘北労研の経験から

職場労共闘建設の実践

A)はじめに、この間の労研活動について

全逓湘北労研 われわれ全逓湘北労研(以下労研と略す)は八二年七月結成以来全逓組合内で少数派でありながらも、革命派として活動しつつ労共闘の職場内的表現として、全人民的政治闘争を担う闘争機関としての確立をめざしてきた。
 いま労働戦線は社会党の右転回、共産党の議会主義への埋没の中で青年労働者の反戦反核決起にみられる切実な要求―闘いへの気運になんらこたえることなく、ますます混迷を深めている。
 八四年春闘においても全民労協主導の下での「ストなし春闘」の定着化にみられるように、全民労協の結成によって日本労働運動が産業報国会への道を更につき進み、総評の「左」右への分岐を加速させているのが現状である。
 われわれは日帝による国内人民支配の強化と、帝国主義労働運動の登場という事態に対し、これをうち破る革命的労働者の部隊の創出を早急にめざすべく、職場からの組織化に尽力していかなければならない時期に至っているのである。

 この間、労研は同盟十一CC路線を継承し、その物質化にむけ「職場内闘争を遂行しつつ、職場外で地区労共闘が闘っている政治課題の職場への持ち込みをはかり、それをつうじて日帝の総路線との対決を内容的に職場内に提出し」「同時に労研のメンバーの地区労共闘への結集を追求し、可能ならば労研での決定として政治的統一戦線への闘いに参加する」「労研から組合執行部、あるいは分会・地区労からその上へと、組合活動の枠にそって上昇していくのではなく、逆に民同労働運動や帝国主義労働運動から引きちぎって、労働者を政治的統一戦線に結集させていく」ことを労研の方向として追求してきた。

 昨年段階での労研の闘いは、十一CC路線にもとづいて、おもに労研としての活動パターンの確立に主力をおきながら職場での組合員の政治闘争へのオルグ、同盟機関紙の販売、労研主催の定期的な労働講座の開催、組合的課題に対するパンフ作りや、青労実・労組連など中央―地域共闘への参加、また活動領域の拡大として反合闘争など職場的課題への取りくみや機関役員などの獲得を実現し、少しずつではあるが地域―職場における労研の政治的位置を確定するという成果をつかんできたといえる。
 本年に入っても反トマ闘争の全人民的高揚の中で、反トマスライド上映会を各分会・分会青年部の主催として労研のヘゲモニーの下で開催することができるという段階に到達しつつあるのである。

 だが、われわれは職場労共闘建設に着手して以来、まだ二年という年月しか経ておらず、そこでつかんだ政治経験も極めて少なく、様々な試行錯誤のくり返しの中でようやくにして職場労共闘建設のスタートラインについた状態であるといっても決して過言ではない。
 ここでのべる職場労共闘建設に向けた任務と役割りも、その位置性での確認としておさえ、すべての同志諸君がいずれ開始されるであろう本格的な職場労共闘建設に役立てるよう訴えるものである。

B)組合活動へのかかわりについて

 労研として職場―組合活動にかかわるうえで、まず最初の壁にぶつかることは自分が革命派に所属していることが職場内にひろまる中での、当局・民同の倭小なデマと妨害による孤立感である。仕事上でのつきあいはともかく、われわれが職場内において何らかの政治的動きを開始しようとするなら、民同・当局は他組合員に対し有形無形の圧力と逆オルグをかけ、われわれの動きを封じ込めるシフトをしいてくるのが常である。そこでわれわれが開き直り、組合とも一線を画してしまって「わが道を行く」のでは労研活動は前進しないし、組合員との信頼関係をかちえていくこともできない。
 したがって、われわれが組合・職場において自らの位置をキープし、それを獲得するためにはどういう方針と方法が必要なのか。われわれはいかなる努力をして、どういう条件が生まれた時、これを解決することができるのか。そのために、どこから手をつけ、何から始めるのかを決めることが大切である。

 それはまず第一に、われわれが職場の労働者のおかれている状態をよく知ること、よく理解することから始まるということである。
 職場では共に働く仲間としてどうしても個別的結びつきが必要になってくるし、必然的に強まらざるをえない。しかも職場では様々な職種によって勤務形態も違うし、年齢の違いによって各々の組合員の意識は微妙に変化してくる。そこで、われわれは組合員との交流をとおして組合員のかかえている苦しみ、家族問題あるいは仕事上での不平不満や願望などを知ることが求められてくる。このことは一人一人の話しを全部聞かなければならないということではなく、その職場の中心となっている中堅層や仕事を献身的にこなし、仲間の世話を労をおしまずおこなう組合員の意見が比較的反映されやすいので、その辺のポイントをおさえて、中心的な組合員の意見を会議・調査・交流などを通じてつかむことが必要とされるのである。
 さらに、職場での人間関係、派閥、グループ、他党派などを分析し、事実を正しくつかむことによって自分の置かれている位置を客観的に判断していく材料にしていかなければならない。

 第二には職場において労研メンバーは党の顔であり、党を代表するものとしてあることを自覚しなければならない。そこでの作風、態度が職場での政治的位置を確定していくことになるのである。
 他の組合員がわが党に期待と関心・信頼を寄せるようになるのは直接的には理論や政治内容だけに限られるものではなく、多くは労研メンバーの仕事ぶり、生活態度を介して理解しようとするのである。いかに立派な理論や世界を語ろうとも、仕事も満足にできず、仲間の迷惑も考えず勝手に休んだりしては組合員には信頼されないのだ。すなわち、組合員はわれわれを左翼として認知しつつも、そこでは民同ダラ幹の延長線上において理解するか、それともその対比において判断する以外に基準を有していないのである。
 したがって、われわれは職場では党を代表し、党の顔としてその立ちいふるまい、所作について革命的態度をもって民同ダラ幹の自堕落な組織活動・生活態度と明確に区別された作風を保障していくことを肝に銘じなければならない。

 第三には労研メンバーはどんな時でも自分の意見を持つことが大切である。
 われわれは情勢や政治課題について語ることは得意であっても、日々の職場で起こるささやかな要求や不平不満については様々な人間関係のしがらみの中で往々にしてあいまいな態度に終始してしまったり、「たいしたことではない」と判断して無視してしまうことがある。
 だが、組合員の労研メンバーへの信頼はこうした要求や不平不満に対して、われわれがどのような反応を示すのか、「はたしてわれわれの気持をわかってくれるのだろうか」といった感情によって左右される場合が多い。だからわれわれが仲間と共に力を合わせて、この要求を解決していく姿勢を示していくことも必要である。その場合、日々の職場で起こる問題や要求についてそれを分析し、整理し、たとえばそれと当局の攻撃との関連は何か、それが組合の既得権の侵害になるのか、また合理化との関連は何かを明らかにし、人間関係のしがらみで追随するのではなく、どんなこと、どんな問題でも必ず階級的観点に基づいて自分の意見を持つことが問われるのである。とくに闘争の決定的段階で自分の意見のないメンバーは職場の仲間の信頼を勝ちとることはできないのである。

 そして第四には労研の活動は理念ではなく、すべて事実から出発させることが必要である。方針、理論、教条、たてまえは運動の出発点にならないということである。
 職場の組合員の自覚や意識はその職場の日常活動とそこでの政治的レベルがバロメーターであり、われわれがその現実を無視し自己満足的に観念や教条をふりまわしてはならないのである。「多分わかってくれるだろう」といった推測や主観的判断に支えられての活動は必ずいきづまり、組合員の不信・ソゴをつくり出してしまうのである。すなわち、労働者の意識は自らが資本主義杜会の中で、あるいは職場でどのような位置に置かれ、どういう状態にあるのかをはっきりと自覚する中から生まれてくるのである。言いかえるならわれわれは常におかれている現実から出発し、自分の納得している観点だけから語るのではなく、職場の状態・現実という誰にもわかる矛盾を階級的観点にたって説明し、労研の活動領域をおし広げていくことが重要なのである。

C)われわれの政治をいかにして持ち込むのか

 われわれは職場への政治工作において不断に二つの政治的傾向に直面する場合が多い。
 それは一つには政治課題のストレートな持ち込みによる職場からのリアクションに直面したり、逆にそれを恐れるあまり組合活動に全面的に拝脆し、その延長線上に政治闘争への決起を模索するといった傾向のことである。
 このどちらもが職場労共闘建設における活動パターンの未確立といった政治経験の浅さや試行錯誤にもとづくものであったとしても、そこでの問題はより主体的には、一つ一つの政治課題につきそこにどんな問題や矛盾があるのか、それを職場の政治的レベルに応じてわかりやすい言葉で系統的・計画的に暴露できない主体的未熟さによってもたらされる組合員からの孤立、カイ離であったり、また狭い個人的経験や職場的特殊性だけに頼り、それだけを実践の基準にすえることにより、マルクス主義的観点をつかみえないといった没階級性の表出としてあるのである。

 すなわちそこでは「具体的には各生産点のなかや組合をつうじての活動において、普遍的ではあるが抽象的で一般的でしかないマルクス主義の公式や教条を自己満足的にふりまわしていないかどうか、ないしは逆に現実に発生している様々な矛盾を正しくマルクス主義的に対象化し、階級的なわかりやすい説明を加えることができず、その現実におぼれサロン的な関係に流され、階級的なメスをふるえていないのではないかといったことを常にふり返り、主体的に反省してみることである」(主体性論文)といったこととして労研の組合へのかかわりを点検していくことが大切なのである。

 そしてさらにそうした、一つの傾向を分析する場合、客観的条件からの反省も重要である。
 われわれが政治工作をする時に軽視してならないのは、その工作を妨害し、これを阻止する勢力の力を正確に測定することである。相手の力を大きく見誤り「どうしようもない」「敵はつよい」「味方は弱い」と即断し闘いをあきらめたり、反対にこの力を無視していくことも誤りである。
 どんな職場でも組合員全員が積極的に組合活動に関心を示すということはない。組合を信頼する人や反対する人、われわれにシンパシーをもつ人など様々であるが、最も多いのは当局も信頼できないけど組合もあてにならない、結局自分のことは自分で考えるといった層である。だから一部の反対意見だけでわれわれの意見を導き出すのは慎重にしなくてはならない。

 したがってわれわれの政治工作について、職場で誰と誰がどこまで支持し、強い関心をもっているか、また働きかけ次第で民同側の人間を切り離し、中間的立場につかせるのか、無関心層に対してどう働きかけるのかといったことを一つ一つの政治課題につき分析し、正確につかみ、例えば狭山闘争についてはどのレベルまで、三里塚についてはどこに限定するとか、あるいは反核では機関オルグまでといったように、そこでの手段や方法、仕組みを検討していくことが求められてくる。
 同じ政治課題でも「反トマ」と「三里塚」を比べて見ても「三里塚は内ゲバがあってイヤだが反トマなら闘っていい」といった組合員は必ず存在するはずである。

 そこでわれわれが注意しなくてはならないことは、既成政党が取りくみ組合的課題になっている闘争―反トマ闘争のような全人民的に共通する課題に対する工作において、単純に組合執行部を批判し、反対派的観点からだけ考え“潮流的分岐”を鮮明にすることを自己目的化したり、方針をいじくりまわしたりするだけで闘争が強化されるといった考えを絶対に避けるべきである。
 問題なのは、いかに組合執行部の反トマ闘争に欠陥があるからといってこれを批判し、変更を要求しても、職場の雰囲気や組合員のやる気、問題意識を喚起しない限りわれわれは孤立するばかりなのである。
 ときには反トマ闘争のように民同の制動できない政治課題の場合には、積極的に組合指導機関(分会・三役・青年部)をオルグし、その了承をえて、たとえば分会主催、青年部主催といった形式をとり、労研の全力をあげて職場全体に宣伝し、組合員が関心とやる気をもつよう仕向け、全体にひろげていく必要がある。民同との潮流的分岐や違いにだけ頭を悩ますのではなく、職場の政治的活性化、組合員全員の“やる気”“雰囲気”をかちとり、集会に参加した組合員にいろんな疑問や考える機会をつくり、材料を与えることができるよう労研メンバーが率先して努力し、まとまるようにすることが職場への政治のもち込みと政治工作の出発点であるといえるのである。

 だが反対に“三里塚”のように当局の弾圧と民同の露骨な制動や多くの組合員の支持と理解が受けにくいことが予想される場合には、慎重に職場での力関係を分析していく必要がある。そこでは反トマ闘争とは違って労研メンバーの力量を各分会ごとに分散するのではなく、力量を一点に集中し徹底することが大事である。各職場へのビラ入れ、個別オルグを中心にしながら、職場外の学習会(例えば労研主催の労働講座)への呼びかけをおこない、できれば他組合・住民団体との共同主催として地域共闘へと結びつけてゆくことを展望していくことがカギである。そこにおいて職場では三里塚派は少数であっても、地域で三里塚を闘う労働者が多数いるという現実や三里塚闘争の正義・大義を事実をもって呼びかけ、数をもって説得し、決してあきらめず、意識的に粘りづよく語りかけていくことが重要である。

 ともあれ、われわれが職場に政治をもち込む場合、一つ一つの政治課題によって職場での力関係の変化と条件に応じた個別の対策を立てることであり、それによってわれわれの勢力の範囲をひろげ、敵の力を分散させていくことである。
 われわれの創意と工夫、級密な分析によって職場への革命派の登場とそこでの政治的位置のキープは可能であり、職場的課題はやりやすいが、政治的課題は難しいといった画一的で硬直した考えを早急にすて去り、失敗を恐れず大胆に闘い抜いていくのでなければならない。

D)それを可能とする条件

 したがって以上の職場工作、政治のもち込みを物質化する上において、われわれが特に注意すべきこととして第一に、職場において組合員と同じ思考回路に立ち語りあえる言葉をもつことであり、それを通じて労研と組合員の結束を強めるということである。
 このことは、われわれが七九年的誤りとしてあった組合員と一緒になって仕事・酒・遊びと生活全般にわたって、あるがままの労働者的実存を理解し迎合せよということではない。

 組合員がわれわれに対して不信と違和感をもつのは、われわれのかかげる政治課題がわからないからではなく、むしろその理由―われわれが何故に自己犠牲的に職と生活をかけて日帝と対決しているのかが十分に理解されないからに他ならない。
 それ故に、われわれはそうした政治的カイ離をいかに埋めていくのかが問われてくるのである。政治闘争への呼びかけを人問関係的なお誘いオルグや機関紙の政治主張のオウムがえしに終始したり、組合員のゆっくりとした思考にこちら側がイライラして「お前はそんなこともわからないのか」といった形できめつけたり、あるいは自分の知識を自慢して「教えてやる」といった態度を厳しくいさめていかなければならない。

 できることなら、われわれは独自の職場機関紙・パンフを作成し政治課題のみならず、組合員が身近に考える職場的組合的課題や組合執行部の方針に対する労研の考えや階級的観点を説明して、その進むべき方向をわかりやすく宣伝・煽動・暴露していくことが必要である。
 こうした職場機関紙やパンフを武器に組合員の中にわけ入り、話題のきっかけをつくることへの配慮をしていかなければならない。
 そしてわれわれは政治闘争だけを闘っている特殊な集団ではなく職場・組合において日常的に派生する諸問題・諸課題に対して自分の意見をもち、解決を望んでいるといった姿勢、カマエを作り出すこと。職場でもわれわれは政治闘争以外「関係ない」「魅力ない」といって切りすてず、できるだけかかわり、信頼関係とそこでの労研の政治的位置をキープするよう努めていくことである。

 第二には、労研活動の一環として組合指導機関の獲得をめざすことである。
 これはわれわれの闘いが分会―支部―地区へと組合活動の枠にそって上昇していくことを意味するのではない。すなわち機関獲得をそれ自体、自己目的化していくのではなく、職場での闘争委的な機能をつくり出すことを第一義的に追求しつつ、機関獲得はそれを補完し、職場での政治的影響力と革命派の拠点の確保をうち固めるものとして設定するのである。民同労働運動からひきちぎって、われわれの政治的統一戦線への参加を可能とする条件として確認されていかねばならない。
 それ故に機関の獲得は人物評価や単なる人気投票ではなく、そこでは民同指導部の方針、政策に対して鮮明な方針をかかげ、労研の政治内容が簡単でわかりやすいもの―職場の組合員たちの多数の支持を受ける大義名分が必要とされてくる。

 機関獲得は、われわれの闘いに対してどこまで支持・共感をえているかを知るうえで重要なバロメーターである。そこではわれわれの本当の力量が問われるし、ただ漢然と「やっていればいい」「負けてもともと」といった考えはやめるべきである。
 われわれが職場内で少数派であるなら、労研単独ではなく、組合内反執行部勢力の結集をめざして積極的に政策協定を結び、相手にうち勝っていかなければならない。そのためには、われわれの候補者をおろして、同じ反執行部勢力の候補を支持し応援するという勇気と判断も重要である。

 第三に、その他の注意事項として、(1)労研主催の集会は職場の行事、賃金の支給日との重複をさけ、なるべく多くの組合員が参加できるよう工夫したり、通勤条件、居住地などを点検し計画すること、(2)さらには、事前に組合の指導機関に根回しをして誤解のないようにビラ入れ、オルグをする、(3)闘争の翌日は職場をなるべく休まないようにして、仕事上での迷惑や誤解を受けないよう配慮するといった点に留意していかなければな
らない。

結語

 ともあれ以上のことは職場労共闘建設の任務と役割りについて、この二年間の活動でつかんだ経験をまとめたものであり、決して充分といえるものではない。われわれの活動領域もいまだ分会レベルでの確認でしかなく、支部―地区段階での諸実践については未知の分野に属する。その意味では本当の北西風にさらされてきた訳ではないが、その一方でこの二年間で職場労共閾建設はわれわれにとり決して不可能ではなく、必ずやりとげることができる領域であるという確信をうち固めることができた。

 そして最後に、われわれ全逓湘北労研は今後強まるであろう帝国主義の国内人民支配の強化に対し、職場―青年労働者の組織化をもってこれに反撃し、日本労働運動の革命的再生をかちとり、戦旗派の真の前衛党への飛躍の一翼をになって最後の最後まで闘い抜く決意であることを明らかにしておきたい。

(一九八四年六月)

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