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中核派本多暴力論批判/緒方哲生
『戦争論・暴力論の革命的復権』(1985年8月25日「理論戦線」19号)より一部抜粋
本多延嘉著『戦争と革命の基本問題』の位置
これまで、われわれはクラウゼヴィッツ『戦争論』の諸内容を抽出することを通じ、戦争の内的論理を主体化せんとする場合必要とされる基本命題につき見てきた。それらを概括したうえで特殊日本においては、革共同本多延嘉氏がのこした『戦争と革命の基本問題』が、検討の対象とされるべきであり、かつ最もオリジナルな、特に暴力に対して特異な概念規定を与えた先駆的な論文としてあげられる。
われわれが戦争論を学ぼうとするとき、われわれに対し「党派戦争宣言」をはっした現在の革共同の在り方や政治を規定する基軸ともなっている『戦争と革命の基本問題』に対し検討を加えることは、絶対必要な課題であり、この作業をここで行っておきたい。もちろんわれわれは「東拘帰りの講釈師の夢想と錯誤」(カクマル『全学連』No.15-16)などという矮小な視点で、これへの批判を加えても無意味だと考える。それは批判のための批判であり、戦争と暴力の問題の主体化をつうじ、日帝支配者階級を打倒するのだという基本視座を全く有していない批判だからだ。
右からの批判としてでなく、われわれが暴力の問題につき考察を深めようとするとき、そこで看取せざるをえない暴力を極限化させた陥穽の問題として、つまり暴力と戦争を直接的に二重うつしにし、暴力を人間杜会の本源的力であるかのように拡大解釈した独断的断言の体系として、われわれはこれを主体的に批判する必然性を有しているのである。
或る意味では本多延嘉氏における暴力への意味付与は、個別的=主体的な契機としては破防法被告となることにより、政治的に作り上げられた視点とも言えるものである。強制としての暴力を人間労働の疎外された特殊形態ととらえるのではなく、人間の本質にねざした日常的行為として位置づけ、歴史を切り拓いてきた根源的力として意味付与するのであるから。
そこでは目的と手段が等置され、手段に対する賛美が目的の達成と等置されているのだ。否定の否定としてではなく、単なる肯定として暴力は措定され、しかも一般化され、そこに階級的暴力の限定性と目的意識性が対自化されないまま、歴史の本源的契機みたいなものにまで高めあげられている。しかしそうなってしまっては政治目的を達成する手段としての暴力は、その手段としての現実性=必然性をはなれ、一人歩きし、結論的にいえば「政治とは暴力である」という短絡と絶対化の陥穽に入り込んでいかざるをえないのである。クラウゼヴィッツの命題(=「戦争とは武器をもってする政治の継続である」)からも外れてしまうというものだ。
戦争が政治目的を達成する手段であるように、何処までいっても暴力も又手段でしかありえない。しかもそれは目的を達成するための特殊な契機としての、必然性に立脚してはいるが、しかし本質とはなりえない疎外された手段なのである。だからこそその行使のためには否定の否定の論理が必要とされるのである。
以下、ここではそうした視座を基本にすえつつ、歪められた暴力への拝跪論ともいえる『戦争と革命の基本問題』の内容に入り込みつつ、批判を展開していく。
まず本多延嘉氏が『戦争と革命の基本問題』を執筆したのは、1971年~72年頃と思えるが、それは69年4・28沖縄闘争に際しての日帝権力による共産同と革共同に対する破防法適用において、69年4・27に本多氏が逮捕され、以後約二年間の獄中生活を送ったその過程と、保釈出所後の時期にわかれている点がおさえられるべきである。
序章の「革命と内乱の時代」、第一章「戦争の基本問題」、第二章「暴力の構造-戦争と社会」、第三章「暴力革命・内乱・蜂起・革命戦争」の各々は、書かれている対象と目的意識が異なっており、例えば第二章「暴力の構造」は明らかに破防法裁判に対する意見陳述を意図しているかのようであり、他の文章との文体的つながりも欠いている。
しかし内容としてはこの第二章こそが、暴力論の本質論的展開というべきものであり、われわれが検討すべき基軸をなすものである。ゆえにわれわれはこの第二章に対する批判を中心課題としてすえつけ、問題を捉え返していきたい。
そこでいわれていることは次のようなものである。
「こんにちでは、一般に暴力は人間性に反する粗暴な行為であるかのように説明する傾向が支配的なのであるが、このような見解は、じつは民衆の暴力の復権を恐怖した支配階級の思想いがいのなにものでもないのであり、その本質とするところは、暴力を支配階級の手に独占しようとする反動的な意図なのである」「暴力はかならずしも人間性に敵対する粗暴な行為を意味するものではなく、人間杜会の共同利益を擁護するための共同意志の積極的な行為なのである。すなわち、本質的に規定するならば、暴力とは共同体の対立的表現、あるいは対立的に表現されたところの共同性であり人間性にふかく根ざしたところの人間的行為である」
これが核心なす基本命題としていわれていることである。「共同体の対立的表現」「対立的に表現されたところの共同性」というのが要するにその本質規定だ。
次にその「内部構造」として、第一に「共同意志の形成過程と共同意志の強制過程の二つの契機の統一として成立しうる特殊な意識行為」「暴力は、他者あるいは内部の他者への対立を前提として形成される共同意志の表現過程であり、本質的には意志形成と意志強制の主体のあいだに共同体的な関係がある」とされる。
第二には「暴力はその発現の形式として内部規範と外部対抗という二つの要素の統一として成立する」「内部規範と外部対抗という二つの要素は、形式的に分離されているとはいえ、同時に、共同利害とそれにもとづく対象化された共同意志の実現という意味において統一されている」とされる。内部規範とは「共同意志の統制への同意」、外部対抗は「他者の共同利益=共同意志に対し、自己の共同利益=共同意志を強制する過程としてあらわ
れる」というのである。
第三には、「暴力は、共同利害の実体的基礎をなす社会的生産と、それにもとづく社会的意識に規定されたものである」という、いわゆるエンゲルス命題(=『反デューリング論』の「暴力論」の内容)が述べられる。
またそれらの規定の例証として「共有財産に基礎をもつ原始共同体においては、暴力は私有財産や支配、被支配関係を生みだす根拠であったどころか、まさに逆に、共同利害、すなわち共同体の成員の人間生活の社会的生産過程の意識的規範であり、したがってまた、社会的生産の物質的な前提条件をなす土地をふくむ生産手段の共同所有ならびに共同管理と、それを基礎とした社会的総労働の比例的な配分と生産物の社会的分配、さらに、かかる労働過程を基礎とした生殖=人間関係を規制する意識的規範としての役割りをはたしていたのである」とされる。要するに原始共同体にあっては暴力が社会生活の規範であったというのだ。
第四に、「暴力は、それを発動するためには物質的な前提条件、すなわち手段が必要である」「この手段を決定するものは、暴力の実体をなす成員そのものの社会的生産の歴史的水準なのである」として、「武器が共同意志を表現するための手段としての役割を担うべく登場する」とされる。
以上四点が本多暴力論の主内容であり、かつ全てだ。
あといわれるのは階級社会にあっては「支配者の特殊利害が共同利害として強制され」「暴力は住民の圧倒的多数にたいする強制の手段として自己疎外を完成させる」「そこでは特殊利害を一般利害として表現する政治的暴力と、それに疎外されながら、それに対抗して共同意志を実現しようとする民衆の暴力とに分裂する」という内容である。
これは国家論を暴力の在り方から論じているわけだが、そこではただの強制としての国家=暴力がいわれているだけだ。
「支配的な思想とは、支配的な物質的諸関係の観念的表現、すなわち思想として把握された支配的な物質的諸関係以上のなにものでもない」(マルクス『ドイツ・イデオロギー』)というドイデ命題、すなわちただ外的強制として暴力的に支配し、抑圧するという経済外的強制にもとづくだけの支配としてブルジョア国家があるわけでなく、物質的諸関係としての社会的生産過程において、労働者が生命の生産、および再生産のためには労働力を商品化し、資本家的商品経済の中に繰り込まれ、労働過程をつうじてそれを賃金と交換することによって自己の生活の生産を実現する、つまり自然発生的には自己の生命の再生産の在り方として資本家的商品経済社会という物質的諸関係があり、意識はそれに規定されるというマルクス主義の基本命題との関連で、国家論が論じられているのでないことは全く明白である。支配者の特殊利害が共同利害として強制される方法=特殊利害が法を媒介にして国家意志として表現されることなど、まるで無視して全部暴力的強制に基づくものであるかのように一切を論じているのであるから。
これは文字どおりの国家=暴力装置、支配=強制の論理であるが、マキヤベリやグラムシが問題とした支配における「強制と同意」の論理の、強制という側面だけの抽出でしかそれはない。これが本多暴力論の第一の誤りであり、この把握の仕方がマルクス主義をはなれた暴力の一般論として、以下の誤りを拡大させていくのである。つまりそれは、暴力の本質規定とされるものにおいて極限化され、マルクス主義的な階級的規定性を持たないまま定式化されていく。
本多暴力論の陥穽
すなわち「人間社会の共同利益を擁護するための共同意志の積極的な行為」「共同体の対立的表現」「対立的に表現されたところの共同性」として展開される「暴力」の概念規定の誤りについてであるが、それは抽象的な記述的概念ではあっても、内容上の説明概念としては矛盾をはらむものである。
例えばここで言われている暴力の概念規定に対し、「戦争」の概念規定を与えても、それはそのまま通用するのである。否、むしろ「共同体の対立的表現」とは戦争であり、戦争という交通形態を実体的に行為として担うのが暴力であると言うべきなのだ。また「対立的に表現されたところの共同性」が暴力であるといっても、共同性が暴力なのではなく、共同性は意識=共同主観の形成と存在に媒介されており、その共同主観の外的発現行為として暴力は存在するわけである。
つまり暴力そのものは、われわれの言葉で概念規定すれば、他者の意志的な合意関係を含まない、自らの意志を相手に強要するための外的強制行為であり、それが極度に意識的な人間的行為として、労働力の特殊な発現、特殊な契機をもった労働行為ということはできたとしても、即共同体を主語として定式化され、論理化されるものではないのである。
個としての暴力が共同体を媒介にし、特殊な交通形態として発現された状態は戦争であり、本多暴力論はこの戦争としての規定性をもつ概念を、暴力の本質規定として論じる転倒をおこなっているのである。
しかもそこでは暴力の弁証法的性格は対象化さず、行使する一方の側の論理としてのみそれは作り上げられている。すなわち“他者の意志的合意関係を含まない、自からの意志を相手に強要するための外的強制行為としての暴力”は、その反映として、“自己の意志的合意を含まない、他者が他者の意志を強制するための外的強制行為としての暴力(=Gewalt)に対峙する強力”を生み出す。その両者の連関が、共同体における共同意志の形成を媒介にし、発現した状態が戦争である。
そしてまさしく、プロレタリアの暴力は、本質的にはこの後者の位相において存在するべきであり、ブルジョア独裁を保持しようとし、自からの意志を国家意志として体現する法を媒介にしつつも、権力保持の実体的機能として行使される外的強制としてのブルジョア暴力に対し、これに対置された位置にたつのだ。それゆえプロレタリアの暴力は、自己目的とはなりえない否定の論理を内在化させた暴力として行使されるものでなければならない。
本多暴力論にはこのような把握の契機がなく、暴力が一般化されており、かつ戦争概念として借定されるものを暴力の概念としてのべる抽象化と、観念化が、そこでなされている。だから概念が広義すぎて、あとからつづくものは、その言葉を繰返し述べることしかできないような代物でしかないのである。
つまり戦争という交通形態とそれを担う実体的行為としての暴力がくくりつけられ、前者の内容性を後者の概念規定として与える位相のワープがそこにあるということだ。これが第ニの構造化された暴力の一般論としての誤りであり、マルクス主義的なそれではないと批判する根拠である。
第三の問題として同様に暴力の「内部構造」とされる「共同意志の形成過程と強制過程の二つの契機の統一」「内部規範と外部対抗という二つの要素の統一」という定式化も、共同規範にもとづき共同意志が形成され、それが暴力行為として発現するが 暴力そのものはそこでは「強制」と「対抗」のみにかかわり、前二者を規定する関係には入らず、常に前二者(規範にもとづく意志の形成)に規定されつづける手段としての存在であることを無視し、「二つの契機の統一」「二つの要素の統一」として、自立化させて論じるという誤りを犯している点である。
ひとつの共同体において暴力が発現される場合には、まずそこに存する共同主観=規範にもとづき共同意志が作り出され、その共同意志を行為=行動として体現する手段として暴力は発動する。その場合暴力の発動は、形成された共同意志の結果であり、共同規範にもとづく共同意志を物質化する方法として選択されるのであって、その逆ではない。
クラウゼヴィッツの場合にはこれを敵対的意図と敵対的感情にもとづく強力の行使として表現するが、いずれにしても発現の回路は規範-意志の形成-強制行為になるのである。
ところが本多暴力論にあっては、それをバラバラにし、意志と強制、規範と対抗をくっつけ、別個の命題であるかのように論じ、強制のための意志の形成、対抗のための規範の確立と転倒させて論じる構造にあるのだ。ゆえにマキャベリやグラムシなどが政治の問題として論じた「強制と同意」における、同意の構造はすっとばされ、それは強制の結果であるという転倒された理解が生み出され、暴力が政治であるかのごとく手段が自立化されて論じられていくのである。
別の言い方でいえば、本来プロレタリアの暴力論は、「暴力は他者あるいは内部の他者への対立を前提として形成される共同意志の表現過程」であり「本質的には意志形成と意志強制の主体のあいだに共同体的な関係がある」というように、対立のための共同意志の形成、それにもとづく強制行為の論理で組み立てられてはならず、それはブルジョア階級=他者の暴力の存在を前提としつつ、その廃棄と止揚をめざし形成される階級的共同意志の体現形態として、否定の論理を内包させた行使の肯定が、つまりそれを行使するのはたんなる意志の強制過程としてでなく、ブルジョア的意志の強制に対する受苦的な抗拒としての意志の反措定の位置にたつものとして、本質論的に措定されねばならないのである。
にもかかわらず本多暴力論には、こうした受苦としての実存が対象を止揚する契機としての暴力の行使の論理が全くなく、小さな共同体が対抗関係に勝っていくための暴力の行使論が、基調をなすだけなのだ。結局それは「共同体の対抗」という表現を借りた内ゲバ暴力論であり、人間の解放のための暴力の行使、廃絶され廃棄されることを前提とした革命的暴力の論理では全くないとしかいえない。
ブルジョア共同体の内部に形成されるプロレタリア共同体が、ブルジョア共同体を内的に解体止揚しつつ、自己を普遍として表現していく過程、それこそがプロレタリア革命運動における暴力の行使過程であり、ゆえにそれは対抗にもとづく意志の強制というような、「AがBに勝つ」といった契機を止揚した、むしろ「AがBに成る」「AがBをこえる」論理、本質的には強制ではなく意志の体現として暴力の行使が捉え返されていかねばならないのである。
だから当然にもそれは、プロレタリア的共同規範(=マルクス主義的世界対象化にもとづく階級的価値観)の存在を前提とし、それにもとづきプロレタリア共同体の共同意志が形成され、強制行為である暴力の行使が階級的意志の体現として、廃絶と止揚を課題としつつ、受苦的に対象化されていく内的論理をもつのであり、共同体の対立的表現などという階級性を刻印されない一般的暴力論とは別個の次元で形成されるのである。本多暴力論にはこうした内在的論理がなく、全くの対抗暴力論にしかなりえていない点で誤っているのである。
第四の問題として、本多暴力論にあっては、そうした対抗的暴力論としての陥穽を例証するものとして、「原始共同体においては(暴力が)共同利害-共同体の成員の人間生活の社会的生産の意識的規範であった」というように、暴力があたかも一貫した人間生活の社会的生産を司どる意識的規範であったかのような、過大な意味付与がなされている点である。
暴力が規範化されるのは、本多暴力論の把握とはことなり、それが階級社会であるということを前提としている。要するにアジア的共同体-古典古代的共同体-ゲルマン的共同体-資本家的商品経済社会というような、階級の発生を前提とした階級社会においてこそ、暴力は規範化されたのである。
つまり支配的階級が支配の手段として暴力(経済外的強制として或いは共同体規制としてのそれ)を用いるようになったことにより暴力が社会生活の規範化されたのであり、原始共同体のような無階級社会においてまで暴力が規範化されていたというのでは、来るべき共産主義社会においても暴力が規範化される、つまり暴力という外的強制が機能することになってしまい、そもそも階級も国家も止揚されないことになってしまうのである。この点でも本多暴力論は決定的に誤っているのである。
「労働する主体-自然的個人が自然のままの姿をとって存在するときは、彼の労働の第一の客観的条件は自然として現われ、土地は彼の非有機的肉体として現われる」(=マルクス『経哲草稿』)というように、人間の社会的生産を規定づけてきたものは、どこまでいっても自然と人間の物質代謝を媒介する労働である。物質的生活の生産の在り方、そこでの剰余労働と必要労働の在り方を問題とするのがマルクス主義の基本命題であり、暴力が意識的規範であった等と論じてしまうのでは、内容上は結局デューリングの誤りを犯してることにしかならないのである。
つまり本多暴力論は「社会的生産の在り方が暴力の在り方を規定する」と『反デューリング論』におけるエンゲルスの命題をひきあいに出しながら、自らの内的論理においては無階級社会においても階級社会においても人間の社会生活の意識的規範は暴力であったというように、全く別のことを言っており、暴力に対する意味付与=それが歴史の本源的関係を司ってきたものであるかのような論理の逆転をデューリングと同じ把握の陥穽として内包させている論理なのである。
『ドイツ・イデオロギー』中に「歴史における暴力の役割り」の一節があるが、そこでマルクスが言ってることは、「征服をおこなう蛮族においては、戦争それ自体が、……まだひとつの正常な交通形態であり、生産様式が祖先伝来の粗野で、かれらにはそれしかできないようなものであるときに、人口の増加がつくりだすあたらしい生産手段への要求が増大すればするほど、ますます熱心にこの交通形態が利用されるようになる」という内容である。
つまり暴力が規範化されたのは、生産力の発展が人口の増加においつけず、人間が窮乏と外的合目的性に規定されつづける状態にあるとき、戦争という形式をとった暴力の行使が略奪、労働力の保持のための奴隷の獲得を目的になされるという提起である。そこでは決して暴力が歴史の本源的関係として措定されているのではなく、階級社会における生産力の未発展がもたらす疎外の形態として支配的階級による暴力の行使が述べられているのにすぎない。
また、そもそもエングルスが『反デューリング論』の「暴力論」において述べているのも、「いっさいの政治的暴力は、はじめはある経済的、社会的な機能にもとづくものであって、原始的な共同体の分解によって社会の諸成員が私的生産者に転化され、したがって共同の社会的機能の執行者たちからますます疎外されてゆくにつれて、それが強まっていくのである」という内容だ。本多暴力論がかかげるような「原始共同体においては……人間生活の社会的生産過程の意識的規範」などという規定とは全く別のことを、デューリングに対する批判としてエングルスは述べているのである。
「だいたい私的所有は、強奪や暴力の結果として歴史に登場してくるものではけっしてない。その反対である」ともそこではエングルスは言っている。
それらから言えることは、結局本多暴力論は、まさしく歴史における暴力の役割りを全く誤って把握し、エンゲルスをひきあいに出しながら、内的論理としてはデューリングの立場におちこみ、階級社会が階級社会であるがゆえに暴力に依拠してきたことを忘れ、暴力を絶対化している。要するに本質的にいって止揚されない暴力の悪無限的展開論を他者への対抗手段としての暴力の行使の合理化論として論じる陥穽におち込んでいるのである。
それが、そうした陥穽を持つのは歴史認識において誤っているというだけではなく、階級と国家の止揚と同じく、暴力も又止揚されることを論理に内在化させえず、マルクス主義的な規定性を与えないまま暴力に過度の意味付与をなすことによって暴力を一般化しようとすることの誤りに他ならないのである。
ゆえにそこで述べられている命題で正しいのは、「社会的生産と社会的意識の在り方に暴力は規定される」「武器が共同意志を表現するための手段としての役割りをはたす」という内容だけである。だがこれは「暴力というものはたんなる意志行為ではなく、暴力をはたらかせるためにはきわめて実在的な先行条件、つまり道具が必要であり、より完全な道具が不完全な道具を打ち破るのだということ、さらに、それらの道具がすでに生産されていなければならないということが、わかるであろう」といったエングルスの『反デューリング論』中の提起の援用に他ならず、決して本多氏のオリジナルな規定であるわけではない。全くもってマルクス主義暴力論の前提をなす命題であり、そうであるが故にそれは正しいというにすぎないのである。
それらから結論的にいえることは以下のごとくなる。
すなわちもとよりわれわれは暴力革命の立場にたちそれを実践する。だから暴力の使用はそれを使用するものを堕落させるなどとは全く考えてはいないし、そうした立場にたつことを拒否する。その全く逆に「勝利に終ったどの革命からも、つねに大きな道徳的、精神的な高揚が生じた」(『反デューリング論』)ことを体現すべき者として、マルクス主義に立脚した暴力論の構築をめざすのであるが、しかしその内容は革共同本多暴力論にみられるような、共同体の対抗的暴力論或いは暴力の一般論とは別個の次元で形成される、マルクス主義的規定性を持った階級的暴力論として措定されるということだ。
共同体の対立的表現に示される本多暴力論にあっては、対立に勝つための暴力論であるがゆえに、その論理、否定の否定としての、止揚されるべきものとしての武器と暴力の使用の論理がなく、そうであるがゆえに「道徳的、精神的な高揚」をもたらさないものとなる以外ないこと、結局それは現在の革共同を規定している内ゲバ暴力論でしかなく、プロレタリア革命運動を本質的に領導する論理性と思想性を内包しているとはいえないものであること、これが本多暴力論の構造的陥穽であることをはっきりと確認しなければならない。
戦争論・暴力論の定立において基軸となるべき諸点
たしかにわれわれはブルジョア支配階級に対し戦争(革命運動)をしかけるわけであるが、そこではブルジョア支配階級が自らの階級的意志を法=国家意志として表現しつつ、実体的機能としては暴力(軍隊、警察、監獄など)を発動することにより目的を達成しようとしている現実性が常に前提となっている。
ゆえにそこにおける戦争の形式として、防御は攻撃よりも強力な戦争の形式であることを学び、防御戦争論として戦争論をつちかっていくことが重要である。支配者が対外侵略を実現するためには、まず国内の治安弾圧を強化し、ブルジョア的意志の強要に反対する者をとらえ、獄につなごうとすること、或いは肉体的抹殺攻撃を既にしかけてきていること、その攻勢に対する防御として、やむにやまれぬプロレタリアの革命戦争は開始されるのだ。
だから受苦に対する抵抗、機動隊や政治警察を使った意志の強制に対する抗拒が、われわれの闘いの出発点だ。そうであるが故にわれわれは、その共同体の内部に存在しながら共同体の解体・止揚をつうじ別個の社会を形成することを目的意識とするものとして戦争をおこなうのである。
要するにプロレタリア革命運動における軍事の発動は、受苦に対する反撃、攻撃に対する防御をその基本形式とし、これに対しブルジョア的軍事論は領土の拡大や、資源の簒奪、人民の支配を目的とする侵略政策、植民地支配の論理にもとづくがゆえに攻撃を基本形式とするのである。中国革命戦争でもベトナム革命戦争でも帝国主義の侵略に対する防御を基本とし、その戦争理論がつちかわれたこと、この両者の位相の決定的な差異性がおさえられておかなければならないのだ。
そこから言えることとして、プロレタリア革命運動が暴力の行使を自明の命題とせざる
をえないのは、支配階級の外的強制、権力保持のための暴力の発動に対し、それを打ち破る必然性にもとづくからであるが、しかしそこでの暴力の行使のうちにはブルジョア暴力の止揚、否それ以上に暴力やその手段としての武器そのものの廃絶の意識性が内包されていなければならないという根本問題である。
だからその暴カは他者の意志的合意関係を含まない、自からの意志を相手に強要するための外的強制行為としての暴力(Gewalt)をこえでた意識性、階級的規定性を有するものであり、自己の意志的同意関係を内包しない、他者が他者の意志を強制するための外的強制に対する受苦を出発点とした、外的強制に対峙する強力=対自的暴力(=階級的暴力)として措定されるのである。
それが対自的たるゆえんは死滅の論理を内包したものとして、強制行為として発動される即自性をこえでたものであるからだ。そうであるからこそプロレタリアの暴力は人間労働の特殊な発現であり、極度に意識的な人間的行為であり、人間的交通の特殊な形態としても対象化されることになるのである。
これに対し、「共同体の対立的表現論」に集約される革共同本多暴力論は、暴力の一般論であり、プロレタリアの暴力が本質的にいって階級社会―階級的共同体の止揚をめざす解放の暴力として措定され、しかもなおその行使にあっては廃絶されるべきものの行使という否定の否定の論理にのっとって駆使されるべき性格を有していることを無視抹殺し、ただの政治の道具論におとし込めているという陥穽を有している。
戦争がそうであるように、暴力もまた政治の道具たりえるわけであるが、しかしその行使にはプロレタリア解放の哲学、思想性が刻印されていなければならず、プロレタリア解放のための階級的意志の体現形態という内容性が、必要とされるのである。毛沢東の言葉でいえば敵対的矛盾と非敵対的矛盾の処理、つまり階級敵に対する行使と、人民内部の矛盾の処理に類することは、厳然と区別されねばならず、階級的受苦に対する暴力の発動が、あくまでもその発現の基本形態とならねばならないのである。
にもかかわらず本多暴力論にあっては、その思想的脈絡を欠落させており、共同意志の形成と強制、外部対抗に対する内部規範というように、対抗するものをせん滅する道具としての暴力論が措定されているにすぎないのだ。
だがわれわれが忘れてはならないことは、暴力でカタをつけるという思想、暴力が社会生活の規範となりえたのは、それが階級社会の成立を前提としているからだという点であり、いやしくも階級の廃絶を志向するものが、ブルジョア的暴力の論理にのっとり、政治の道具として暴力でカタをつける論理を振り回すことは、絶対に許されてはならないのである。つまり暴力が歴史の本源的関係を規定してきたかのように対象化し、暴力を賛美することは厳しくいましめられねばならないのである。
階級的に対象化されない暴力は疎外の形態であり、その行使は結局あらたな矛盾を作りだすだけであり、問題を本質的に解決する力には絶対になりえないのだ。
階級的暴力の発動は階級的受苦に対する対峙→止揚を目的意識とし、その規定性において行使されるべき本質的性格を有している。この点で本多暴力論は廃絶と止揚を内容性としない、対抗暴力論としての限界性に充ちており、プロレタリア暴力論たりえない陥穽の表出となっているのである。
戦争を政治目的の達成のために行使することや、暴力を駆使するということは、論理的対象化において認識論的に事を済ませばそれで足りるという観念上の操作に帰結するだけでは、絶対に主体化されない厳粛な人間的行為である。文字どおりそれは生きるか死ぬかの重大事であり、弄ぶことの許されない命がけの闘いである。
そうであるがゆえにわれわれは、何に対しては戦争を貫徹し、何に対しては暴力の発動をいましめねばならないかの、明確な階級的規定性=掟を、われわれ自身の内的論理としてはっきりさせ、それに基づいた共同主観の実践的物質化=具体化をおしはかっていかねばならない。
人民の正義に立脚してブルジョア階級、及びその同伴者に対して階級的聖戦の精神でたちむかうこと、それが暴力論・戦争論の結語として措定されるべき命題であり、それはわが同盟の歴史が今日まで切り拓いてきた地平=共同主観を守りきることと同義の位置にたっているのである。
要するにわれわれは、人民内部の矛盾の処理に類することには暴力の使用をさけ、階級敵と見做される部分にのみそれを行使するという原則を確立して闘い抜いてきた。革共同などに対しても内ゲバを回避することを政治的に追求し、批判のための批判などやらずに、じっと忍耐して自らを制約することに専念してきた。その基準の根底にあるものは、プロレタリア革命運動にあってはブルジョア階級の打倒こそが普遍的命題であり、それに対し階級内部の矛盾の処理に類することは特殊的課題であるというわれわれの思想性である。
この思想性を守りつつ、敵に対しては容赦なく恐れをしらず闘いぬくこと、それが暴力論、戦争論の主体化における帰結だ。
全党全軍の同志友人諸君は、この基準を守って徹底闘いぬけ!その思想性にもとづく限り、闘えば必ずわれわれは勝利し、それはまた人民の勝利の道を切り拓くことになるのだ。
参考リンク
関連記事
外部リンク
◇左翼過激派の20年―その文学的考察(今井公雄のホームページ→インターネットアーカイブ)
◇「党派間ゲバルト」の論理とその虚妄について(れんだいこ人生学院)
◇4年遅れの『検証内ゲバ』(内ゲバ廃絶・社会運動研究会 掲示板→阿修羅♪掲示板)
◇本多暴力論(四トロ同窓会二次会 2002年1月26日~28日)
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