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五、統一戦線問題への原基的考え方
さらに統一戦線問題についても、八四年秋冬期の闘いを総括するうえで、われわれの原基となる考え方を整理しておくことが必要である。革命闘争の勝利のためには政治の系統性、脈絡、流れをおさえきったイデオロギー的基軸性を有する政治展開をなしていくことは絶対的条件であり、「連帯する会」脱退に際しても、われわれはこの点での第四インターの無原則性を批判せんとして闘い抜いた。
それは第四インターが党派間統一戦線を媒介とした共闘関係の構築を基軸的なものとはみなさず、労組・住民団体・諸サークルなどとの無媒介的結合、それらの内部への組織の溶解と、そこでのヘゲモニーの奪取を基本路線とする「大衆ブラ下がり路線」に陥っていることへの批判として展開されたものである。その場合、われわれが批判のイデオロギー的基軸性として押さえているのは他ならぬトロツキーの『次は何か』においての問題把握である。
つまりわが同盟は一九六八年八月、アメリカSNCC、西独SDS、フランスJCRなどを招請し開催された第二次ブントの八・三国際反戦集会の総括として対象化された内容(=『理論戦線』七号「八・三国際反戦会議の運動・組織論的総括」)の考え方を継承するものとして、今日においても闘い抜いている。
それはトロツキーのソヴィエト論=統一戦論をひきつぐものであるが、以下のような内容においてまとめられる。
1)統一戦線の形成とは政党によって細分化されたプロレタリアートの、統一戦線機関を媒介にした再統合をめざす闘いであり、政党とその下に結集する労働者人民間における統一を内容的概念とする。その実態は、ゆえにプロレタリア政治党派間の協議にもとづく政治党派同士の統一戦線であり、その運営もまた基軸的には政治党派によって担われる。
2)その場合政治党派間にあっては、(a)政治課題の一致、(b)共同行動と行動の統一の維持、(c)大衆集会などでの批判の自由の三つが統一戦線形成の条件になる。
3)少数派にとって統一戦線は、ブルジョアジーに対する革命派の階級的力量を増大させる媒介項となると同時に、少数派が多数派になっていくための手段となる。すなわち少数派は統一戦線に結集することによって、自からの組織戦術の駆使次第によっては、多数派に自己形成することができる、等である。
トロツキーはこれらを、「統一戦線とは共産主義及び社会民主主義労働者大衆の統一のことをいうので、大衆に基盤をもたない政治団体間の取引きのことではない」「統一戦線の実践的綱領は、大衆の目前で結ばれる協定によって組織のあいだで決定される。すべての組織はそれぞれの旗幟と指導部のもとに留まる。すべての組織は行動においては統一戦線の規律を守る」「一般的に言って統一戦線は、強力な革命的政党にとって代わることはできない。できることはその政党がなお強化することを援助することである」(=『次は何か』)等としてまとめている。
そしてこれを発展させるものとして、「われわれはあらゆる誤謬や弱点を含んだ共産党以外の全政党とともに、ソヴィエトに参加しなければならない。しかしソヴィエトがそれ自体として、権力獲得のためのプロレタリアートの闘争を指揮できると考えるのは、もっとも卑俗なソヴィエト絶対主義である。すべてはソヴィエトを指導する政党によって決定される」「ソヴィエトの結成は、労働者階級内部の種々の政党および組織間に、あらかじめ協定が結ばれることを前提としている」「共産党だけのソヴィエトというものは不可能であり、その上そのようなソヴィエトは何の役にも立たないことを考えると、共産党が労働者階級において他の政党と協定を結ぶことや、共同行動を行うことを諦めているのはソヴィエトの結成そのものを放棄していることに他ならない。」という、統一戦線の最高の形態としてのソヴィエト論が展開されるわけである。
わが同盟は一九六八年以来一貫して、こうした観点を自らのイデオロギー的原基として闘い抜いてきた。
またその観点において、第四インターやプロ青同の大衆ブラ下がり、地域住民闘争主義の無原則性を批判してきたのである。
すなわち一九八四年秋冬期の闘い方において、地域住民闘争団体としての位置性を突破しきれない発想しか持ちえない熱田派反対同盟が、成田用水闘争を村落共同体の保持という没階級的名目により放棄せんとしてきたことに対し、八月および九月、支援党派間の党派間統一戦線の形成にもとづく共同闘争の実現をわが同盟は追求した。また十二・一六においても右翼市民主義を小ブル自己運動的に拡大せんとする反トマ運動=協商懇の闘い方に対峙した、党派間統一戦線の領導による市民運動の革命党派からの逆規定の闘いとして、われわれはこれを打ち抜こうとしたのである。
しかるに第四インターおよびプロ青・赫旗などにあっては、こうした原則的観点からの統一戦線、ないしは共同行動の具体化によるプロレタリア革命運動の戦略的領導の発想が、まるきし欠落してしまっていた。ゆえに反対同盟の意向をたてにとって共同行動の実現を放棄するとか、実際上党派間統一戦線としてしか成立していない「連帯する会」の運営を、党派間の協議・協定にもとづかない住民団体とか大衆の意向の代弁とかの名目によってネジ曲げるなどの対処をとりつづけたのである。
そのためにわが同盟とこれらの諸党派との間には、闘争の実現や原則的観点をめぐる齟齬が生じてしまったのでありわが同盟が「セクト主義的対応に終始した」等という彼等の批判は誤っている。その全く逆に彼等の対応に原則性が欠如していることに、一切の問題の所在は存したことが理解されねばならない。
このことは革共同、わけても現在の中核派の独断的セクト主義、自派以外のすべての存在を認めないという絶対的セクト主義の陥穽としてもいえるわけであるが、革命党派が単独で権力を掌握し、ソヴィエトを全的に支配することなど実際上はなしえず、それを強行しようとした点に今日のスターリン主義の発生の根拠があることへの対象化としても、問題は整理され、内在的に把握されていかねばならない。
要するにわが同盟が七月「連帯する会」を脱会せざるをえなかったことの根拠の中には、プロ青・赫旗・インターにおける統一戦線論の内容的不在が大きく起囚しており、彼らのデタラメきわまる住民運動とか、そのシンボル的諸個人への拝跪路線が、問題の核心となったこと、これを意志統一しておきたい。
第四インターなどはわが同盟を中核と同じセクト主義などと批判するのであるが、これは彼等の没イデオロギー性をさらけ出しているだけの言い草なのだ。彼等の問題把握における原則性の欠落、統一戦線=ソヴィエト論の不在が問題をこじらせてしまったのであり、党派=政党間統一戦線を実体にすえることによって共同行動や統一戦線機関を支えようとせず、「連帯する会」代表の上坂喜美氏が次々と個人パンフによって小ブル的見解を開示、乱発しつづけることを容認し、しかもそれに拝跪しつづけようとしたことなどに問題の所在は存するのである。
第四インター・プロ青などはこの点て全く矮小な存在であり、右翼日和見主義であって、党派としての基軸性を喪失させている。まさしく彼等こそが「大衆に基盤をもたない政治団体間の取引き」に問題をおとし込めているのだ。例えば加瀬勉氏をかつぎ出して一坪運動を強要するとか、「統一戦線の規律を守る」ことをおこたり、一度確認された事務局草案をセクト的に書き換えるとか、或いは石井武氏の意向をたてにとって用水決戦にむけての共闘成立を阻止するとか、大衆や階級に対する影響力がその動員力の差をみても全く歴然としている、それでいて、党派よりももっといやらしく、数人の党派的なノンセクトの意向を振りかざして、わが同盟に対する批判をおこなうなどである。
そこには「統一戦線は、強力な革命政党にとって代わることはできない。できることはその政党がなお強化するのを援助することである」という認識が欠如しており、彼らは党-階級-大衆に対するズンドウ理解に陥っているのである。プロレタリア革命運動は、大衆の自然発生的意識と結合しつつ、革命党派がそれを目的意識的なものに高め上げていく闘いを基軸とするのであり、アンチ・レーニン主義を標榜する彼等は、そういったレーニン主義的観点とはまったく無縁なところで、党派と大衆を同列のものとして無理にあつかおうとしてそのためのタガはめだけを基軸に考えているのである。だから「連帯する会」の上坂喜美氏の小ブル的見解と、わが同盟の戦略的観点のくい違いという全くあたりまえのことをたてにとり、わが同盟が三里塚闘争の現在に対し、党的見解を提示したことがいけない、それが「連帯する会」の合意に反する等と、全く投階級的な批判を投げかけるのである。
「連帯する会」をソヴィエトと同列視することなどもちろんできないが、統一戦線としての「連帯する会」として考えても、「ソヴィエトがそれ自体として、権力獲得のためのプロレタリアートの闘争を指揮できると考えるのは、もっとも卑俗なソヴィエト絶対主義である。すべてはソヴィエトを指導する政党によって決定される」という視点がまるきし欠落しているではないか。第四インターナショナルとかトロツキストの名がきいてあきれるというものである。トロツキー流に対象化しても、わが同盟の対処と観点に原則性があることはこれで明らかであろう。
八五年の闘争展開にあっても、ゆえにわが同盟はソヴィエト建設を展望しうる党派間統一戦線の構築を基軸に共闘関係の領有を追求していく方針である。また七九年的陥穽はこうした原則的問題把握の忘却においてもたらされたものであったことも、現在的に対象化されておかなければならないであろう。いずれにしても卑俗な大衆運動主義に陥らず、原則的なレーニン主義党としての革命観をしっかりと保ちつづけて八五年を闘い抜き、勝利をおさめようではないか。
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