勝利を持続させる党 戦旗派85年年間総括

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1985.9.29 成田用水辺田会戦
1985.9.29 三里塚・成田用水粉砕 辺田大会戦

はじめに

85年9・29三里塚辺田大会戦_戦旗・共産同

 全国の同志・友人緒君!

 わが同盟は一九八五年階級攻防を、一九八四年までの圧倒的な党勢の拡大を維持し、発展させるなかで、新たな飛躍を克ちとり、革命的に戦取した。

 一九八五年の前進は、一方における中核派のわが同盟に対する「党派戦争宣言」の継続、他方における「協商懇」構造によるわが同盟の運動創出に対する対立=エコロジー・市民運動主義的なアンチという、二重の外的規制・制約をはねのけ、それら二系列とは別個の地平で、自立した革命党として独自の大衆運動展開をなし、政治そのものの創造を自前で行う苦闘の産物として克ちとったものである。

 その点で一九八五年の勝利性は、これまでのすべてに優る画期的な位置性を有している。

 いわば一九八四年七月までの勝利は、「連帯する会」「協商懇」構造の住民闘争、市民運動基盤に支えられた、或いは「のっかった」位置での政治の創造であり、自前の展開とは言い難いものであった。一九八三年三月、三里塚闘争での大地共有化運動方針(一坪共有化運動)をめぐる対立から、中核派系列と党派闘争構造に入り込まざるをえなくなることによって、われわれにつきつけられたのはそこに依拠していたのでは何も闘えないということであった。

 つまり内ゲバ主義を対日帝武装闘争の爆発によって逆規定していくことをわれわれが志向しても、武装闘争そのものをテロリズムとくくりつけて把握することにより「連帯する会」「協商懇」系列はこれを批判し、ゲリラ・パルチザン戦闘に敵対する立場、実力闘争展開に住民闘争の利害や組合運動の利害を対置する立場をとる構造の下にあったのである。彼等がわれわれに対し一緒に闘えというのは、その枠内に戻れという呼びかけにおいてであり、それはわが同盟にとっては戦略的総路線を捨て去ることをしか意味しない。

 犬の遠吠えみたいな「内ゲバ主義を大衆的に包囲する」とかいう第四インターの路線は無力でありすぎるばかりでなく、わが同盟の戦略的前進にとっても桎梏であることが次第にはっきりしてくるなかで、わが同盟はそれらとの訣別を意志統一した。

 一九八四年四月にその決定は下されたわけであるが、以降三ヵ月間の第四インター・プロ青との論争を経、七月わが同盟は「連帯する会」から脱退したのである。

 一九八五年の闘いはそこからはじまった。「協商懇」、「連帯する会」系列、わけても第四インター、プロ青、労働者党(樋口氏など)はわが同盟を孤立化させようとし、その流れに抗し、わが同盟は依拠すべき新たなプレートの創造を課題とし、苦闘を開始したのである。

 一九八五年の階級攻防の勝利性とは、この闘いに一つの仕切りを作り上げたことを意味する。武装せる革命党の創造のために、党の軍事力の強化を戦争論・暴力論の主体化を課題性としつつ遂行し、内ゲバ主義への対抗力、対峙関係の形成=逆規定性の創出をおしはかりながら、これまでわれわれが依拠してきた反トマ運動構造、日韓戦線、三里塚闘争基盤、青労実=労働情報などへのすべてにわたってわが同盟の政治的観点を持ち込み、論争を組織化しつつ、影響力の拡大をはかり、プレートを作り直す闘いがその内実であった。

 そして一九八五年全般の攻防をつうじ、わが同盟は新たなプレートの創出に勝利した。とくに三里塚用水攻防をめぐって、わが同盟は熱田派反対同盟の闘争方針を変更させ、用水反対実力闘争派として登場させることにまで勝利し、確固たる領導を実現した。

 また協商懇右派構造の解体再編にも一定の勝利をおさめ、反トマ事務局長井上澄夫氏や労働情報編集人樋口篤三氏との攻防に決着をつけ、わが同盟のプレゼンスを不動のものとして刻印した。第四インター・プロ青との党派闘についても動員力の圧倒的な差、構造的力の差異を決定づけることにより、彼等が「沈黙」する以外にない関係性を導出せしめた。

 だが同時にわが同盟は、みずからの戦略的総路線の帰結として、例えば五・七所沢航空管制センターに対するM22での攻撃に対しての埼玉県警弾圧、九・二九成田用水実力決起をめぐる七十五名不当逮捕、九名起訴、二名家裁送致の権力弾圧をあびることになり、日帝中曽根の破防法弾圧に対する対峙性を一層強めねばならない必然性のもとにおかれている。

 なおかつ内ゲバ党派に対し対日帝実力闘争の炸裂で逆規定しようとしたわが同盟の闘い方に対し、中核派が四・八公団工事局M22ロケット砲攻撃に対する四・一二羽田・成田両空港に対する新型弾をもっての対抗的攻撃、九・二九辺田大会戦に対抗しての十・二〇第一公園前での火炎ビンを駆使しての実力攻防をもっての対抗的武闘の展開といった、パワー・ポリティックスでの打ち返しを構造化するに及び、まさに「力には力をもって応える」ための戦闘力の形成をおしはからねば、逆規定のはずが逆逆規定されてしまう関係性の下にも入り込んでいる。

 本政治組織総括は、これらの関係性を対象化しつつ、八六年階級攻防の勝利にむけて力には力で応える全党の意志結集を形成することを課題としている。

 八六年階級攻防にあっては、三月チーム・スピリット86粉砕闘争(3・21)3・23三里塚闘争、4・29天皇在位六十年式典粉砕闘争、5・4東京サミット粉砕闘争、6・15反安保闘争など第一級の課題が目白おしにならんでいる。

 このすさまじい階級攻防を攻勢的に戦取するなかで、わが同盟は独自の政治展開をなす全人民的政治闘争潮流としての革命的位置性を、一層きわだたせ、日本階級闘争の「新たな主流派」へとのし上がっていかねばならない。

 三里塚二期決戦、天皇式典~東京サミツト粉砕戦において、わが同盟は「第二の3・26」を目的意識的に創出し、第一級の課題に対する第一級の闘いを何が何でも実現しきり、武装し闘う革命党としてのプレゼンスを高めあげ、又その過程において政治展開における青年期の党派からの乾坤一擲の飛躍を実現せねばならないのだ。

 八六年階級攻防の勝利のためには、全党全軍の同志諸君の爆発的な意志の結集が是非とも必要である。わが同盟はあくまでも日本階級闘争のボリシェヴィキになることをめざす。そのために必要な闘う決意と勝つ覚悟の一層の熟成、戦闘精神の極限的煮つまりを作り上げ、すさまじいまでの勝利性を共に闘いとろうではないか。

 理念ではなく構造的な組織力量が問われ、無駄なお喋りだけでは軍事戦闘はとても担えず、より強い軍事力量が人民の信頼と直結する、全くもってシビアなパワー・ポリティックスの世界に今やわが同盟は生命力を発揮せねばならなくなった。

 この現実性こそ素情しいことである。それはわが同盟が日本階級闘争に対し、不抜のプレゼンスを占めるに至ったことの表現以外ではないからである。

 わが同盟は死力を尽くして闘いぬき、必ず窮極の勝利をもぎとってみせる。全党全軍の同志諸君が、八六年階級攻防の勝利にむけ、たった今から戦闘配置につき、まなじりを決して闘い披くことを声を大にして訴える。

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