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十.87年階級攻防をつうじ戦取すべきもの
以上87年の大衆的課題となる3つの主要な闘いにつき述べてきた。本政治組織総括の最後に、87年の政治的組織的課題性と獲得目標につき明らかとし、しめくくりたい。
まず政治的組織的課題性の第一にあげられることは、三里塚二期決戦や天皇訪沖といった重要課題を闘いぬいていく、革命党としての実体的な戦闘能力の形成を急ぎ、建党建軍闘争に勝利しぬくことである。
86年10・15弾圧を見るまでもなく、公安担当捜査官の1000名増員の体制下、日帝国家権力は過激派壊滅作戦を強引におし進め、破防法型弾圧をますます強化している。この強弾圧をかいくぐって闘い抜く高度の意識性と専門能力を有した戦闘部隊の多量の形成、これぬきに二期決戦をいくら叫んでも空論である。
何かをやろうとするならば、それをやりきれる主体が形成されていることが前提であり、計画は実行され物質化されてはじめて力(フォース)となるのである。
われわれが二期決戦を熱田派を領導して勝利するためには、しかるべき準備が必要であり、革命戦争の担い手と実践的手段としての武器が開発されねばならない。それを急ぐこと、全党全地区で建軍活動を強化し、闘える能力を有した闘う部隊を作り出していくことがめざされなければならない。
言葉でだけ、ただ政治主張としてのみ二期必勝を語り、それを担い抜く実体の形成をすっぽかすのは人民に対する背反行為である。それは第二次ブント的サークル主義だ。わが同盟は革命党としての全実存をかけて二期決戦を闘いぬく。
ゆえに全党全地区が建軍闘争に邁進し、専門部局は専門部局としての技量をもって、あらたな人民の解放の武器を創出せよ! その実体的な形成を急ぐこと、これが第一の課題である。
第二には、そうした実体的な能力性を高め上げることをつうじ、戦争と暴力を政治の手段として駆使できる党派へとのし上がっていくことである。83年三・八分裂のあとの中核派の党派戦争宣言に際しても、86年3・25戦闘後の右翼民間反革命の襲来に際しても、革命党が武装していることはどんなに重要なことであるかを、われわれは身をもって学んできた。
プロレタリア日本革命が暴力革命としてしか指定できない以上、革命党が政治の手段として戦争と暴力を駆使しえるようになることは、焦眉の課題だ。その力が実体的に備わっていない合法党派に人民の支持が寄せられないことは歴史の示すとおりである。
だから依然としてゲリラ・パルチザン戦闘や、大衆的実力闘争を大衆動員や組織結集、政治展開の環として活用できるようになること、それをもってわが同盟のポジションを高め、政治的プレゼンスを高め上げる手段として駆使できるような政治的組織体へと高まっていくことは重要な課題である。その能力の煮つまりこそがパワーポリティックスを可能としてくれるのである。この習熟に向け闘いぬいていこう。
第三にはノウハウ化・マニュアル化の闘いが、全人格性を有した普遍的な人間=共産主義的主体へ至るひとつの階梯をなす闘いであることをふまえた上で、機構化を進め、専門化を進めていくことと、その担い手がただの経験性に依存するだけでなく、学習し、研究する創意と工夫をもった専門的能力性を高めあげていく闘いに勝利することである。
10年闘ったならばそれに見合った能力性を、20年闘ったならば10年闘った活動家を上回る専門的能力性を身につけていくことは絶対に必要だ。地区党活動を担う組織局のメンバーであるならば、人民大衆を組織化する専門的技量を有したプロフェッショナルになっていくのが正しい発展の道であり、彼(彼女)が存在するから組織が結束し、団結が打ち固められ、政治展開が合理的に推進されるのだと人をして言わしむるようにならなければならないのだ。あいつがいるから団結が崩壊し組織活動がうまくいかない、人も結集しないというのでは、何をやってきたのかわけがわからないではないか。
年月を生きていくというただの経験性に依拠しているだけでは、もはや不充分である。専門的に研究し、学習し、己を分析し、変革することによって必要な技量と何よりも人格を獲得していかねばならない。主体的階級的成熟を、文字通り己のものにしていくのだ。
他の専門部局ではなおさらである。車についての知識がなく、簡単な修理も、メンテナンスもできない脈管だとか、総務などというのは、あってはならないのである。
革命党が有機体であり、生きており、活性化もすれば退化もするものである以上、その各々の構成員、担い手が有機的に機能できる存在であるか否かは、核心的な問題である。その任務を職業的に担いぬいていく意識性を打ちかため、専門的技量をおたがい身につけていこう。その能力の高まりこそ、党の力量性を実体的に高めあげるのだ。
第四には闘う統一戦線の領導に勝利すること、協商懇潮流とは別個のところでの、武装し闘う戦闘的左派潮流の形成に勝利することである。
84年9月の全斗煥来日阻止闘争や、86年4-5月の天皇・サミット決戦で形成された、闘う人民大衆、諸党派に対するわが同盟の影響力は、86年秋以降の熱田派との路線的攻防などをつうじ、現在著しく弱いものとなっている。
しかしながら革共同の内ゲバ主義、第4インターや共労党の右翼日和見主義とは別個のところで闘いを構築すべきことを志向しつつも、その組織力量がわれわれと余りにもかけはなれていたり、実践的な展開力にへだたりがありすぎるために行動を共にできない部分が数多く存在しているのだ。これらの部分との政治的な意志結集をつよめ、たとえば二期阻止の現地行動隊を共同で構築するというような作業をつうじ、中曽根の戦争国家計画に対決する共同の戦線をつくりあげていくこと、それが必要なのである。
78年3・26管制塔占拠や5・20開港阻止決戦は、第4インターを主力とし、われわれ戦旗・共産同と共労党が加わった共同の軍事戦闘である。ただ一派で闘いぬけばよいというセクト的な考えにおち入ることなく、全国人民の共同の闘いとして三里塚二期決戦を闘いぬけるような基盤をつくりあげていくためにも、われわれが主力党派として統一戦線を領導しぬく意識性をつよく持つことは歴史の要請であり、その役割りをはたしきることのなかから、闘う戦闘的潮流の形成に入っていかねばならない。当面の課題となることは二期決戦必勝の陣形構築であるが、そのための共同行動のつみ上げから、この闘いをつくり上げていきたい。
以上の政治的組織的課題性をふまえたうえで、最後に87年階級攻防をつうじ獲得すべき実践的な目標を提起したい。
その第一となることは、86年の課題としてかかげつつ実現できなかった××××名動員の壁を87年こそ突破することだ。全地区党・全戦線がそれまでの最大動員を大きく突破するような大衆闘争の高揚、このうねりをそのためにも是非ともつくりあげていかねばならない。××××名動員の実現のためには、一地区一戦線で200名をゆうにこえる動員を物質化するような地区、戦線が出現することが必要だ。それにならい、到達闘争を組むことによって勝利していこうではないか。必ず××××名動員をはたすのだと心に誓い、共にがんばりぬこう。
第二には85年におけるEFG地区党の建設以来とどこおっている全国党建設の闘いに勝利しきること。最低一地区の開設をかちとること、これを是非とも意志統一したい。わが同盟の西下北上計画の進展は、決してはかばかしくはないが着実に進展している。現在の地区・戦線を数個増やすだけで、中曽根の戦争国家計画-過激派懐滅作戦に対する打撃になるのだ。87年階級攻防の過程において、この計画を具体化したい。
第三には関西におけるビル建設を射程に入れ、そのために必要な資金の蓄積に入ることである。本部ビルを開設した力をもってすればこれは全く可能なことであり、そのフォンドとなる資金蓄積も既に相当程度進んでいる。
1970年代の初期、第二次ブントの後継をめぐって関地区ブントと争ってから十数年、結局わが同盟が第二次ブントを止揚する真の階級主体であることは立証された。第二次ブントにおける歴史的継承性からいえば、われわれは系列としては関西ブントであり、その発祥の地に支部ビル建設をなしとげていくことは、全くもって名誉なことである。
ビル建設をなした場合にも、それを支えられるだけの組織力量を圧倒的に構築することを関西の同志諸君にはおねがいしたい。
全国の同志、友人諸君!
1987年はわが同盟の死活をかけた決戦の年である。
三里塚二期決戦、上福岡市議選、10月天皇訪沖阻止闘争争のすべてに勝利しきり、闘えば闘う程強くなる革命党の姿を、日本人民の前にくっきりと刻印しよう。いつまでも気概における青年の党でありつづけ、ラジカリズムの原点を守り、全国の闘いを希求する青年が、その熱き血潮を燃えたたせる希望の根源として、わが戦旗・共産同を定立せしめよう。
未来は青年のものだ。青年は必勝不敗である。わが同盟は徹底的に闘う。全党全軍が一致団結し、人民の勝利のために献身し、日本階級闘争の主流なすものすごい党派へと共に成長をつづけよう。試練をこえてこそ人は鍛えられる。明日はわれわれのものだ!
(1987年1月)
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