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八.三里塚二期決戦を熱田派と共に闘いぬく覚悟
すべての同志・友人諸君!
これまで述べてきた86年階級闘争でわが同盟がつかみとった全成果、又克服していかなければならない諸問題、そのすべてをひきついでわが同盟は87年階級攻防に躍り込んでいかねばならない。
既に三里塚二期決戦は開始されており、4月統一地方選における埼玉県上福岡市議選への阻止連代表岩木英二氏の立候補、そして10月の沖縄国体への天皇訪沖をめぐる阻止闘争など、87年階級攻防においてわれわれが果たさねばならない役割り、その責任性ははてしなく大きい。86年の階級激動がわれわれに強要したエネルギー消費の、更に何倍もの力を出しきることによってわれわれは奮闘し闘い抜いていかねばならないのである。
既にわれわれのしたたかな力量は、この数年間の激闘において実証され、わが同盟がもっともっと強くなり、日本階級闘争の主流にのしあがっていくであろうという予側も、比較的簡単にきくことができる地点にまで、われわれの政治的ポジションは高まってきている。
しかしそれを実現できるか否かは、すべてわれわれ自身の問題であり、主体的力量性、組織的能力性の今後の強蓄積だけが、それを規定づけるのである。
わが同盟は腹を固めきって87年を闘い抜く。執拗な執念を発揮し、何が何でもの前進を、固いスクラムをもって、すべての同志諸君とともに必ず実現しきっていこうではないか。
87年階級闘争の第一の課題となることは、全力を傾注し三里塚二期決戦必勝の闘争陣形を構築しきることである。二期決戦必勝はこの10年来言い続けてきたことだ。今ここに至って逡巡したり、主体的責任をとろうとしないのでは、余りに名がすたるというものだ。
われわれ戦旗・共産同はそんな卑劣な党派ではない。第二次ブント諸分派に心底恐れられ、彼等を絶望感のどん底に叩き落としてきたのは、ひとたび決断し、決意を固めきったときのわれわれの貫徹力、すべてを燃えつくそうとする徹底したリゴリズムが、とてもただの小ブル急進主義者にはついていけないような意志性と思想性に支えられているからであり、その実在性を実感しているからこそ、アダチ・グループなどは、犬の遠吠えみたいにほえまくり、恐怖のわめき声をあげつづけているのである。
68年10・20防衛庁突入を見よ! 69年1月東大安田決戦を見よ! 70年代初頭の猛烈なゲリラ・パルチザン戦闘を見よ! 72年5・13戦闘での全党火の玉となった総突撃を見よ! 78年3・26管制塔占拠へのわが同盟の決起を見よ! 86年3・25戦闘や10・14戦闘の大胆不敵さ、麹町署や検察合同庁舎のすぐ脇から、機動隊の行き交う中をM22を発射するわれわれの勇気と戦闘精神を見よ!
人民には限りない勇気と希望を与え、敵権力には度肝を抜かせるような闘いを、われわれは組織しぬき、闘う日本人民の不屈性、不滅性をこれまで刻印しぬいてきたのである。
わが同盟戦旗・共産同は全成員が革命的共産主義者であろうとし、思想性を賭して生きるのだと覚悟した。その己の体に流れる熱き血潮を辱かしめるような屈服などわれわれは絶対にしない。徹底的に闘い抜いてやる!日本革命的左翼のおそろしさを、日帝権力公団にたたきつけてやるのだ。
全党全軍の同志諸君は、革命的左翼としての矜持にかけて決意し、覚悟せよ!
今こそ人民の解放のために己のすべてをなげうつべき時が迫っているのだ。わが同盟は1987年、人民の聖戦(ジハド)を発動する。
もってわれわれは、昨秋の反対同盟との攻防の中においてもわが同盟を支持し、守ってくれようとし、命運を共にすることを誓ってくれた三里塚反対同盟農民の信義に応えぬく覚悟である。
そのためにもここにおいて、昨秋9・15抗議声明提起後の攻防を再度想起しつつ、熱田派を領導し闘い抜かねばならない必然について、全党全軍の意志結集をがっちりと作り上げておきたい。
まず昨秋9・14三里塚闘争において、基調提起をおこなった菅沢氏が主張したのは、文字どおり話し合いの示唆であった。それは
「二期を追いつめ、また追いつめつつ、同盟と政府・公団との会談を要求し、その会談において政府に対し20年の政府の非を追及し、一切の責任問題まで言及する」「このような闘争形態も、時には重要な闘いかと思う」
「われわれはさらに、一層強固な闘争勝利への基盤を構築することであります。そして、その基盤が実現したならば、その時こそ同盟の意志一致をはかり、同時に三里塚支援人民の意志の統一をはかり、同盟、支援の力を結合し、正々堂々政府・公団に会談を申し入れて、その会談において空港建設の過程、および二期の計画をおいつめ、変更なり、断念させるなりして、われわれの真意を認めさせた時、われわれは更に政府・公団を追いつめ、今までの政府の責任を明らかにさせ、闘争にかかわる裁判の諸問題、成田用水などの農業政策、空港予定地の改良問題等々について、政府と同等に対決しうる会談を設定するということは、あながち無駄ではない」
等という内容において表現されたものである。
しかも菅沢氏はこの発言をなす以前の8月中に―カクマルに言わせれば86年9月4日―多古町の「天鈴」において、運輸省の増田審議官などと会談をもっていたのである。
わが同盟はこれに対し、「9・15抗議声明」を発し、話し合い路線粉砕の立場を明確化させたのであるが、9月21日丹波山共有者の家での同盟幹部会に呼びだされ、そのときの対処が不徳であったということも加味されて、「謹慎処分」を言い渡され、それは翌22日の横堀同盟本部での実役会議において支援に公表されたのであった。
その後、9月25日同盟声明が出され、話し合いの意図などない旨提起されたわけであるが、わが同盟は第二文書としての「釈明文」を同日提起し、あくまでも話し合いを拒絶すべきこと、78~79年の話し合いの二の舞となってはならないことを再度訴えた。
その直後、カクマル『解放』によって菅沢・熱田両氏の当局との交渉が暴露されたのであるが、しかしそれ以前に、われわれは権力・公団から同盟幹部宅にしきリと「東峰判決につき仲介に応じてもよい」なる電話が、運輸省からかかって来ていることをつかんでいたわけであり、それにもとづき「9・25釈明文」も提起したのである。
10・4には東峰判決が下された。そこでは何と全被告中52名の執行猶予、3名無罪が宣告され、日帝権力が明らかに反対同盟の懐柔を意図していることが、余りにも歴然となったのである。
その判決をうけて後、10月6日に再び幹部会がもたれた。そこでは熱田・菅沢両氏が話し合いの事実を認めたので、同盟としてはその事実を公にも認めた上で自己批判し、全国人民に対し二期決戦必勝の決意を訴えるなる主旨が決定された旨、わが同盟に伝えられたのであった。
それを受けてわが同盟は、同盟が要請するわが同盟の反対同盟に対する謝罪文「この間の事態につき反対同盟に迷感をかけたことをおわびします。今後とも反対同盟と共に闘い抜きますからよろしくお願いします」という内容の文書を提出したのであった。それをもって9・15抗議声明に関する案件は落着すると提起されたからである。
ところが事態は全くそのようには過ぎず、10・18の検察控訴期限がすぎるまで実役会議など全く開かれず、それどころかなんと10月29日の幹部会まで「戦旗問題」は宙ぶらりんの状態に置かれたまま放置されたのであった。しかも10月29日の幹部会決定として申し渡されたのは、「謝罪文を機関紙にのせろ」という通告である。
ここにおいてわれわれは、もう本当に熱田派を見限り、北原派に行くしかない、話し合い問題も曖昧化させたまま、なんと9・14基調問題を「戦旗問題」に変節してしまう熱田派幹部会、青行は、文字通り脱落派と化しているのではないかと、ギリギリの決断に入っていこうとしたのである。
ところが続く11・4幹部会においては、事態は大幅な激動を見せた。小川剛正氏、小川源氏がすさまじい勢いで戦旗擁護の論陣をはリ、戦旗を追放しようとする石井武氏、小泉英政氏などと全面対決してくれたのである。
ここにおいてはじめてわれわれは、用地内および用水絶対反対農民との強固な結合を実感し、われわれの任務が残っていること、つまり信義に応えぬかねばならない階級的責務が存在することをあらためて実感したのである。
11・4実役での決定は、11・7青行小屋において戦旗の「査問会」を開くというものとなったが、われわれは熱田派全体と結合する考えは完全に捨て、血盟を共にできる小川源さん、小川剛正氏、その他用水絶対反対農民と命運を共にするという決断をもって、この11・7査問会をボイコットした。
そしてこの11・7においては、今度は熱田一氏が、「戦旗がもっとも闘ってきた。戦旗がいなくなれば横堀同盟は死滅する。一体誰が戦旗の役割りを果たしてくれるのだ」と強烈なわが同盟への支持を表明してくれたのである。
わが同盟は翌日、呼びだされて熱田氏との会談をもち、横堀反対同盟および、われわれと共に闘うことを是とする小川源さん、用水絶対反対農民とのみ共に闘う覚悟であることを伝えた。
更に一ヵ月近く。12・3になって再度丹波山共有者の家に呼び出しをうけたが、この時も熱田氏はわれわれを擁護してくれ、この熱意に打たれて12月4日、わが同盟は9・15抗議声明の第三項を撒回する旨発表した。(=『戦旗』551号)
そして86年末の12月28日になってようやく反対同盟全体との合意、三点の確約点(確約書)を認めることによって9・21幹部会決定以前の状態へ、わが同盟が復帰できることが決定されるに至ったのである。
こうした経緯をたどった反対同盟との攻防であるわけだが、われわれには、これらの攻防をつうじ守らねばならぬもの、応えねばならないものが生み出されたのだということ、これを熱田派を領導して闘い抜く必然として意志統一したいのである。
すなわちこれらの攻防過程において、小川源さん、小川剛正氏、熱田一氏、下山氏は、農村共同体における他の農民との離反の可能性というすさまじい重圧をはねかえして、石井武、小泉英政、相川勝重、柳川秀夫、寺内金一などとの全面論争に入り、「闘うためには戦旗を放逐してはならない」ことを訴え、二期決戦必勝のために戦旗と命運を共にする姿勢を反対同盟内に対し打ち出してくれたのである。
この信頼、ここでさしのべられた熱い支持の手を振り切ってしまうのでは、わが同盟戦旗・共産同には革命党として守りぬくべき何の規範もなくなってしまうではないか。
闘う人民を守り、闘う人民のために、闘う人民と共に最後の最後まで徹底抗戦するのは共産主義者の天与の使命である。その一点においてわれわれ戦旗・共産同は、たとえ戦況がどんなに厳しくとも、これらの人士と共に、その血盟を守りぬくために死力を尽すことを決断したのである。
熱田派がその内部にエコロジスト、青年行動隊に見られる戦闘的改良主義、抗戦意志さえも喪失した半ば条件派をかかえこんでいるのは百も承知のことである。
しかしそうであるが故にわが同盟への風当たりが熱田派内でいかに強いからといって、わが同盟の徹底抗戦をあてにし、共に闘うと言ってくれる戦闘的人士が存在する限り、その人たちのためにもわれわれは革命的共産主義者としての全思想性を賭してやり抜く以外ないのだ。
その内部に巣喰う右翼日和見主義者、二期決戦逃亡派との徹底したイデオロギー闘争を内包させつつ、ゆえにわが同盟は持てる力のすべてをふりしぼって決戦に起つ!
すべての同志諸君が、この党の決断を己の決断にまで高め上げ、全力を傾注することを願うものである。
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