戸村一作:著『小説三里塚』(目次へもどる)
第32話 全学連の受入れ(2)
それから二日目だった。地元日共の名で、意外なビラが同盟の中に配られた。
瀬谷誠一、内山寛市、石橋庫三ら幹部連がいよいよぐらつき出し、公団の斡旋で富里方面に代替地を求め始めたというものだった。だが、これは全くのデマだった。反対同盟の誹謗と中傷を狙う、陰険極まるものだった。
朝日新聞の企画で、反対同盟委員長の戸田以策、副委員長の石橋庫三らと、運輸大臣の大橋武夫らの対談があったのは、その直前だった。この内容がそのまま記事となって、翌日の朝刊の政治欄に大きく発表されると、これに対しても日共は、根も葉もない悪質な中傷をこととした。同盟幹部が揃いも揃って運輸大臣を訪ね、条件を取り付けたとふれ回ったのである。
成田支局の朝日新聞桑折勇一記者が担当だった関係で、彼は同盟に責任を感じ、その処置を講じた。東京本社からその時の録音テープを持ってくるから、同盟員みんなに聞いて貰おうというのである。彼の肝入りでテープが入手できた。前回紛糾して持ち越しになった全学連問題を兼ねて、テープを一般公開することになった。
役員会は特別に拡大実行役員会として、各部落に呼ぴかけ、夜八時から千代田公民館で開くことにきまった。複雑多岐な難題を抱えた役員会だけあって、その夜の集会はいつもと違って、数も多く熱気を帯びていた。
まず、問題の録音テープがかけられた。一斉に耳が傾けられた。聞いてみると日共のいう同盟幹部連が、運輸省の説得に屈したという発言は、どこからも出てこなかった。むしろ大橋武夫を糾弾する鋭い言葉が、聞こえてくるばかりだった。聞き終って一同、「何だ」という表情で、日共グループを見た。
その時、天神峰の加藤一夫が割れ鐘のような大声で、傍の臼木に向かって怒鳴った。
「何だ、何でもねえでねえかよ」
「……いや、あのテープは継ぎ合わせて作り直したものだ。テープなんて信用できないよ。テープなんてどうにでもなるんだから……それに新聞社のやることなんか特に信用できない」
「そんなことをいったら何だって信用できねえじゃねえかよ」
「……」
臼木は口を固く喋んで、黙ってしまった。
すると、傍にいた辺田部落の秋葉忠が、太い声で叫んだ。
「共産党はこないだビラで、大嘘ぱちを書いたじゃねえか。どこにその証拠があるんだよ。いってみろ」
「トロツキストよりも共産党の方が、よっぽども反対同盟の切り崩しじゃねえか」
秋葉の言葉に続いて追い打ちをかけるようにしていった加藤は、じろりと臼木の横顔をみつめ、その答えを待った。
「……そりゃ証拠もなくはないよ」
「あったらはっきり見せてみろっ」
加藤が大声を張り上げると、一同がその方向に一斉に注目した。臼木ははにかみながら渋々、席を立って、後の方に去っていった。
「共産党はやり方がきたねえよ」
「うん、奴らときたら赤旗日曜版を読めとか、若い者のところへきては民青に入れとか、そんなことばっかりにうつつをぬかしあがって、何にもやんねえだから……」
「やったと思えば、反対同盟の悪宣伝……」
その時、金原が議事を進行し、前回に引き続いて全学連問題に入った。これはその夜の中心議題だった。議事は進行につれ、白熱化し、賛否両論に分かれて混乱した。
「日共のトロ排除ではねえが、農民は農民でやればいいよ。何も学生の力を借りなくてもよ……」
「それに学生が入ってきて、現地があんまり荒れてもな……」
「しかしよ、農民だけのものになったら、運動が狭くなっちゃうよ」
「うん、孤立しちゃう。やっぱり同盟の規約にもあるように、反対する者は、学生であろうと何であろうといいじゃねえかよ」
すると、石井幸助が、すっくと立ち上がった。
「しかし、この際暴力学生を入れたらとんだことになる。取り返しがつかねえよ」
「そりゃ石井、どういうわけだよ。一体?」
「どういうわけって、奴らは社共路線に反対するばかりか、民主主義に反しているんだよ。第一、暴カが目的だから権カの立ち入る最もいい隙を与える。権カは奴らを利用して反対同盟の破壊工作をやらせるんだ」
「そんなことどこで解る……。共産党の宣伝だっぺよ」
と、加藤がいうと、石井は一ぺんに押し黙った。前回の混乱があったので、その夜の役員会では学生は遠慮して貰うことになっていた。そのためか、前回のようなトラブルは起きなかった。
「うん、元来、同盟は政党指示で動くもんでねえんだから、同盟として学生運動のうけ入れ体制が整いさえすりゃ、それでいいんだよ」
行動隊長の内山寛市がいうと、その結論がほぼ出たような形となった。それに録音テープでも日共の卑劣な欺瞞がさらけ出されたので、彼等の宣伝する「トロツキスト排除」も根拠のないデマだということが解ってきたようだ。
一二時近くになって漸く「全学連受入れ」が満場一致できまった。「トロ排除」が「日共排除」に変わったような、幕切れだった。
途端、七、八人の日共グループは臼木を先頭にして、憤然と席を蹴立てて退散していった。長い時間をかけた全学連問題だったが、ついにこれで幕が下りた。
会場は、和やかな雰囲気に返った。
同盟にとって全学連問題とは、つまり日共路線に追従していくかいかないか、どちらを選ぶかの課題である。これは同盟の進路を決定する重要なポイントだった。日共というよりも彼等の卑劣で陰険な政党主義には、農民もほとほと嫌気がさしてしまった。
一方、学生運動はとみれば、これも多彩なセクトで掩われ、統一を欠いているようにみえたが、頑なな日共よりはずっとましだった。その純真な熱意と実行力が、農民をして彼等をうけ入れるモティーフとなった。
一九六七年一二月一五日、ついに、反対同盟は日共と手を切ることを決議した。そして、これを全国の支援共闘団体にも、文書をもって明らかにした。
その数日後のある日、関根裕一と天野よし子が、戸田の家を訪れた。関根は天神峰、天野は東峰でともに空港敷地内の反対同盟員であるが、二人とも日共系グループに属していた。
「委員長さん、今度天神峰の石橋さんや東峰の堀越さんのところにも、得体の知れない髪の長い学生が入ってきましてね……。最近の新聞にも出ていますが、東京で暴れ回って警察に狙われ逃げ込んできたらしい」
関根が憂い気にいうと、天野もそれを強調した。
「それにおかしいですよ。二、三日いると、また東京さ帰っていく……。警察に狙われてるというよりも、警察のスパイじゃないでしょうか」
そして、二人は口々に同盟の「日共排除」は、闘いにとってのマイナスであること、「過激学生」の現地入りは同盟の分裂だから、くい止めて貰いたいと頻りに強調した。
「日共排除というがその原因は日共側にあって、役員会の場合をみても会議半ばにして席を蹴立てて出ていった……。むしろ日共が同盟から去ったという形ではないでしょうか」
「あのとき、わたしらも役員会に出てましたよ」と、天野よし子がいった。
「学生問題では各部落集会から役員会と、何回となく討論され、その結果としてきまったことですからね……」
一応、二人とも頷いて聞いていたが、「もう一度、委員長として検討してくれ」といって帰っていった。
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