by 中野由紀子
もうじき(ご存知の酒乱の!)父の命日が来る。
誕生日に死んだおめでたい男だった。もう21年も経ったよ。昨日のことのようだ。
父は脳出血で倒れて左半身が動かなくなったわけ。出血の部位が脳の深いところというのかな、手術の出来ない場所だったから、実質「寝たきり」になった。生きてたのが不思議なくらいの重体だったので後遺症は強く残った。車椅子で動くのもむずかしかった。
脳血管疾患の後遺症にはほぼ特有の呆けが伴うのです。急にひきつけを起こして出血の再発がたびたびあった。これもまた後遺症のひとつ。舌を噛み切らないようタオルをかませる。
その発作のたびに3日~1週間くらい、他人のようになるんです。普段もあんまり分かってないのがもっと分からなくなりましてー。
私を見て、「どなたですか?」と言うのでした。当時、介護保険やヘルパー、ショートステイなんてのがまったくと言っていいほどなかったから、逃げちゃった兄たち(若かったからねー)の力はアテに出来ず、母と私で看ていたのよ。
しょうがないから「ホームヘルパーの渡辺」とかなんとかごまかしたわけです。
発作後の数日はご飯も食べられないくらいの興奮状態が続いて、若いころの自分に戻るのです。土方とか植木とか港の仕事とかを思い出すらしく、ふすまを開けてそっと覗くと、掛け声とともに合図の腕振りをしています。
『「ホームヘルパーの渡辺さん」=私』が「○○さん、お仕事ご苦労さまです。少し休憩しませんか?」と声をかけると、
「あ、ありがとうございます!皆さん、お先にどうぞ。私はあとでいいです」なんて言うの。
あの酔っ払いが、ほんとにときどきしか働かないんだけど、飲んでない時は他の人にこうやって気を遣っていたのかなーと思うのだった。
そして「母さん、米はあるか?子供たちにご飯は炊いたか?」とか言う。
母は「大丈夫。お米はあるし、炊いてあるからね」と応えると安心するのだった。
実際、酔っ払っていた頃はそんな父親らしいこと、ひと言だって言ったことなかったのに!
「ホームヘルパーの渡辺さん」になるのはつらかった。
「あのー、娘さんいましたよねー?」とかいろいろ言って思い出してもらおうと必死になる。なかなか思い出してもらえないの。泣けてくる。
だけど、10回に1回くらいは「あれ?私には娘がいたような気がする」とか言うからものすごく!ものすごく!!ものすごく!!!うれしい。
そうですか~
なんて会話をしながら身体をふいたりするのであった。
そんなことをキンモクセイの香るこの時期になると思い出しますー。
先日の日比谷野音のベンダ・ビリリは最高でした。
車椅子や松葉杖でもあんなに楽しく踊れるなんて!見てるこちらも踊らずにはいられませんでした。最強のリズムと歌詞、音楽、パフォーマンスでした。車椅子の背に羽根が描かれていますねえ。素敵。
トレトレフォール!!
父もあのスタイルのいい長い長い自慢の足で世界中を歩き回っているに違いない。
会いたいな~