by 中野由紀子
いちじくが店頭に並ぶ季節になると、いつもいやーな気分になるのだった。
子供のころの暑い夏の午後、落ちたいちじくをオバサンと拾うのが毎日の日課だった。シャツのすそを長くひっぱって、そこに溜め込むわけ。オバサンと言ってもなんの血縁関係もない人で、お金を払ってあずかってもらっているところのオバサンだ。
オバサンには私と同世代の子供(兄妹)がいた。オバアサンもいた。そのオバアサンとオバサンがふたりともいじわるだった。自分ちの子供らにはなんにも言い付けないのに、私だけ小間使いか奉公人のようにこきつかうわけ。掃除、洗濯、食事の支度、着物の洗い張り(当時はもう珍しかった)、畑のこと、買い物、近所への届け物、エトセトラエトセトラ・・・
いちじくに戻る。
その熟しすぎて落ちて割れて蟻がはっているぐずぐずのいちじくが私のおやつなわけです。他の子はプリンとか食べてる。
大人になって、八百屋で見るいちじくはスッとしていた。
「まだ青いじゃん!こんなの売ってんのか?」
買ってみた。食べてみた。
う、うまーい!!
甘みがソフトで食感が全然違うじゃないかーっ!
ザラザラのぐずぐずじゃないっ!!
ひいい!!
私は「本当のいちじくを初めていただきました感満載」で満足した。いちじくってこんなんでしたか?みたいな。同時にいやーな気分になってとても寂しくなったのさ。ちっ!他人の家で過ごすということがどんなに気を遣うか、くつろげないか、残酷なことか思い知ったのでした。うわーーーん!
オバアサンにいたっては、もっといじわるで、私の目の前で自分の孫たちだけを呼び寄せて、お小遣いをあげるのだった。
孫のひとり(私の幼なじみの男の子のかずちゃん)が、「おばあちゃん、ゆきちゃんにはあげないの?」と言う。素朴な疑問だよな。ババアは、「ゆきちゃんはよその子だからあげなくていいんだよ」と答えやがる。かずちゃんは私に悪そうに下を向くのだった。(かずちゃん、いいんだよ、私、わかっているよ)
かなり大人になってから、母親にそんな話をすると、「お金も払って、お中元もお歳暮も、お正月も欠かさず届けていたのに、そんな扱いをうけていたのか?」と驚いていた。遅いよ!!なんの疑いもなく奉公人よろしく頑張っちゃってました。
だって怒られるのが怖いし、見捨てられるのが恐ろしかった。身体の大きな女の人で、若いころに大きなお屋敷で奉公した人だから、徹底的にあらゆる家事が出来るわけです。
厳しい。こわかった。気持ちの休まる時がなかった。やっと夜になって自分の家に帰れば(ご存知酒乱の)父が酒を呑んで暴れてるしね。もう生きた心地っつーか、楽しい気持ちとかがまったくない。そんなことが生後3ヶ月~中学2年くらいまで続きましたよ、ええ!差別のてんこ盛りでした。
クソババアもババアももうとうに亡くなったけど、亡くなった日に私は大きく深呼吸しましたよ。だって、いつもいい子でいないと、見張られていたしね。
今だって、どっかで見てんじゃないかと思うと、家事を万全にしないと!!ってあせる。その感覚が治らない!いい加減にらっくらくになりたい。まぁ、実際、万全にしてるわけではないんだけど、頭の中のババアが完璧を求めてる。悲しいねー
清志郎さんのいない夏のイベントはさー、カスな歌手と子供の祭典にしか思えないねー。(失礼!)
日本のロックがなくなっちゃったよー。
今日はなんだか泣けるので、ジャニスあたりを聴こうかなー
◆Janis Joplin – Maybe
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