「小説三里塚」第七章 錯綜(後編)

投稿者:草加 耕助

戸村一作:著『小説三里塚』(目次へもどる

第55話 神出鬼没

燃え上がる作業車両

 武治は夜更に便所にいくために外に出た。ふと眼を天浪の方に向けると、思わぬところで、狐火のような火の手の上がるのが見えた。彼は「ああ、またやったな!」と呟くと、家の中に入り、寝床に潜り込んでしまった。床の中で眼をつぶっても、網膜に焼きつけられたように真赤な火の手が映る。

 朝起きて、源二の家の丘に上って、天浪方向を見た。夜の火が、気にかかったからだ。はるか前方の工事場では、人だかりがして人が右往左往しているのが見えた。ブルドーザーを囲んでいるところを見れば、タベ火の手は何者かによって、それが焼打ちされたのであろう。
 しばらくすると一台のジープが、砂塵を巻き上げて、資材道路をまっしぐらに疾走してくるのが見えた。警察のジープだ。急報によって、成田署から実地調査に駈けつけたのであろう。

 その頃、木の根、天浪の工事現場のブルドーザーやユンボが、夜な夜な何者かによって焼打ちされたり、運転台に糞尿がぷちまけられてあったりした。そうかと見れば運転中にエンジンが焼きつき、金属音を出して、急に停まったりした。何者かによって、燃料タンクの中に、砂糖がぶち込まれていたためである。
 三里塚の町はずれには畑を潰して、「小松製作所」の修理工場ができた。建設会社の土建用機械の修理を専業とするものだった。そこには焼打ちされたブルドーザーなどが、いつも幾台となく運び込まれていた。修理工場の周囲は球場に見るような丈の高い金網に囲われていた。

 作業現場の重機類は夜になっても、現場にそのままに置かれているのが常である。焼打ちがたび重なるようになると、公団は現場に電燈を晃々と燈し、ガードマンをつけて不寝番の見張を立てた。
 朝、不寝番のガードマンがブルドーザーの傍で、死んだようになって倒れているのを、朝早く来た労働者に発見され、大騒きになった。そのガードマンは芝山町の農民で条件派出身だった。見張り中、何者かによって滅多打ちにされ、その場に皆倒したまま朝になったのである。救急車で成田の病院に担き込まれ、ようやく一命はとり止めたものの、彼はガードマンに恐れを感じ、その直後止めてしまった。
 それからは機動隊が出動し、ガードマンと一緒になって、夜間バトロールを始めた。工事現場には昼をあざむくような外燈の下で、機動隊やガードマンのうごめく姿が、遠くからもはっきりと見えた。それでも各所の現場では毎晩のようにブルドーザーや建設機械が、次々と焼打ちされていった。

 背中に火気を背負ったゲリラ部隊は、見張りの眼をかすめて潜り抜け匍匐前進で黙々目的地まで進んだ。そして、装置を仕かけては帰るのである。帰って見ると彼等の衣服の膝は抜け落ち、掌からは血が濠んでいる者もいた。時には感づかれて見張りの塔からサーチライトで、執拗に追われることもあった。そんな時は素早く物陰に身を隠し、忍者のように張りついて動かなかった。この種の仕業は特殊な鍛錬と、忍耐が必要だった。

 ゲリラ部隊の出動は一機でも多く破壊と損傷を加えることによって、工事に打撃をもたらそうとするのが目的だった。だから毎夜のように出没して、その襲撃の隙を狙った。
 時には見張りがあまりにも厳しく、せっかく、準備万端整えた所、道具を背負ったまま、空しく時間を過ごし帰らねばならぬこともあった。一機を焼打ちするまでの装置を仕かけるには、時には二時間余りも身を潜め、厳戒のパトロールの隙を窺わねばならなかった。
 それは言語に表わせない独自な忍耐の要る仕事だった。まかりまちがえば一命を落とさないとも眼らない決死のゲリラ戦である。

 ゲリラ部隊と呼応するかのように、各部落の団結小屋からは夜間パトロール隊が、一〇時になるときまって出動した。
 それは公団用地買収員が夜陰に乗じて、密かに自動車を飛ばし、条件派の家を訪れ、買収説得するからである。昼間は発見を慄れ、彼等の説得活動はいずれも夜だった。それも夜更にわたる時もしばしばだった。
 各部落の入口にはほとんどといっていいほど、関所のように団結小屋があった。学生が夜更まで、立番して見張りをしていた。だから、この関所破りは困難で、部落に易々とは入れなかった。そこで彼等は、いつも夜更を狙った。その車の中には必ずといっていいほど肉身、親戚の誰かを同乗させ、道案内させるのである。
 夜の十時過ぎに通る車は、必ず公団の車だといってもよかった。

 ある夜のこと、公団の車が東峰十字路から、古込に向かった。ちょうど、両側に竹林や松林が生い茂った道路に差しかかった時だった。
 やにわに暗い茂みからバラバラッと躍り出たものがある。ヘルメットに覆面の数人の男の姿が、ヘッドライトに映し出された。覆面の男たちは手に手に長い棍棒を持ち、車の前に立ちはだかった。
 この道路は一名、ホーチミン・ルートとも呼ぱれていた。凹凸の激しい悪路で、特に乗用車などはスピードを出せなかった。

 車は難なく止められた。覆面の男たちは車を取り囲み、携帯用ライトで中を照らして窺った。車内には三人の男が乗っていた。
「開けろっ」と、覆面の男が根棒の先で、窓ガラスをコツコツとこづいて叫んだ。窓が三分目に開いた。
「もっと開けろっ」
 窓ガラスが降りた。
「身分証明書を出せっ」
 車内の者は俯いて、無言のままだった。その時、
「出せっていったら、出せ」と、怒鳴るより早いか、ヌーッと根棒が彼等の眼の前に差し出された。彼等のうちの一人が、渋々と内ポケツトから身分証明書を出して見せた。出すが早いかそれを素早く奪いとった。
 ライトでそれを照らし出して見ると、「空港公団用地係 村松信吾」とある。彼等は公団の用地買収員であることは、もはや間違いなかった。

「出ろっ」
 彼等は誰一人動こうともしないばかりか、石のように固く黙りこくったままである。
「出ろっ、出ろったら出ろっ」
 車が微かに揺れて、すーっと動き出Lた。
「逃げる気かっ」
 とっさに覆面がポケットから何か取り出したようだった。前輪のタイヤ目がけて、はっしとばかりに突き射した。プスーツという音がして、タイヤの空気が抜けて、自動車が右側にやや傾くのがライトの光で見えた。すると続いて左側の後輪が射されて、空気の披ける音がシューッと聞こえた。瞬く間に四つのタイヤの空気は抜けて、悪道路の上にペシャンコになって自動車は座った。車内の男たちは運転手もろとも、もう駄目だと観念したか、おどおどと車外に出てきた。

「何しに来た」
「……」
「何しに今頃来たといってるのだ」
 覆面の一人が棍棒を振り上げ、責任者らしい村松という男の頭めがけてポカリ、すると周りからも三人の頭にポカリポカリと振り下ろされた。彼等は一斉に土下座した。そこをまた撲る蹴る。頭には瘤が紫色になって膨れ上がった。鼻血を吹き出し顔中血だらけになり、頭を飽えてヒーヒー泣く者もいた。背広はズタズタに千切れ、片袖は椀ぎ取られていた。
 はるか向こうに、微かに燈火が見えるばかりで、この辺りは人家すらなかった。
 彼等の乗ってきた乗用車のフロントガラスが、音とともに闇に飛散した。続いてブスブスという鈍い音がして、見る間に新車がポンコツ車に変わっていった。一人の男がそれを横目で、チラと見た。

「誓約書を書けっ。二度と来ないとな……」
 村松という男が鞄から用紙を取り出した。覆面の持つ懐中電燈の光で書こうとしたが、ペンを持つ手が震えて一字を書くにも容易でない。わずか数行だが、思うように筆が運ばない。やっと書いて、震える手で手渡した。
 その時、東峰方面からヘッドライトを光らせて、こちらに向かってくる一台の自動車があった。警察のパトカーだった。彼等の一人が車内から秘かに隙を狙い、トランシーバーで連絡したらしい。
 突然、天浪の空に火の手が上がった。暗夜の狼火のように見えた。覆面の一群はそれをチラと見上げて天狗のように茂みの暗がりに姿を消し去った。灌木の葉摺れを残して……。

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