書き込みの内容レベルも高いし、こちらが真正面から応えているので、普通なら荒らしさんで終わってしまうような人も、
まじめに自分の意見をぶつけてきてくれているような印象を受けました。
荒らし、粘着は放置が原則なのは変わらないが、たまには正面から対応するのもいいですね。
やっぱりここは2chとは思えない良スレだなあ。
んで、そろそろ思い出話に戻りたいけど、ここもそろそろ共産板の中では有名スレになって
しまったんで、sage進行でいったほうが荒れなくていいかな?
どんなもんでしょう、>>1さん
[革命的理論なくして革命的実践はありえない」(レーニン)
最近の事業経営でもP(プラン)D(ドゥー)C(チェック)A(アクション)
の繰り返しだってよくいわれるよな。
草加さんごめん、ageたよ。
嗚呼インタナショナル我等が物。蘇る青春の日々。
草加様ごめんなさい。ワタクシの感情的な書き込みに誠実に応対して頂き感謝。
草加さまのサイトちょっくら覗きました。なかなかセンスいーですね。
こんなカラミ屋のバカたれで申し訳ないのですが、仲良くしてやって下さい。
でも感情は剥き出しでインネンつけちゃぅと思いますけど……
元は「爆弾男」という名前で売る予定だったらしい(PC版はその名前で販売されていた)
しかし86年SENKIによる皇居アメ大ゲリラのおかげで名称変更したらしいね。
不謹慎なネーミングだとかなんとかで。ソースは某ゲーム雑誌です。
もしあのときのSENKIのゲリラがなければ、今年発売されたPS2のゲーム名も「ネットで
爆弾男」になっていたんだろうなとオモタ。
「へぇボタン」20回ほど押してしまいました。
トリビアで採用されれば当事のニュース映像も見れるかもしれんが「ボンバーマン」ではちょっと弱すぎてだめか?確かに「爆弾男」だと全然印象が違うよな。よく考えればそのまんま英語にしただけだけど。
>>309
「感情的な書き込み」ってどれだろ?ガンダムの人かな?
別に「私個人が」しかも「2chで」何を言われても気にしませんよ。むしろ誉められると期待に応えねばとプレッシャーになるくらい。ちょっとくらいなら、馬鹿にされてるくらいのポジションのほうが気が楽です。
でも批判された時は一応「俺が悪かったのか?」と考えてみることくらいはお約束します。
これからもよろしこ。
いまひとつ面白くありません。ここは大昔のブント仲間ということで、元怒涛も出入り
してよござんすか。
荒らしはしませんが、ブントはすぐ分裂しますんで先のことはわかりませんが。
お察し申し上げます(ノ_-。)
んで、ここは40歳代から50代前半までが多いとおもいまつが、あなたさまはどのような活動暦の持ち主であらっしゃいますか?
おっと、この程度にしとかないと・・・
やい!やい!怒涛でも無え香具師が怒涛の名を騙るな。
どだいオイラ達と荒派がどんな関係あんの?
現役時代に荒派と只の一度も共闘なんかしたこたぁ無えだろ。
どっちかつうと西田とやったことあるけどよ。
えっ!オイラ達の元大将の一人がが荒理戦に出ていたって?
こりゃ すっれいしますた (゚゚)(。。)ペコッ
「労革派」(労働者革命派結成準備会)を名乗った。
この「マル戦派」は、更に同年八月、戦略、戦術の総括、岩田弘の理論の評価の対立から、岩田理論の正統継承派を主張する「前衛派」と、学生活動家を擁し多数派の「怒濤派」に分裂した。その後、「前衛派」は、九月に下部青年、学生組織として「青年共産主義同盟」を結成し、
一九七三年四月には、党名を「共産主義者党」と改めた。「怒濤派」は、一九六八年一二月、「労共委」(労働者共産主義委員会)を名乗り、下部学生組織として「共戦」(共産主義戦線)を結成した。
「第二次ブント」主流の「戦旗派」(統一派)も、一九六八年一二月の共産同第八回大会、翌一九六九年三月の社学同全国大会における軍事路線の討議をめぐって対立が起こり、「軍イコール党」「秋期武装蜂起」など最も過激な軍事路線を主張する塩見孝也や高原浩之らの
「関西派」グループが、「武装蜂起は時期尚早」とする「関東派」グループと同年七月、明大和泉校舎で「内ゲバ」を演じ、ら致監禁された関西派活動家の一人が脱出に失敗して、転落死亡するという事件を起こした末、一九六九年九月、共産同「赤軍派」を結成して、
「戦旗派」から分裂した」。
まあ、そうムキにならずに。半分はネタと思わなきゃ。
怒涛ホームレスさんは怒涛「周辺」の人、という雰囲気だね。
このスレも過去、ブント諸派やチュン、青の人も出入りしてたんだから
硬い事言わないことにしよう。お互いが昔を語って、遊べりゃそれでいいと
オレは割り切ってるが。
みんなやるべきことは当時やったんだし。今更行動せよとか、どうこういっても
しょうがないじゃん。
今を嘆いて我々にどうこうせよ、などと注文つける輩は、勝手に困ってりゃいいんだよ。
ザマーミロ、それみたことかって感じ。ソ連が崩壊したとき喜んでたツケが回っただけだよ。
ソ連崩壊を喜んでた奴に、資本主義の矛盾を嘆く資格は無い! とオモイマス。
民学童の方もお出でですが・・・・
ワロタ
別に民青だって構わんさ。オレは。
だってもう昔の話だろ?
今のオレは別に戦旗の看板背負って生きてるわけじゃないしな。
元革マルだってなんでわざわざ革マルなんかを選んだのか問い詰めたい気もするしなw
マターリやろうぜ。同志諸君よ。
入った大学がたまたま革マルの拠点校でなんとなくその活動の中に。でも、途中から
距離をおくようにしたら、そのまま疎遠に。しつこく追っかけてこなかったよ。
まあ、オレもつっぱり傾向の(^-^)/と思想だから、マルもほっとけの姿勢だったんかも。
もうちょっと
エピソード教えてよん、
革マルって、外から見えにくいから
どんな感じだったか、
教えてほしいな
最初のとっかかりは自治会活動。なんとなくクラス委員になった。オレは高卒後働いていて、
その後数年して入学したもんだから、3~4年生と同じ歳だった。だからものおじせず、
むしろオレは労働者だったんだぞてな感じで大きな(^-^)/してた。
そのへんで連中もやりずらかったんかも。
国際反戦デーが最初のデモだったな。解散集会でインターを歌ったのも、それが初めてだった。
でも、マルがオレの過去をしつように調べてることを知ってから、距離を置くようにしたというわけ。
>ソ連崩壊を喜んでた奴に、資本主義の矛盾を嘆く資格は無い!
スパルタシストが「ソ連のアフガン侵攻を非難した奴に、タリバン政権を批判する資格はない!」みたいなことを言ってるのを思い出した。
http://www.icl-fi.org/JAPANESE/afghan-j.htm
一理あるが、やっぱりちょっと違う気がする。
ただ、イラクの米軍が「それ以前のフセインよりまし」だの「撤退したら国内が混乱して内戦になってしまう」だの言ってるやつに「じゃあ、ソ連軍がアフガンから撤退したのも間違いだったんですね?」と言ってやるならまったくその通りだと思う。
まあ、>>319さんが言いたい趣旨は「資本主義マンセー、自民党マンセーだった奴は、その結果に責任を持つべきだ」ということなんだろうから、その点については同感です。
また、「我々に注文つける輩」ではなく、当時から、あるいは今、頑張っている人には頭が下がります。そういう人に何も言ってはいけないということはないでしょうが、ぐだぐだとした「注文をつける」存在にはなりたくないと思います。
革マルなんて、身近にまったくいませんでしたから、初めて反原発の集会でzの白ヘルメットを見た時は「おお、あれがそうか」って感じで、ちょうど組織山行の時に、生まれて初めて雷鳥の親子を間近で見た時と同じ感慨がありましたね。
中核派の諸君がよく「我々が命をかけて革マル戦争をやってなかったら、今ごろ国内の反戦闘争は革マルの手で根こそぎにされていて、どこもかしこも革マルにヘゲられていただろう」なんてよく言うんですが、
「おいおい、革マルってそんなに超スーパーものごっつい組織なんか?」と思ってしまいます。実際のとこ本当にそんなウルトラデラックスな組織なんすか?
彼らと、(彼らと違う組織、立場、考え方で)共に身近で過ごした
活動家であれば、多分、身に滲みて感じる実感でしょうね。
草加氏あたりは80年代世代でしょうから、最早、「絶頂期」も過ぎ、
小手先のイタズラとたまーに衝動的なチョメチョメやるくらいしか力量が
なくなっていたはずなんで、特に「ウルトラデラックス」でも無かろうかと察します。
彼らは時間と体力のある学生の一部をを「それ」専用の特殊部隊に組織化し、
多様な索敵情報活動と、様々な「仕掛け」を駆使し、確実にターゲット(個人、集団)
を撃滅する、他派解体の尖兵としていました。その当時は、自然発生的なゲバや成り行き
上の殴り合いなど、日常茶飯事でした。けれど、そこまで組織的計画的な、物質力を伴った
暴力を行使したのは彼らが初めてだったと思います。ゆえに「強かった」わけです。
いくらなんでも隊列の中に(少なくとも当時は)、隊列内部の他者を路線として壊滅させる
勢力がいるとは、誰しも、微塵も思いもしなかったのです。で、やりたいようにやられ、
チュンもアオも、ブント、ノンセクでさえ、当時はやられるままではなかったかと。
武力の専門部隊は強かったのです。で、それに対抗するために、組織部隊を整えたのは
アオもチュンも70年代中盤くらいではなかったか。あとはご存知の通りです。
革マル
今風に言えば資本家雇いの右翼総会屋(ただし「左翼」の仮面をかぶっている)
もしくは、団結しようと集まった寄せ場の労働者に暴力をふるう、手配師・テキヤ
暴力団(ただし「左翼」の仮面をかぶっている)に相当します。
革マルがまず目指すのは「労働者階級の組織化」ですから、組織論やマネージメント
には蓄積したものがある。ただし、理論ばかりで実践しない(権力と闘わない)とは昔からよく
言われてる。大衆闘争である反戦闘争への関わりや動員にはノウハウを持っているから、
実態以上に影響力があるように錯覚してしまうんでは。
オレがZのヘルメットかぶってたのは半年位だけど、当時「鬼の動労」の時代で、労学集会やると
1,000~2,000は常時集まってたから、見た目の迫力はあったよね。
もっとも当時、中核も同等の動員力もってたから、驚くことはないんだが。
他派のスパイと勘ぐられたのかもしれませんね。
大体身に覚えがあることは、他人にも適用してしまうものです。
他者に対する疑心暗鬼は、相当なものですよね。w
その頃でも、z諸君は全国ペケペケ行脚をしていたように記憶しますが、そちらの方は
参加なさったことはなかったんですか?
下記アドレスの記事に引用させていただきました。(つーか、>>327の内容をふくらましたものにすぎませんが)
http://hatahata.mods.jp/archives/2004/09/post_34.html
>>329
ふむふむ、当時のその筋の方の感覚がよくわかる書き込み、ありがとうございます(マジで)
そう言えば「中核vs革マル」にも、「最初のうちは街頭での会戦では中核有利、個人を標的とした内ゲバでは革マル有利だった」みたいなことが書いてあったなあ。
非難も批判もするつもりはないし、私自身もいわゆる「反内ゲバ主義者」ではないと思っているし、またこのスレであまりマジなことを書くのも無粋なのですが、
革マルが自分以外の運動を解体対象とする襲撃には、やはり(対抗的暴力を含めた)防衛を機軸に考えるべきではなかったのかと思います。
「防衛を機軸に考える」というのは決して「受身に徹する」という意味ではありません。川口君虐殺糾弾闘争のように、大衆的な怒りと結合するべきだったのではないだろうかということです。
アメリカの核軍拡と恫喝に対し、同じ核軍拡で対抗して人民の労働者国家に対する失望を増幅し、正義性を喪失したソ連のような行き方は、運動全体から見て、決して得策ではなかったと思っています。
私の時代には、「いつでもどこでも誰もが自分の意見を自由に表明できる」という意味では、革マルよりむしり中核派のほうが(彼らと違う組織、立場、考え方で過ごした活動家にとって)脅威であると認識されていたことは知ってほしいと思うのです。
今から少し寝てまた仕事です。レスがあればまた今晩(というか明日早朝)お返事させていただきます。
(誤)http://hatahata.mods.jp/archives/2004/09/post_34.html
(正)http://hatahata.mods.jp/archives/2004/09/post_34.html
こっちのブントは、特になんと言うこともなかったのか?
壊滅したのも当たり前だな。
多分それ以外の世界情勢の分析なんかも
せいぜいそのレベルだったんだろうし。
マル戦は含めて第二次ブントOBと一生懸命コンタクトとっているみたいだけど、
この集団ほどブント的なものと無縁な組織も珍しいぐらいなのにね。
中核の妄想じゃないの?詳細を教えて。
リアル「元革マル」の人は初めてなのでいろいろ根掘り葉掘り聞いてしまうかもしれませんが
失礼ご容赦の程お願いいたします。
①左翼になろうっていう人間って党派はどこだろうと「戦争はよくない」とか「虐げられた人の立場で活動したい」とか
そういう「純粋な正義感」っつーのかな?そういう左翼になる初期衝動をどんなベテラン活動家からも
感じることが出来るんだけど、残念ながら数少なく接したことのある革マル派の活動家からはそういうのを
感じられなかったんですよね。オレの場合。
とにかく尊大な印象が第一だった。
まだ高校生だったオレに「革命ってのはね。エリートがやるんだよ」なんてオルグしてくるし。
323氏は内部にいてどう感じましたか?
②あの目的意識的な「他党派解体まずありき」みたいなところって内部的にきちんと意思統一できてるのでしょうか?
立花氏の「中核VS革マル」なんかも中立に書いてあるようで、中核に同情的な感じじゃないですか。
「権力と闘って散々弾圧されて疲弊しているところへ、革マル派からも攻撃されちゃ中核もたまらないだろう」
みたいな論調になっちゃってますよね。
対権力闘争を目指して結集したメンバーはそういうところ(対権力闘争よりも他党派解体に熱心なところ)が
イヤになっちゃったりしないのでしょうか?
まさか革マルに結集した時点で「ウジ虫や青虫を一人でも多く殲滅することが革命の早道だと思います!」
なんて言う香具師はいないでしょ?
いきなり長文での質問スイマセン。
まあそれを言うなら中核のせいで公然登場できなくなった大学も数知れずなんだけどな。
三里塚分裂後は特に。
さんざんオレに絡んできたある小党派の香具師も中核の情宣には何も言わなかった。
北原系セクトはみんな中核には及び腰で気を使ってたのか?狭間はそうでもなかったのかな?
西田か??そしてきみは日向か?
http://www.bund.org/
お前が、革マルマンセーの知識を開陳しな。
反労働者的な日共をのりこえ、闘う労働者党をきずきあげるために闘う。同時に同盟は不断に
労働組合運動の先頭に立ち、その階級的発展のために闘い、労働者民主主義創造の闘いを
現在的に切り拓いていく。
同盟はスターリン主義者によるマルクス主義の歪曲を打ち破り、マルクス、レーニン、トロツキー
の革命的マルクス主義の伝統を受けつぎ、さらに創造的に発展させる努力を不断になしとげつつ、
日本革命の勝利をめざして奮闘する。
まあそれを言うなら日向派の内ゲバも、相当なものだったんだけどな。
いかにもオレは荒戦旗ね。
その当時アダ...じゃなかった西田は「小党派」っていうほど小さくもなかったよ。
三桁動員してたでしょ?
もっと小さい党派はまだいくつかあったね。
まあそれを言い出すときりが無いのでこの辺でw
うーん、オレは革マルに違和感を感じて離れていったほうだから・・・
①他党派についてどう思うか質問したことあるが、××はブランキズムだとか、
△△は一揆主義だとかの一言での決め付けが多かったね。まあ、他党派は
全て「小ブル雑派」で歯牙にもかけぬ、という姿勢だった。
そういう態度が身に付くのは、学習のさせ方にあるのかもしれない。古典ではなく、
黒寛の本や「共産主義者」、「解放」を読ませるから、自然と他派を一段下に見た、また
品性下劣な表現が浸透する。
②>内部的にきちんと意思統一できてるのでしょうか
できてます。とにかく組織第一の派ですから、「反革命」はもちろん「小ブル雑派」も敵であって、
権力と闘うよりも組織維持の方にまず全力で向かうという雰囲気に満ちています。
自らを選別、エリート視する、そのファシスト的陶酔に浸らせる洗脳操作。これがきゃつらの
組織論の核心さ。差別排外主義の権化。幻想のファシズム。
>マルがオレの過去をしつように調べてることを知ってから、距離を置くようにしたというわけ。
俺の知り合いも、大学4年だったかで革マルZに入ったんだけど、
取り調べは、かなり粘着的にすごかったそうだ。
そいつは、1年間は、完全に監視下。
週一で査問的に、どれだけ黒田哲学が浸透してきたか、
長い時間、個人面談を繰り返していたようだ。
やっと30点ってとこぐらいかな?
↑革マル、このスレでも即反応の必死体制。(爆
はあ?
本当の話なんだが。
_ | (・∀・) |
`)) | ̄ ̄ ̄ ̄
´ ∧
<⌒>
/⌒\ △ ジサクジエン王国にようこそ 本日は革マル派体験談の巻
_________]皿皿[-∧-∧、 △l |\
/三三三三三三∧_/\_|,,|「|,,,|「|ミ^!、__△|_.田 | |△_
__| ̄田 ̄田 / ̄ ̄Π . ∩ |’|「|”’|「|||:ll;|____△|_.田 |△ |____
/__,|==/\=ハ, ̄ ̄|「| ̄ ̄ ̄ ̄|「| ̄ ̄| |__|__門_|__|_____|\_
/_| ロ ロ 「 ̄ ̄ ̄ | | 田 |「| 田 田 |「|[[[[||ll.|ロ ロ,/| l⌒l.l⌒l.| | |「| |「|ミミミミミミ
多分、粘着カキコIT班のほかにもう一隊、
出来の悪い過去の査問組を編成し、ぉ下劣AA集
かき集めてコピペ専門の、AA班(マルIT第二班)
が結成された模様でつ。気をつけましょう!
革マルのAA/コピペセンスは、すぐわかるわな。w
オレとしては革マルの活動家個々人が何を思いながら活動していたのか興味あるし。
話は変わるが、
荒もマルにはひでえ目にあってんだろう??
それでもどうしても分らないのはやっぱりオレが①でした質問なんだよなあ。
革マル派の人間とて最初は「反戦」とかそういう意識があって入ってくるわけでしょ?
それが対権力闘争より党派闘争に熱心だと(今はそうでもないんだろうけど)消耗していかないのかな?
戦旗にだって色々な人間がいたからさ。
半年くらい一緒にやってても全くレーニン主義を受け付けない人もいたよ。
オレから見ても戦旗はそういう人間を一蹴してしまうのではなくかなり根気よく議論していたように思う。
オレの上級も「まあいいんじゃないか。ちょっとづつわかってもらえれば。最初っから『共同主観』とかを
受け入れる人間はかえってファシストになりかねないからな。最初は反発するくらいでちょうどいいんだ」
と寛容に彼と議論を続けていたし、何よりも大事なのは「反戦」とか「反権力」とかのパトスだっていう
スタンスは崩していなかったよ。
それが革マルはそういうのをすっ飛ばして、ついでにレーニン主義もすっ飛ばしてw黒田哲学なわけでしょ?
当時にしてもそうだけど今もってあれだけの隊列を維持できるのは本当に不思議なんだよな。
激ワロタ
黒田哲学に陥るワナは「前衛」をやっていく者にとっては
常に誰でもあるという意味で自己切開的に展開していたように思う。
単純に言えば、まずは自尊心をくすぐられてからめとられ、
脳内で哲学が確立すれば、他の党派よりも「強力」なのではないでしょうかね。
元荒派シンパの俺としては心情的に中核のことは理解できる。復讐心を。
しかしそれ以上に、否定的な、抵抗感がある。
ついでにいえば、革マルの組織の論理もまあ頭では理解できる。
しかしそれで70年代にどうすればよかったかというと、やはりマルとのゲバルトは
防衛的なものを除いて、やるべきではなかったと思う。集会防衛なんかははやらざるをえない
だろうけど、個人テロはやるべきでなかった。
マルにテロで対抗しない結果として、多くの学園や職場でのヘゲモニーを失っても、
その方がまだよかった。マルとのテロにのめり込むことのマイナス点は、拠点喪失による
不利益よりもはるかに大きかったのでは。
一時期には、テロリストになる覚悟のある人しか組織に残れなかっただろう。
全盛期のマルでも、全国の大学、職場をすべてテロで維持することはできない
だろうし、そんな党派が長期的に支持を広げ拡大していくとも思えん。
個人テロをやられた場合は、臥薪嘗胆で撤退し、道義面と政治面での正しさをアピール
して巻き返しをはかるのが、よかったのでは。きれいごとを言うようだが、中長期的にみて
この路線がもっとも得する。
ただ、中核の人に、内ゲバ路線の誤りを認めろと主張するつもりはない。それは無理だろうし。
今後かつての路線に戻らないのならば、とにかく、日本の青少年と労働者にとってよいことだと思う。
前レスにもあったけど、皆が党派闘争にとりくんでいるわけではない。そういう部隊
を別に組織し、効果的に仕掛けるわけです。だから、反戦とかのピュア(?)な気持ちで
参加してる者には党派闘争の現実性がないんです。でも、革マルは他党派と共闘しないから、
自分とこが常に正しいという感じで純粋培養されていくんだと思う。
労働者支援ということで、田端の電車区(機関区だったかな?)の動労支援なんかに参加させ、
空気入れていく。組合事務所に入ると、各所からの檄文が貼ってあり、学生は「労働者が主体」
という頭があるから、感激してしまうんです。構内をデモして、動労の人とエールを
交わすと、もう革マル派として頑張るぞみたいな雰囲気になるんです。
それを70年代前半の日向派は、最大拠点校・明大でやって
最終的には、大衆的に放逐されていったんだけどね。
まあ、闘争委員会メンバーってところかな。
学生会議でもないだろう。
あるいはそこにオルグられるあたりで脱落か。
革マル、火消しに必死だな。
なるほど。
革マルにとっての動労支援はさしずめ他党派にとっての三里塚援農ってわけか。
オレはどれだけ空気入れてもらったか分らないからな。
それにしても
>革マルは他党派と共闘しないから、
>自分とこが常に正しいという感じで純粋培養されていくんだと思う。
まずもって他党派との共闘が全然無いこと自体に疑問を感じそうなものだけど
逆にそこを利用して唯我独尊になっていくと...。
>革マルにとっての動労支援はさしずめ他党派にとっての三里塚援農ってわけか。
マルも一時期、三里塚の反対同盟支持みたいなことを「解放」紙で出して、皆仰天
したことあったよな。確か70年代後半だった。
当然のことながら、中核、ブント諸派を始めとして支援革団体からごうごうたる非難
の声が出たが・・・ マルのあれっていったいなんだったのか?
狭山闘争にも一貫して批判的だったな、マルさんは。
大衆運動に背を向け、組織固めに力を注いでいた印象アリ。
この手でんがな!あんさんとこも気をつけなはれ!
コピペ>すえいどん同志を語ろう 2<コピペ
http://money3.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1095926535/
>お名前 : ありすがわ
>登録日 : 2004年8月17日23時42分
————————————————————
>すえいどんさんは「Re:意識の二重化、三重化(応用篇)」で書きました。
>>すなわち、革マル派糾弾を叫ぶ運動のなかに、
>>多くの革マル派学生を送り込み、そして彼らは、自分たちの正体を
>>隠して、人殺しの革マル派は悪いが、革マル派を殺せと主張する他の
>>新左翼と一体となって行動するべきではない、との説得活動を
>>展開したのである。
全くの見当違い。w
北原が千葉県警と密談していることが暴露されて、その関係で
反対同盟幹部(後の熱田派)が討論を求めてきたこと。
チュンは例によって密会の写真は偽装などと言ったが、県警も北原も
認めたんでは致し方ないよな。w
反対同盟幹部は写真のネガを持って行った。
どこかで誰かが話しているネガにまつわるおとぎ話とは違うよ。wwww
新左翼の中で、狭山=反差別闘争に関わらなかったのはマルだけだった。
でも戦旗も狭山にはあんまり熱心じゃなかったよな。まあ、西田との関係
もあったんだけど・・・
その話は時代が違うんじゃないか?
>>378の時代設定が間違ってんだよ。
その前は1971年までさかのぼるからな。w
当時の戦旗が狭山に熱心ではなかったのは内部でも感じていた。
アレは何でだったんだろう?
尤も当時は次から次へとやってくる決戦wでそんなことを深く追求している余裕も無かったけど。
反差別は青や蜂起の専売みたいなイメージがあった。
あれが昔で言うと政治集会に当たるんですかね。
狭山裁判の関心から運動に入るヤツって結構多かったのにな。
俺も、初めての街頭メットデモ@マルキと衝突したのは、狭山闘争だった。
オレは狭山は一回も参加したことないけど、けっこうハネたの?
時期から言うと12月のは労共闘集会、7月のが政治集会。
漏れは「共産同政治集会」に参加経験あり。
「戦旗」がとれてから1~2回しかなかったはず。
貴重な経験。
解同が主催して全国動員する大会は、警察もあんまり手荒なことをしなかった。
また、支援団体も飛びぬけたハネはしなかった。メットよりも鉢巻、ゼッケン
スタイルが多かったな。
各党派は動員数で競うようなところがあった。
党派色がもろ出てたのは、三里塚。アレ、こんな党派もあったの、
てな感じで、ホント新左翼党派見本市みたいだった。
解放派は学生解放研連合、中核は狭支連。党派色じゃないがメット色で主張してた。
支援団体はメット各色全開でデモを貫徹したものだった。
>391さん
>警察もあんまり手荒なことをしなかった
そんなことなかったよ。メット、割られた。
狭山闘争では、メットは禁止されてた。例外は、73年末の■●が介入しようと
した時など、ほんのちょっとあるだけだが。
日向派がメットを被ったのは、見たことがない。つーか、来てたのか?
70年代中期の時点で、狭山闘争はほぼ全党派が参加してた。そんでもって、
まあ三桁動員できる党派なら、解同内に足を持ってたわけだ。
フロントとか、マル青でも、解同の同盟員いたから。
例外が日向だったような気がするが。
まあ、全部の動きをオレが知っていたわけでもないから、断定はできないがな。
>街頭メットデモ@マルキと衝突
てのが、本当だったら、オレの認識もいい加減だったってことで、お詫びしなきゃな。
77年8.23の代々木公園でのあれは、西田と八木沢だって思い込んでいたが、それのことかな?
今頃になって、こんなこと聞くのも変だが、よかったら教えてくれ。
>>329
>狭山では党派色は前面にはでなかった
ってのは、ちっと違うんじゃないか?メット禁止だったから、代わりにゼッケンが一般的になった。
狭山がきっかけで、三里でもゼッケンをつけるようになったんじゃないか?
だいたい、メットと同じ色のゼッケン。黒とか赤は、ゼッケン作るの大変だったわ。
それに、9.26をめぐる中核の「白ヘル勢力10000人動員」なんて方針みたく、
各派それぞれに、独自色を出そうとがんばっていた。
70年末頃のある狭山闘争では、
俺のとこの大学隊列も、後ろの他大の隊列もパクられていたよ。
俺が参加していた限り、狭山関連でメットは当然だったが。
393が言うように、77年8月以降は、メット解禁だったかもしれない。
狭山での実力デモっていうと、中核が50くらいぱくられたやつと、
77年の8.12と8.23くらいしか思い出せなかった。
中核のは、全員ノーヘルで旗ざお部隊が突っ込んで行った記憶があったが、
そういえば77年の5.23だったかも。
その後の8.12や8.23では、解同の青年部が白や黒のメットを被っていた印象
が強くて、党派部隊がメットを被っていたかどうか、あやふやだ。
オレの勘違いみたいで、申し訳ない。
しかしその直前までの文献を読むと「狭山-三里塚」一色だったんだなあと思った記憶があります。
特に70年代論集の「人民の戦旗かかげて」は、あの分厚い本の半分くらいが狭山だったように憶えていますし、名古屋地区は70年代に狭山をメイン課題として高校生を組織化することで、全国有数の大きな地区になったように思っていたのですが。
高裁寺尾判決当日の集会で、メットに竹竿と火炎瓶で、機動隊とぶつかりまくっている写真も「闘う労働者」などで何回も使われていましたよね。まさに「怒りうずまく」という感じだったんだなあと思ってましたけどね。
80年代は「安保-日韓-三里塚」で、どんな課題でも必ず「反戦闘争」として取り組むようにしていましたよね。
ただ、反原発闘争を反戦課題として構成するために、核武装との関連で論じたのは、今から考えるとちょっと無理があったように思います。しかし中曽根政権下では「日帝の核武装」という言葉も随分と現実味を持って聞こえたものでしたが。
などと思っていたらついに最新版「前進」ではトップが「プロ野球のスト断固支持」...。
これは中核派の作風から予想されるべきことなのか、最近の中核が変わったのか..。
動労千葉からエールを送られても古田も困惑するだけだろうなあw
後半の「反原発闘争を~無理があった」は?です。種子島でH-2とかにジャブジャブ
金使って、核施設もガンガン作ってるし、この2点に関して、国は採算度外視で
やってますよね。てことは海外から見ればイザというとき核ミサイル簡単にできちゃう
んじゃ?と危惧されてもしょ~がないのでは? 将軍様の国でも「人工衛星」と強弁
していたことは記憶に新しいではありませんか。
「クレムリンの恩恵云々」での、「アフガニスタンへのソ連侵攻」と
「米帝のイラク侵攻」の草加さまのご見解、共感いたしました。
>>398
なんじゃこりゃ?ここまで日和ったか……岸首相(だったっけ?)の
「国会を取り巻くデモ隊よりもプロ野球観戦者の方が多いじゃないか」とか
なんとか言う侮辱を引用するまでも無く、プロ野球なんて所詮、企業広告の塊
じゃないですか。新左翼がそんなものに目を奪われてドーすんの?
「報道ステーション」や「朝まで生テレビ」が野球情報に占領されて、
昨今の情勢を意図的に隠蔽している最中に、「前進」のトップ記事迄これじゃ…
情けない。マジでアーレフの方がまだ階級闘争してるよ、と言いたくもなります。
古代ローマの「パンとサーカス」でノンポリにされてしまう市民を思い起こして
欲しいです。何千年経っても人間社会の営みが変らないのか、と絶望感に駆られます。
階級闘争史観を覆す暴挙、と言うのは些か大袈裟でしょうか?
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