現在のオウム信者の数って公安調べで(どこまでアテになるのかは置いといて)1650人だってね!
ちょっとショックだったよ。
オウム自体は全く評価しないけどさ。
これだけの逆風の中で、未だ「社会からこぼれ落ちる若者達」の受け皿であり続けているわけだろ?
その「底力」には素直に感嘆するよ。
ひるがえって新左翼の若者組織率はどうよ??
中核派の魅力はオウム以下かと思うとオジサン泣けてくるよ。
ここはブント(日向)・スレなんですけど。。。
というよりも、私のせいで
>なんか、微妙にスレが違う方向に行ってる
ような気がして、ちょっと申し訳ないように思えますが。
でもまあ、ちょっとくらいはいいでしょ。この殺伐とした2CHで、多少とも議論らしきものができる数少ないスレなわけで。
>現在のオウム信者の数
サリン事件当事は4万人じゃなかったっけ?(2万だったかな?)
その時の数にショックを受けるならともかく、4万人が1600人になったんだから、ほぼ壊滅状態と言っていいと思うよ。
公安の言いたいこととしては「まだ1600人もいる!だから俺達の仕事が必要なんだ」ってことでしょ。それに乗せられることはないと思う。
また「当時の数」で言えば、信者の大多数は教団が武装しているとは知らなかったわけで、要するに宗教団体の数と中核派を比較しても仕方ないように思うけどな。
そういう発想は60年安保闘争に対して岸首相が「後楽園球場は満員じゃないか」と言ったのと同じではないのかな?
つまり「中核派が現代社会に不満を持つ層の受け皿になっていない」とは言えると思うが、同時に
オウムも「どんどん数を減らして数十分の1くらいの勢力しか残っていない」ということでしょう。
「もう、私どないしたらええのかわからなくなって・・・」
「どうしたん?」
「うちの娘がねえ、大変なことしてしもうて」
「えー、○○ちゃんがどうしたん?未婚の母にでもなったん?」
「ああ、そんなことだったらどんなに良かったか。もっととんでもないこと」
「何よ」
「オウムに入ってしもうた」
「よりによって今ごろかいな!」
中核派が、というよりも左翼思想そのものの魅力はどうなんでしょう。また、社会に不満を持つ層の総量というのも
昔に比べてどうなんでしょうか。思想のほうは、かつてのようにマルクスを読むのが当たり前という学生の風潮は完全に
風化した。もう70年代後半には廃れ始め、80年代では大いにシラケてマルクス・レーニンどころではなくなる。
今ではマルクスどころか、社会科学どころか、そもそも本さえ読まない風潮が一般化している。そういう若者らに「左翼思想」
云々期待しても土台、暖簾に腕押しだろう。
社会の不満分子の総量も何だかんだ言っても減り続けているだろう。なぜなら日本は豊になりすぎた。帝国主義が多少の危機は
抱えながらも、比較的順調に経済的利得を拡大し、それを国民にも享受させている。リストラだ失業だといったって何をやっても
そこそこ食える。不満の経済的基盤が希薄である。無くは無いが、社会の大多数は帝国主義に買収され腐敗し、経済的利得を根拠に
飼いならされているのだろう。だから、不満を持つ人の決起は促すのはいいが、層ともいえぬ層の
決起しか期待もできない。
僕は、経済的にも社会的にも既に「満ち足りた」多数の中に、満たされすぎたがゆえに満たされない心の「空隙」を埋めたい欲求が
オーム現象を生んだのだと思っている。思想でも不満でもなく、心の空白。オーム、カルトという不思議さの中に「答え」があると
みな幻想した。そのカルトへの「期待」もオーム事件をきっかけに急速にしぼんでしまった。
問題は、依然としてある満たされているが故の「心の空白」を埋めるにたる何かを誰が、いつ、どのように提示できるか
だろうと思う。中核や苦闘する諸党派の真の復権があるとすればそこに有効な答えを出せた者らだ。
中核の苦闘、模索には一定期待はしたいと思っている。まだ答えは見えてこないのだが。
604さんの意見には一定賛同を示しつつ、オレなりの考えを述べるけど
80年代活動家のオレにしても経済的な不満が左翼活動の直接的な動機になったわけじゃない。
オレの家は特に貧乏でもなかったし、少年時代もなに不自由なく育てられた。
逆に日本全体として感じる経済的危機感はあの頃よりも今の方がよっぽど大きく深刻だ。
オレが活動に参加していったのは「戦争はいけない」とか「三里塚で農民の土地を暴力的に収奪していくのは許せない」
というような社会的正義感に突き動かされてのことだったけど、これは他のメンバーも同じようなもんだったんじゃないかな?
まあ中にはいつ宗教に「転んで」もおかしくない「心の隙間」の大きすぎるメンバーもいたにはいたけど...。
オレはここまで日本人の反抗の芽が摘まれていってしまった原因を経済的要因だけに求めるのは片手落ちだと思う。
続く
それと関連してのことなんだけど、イラクで韓国人の人質が武装勢力によって殺害された時の
ニュース映像にオレは衝撃を受けた。
殺害された人質の母親は葬儀の時に盧泰愚大統領から送られた花輪を引きちぎりながら
「こんなもの貰ったからって何だって言うの!?」と悲しみと怒りを露わにしていた。
胸が締め付けられるのと同時に「これが肉親の死に直面した時のごく当たり前の反応なんじゃないか?」と考えさせられた。
ひるがえってこの日本よ。
香田クンの殺害に際し肉親は張り裂けるような思いを殺しまずは謝罪を優先させた。
そうせざるを得ない空気。またそれを当たり前のように冷ややかに見つめる大多数の国民。マスコミ。
これが日本人の美徳ってヤツなのか?もともと日本人っていうのは権力者にとってはこんなにも御しやすい民族なのか?
それとも近年急速に変わってしまったのか?それは何故なのか?
オレには答えが出ない。薄ら寒い感覚だけが日に日に強くなっていくよ。結論無くてソマソ。
かつて連合赤軍事件が起こった時、誰だが忘れたが、「息子を極刑にして
ください!」と絶叫したメンバーの親がいたな。
香田さんの件とは状況は違うが、ふっと思い出したよ。
マスコミと世論が追い込んだ結果とも言えるが、日本人の性根なのかもし
れん。
2ちゃんに限らず、「世の中、薄ら寒い悪意が立ちこめている」という感
覚はある。
たとえ彼の行動が軽はずみだったとしても、だ。
若い世代のいたいけさを端的に象徴しているよ。
ブッシュの妄言に追随した自国首相への怒りも渦巻いている。
同じ状況の日本はどうよ?
中核派がこの一年の総力を挙げて取り組んだ11・7も集まってるのはオッサンばっかりじゃないかっ!
そう言いながらも昼間っから2ちゃんのオレよ鬱。
などと寝言を追っかけてるようじゃ、無理じゃね?そのうち「平成維新中核派」とか
名乗ったり、元号平気で使うようになるだろうよ。初詣に靖国で「階級闘争できますように」
とか祈っちゃったりして。
【60年安保闘争に対して岸首相が「後楽園球場は満員じゃないか」と言っ】を引用
すると、お判りいただけるかな?
時事問題から目をそらす為に、あの箱庭スポーツを、さも重大事であるかの様に
喧伝するブルマスにウカウカと乗せられている、という事象に気付く事すら出来ない
のは、流石に前衛失格ではないか?
見てりゃ企業宣伝の塊(選手から球団から、後ろの看板・ユニフォームに至る迄)。
その上回が変るごとにコマーシャルの洪水。ギリシャ・ローマ時代の「パンとサーカス」
の故事を引用するのも「釈迦に説法」であって欲しいわ。
それとも選手達がスパルタクスの反乱をやっていたとでも言うのかな?
マル必死だな。w
私は通りかかりの元栓なのですが、ふとそんな風におもって
>あっそうか、マルに行けばいいんだ。ありがとう。
いくな!ヾ(~O~;)
>>616
>草加さんって、あの現行隊で有名だった草加さん?
ちゃいます。「草加」は今のハンドルネーム。活動家時代の組織名ではありません。
今日、アメリカ領事館への緊急抗議に行ってきました。
共産板でも有名な黒目さんにもはじめてお会いしましたが、けっこうな男前だし、しかも物腰は柔らかくて人当たりがいいのでびっくりしました。2chの書き込みで「50歳の老けたおっさん」とか書いてあったので、外見では絶対にワシが勝っているだろうと思っていたのに!
今から自分のサイトで抗議行動の報告を書いてきます。
相変わらず、大使館前での集会は阻止線張られて出来ず。
虎ノ門JTビル前での集会となりました。
領事館への抗議行動の報告をアップしました。
http://hatahata.mods.jp/archives/2004/11/post_53.html
考えてみれば「○○行動」と名のつくものに行くのは16年ぶりくらいかなあ。
何を来ていこうかと押し入れを捜していたら、例の「紺ヤッケ」を発見。かび臭くなっていましたが、これまた16年ぶりに集合場所直前から着ていった。
帰りには一応は念のために一人でマジックもした。走りながら地下街に入って紺ヤッケを脱ぐ仕草も昔のままやなと感じた。
機動隊も、昔みたいに乱闘服に大盾ふりかざして、何もしてない人にまですぐに暴力ふるうことも少なくなってるみたいだ。
そんなことすれば余計に闘争が盛り上がって活動家を養成してやるようなもの。少しは学習したのだろうか。
みんなもそんなに慎重にならなくても、行きたい時にいけば大丈夫だと思うよ。
草加さん...。
ダメだよ..そんなこと書いちゃ...。
眠ってたものが目を覚ましそうだ..。
ただでさえファルージャに対する「無差別殺戮行為」にいてもたってもいられない気分なんだ。
もうね。色々なタテマエとか理屈とかね。ぜーーんぶ取っ払って今の正直な気持ちね。
「草加さんずるいよ。自分だけ」
かつての自分、そして今。
行動してた過去と行動できない(しない)今。
割り切ったはずだけど・・・という部分。
できるところから、とはいっても何かナーバス
になる気持ち・・・ むむー。
そわそわしておちつかなかったが、なんとなくホッとした気持ちになった。なんだったんだろう・・・
さすがにデモまでは出れずに帰ってきたけどね。
【何を来ていこうかと押し入れを捜していたら、
例の「紺ヤッケ」を発見。かび臭くなっていましたが、
これまた16年ぶりに集合場所直前から着ていった。
帰りには一応は念のために一人でマジックもした。
走りながら地下街に入って紺ヤッケを脱ぐ仕草も
昔のままやなと感じた。】
↑ワロタ。お疲れ様でした。
ファルージャにアラファト死去、潜水艦と余りにも激しく世界は動いているのに、
古館&NHKはファルージャ戦の扱い小さかったですね。イルカだの楽天だの
ダイエークスだの、ホント国民の眼を本質から逸らそうと茶々を入れる報道ばかり。
砦戦士(横堀のね)ってオフィシャルでは5人ってことになっているけど
実は女性も一人いたんだけど、戦いの途中でノイローゼになって戦いから降りて
しまった人がいるって話本当なのですか?
これって当時キムだった私でさえ知らされていなかったことだから、
知っている人少ないのかもしれないけど、元常任とか三里塚関係に近い位置にいた
人で詳しいこと知っている人いたら情報キボンヌ!
11・7っつーとメインは中核系ですよね?
写真見る限りではけっこう盛り上がってるようですね。
何と言っても夏以降は中核派はこれ一本に絞って動員かけている感がありましたから。
昔こういう大きな集会に行くと、会場に近づくにつれ諸潮流が前段集会で
思いっきりアジっているのが重なり合って聞こえてきて「お!やってるやってる!」と
ワクワクしたものですが、今もそんな感じなのだろうか?
事実ではないですね。
機動隊に封鎖された後、「戦いから降りてしまった」なんて不可能でしょ。
気持ちはすごくわかります。私もそうだったから。
前にも書いたけど「何もしない自分」に罪悪感めいたものを持つ必要はさらさらないと思います。実際には「何もしてない」わけじゃないでしょ。単に「闘争」してないだけで、毎日仕事や家庭でいろいろなことに頑張っておられるのだから。
不適切なたとえですが(他にうまいたとえが見つからないので書きますけど)私達にとっての「闘争」とは、タバコみたいなものです。
「やめたいなあ、健康によくないんだろなあ」とくよくよしながら吸ったり、「吸いたい!吸いたい!」と周囲に当り散らしながら吸わないのはよくありません。ただ吸う時は周囲への迷惑と自分の健康に充分気をつけましょう。
今回の場合、私も>>620さんと同じように、「いてもたってもいられない気分」でいたところ、たまたま仕事が休みの日に、ふと見た掲示板に数時間後の抗議行動の予定が書き込んであった。
逆算してなんとか間に合う時間。もう何も考えるのはやめて、とりあえず電車に飛び乗る。後は野となれ山となれ~。
この程度でもいいんじゃないですか?継続的に「運動」する予定も暇も今の私にはないし。
深く考えては駄目です。もし「行きたいのならば」行けばいいです。どうということもありませんでした。たいしたこっちゃないです。そのことは一度思い切って行ってみればよくわかります。また、ビクビク、クヨクヨしながら義務感みたいなもので行く必要もないと思います。
>>623
「紺ヤッケ」は黒目さんから「それはあの時のあれですね」と見破られてしまった(笑
>>624 >>626
事実はわからんから何とも言えませんが、3・26の時に、取り調べの過程でコケちゃった「戦旗派4人目の管制塔戦士」みたいなもんかなと推察しますが?推察なんで本当に何とも言えません。
まあ、コケたかノイローゼか知りませんが、ままあることです。
すくなくとも私達がどうこう言える立場ではないでしょ?!○(°▽^)。
まったくだ(笑
砦の被告で「取り調べの過程でコケちゃった」人はいません。
砦に立てこもる前に、「戦いから降りてしまった」人じゃないですか?
ただ、そういう人がいるかどうかは知りませんが。
前衛派が拠点サークル=社研・亜細亜史研、学生自治組織=学生健保組合のヘゲを握っていたのは
知っているのですが、どう見てもブントなのに彼らとあまり仲の良くない人達がいました。
現社研の人達=狭山闘争一本やり、女性の活動家が多かった。
キリ研・児福研=天皇制や差別問題中心に活動してた。
この人達はどこの党派だったのでしょうか?
立正大学おなじみのⅡ部の暴力民青がこの人達をボコにしていても
革マルと同様、前衛の人は見て見ぬふり。なんか過去にあったのでしょうか?
今は昔の疑問なんですけど、、、。
又聞きネタと想像も含むので、以下間違いがあれば指摘してください。
立正大は、全盛期、つまり68-69には学内に活動家が400人程度いた模様。
学内を十分、自由に動かせる数ですね。
で、いわゆる2次ブントから68年夏、マル戦は離脱。
そのマル戦のイダオローグのキーパーソン、岩田氏は立正大の教授。
そこでマル戦、さらに分解した前衛が一定の数いたのと、
それとは別に、確か、仏(蜂起派)政治も一定の影響力がしばらくあったので、
その辺で、立正大ブント内の対立構図が見え隠れしていたような。
ブント系の共闘集会で立正大・武蔵大・明大・法大・早大なんかが
一緒にやってた記憶あるが・・・
そうそう、天皇制や差別(特に民族差別)問題が中心じゃなかったか?
>>629
>砦の被告で「取り調べの過程でコケちゃった」人はいません。
そうですか。憶測でいいかげんなことを書いてしまい、申し訳ありません。
お詫び&反省いたします。
現実は2ちゃんの世論とはもちろん違うけど、世の中なんかそれに近いようなもんだろ。薄く広くってやつ。変えられそうで変えられない。しかし奇特なヤツらだな。まあ八十年代に左翼やってる時点で奇特か藁
き‐とく 【奇特】
[形動][ナリ]《「きどく」とも》言行や心がけなどがすぐれていて、褒めるに値するさま。「世の中には―な人もいるものだ」
お褒めいただき、ありがとうございます。
ガンガレよ左翼よ!つうかあんたらまだコミュニストなの心情的に?
【コミュニストなのに心情的に?】
ワタクシが現役でやってた末期に、機関紙の読み合わせで
「機動隊にプント魂をみせてやれ~」てな表現を見つけたときは、流石に呆れた。
科学的社会主義・弁証法的唯物論は何処へやら・・・・・・
これじゃウヨの「大和魂」を笑えゃしない。
所詮、前に指摘した「日本的新左翼」なんだよな。
>つうかあんたらまだコミュニストなの心情的に?
ガノタさんみたいに真面目じゃない私は、「まだコミュニストなの?」というより「当時はコミュニストだったの?」という問いかけにさえ、実はあんまり自信がなかったりする。「心情的には」という言い訳の言葉をくっつければ、まあコミュニストだったんだろう。
私の行動の源泉は、やはり虐げられたり理不尽に殺されていく人々への感情移入。虐げたり殺したりする者への血が沸騰するような怒り、そして虐げられても、ただ「可哀想な存在」として踏みつけられているだけでなく、どんな状況でも希望を見出して抵抗する人々への共感。
そんなものだったろうか。
一言で言って「チェ・ゲバラのように生きたい」それだけだった。先日、ラジオを聞いていたら「アフリカから中東まで、世界中のどんなところでもポスターを見かける人物が二人だけいる。ボブ・マーレィとチェ・ゲバラだ」という話をしていた。
ゲバラの生き様と死に様には、やはり人の心の琴線にふれるものがある。
私にとってのコミュニズムは、いわば自分の生をまっとうするための「手段」にすぎなかった。コミュニズムそのものが「目的」であると感じたことは、一度もなかったように思う。
>変えられそうで変えられない
世の中が変わらないのならば、その世の中の一部である私達もまた変わらないのが道理というものです。私達は世の中をかえようとしたが変わらなかった。だから私達もまた変わってなんかやらない。
そう、私は自分が「変わっていない」ことを認める勇気を持ちたいと思う。ただ、活動家時代にかけられた、「組織を離れて世界を変革する道はなく、組織を離れることは理想も夢も捨てることだ」という、そんな呪縛と呪いの暗示から解き放たれればそれでいいのだと思う。
>>638さんの問いに答えるとすれば、私の中で「手段」としてのコミュニズムは、相対化され客観化された存在としてではあるが、いまだ存在している。もともと「反スターリン主義左翼」の系譜に属する私達は、コミュニズムを「信奉」するものでもないし、
コミュニズムにさえなればよくなると考える者でもない。
「(革命的)共産主義者同盟」という政治団体の綱領を承認した正規構成員なのに
共産主義、つかマルクスの原典まったく読んでいないひとがいっぱいいた
まあ、日本協賛等にもいえるけどね。
「日程」とかってアジルくせに、
帝国主義の定義とか知らないんだもん
だけど
>私にとってのコミュニズムは、いわば自分の生をまっとうするための「手段」にすぎなかった。コミュニズムそのものが「目的」であると感じたことは、一度もなかったように思う。
これ読んで「なるほどなるほど」って遅ればせ共感しました(マジ)
共産主義・マルクス主義セクトに結集したある種の同盟員・党員の
メンタリティーがわかったような(気がしたよ)
「レーニン主義=コミュニズム」を「信奉」するものではない
最初意味不明と思ったが、
再び読んだら理解できた。
「そりゃ、そうだ」
>「手段」にすぎなかった。コミュニズムそのものが「目的」であると感
>じたことは、一度もなかったように思う。
>「日程」とかってアジルくせに、
>帝国主義の定義とか知らないんだもん
ガノタさんは違うと思う。もちろん、左翼思想を宗教のように自己目的化していたわけではないと思うけれど、真面目に左翼思想の可能性を信じ、そこに社会変革の可能性を見出し、だからこそ「革命的暴力」を語っていたのだと思うし、その実現を渇望されていたのだろう。
それとあまりにもの現実のギャップ(「ブント魂」云々など)をふりかえって、自分を「チンピラ左翼だった」「所詮は『日本左翼』にすぎない」みたいな感想を持たれるのだと思う。
ひるがえって考えれば、じつはガノタさんのような方は(少なくとも戦旗や中核では)むしろ少数派で、ガノタさんをがっかりさせてきた「ブント魂みせてやれ!」的な人のほうが多かったかもしれない。特に活動経験の浅い人ほど。
まあそういう組織(というか運動の)作り方していたからね。
それは「運動論」としては正しかったように思うが、やはりガノタさんに対しては、今更ながら申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
80年代当時30台の帝大中退の外人さんにもねw
でも、そうかさんも
「反スタ広義の左翼(アナ社民含む)」ではなくて
やっぱコミュニズムを行動原理として選択したわけでしょ?
それってやっぱいまとなってみればそれなりの“必然”だったのでは?
周囲にスタも毛も更改もアナも社民もその他もろもろいたけど
私が結局は、政治党派の党員・同盟員になることはなかったように、ね。
ま、どうでもいいんですけどね。
また、しかるべき時間・空間では熱心に論じられていたことも事実。
しかし、現場の大衆運動場裏で、したり顔してそれとして論じることは、
仰るように少なかった、というかあえてしなかったのもまた事実である。
運動論的にはそれでよかったと今も思っている。人民連帯論、反動政治攻勢論と
それに対する精神論(マル㊥魂とかw)をいかにリアルに宣伝・扇動の材料とするか。
あえてそこに焦点をあてたまで。忙しいなか、影では結構みんな古典学習はしていたし、
内部学習会や合宿なども行い、理論研鑽には努めていたと思う。
元黒さんは、どこの支部とのお付き合いか知りませんが、もう少し深い付き合いをしておれば
もうちと認識も違っていたかもしれません。ガンタさん、草加さんの仰ることも一面の事実
かもしれませんが、私の体験ではこれもまた事実の一側面です。しかし、本当に忙しくて忙しくて
本を読みながら10分とせず寝て朝になるのが早かった。80年代の思い出ですがね。
まあ勉強してるひとも確かにいましたけどね
たっぷり時間があっても無為に過ごす奴も然り。これは何処の世界でも共通する事象。
比較的高学歴の中核さんなどは、過酷な受験勉強を凌いできているだけに、学習を厭わない。
当然、全部が全部なわけないだろうけど、そういう傾向は否めないってこと。
彼らのことを「肉体派」と揶揄する人たちもいるだろうが、侮れんと思う。
活動で忙しかったというのは事実あるけど、勉強熱心なメンバーはちゃんと時間を
作り出して勉強していた。
オレにはそんな根気は無かったし、何より古典はオレの頭脳には少々手に余った。
大体オレは忙しさを理由に荒氏の本ですらろくに読んでなかった。
しかしメンバーには内緒だけど立花の「中核VS革マル」とかはちゃんと読み終わってたw
何も内緒にすることなかろう。
漏れはメンバーに推奨されたぞ。面白いって。
立花隆は『日本共産党の研究』も出色。戦後版出して欲しかったぁ。
思想なり主義を切実に血肉化することはなかった。
ウゾームゾ-でしかなかったわけだけど
勝手にいわせてもらえばブントさんには親近感があったですね。
なんか体質的に近いものを感じてたんですね
各共同やら毛やら向坂やら青やら…(略)と違って
私のとこの諸君には「反政治」的なにおいがあったんですよ。
うまくいえないけど。
脱線駄文御免。
地区キャップとか、学生サークルならそこの指導者とかが、古典学習取り入れなきゃ
ならんのだけどなあ。オレはしっかり学習させられたぜ。まさに、エンゲルスから。
むかしむかしのオハナシさね
ばいちゃ。
目つきからして近寄りたくなかったなあ。あの時俺に軽い恫喝かけた
おばさんも内ゲバがらみで自殺してしまったし・・・。
>地区キャップとか、学生サークルならそこの指導者とかが、古典学習取り入れなきゃ
>ならんのだけどなあ。オレはしっかり学習させられたぜ。まさに、エンゲルスから。
確かに定期的な学習会はちゃんとあったよ。
基本的な文献はそこで学習した。「党宣言」とか「なになす」とか。
でもそれ以外にわざわざ時間を割いて学習しようとまではしなかったな。
ホラ三里塚とかでも援農が中止になったりする時あったじゃん?
そういう時でも黙々と読書してるメンバーもいたけど、オレはたいていゴロゴロしてる
だけだったなあ。
せいぜい読んでも資料に置いてある「前進」のプロレス記事まがいの対カクマル戦の
記事読んで「ワハハ」と笑ってたw
たしかに援農って疲れるよなあ。休日にはごろごろして身体休めたいと
思ったもんね。
それと内ゲバの記事が面白いの、意思一致!そもそも党派の機関紙は、
あの大上段に振りかぶった大言壮語や、他党派への揶揄、あらん限りの
罵倒で埋め尽くされているから楽しめる。
>勝手にいわせてもらえばブントさんには親近感があったですね。
>なんか体質的に近いものを感じてたんですね
>各共同やら毛やら向坂やら青やら…(略)と違って
>私のとこの諸君には「反政治」的なにおいがあったんですよ。
これって大事なことだと思う。
第1次ブント、第2次ブント含めて、ブントは政治運動(党派運動)というよりは、
「運動そのもの」であったのではないか。
荒がそれを「レーニン主義的に止揚」しようとしたのだが、挫折して現状に至った。
カルチュラル・スタディーズとか。もうマルクス主義じゃないよね。
僕は所謂「クラス・ゼミ」の活動家てエー奴でした。民のしつこいオルグが本当に嫌でした。かといって、「水本君謀略殺人」は絶対に自作自演だって思って(秋本君虐殺には怒りを感じたけど、、、) 革マルや、「三里塚現地で闘う事が学費闘争を闘うことだ」と言い切っちゃうブントに、正直言って距離感がありました。それだけでなく、学科が学科だったせいかフランクフルト学派の影響もあり、ビラまきやステ張り、ゼミ討なんかしてたのかなー、、と思います。
たた、マルクス主義者=学生運動というのはステレロタイプな見方じゃないんでしょうか?僕みたいな者は結構周りにいたし、右派で学費値上げ反対を公言してた(たぶん三島研)人もいます。
今も昔も「納得できねー!」「後輩が可愛そうジャン!」って思う奴は思うだろうし、党派に入る入らない、マルクス主義者足らんとするしないはそう重大な問題ではない様な気がしますが、いかがなものなんでしょうか?
温度差がある。学生運動や大衆闘争を利用(バネとして?)していこうとするの
もあれば、それらを経済闘争、小ブルの運動として批判するのもある。
利用されてるだけ、という誹りを免れないと思う。理屈は得意だろうから、
どうとでも言い包められるだろうけどね。
80年代以降も、チュンはひどかったけど。
まだ新しいビルのようで、全体の造りも小ジャレていた。
確か10~20階建てくらいだったかな?
そこのビルのエレベーターは外側がガラス張りで外から昇降が見えるようになっていた。
当時そういう造り方が流行ってたのかもしれないけど、僕はいつも署名を集めながら
そのエレベーターが昇降する様を眺めていた。
夜は特にエレベーターの中にライトが燈っていてとてもキレイだった。
「あの中から段々遠ざかる地上を眺めるのってどんな気分なんだろう?」と、僕はバイトの行き帰りなどに
一人で何度もそのエレベーターに乗った。
いつも自分たちが情宣をしているところが段々遠ざかって小さくなっていった。
そのビルには映画館も入っていてロビーでは近日上映予定の映画の予告編がTVモニターで上映されていた。
僕はそこでその予告編やチラシを眺めたりして時間を潰した。
その頃はよく復活版の「ゴジラ」と「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の
予告編がよく流れていた。
そこでしばらく時間を潰すと、僕はまたエレベーターで地上に降りアジトへと帰っていった。
僕のそんなちょっとした「息抜き」はなぜかメンバーには内緒だった。
1984年の冬のこと。
なんかしみじみした叙情的な文章だね。この風情は情宣や活動にあけくれた人でないと理解できないかなぁ。
私の「はなぜかメンバーには内緒」な息抜きはね、もうオルグれないなあと思ったオル対の女の子とデートしたこと。
別に松原君みたいな「スケコマシ」じゃないよ。映画みたり散歩したり一緒にソフトクリーム食べたり、中高生みたいなデート。
まあ、ただのガールフレンドみたいなもんだったかな。もうこういう関係だと、オルグもできんし、かといって(自分が召還しない限り)本物の恋人にもなれん。
ほんの数ヶ月だけそういう関係を続けたが、私にそれ以上「深入り」する気がないと見て取った彼女のほうから徐々に疎遠になった。
まあ、お互い二十歳すぎてんだから、仕方ないよな。私も本当に彼女にするなら、活動家の女性でないと無理と決め付けていたし。
真面目にオルグに行ってると思っていたみんな、ごめんさい。これ一度だけだから。
でもちょっと楽しかった想い出だ。
情緒左翼。
かつての仲間にも文学的なのかなりいたぜ。
散々イジめられた経験がある人が当時の恨みを吐露してるのかと思ったけどさ。
どうやらそれも「過大評価」だったみたいだね。
情宣してると時々こんなヤツいたよ。
ただ絡むだけで論争以前のイチャモンをつけてくる。
多分「オル対」にもしてもらえなかった可哀想な人...。
そんときやめりゃよかったのに・・・・
オレは動揺し、なにを学習したかさっぱり記憶になかった。
学習会の時、屁をこいたら、皆わかっているはずなのに誰も言葉を
発せず、奇妙な沈黙。臭いだけがただよう一瞬。
仕方ないからオレはあははと照れ笑いしたら、突然皆大爆笑。
そん時、女性同志のスカートがめくれてパンチラGET。
ごっつあんです。
公園で集会やる時、屁をしたくなるとトイレに行く
ふりしてわざわざデカの前を通って屁をぶっぱなして
やってた。
戦旗のロケット弾には及ばないが、お腹も気持ちも
スーッとしたもんだ。
屁の話しが続いてスマンが、初めて援農に行った時も
環境が変わったせいか、排便がなく、寝てる時でも
連発してた。周囲のひともあきれてた。
〝ケツ〟裂くぞろいだな。ケツ裂けるような屁ばっかこいてたのかよ。
もうそれくらいしかできんべ
別に普通に付き合えば良かったのにネ。
ま、漏れの場合は、メンバーに彼女がいたにもかかわらず、オル
対(に成り切れん子)とデートしたんだが。
むろん、かわいいデートで、男・女の関係にはならんかったが。
同じようなことしてた人がいたので、少し気が楽になったよ。
>別に普通に付き合えば良かったのにネ。
「彼氏」が創価学会や民青くらいならまだしも、三里塚行って逮捕されたりというのは、ちと一般ピープルにはキツイものがあるかと。。。
>>691
>そんときやめりゃよかったのに・・・・
まあ、結局やめたのだから、結果論としてはそうだけど、それまでの人生をすべて捨てて、リセットし、彼女とゼロからやり直すほどの気持ちもなかった。
つまりそこまで「本気」にはなれんかったということだ。それはそれで当時として最良の選択だったろうと思う。
彼女のエピソードも含めて、闘争に入ったこと、およびその期間中で後悔すべきことは特にありません。
>>692
>あーでもオル対が女の子だとちょっと邪心が混じったのは否定できないな
確かに((^┰^))ゞ
どうしても男性の比率が高いので、学生組織の場合、女性が結集するとすぐに彼氏ができてしまう(労働者の場合は必ずしもそうではなかったが)。
民青の諸君からは「恋愛サークル社学同」なんて言われたりして。まあ、学生なんてそんなもんだし。
しかしそういうのを横目で見ながら女性をオルグしてると。。。ついね(笑
「パンチラ」ならいいが、「見えそうで見えないミニスカート」で学習会に来るのはやめてほしかった。
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