私は777さんの>>800の意見に同意します(その他の部分についてはもう少し考えさせてください)。
また、777さんの「自分の立場はどうなるのよ」という問いかけの意味が、769さんにうまく伝わっていない印象を受けました。
まず「自分という主体」があり、その主体が外部との関係性の中で、その時々に「手元にある無限のカード」の中の一つである、その時々の「自己の人生」を選び取っていきます。生きていくことはその繰り返しだし、選んだ人生についての責任は究極的には自己に帰します。
769さんの返答は、この「外部との関係性」における個別事情の分析に終始しており、「自分という主体」が、ただ「だまされる受身の存在」としてしか登場してこない印象です。うまく表現できませんが、言っていることがわかりますか?
人生のある時期において、特定の左翼組織で活動する道を選んだことと、そのことによって自分の人生がこうむった結果は、ゆえに究極的には「自分の問題」です。
それに対する総括もまた「その組織がどうだったか」ではなく「自分がどうだったか」という観点からなされないらば、形をかえて(仕事・家庭・恋愛などの場面で)同じパターンを繰り返してしまうのではないでしょうか。
もちろん、あまりにも酷い詐欺組織に引っかかって「自分は全面的に正しかった。相手が全面的に間違っていた。総括は『俺はバカだった』以外無い」ということもあるかもしれません。
小林さんは私から見れば、基本的にこの立場に見えます。つまり「荒氏は最初から革命運動をする気などなかった」「自分の生活や地位を守るために若者を騙して集めていた」という見解のようです。
小林さんの文章や行動は、これらの見解を前提にしておられる点に注意が必要です。私はここまでは思っていませんが、まあ、「今の」自分の人生にとってはもうどちらでもいいことです。
私は「荒さんのために」と思って何かしたことは一度もありません。それどころか「戦旗派のために」活動していたわけですらありません。
「組織建設」「党のための闘い」はどこまでいっても「手段」の地位しか与えられません。「目的」は自己の人生のまっとうであり、それは何かといえば「ゲバラのように、虐げられた人の立場に立って生き、かつ死ぬこと」でした。左翼思想とは、そのための「導きの糸」でした。
もう少し考えを整理する必要があるわけですが、小林さん、およびその文章に依拠した769さんへの違和感は、777さんが>>793でリンクしてくださっている拙文に展開されていますので、よろしければご覧下さい。
http://hatahata.mods.jp/archives/2004/06/post_26.html
この文章については小林さんから「反論」(でもないけど)のメールをいただいています。内容については公開しない約束ですが、小林さん個人の事情についてはともかく、個別の事情を離れた私の「違和感」自体を修正する必要は感じませんでした。
よく、左翼をやめたとたんに右翼になってしまうという例があるわけです。西部をはじめとする現在の保守派の評論家の多くが左翼やブント系出身だったりするわけです。
それはそれで、自分の人生、生まれてきた目的を達成するための手段であるなら、主張の内容はともかく、その選択そのものについては何も言いませんが、
たとえば佐藤氏のように、左翼をやめたら右翼というより「反左翼」、戦旗をやめたら「反戦旗」というのは、私から見ればちょっと違うのでは?と思います。中島みゆきではないけれど「憎むことで縛られないで」と思います。
一番「ブント的」で無かったのは、むしろブントの正統を自認されているような小党派の方々だと思います。全国動員で一桁とか、30人に満たないようなサークル党派の場合、現実の運動には全くなんらの影響力も持てません。
その現実の中で「革命政党」として主体を維持する手段として、一種の「選民思想」があったように思います。つまり「中核も日向も、何もわかってない。わかっているのは我々だけだ」みたいに見下すことで自己を維持していたんじゃないですか?
我々が現実の運動方針や情勢をガンガン論じている時に、いつも自分が生まれる前に展開された、一般人なら誰も知らないような大昔のブント内の論争や論点を持ち出し、現実とは関係ない方向で優劣を決しようとする方に持っていくのが、
こういう「ブント正統派」のくら~い人々でした。
あの、緻密で偏狭でくら~い人々が、「ブント的おおらかさ」を持っていたとは到底、全然、まったく、微塵も思いませんね。
自分が一番ブント的で、「ブントの栄光」を一身に引き継いでおり、戦旗がそれから一番遠いというのは、こういう方々の脳内における選民思想の中だけであり、または単なる「印象操作」「内部的な思い込み」の次元だったことは否定できないはずです。
それともまだそんなアンモナイトもびっくりの太古の思い込みを引きずって生きておられるのでしょうか?
まあ、「ブントと違う」ばっかり書いている粘着さんのことは、ずっと可哀想に思っていたので、こんなこと書くつもりはなかったし、そっとしておいてあげるつもりでいたが、あんまりうざいので、つい本当のことを書いてしまった。大人げなかったか?
だいたいが、1)70年安保当時のことを念頭に、2)21世紀のこの世の中で、3)80年代活動家の我々に対し、「ぽまいらブント的じゃない!」って言われても「はぁ?それで」ってバカにされるとわかんないかなあ。
この人、抜けてかなり経つんでしょ。
これだと、一生、日向ブントの呪縛から解かれないだろうね。
本人は、とっくに「抜けてる」つもりのようだけど。
自覚がほとんどないようで、痛々しい。
> 何度も言うように80年代はそれほど荒氏個人崇拝的な雰囲気が蔓延していたわけではない。
> それは外から想像するよりもずっと小さかったはずだよ。
80年代戦旗=まとも、パラチェン以降のSENKI=荒個人崇拝、という図式は浅はか。
73年に両川氏らが離反した(足立分派)とき、何と言った? 「唯一者の党」だろ?
あなたは過去の呪縛から全く自由なのか?
あなたがもし元活動家で、過去属していた組織や運動の呪縛と全く関係なく
暮らしているのならばそれはとても幸せなことに思うよ。揶揄でも何でもなくてね。
しかし、時間の長短はともかく一時でも自分の情熱を傾けた運動に対して
「オレは当時こういう確信をもってやっていたんだ」と胸を張れないことは
逆にとても不幸なことだよ。
あなたがいつだってそうやって外野から揶揄するだけの人生を送ってきたのなら
話は別だけど。
>「オレは当時こういう確信をもってやっていたんだ」と胸を張れないことは
>逆にとても不幸なことだよ。
軍人がかつて自分が所属していた隊、戦歴を美化して思考停止しているのと同じ。
少しは、当時の「現実」を見つめろよ。
そして、その延長線上にある今の「ブント」についても、考えろよ。
お前ら80年代同志の一部は、まだ、残って中枢にいるんだぜ。
> 軍人がかつて自分が所属していた隊、戦歴を美化して思考停止しているのと同じ。
かつての15年戦争を総括するときにだって、809のように「外野から揶揄」するようでは、
総括にならない。死線を彷徨った軍人へ軽々しい言葉は吐けないはずだ。
だったら、当事者が「総括」してみろよ。
>自分が活動していたこととそこから離れたこと。
それはオレという個人と運動との関わりにおいて総括するべきことであって
荒という組織のリーダーの個人的資質やその後の組織の変遷とは全く無関係
に存在している。
↑
核心を突いてるよ。内省的かつ主体的な総括へのメルクマールだ。
それは本当に恐ろしい事だし、背信行為として放逐する以外には対応はあり得ないのではないか?
実際に幾つかの腐った党派はそういう事をやっていた、あるいはやっていると見なされていたが、戦旗共産同はそういった謀略に手を染める党派であると、当時は見なされていなかったと思います。
ここにいる人々は、その恐ろしさをどのように考えているのでしょうか?
また戦旗派は大衆運動の現場で見かけるようになりましたが、その大衆運動が自分たちの方針と異なる方向へ行こうとするとき、また戦旗派は盗聴器を仕掛けるのでしょうか?
ファシズム体制下において、人々はどのように行動したのかという研究はたくさんあります。
ナチスにおいても、天皇制ファシズム下においても、人々は「上から命令された事を実行しただけである」「当時の時点においては正しい行為だった」と主張した。
その行為そのもののおぞましさが、そのおぞましい行為を為す主体の責任性というものが、その体制や状況の中に解消されてしまう。その事によって、人はおぞましい行為を行う事が可能になる。
このような事は我々左翼が何度も検証してきた事です。
それと全く同じ力学が、運動内部で働く。これがスターリン主義の発生というものではないのか?
戦旗の「スタ克」というのはこういう事を指して言っていたのではなかったのか?
もちろん、このような問題は、戦旗共産同特有の問題でもなんでもありません。多くの新旧左翼、党派無党派かぎらずに発生した問題です。
さらに、戦旗共産同は組織ごと「転向」し、その盗聴などという行為を支えた論理も投げ捨てた筈です。
なのに、その盗聴という行為そのものは相対化されない。また、組織を抜けた人もこのような状態である。
一体、どこでどのように「スターリン主義が克服」されるような要素があるのでしょう。
結局のところ、抜け道のない腐敗であるように思えます。
816さんがご指摘のように、盗聴という行為はおぞましいけれども
それは新・旧左翼党派全てがが潜在的に陥りやすい陥穽であって、戦旗ただ一人のみに特徴的な
「おぞましさ」ではないでしょう。
スターリン主義の克服にしても、新左翼諸党派が根底からその組織のあり方を見直さなければ
いくらお題目だけ唱えたところで上で誰かが言っていたように「反スタというスターリン主義」に
陥るだけです。
盗聴問題にしてもM問題にしても真摯に総括しようと思うのならば
そこから検証しなくてはならないのではないのでしょうか。
盗聴という行為の持つ「卑劣さ」やM問題における「仲間への暴力」という表層に現れる
現象面だけで語るのではなく、
例えば盗聴ならば、大衆組織の方針が前衛党の意に添わなくなった時には手段を問わずに
それを従わそうとする志向に対して。
M問題に関しては、党中央が「反党的」と(一方的に)規定した部分には暴力をも許容した形でも
これを糾弾する権利があたかも党にはあるように錯覚してしまう作風。
どちらにしても前衛党というには無誤謬で、それの行うことは革命の大儀のもとに
全て正当化されてしまうという悪しき発想の発露であって
それこそがまさにスターリン主義の持つ陥穽の現われではないかと思うわけです。
そして活動経験のある人ならば、およそ新左翼党派と呼ばれる組織の中で
この陥穽から完全に自由な党派など存在し得ないことは重々ご承知のことでしょう。
戦旗・共産同という組織はパラチェンによって、かつて少しでも左翼活動に
携わった経験のある人から見るとかなり「おもしろおかしい」組織へと変貌しています。
揶揄の対象になりやすいことは充分理解できます。元戦旗の私にも。
しかし盗聴問題やM問題に関しては、そういうパラチェン後の戦旗の「おもしろおかしさ」
と重ね合わせて、全ての要因をそこに求めてしまうのはどうも違和感を感じるのです。
高額の壷売りや、教祖の風呂の残り湯を飲んでいたという「現象面」だけで統一教会や
オウムを批判してそれで事足りると思っているワイドショー的な発想なのではないのでしょうか?
スターリン主義批判というのは、新左翼活動家にとってはもっと一人一人に
強烈に自己切開を求める内在的な行為でもあるはずです。
「一部の異常な集団」と「正常である自分」を区別して安心していれば済むというものでは
ないのではないかと思うわけです。
翻って769さんの書き込みをあらためて読んでみて感じる違和感はそこなんです。
長い割には、中味のないカキコだな。
>>816さんの一部を拡げてなぞり直しているだけ。
しかも、「当時の戦旗に対する意見」という部分が、見事に抜けてる。
「で、なに?」というレスを虚しくするしかねえな。
長文スイマセン。
「で、なに?」ということに対する回答は一応>>820でしているつもりですが。
簡単に聞きましょう。
一つ二つの象徴的出来事として、「反対同盟への盗聴」があり「仲間への暴力M問題」があり、
「西田戦旗やプロ青等に対する内ゲバ的対応」があった。
スタ克をあれだけ掲げていたあなたがたの組織が、なぜ、ご多分に漏れず
結局、腐った党派の一つでしかなかったのか?
例えばオウムに対する批判の中で上に挙げたように「麻原の入った風呂の残り湯を飲んでいた」
ということを聞いて鬼の首でも取ったかのように「うげーキモー!やっぱり奴らはおかしい」
というベクトルのみで批判するならば、「上戸彩の入った風呂の残り湯なら飲める」と
密かに思っている人にはそれを批判する資格は無いと思いますよ。
(ちなみに私は小泉今日子の風呂の残り湯ならば10リッターだって飲みますが)
そういうベクトルのみでオウムを批判するのであれば、五体投地や千日回峰も同様に
「一般人には理解不可能」なこととして糾弾されるべきです。
盗聴問題やM問題も同様にそういう「外野的揶揄」によってのみ批判するのは
本当に外野の人ならしかたがありませんが、仮にもキムのメンバーでもあった769さんが
同じようなベクトルで「一般人には理解し難い異常な集団」と「その異常性に気がついた自分」
とを分けることによって何のてらいもなく怒りをぶつけていることに
強烈に違和感を感じるのです。
あなたにとって戦旗とそこで活動していた「自分」は何だったのかと問いたくもなるわけですね。
煽られる前に書いておきますけど私818と777は同一人物ですので
よろしくお願いします。
では簡単に答えましょう。
スタ克なんて言うだけなら誰にでも出来るということです。
結局戦旗もその他の新左翼党派と同様、スターリン主義に陥る危険性を
他党派と同等程度に内包していたということですね。
>>814
>自分が活動していたこととそこから離れたこと。
>それはオレという個人と運動との関わりにおいて総括するべきことであって
>荒という組織のリーダーの個人的資質やその後の組織の変遷とは全く無関係
>に存在している。
あのね、主体的な総括をしようとする志はいいんだけど、肝心なこと、つまり
荒氏の責任ということがすっぽりと抜け落ちてしまう点で、致命的な誤りを犯
しているのよ。
第2次ブントの分裂以降(70年戦旗派結成以降)、組織運営の一番の責任は
荒氏が負うものではないか? なぜ現闘団や個々の活動家のせいにしてしまう
のだ?
はっきり言おう。盗聴にせよ、M問題(への対処)にせよ、責任者は荒氏自身
だ。党内の反対を押し切って実行(を指示)したのだ。
比喩的に言うと、荒氏は15年戦争における昭和天皇どころではなく、A級戦
犯並の責任が、いや、それ以上の責任が存するのだ。
(東京裁判が戦勝国の一方的押しつけであって、天皇免罪などそのまま受け取
れるものではないことを踏まえれば、東条ら戦犯より戦旗派問題における荒氏
の責任のほうが明々白々と言える。)
責任が「昭和天皇より重い」とかいう砂糖のような比喩はさておいてw、
大筋は同意できる。
で、その上で、粗にどう責任を負えと?
「わたしが悪うございました、ブントを名乗りません、解散します」
とでもいって欲しいのか?
それとも四国巡業を行えと(笑)。
代表を辞めればいいんだよ。活動から一切手を引く。
「作家」になりたいらしいからw
ファッシスト佐藤のやっていることはトンチンカンきわまりないが、
唯一支持できるのは次の提言
ワクワクネットワークヤング埼玉(不正確)
とかいうのに改名せよ、というもの。やはり実体に即応した名称がよろしいのでは?
わくわくネットワーク・やんぐ埼玉
そういう文脈で言うのなら元中核はシミタケ批判抜きに昔のことを語れないのか?
で、お前は、荒のこと、どう思ってるの?
今の荒のこと?
それとも現役時代?
現役時代には荒という「個人」を意識したことはほとんど無かったよ。
組織から下ろされる方針は実際荒という人物が起草していることは充分想像できたけど
それは「党中央」の方針として消化してたけどな。レーニン主義政党はそんなもんだろ?
今外部から見る印象は
「自己愛の強い変なオジサン」だな。
だからと言って当時のことに関する「個人的な総括」が左右されることは一切無い。
同志諸君に訴えます!戦旗のやった、反対同盟への盗聴そのものを擁護しては絶対にいけない!
それはあたかも、北朝鮮の行った拉致そのものを生で擁護するに等しい。
拉致問題を人類不偏の「人権問題」として取り組み、もって北朝鮮を批判するのではなく、日本VS北朝鮮の「民族問題」のように狭く解釈して、排外主義や改憲、有事法制につなげていかんとする潮流があります。
盗聴を批判するスタンスも、今やこの拉致問題と同じような構造になりつつある。同志諸君が戦旗の盗聴を批判する書き込みに対して表明している違和感は、ここに起因すると思われます。
明確な証拠がないので、思っていても誰も口に出せないが(私が口に出して叩かれ役を引き受けるとすれば)、たしかに中核も同じようなことをもっと大規模にしていたのかもしれないし、総じて戦旗は中核や革マル、解放派などよりはるかに「まし」だったかもしれない。
また、あれやこれやの「情状酌量」の余地を論じたくなる気持ちもわかる。
しかしそれは「日本も強制連行したのだから、拉致くらいたいしたことない」とか「欧米列強だってアジア侵略をしていたではないか」というのと同じスタンスである。拉致被害者にとってそんなこと何の関係もない。
同様に反対同盟にとって、あれこれの事情で盗聴を「仕方ないこと」とは絶対にならない。
問題はこれを批判するスタンスである。ここが「良スレ」と言われるのは、2chには珍しく、各自がこれを明らかにしようと努力しているからである。
自分のスタンスを明らかにせずに、安全圏から都合のいい揶揄だけを書き逃げしたり、他人の意見をコピペしていく卑怯な人間に反応したり振り回されてはいけない。
彼らが言っているのは、北朝鮮を批判するなら、改憲にも賛成しろ!、ソ連を糾弾するなら、左翼思想も糾弾しろ!と言っているのと同じ構造なのである。たとえば>>804 >>822などは、基本的には我々にこういう構造に立てと要求するものである。
そんな揶揄のオンパレードなら、ロフト事件の時に2chでさんざん繰り広げられてきた。わざわざこのスレで同じことをやる必要はもうないし、「アラカルト揶揄」も前世紀の時点では面白く読んでいたが、2004年の現在においては、もう内容的に刺激されることはない。
同志諸君には、戦旗の盗聴については糾弾しきる立場に立つことと、「アラカルト揶揄」は基本的に無視して議論を進めること、そういう2ch的なるものとは違った、このスレらしい刺激的な議論を期待します。
———–
たとえば中国のチベット問題については人権問題として、左右や国籍を問わず、世界中の人々が中国に抗議し、問題に取り組んでいる。(例として左派系の「北朝鮮・チベット・中国人権ウォッチ」など)
>「アラカルト揶揄」は基本的に無視して議論を進めること
コケて何十年経とうが、「導師」がいなきゃダメな人たちなのね。(呆
に付き合うスレになりました。
怒りがこみあげてしょうがないってのは
例えば中核ならばやめて何年か経った後に「やっぱり白井をテロったのは中核だった」ってのを
知って怒り心頭になっているのと同じ違和感を感じるんだな。
ことの是非はこの際別問題だよ。
「ハァ!?今さら何言ってんの!?」って感じなんだけど...。
だって、ここは「80年代ブントを語る」スレだろ。
「M問題」も「盗聴問題」も「内ゲバ問題」も
その80年代のことじゃん。
今更も何も・・・ry
雰囲気はよく伝わってくるよ。「そうそう」って感じなんだけど。
ソレをカルトと言うのならば他の新左翼の内部ってどんな感じなのよ?
もっとアナーキーなのか?
i|!| |i┏┓! i!┏┳┓| |||i|!i| ||!i|| |||ii| ||| ||| |i||!|i│i!┏┓i!|
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|i!i |!┗┛┗┛i|!i| / | / | ┗━━━┛i|i| i┗┛i!|
i| |||i|!i| ||!|i||i! /,_ ┴─/ ヽ |!i| ||| |i||!|i|i|||| ||i
|i|| ||i!i|| (_゜.,》.'(_゜,》)ミ ヽ ! | |!i||!|ii||!|ii|
i|ii / ,,__,ニ、、 ノ( | i|i!|i|
|i | Y~~/~y} `, ~ | そ、そんなー… |i
!. | ,k.,.,!,.,.,r| ,! く .!
i / <ニニニ’ノ \ l
いやまあそこまでの衝撃は受けてないけどさ...
2.>>818
漏れも言いましたが、そのような腐った行為に手を染める「傾向」は、確かに全ての左翼の潮流に「ありえた」事です。
しかし、それを実行に移したところは、やはり特異な存在なのです。
その特異性故に、「内ゲバ党派排除の原則」といった共同行動の原則が確認されてきたのではなかったのか?
それはそういった腐った行為に手を染める組織が、=内ゲバ党派であると分類する事ができ、内ゲバ党派を排除する事で、大部分の問題は回避する事ができると考えられて来ました。
そういった腐った行為は「彼らのもの」であると考えられてきた。
しかし、これに加えて「内ゲバ党派・盗聴党派排除の原則」というものを新たに確認しなければならないのか?
3.>>833
荒岱介氏への評価が繰り返し問われる、あるいは荒岱介氏への「帰依」が問われるという事について
漏れの場合の話ですが、これは大衆団体事務所への盗聴や、「パラチェン」といった事が、漏れの知っていた戦旗共産同の活動家の人物像と、どうにもうまく整合しないという事とが関わっているのではないかと思います。
漏れの知っていた戦旗共産同の活動家は、キャラクター的に、どうにもそういった薄汚い行為と重ならないのです。
そして、荒岱介氏というキャラクターは、あのくだらない武勇伝の本などを読む限りにおいて、そういった薄汚い行為に相応しい人物像であるように見える。
荒岱介氏というキャラクターを介して、これらの事が納得できるものになるのです。
これが、繰り返し「荒岱介氏という存在」との距離が問われる理由ではないでしょうか?
もしM問題のような実力行使をやれと命令されたら、拒否するか、組織を辞めるか、
いいふらして問題を大きくし、やめさせる方向にもっていく。M氏が組織にとどまる
ようにすることは(彼らが望んでいたとして)できなくても、実力行使だけは拒否する。
そんな無意味な暗さを背負っていくのはやだね。
盗聴については、あの状態なら支持して、頼まれれば自分でもやったかもしれない。
盗聴して、権力との癒着を暴かなくても、いまの反対同盟の方針には反対であると
主張すればいいだけのような気もするが、そこまで知恵が回らなくて、盗聴により
反対同盟の一部の問題を指摘し・・・ということは、ありうるな。
仲間を盗聴するのはふつうじゃないけど、公団や警察とつながってる方がもっとふつう
じゃないと、当時は思った(と思う)。
私は戦旗の雰囲気しか分からないが、中核、革マル、青解などは、なんか暴力的で
暗いなと思うけれども、内部での討論というのは戦旗とは違って、活発だと聞いたこ
とがある。西田派や、その他分裂したり離れていかざるをえなかった力量のある人が
残っていれば、本当に組織の方針をめぐる討論がありえたのではないかと思う。
たとえば、自民党や民主党はいろんな寄せ集めからなっていて、中でも激しく議論が
されていて、誰か1人の実力者の意向がつねに通るわけではないという、実質的な
議論のことです。荒氏の結論をくつがえすような討論は、基本的にはできないんじゃない?
そういう強力な異論や異分子を抱えて組織を維持し、運動していくことができないのが荒氏で、
それがいい悪いというよりは、それが彼の限界なんじゃないかと、いまにしては思う。
中小企業の創始者かつオーナー、いまいち心が狭い、というところ。
それがブント的じゃないと批判される、一つの要因なんでしょう。
他方、荒氏を支持する側からいわせれば、そういういいかげんなブント的なものはダメなのだと。
その処理に困っていましたが。
こういう人が荒に帰依しているってことになるんですかね。
なんでも書店のランキングに乗せるために、まとめて100冊
同じ書店で注文したとのこと。注文を受けた人もさぞかし驚いた
ことでしょう。
今はもうほとんど使用されていないようです。
印刷も外部に委託すればよいではないか、とのことで…。
>漏れの知っていた戦旗共産同の活動家は、キャラクター的に、
>どうにもそういった薄汚い行為と重ならないのです。
>そして、荒岱介氏というキャラクターは、あのくだらない武勇伝の本などを
>読む限りにおいて、そういった薄汚い行為に相応しい人物像であるように見える。
そうなんだよねえ。
だからアンチさん達に「お前らには荒批判の観点が抜けてる」と言われても
いまいちピンとこないんだ。
当時の仲間達と今外から見る荒という男とが全然重ならないんだな。
まあそれでも(あえて言うけど)M問題も盗聴問題もことの是非はとりあえず置いておくとして
まだ「新左翼の文法の範囲内」って感じはするんだよ。「誤りの文法」なんだけどさ。
しかし他スレでも書かれてたけど>>851のような「荒の本をメンバーが競って買ってる」
なんて事実はそれこそオレの知る「戦旗・共産同」のメンバーのキャラクターと
最も重ならないんだよなあ。
アンチさん達は信じてくれないだろうけど、80年代活動家にとっては本当にそうなんだ。
盗聴問題の「事の是非」こそが問題の本質なのではないのか?と考える次第。
漏れは戦旗共産同の活動家を一定、信用していた時期があるわけですが、その中で、盗聴が行われていた。
そしてその実行犯は小林さんのような人物であるわけです。
これをどう考えればいいのか?
新左翼運動の中で、「信頼関係」などという事を考える事自体がたわごとなのか?
漏れにとっては現在的な問題です。
もう理屈としてはその通りで反論の余地はないよ。
でもここは2ちゃんだから、格好つけずに「感情的な本音」で言うとさ。
850さんの
>盗聴については、あの状態なら支持して、頼まれれば自分でもやったかもしれない。
>盗聴して、権力との癒着を暴かなくても、いまの反対同盟の方針には反対であると
>主張すればいいだけのような気もするが、そこまで知恵が回らなくて、盗聴により
>反対同盟の一部の問題を指摘し・・・ということは、ありうるな。
>仲間を盗聴するのはふつうじゃないけど、公団や警察とつながってる方がもっとふつう
>じゃないと、当時は思った(と思う)。
っていうのに賛同してしまう自分がいるわけだよ。草加さんゴメン。
まあこれは「今だから」ってのもあるのかもしれない。
歴史的に見れば熱田派ってのは多分「条件派」として規定されていくだろうしね。
「空港建設実力阻止・話し合い絶対拒否」の同盟の原則から結果的には逸脱してしまったわけだから。
だからといって大衆運動組織を盗聴云々...ってのは理屈であって
「おいおい本当のところはどうなってんだよ?え?何か怪しいんじゃないのか?」って
思っちゃうのが本音なんじゃないかなぁ。
だって3・8分裂直後から戦旗って熱田派の中で浮いてたじゃん。
88~89年辺りはもう正攻法で同盟をどうこうするってのはもう正直キツかったんじゃないのかなぁ?
草加さんもその辺の空気は知ってるとは思うけど...
まあ小林氏は現闘だから日常的に反対同盟農民との「人間同士」の付き合いもあっただろうし
尚更許せない部分もあったんだろうけどさ。
>だからアンチさん達に「お前らには荒批判の観点が抜けてる」と言われても
>いまいちピンとこないんだ。
>当時の仲間達と今外から見る荒という男とが全然重ならないんだな。
やっぱりね、下部活動家だとね、わからないというのがあるよ。
でもね、よく考えて欲しいんだ。
73年に足立分派があった。両川氏たちは、荒氏に反発して組織を割った。
77年~80年に荒氏が入獄するが、その間に79年問題が起こった。
80年に荒氏が出獄すると、戦旗派は「戦旗・共産同」と名称を変え、組織
が飛躍的に伸張する。
ともかく、戦旗は荒氏のワンマン経営なんだよ。いい面も悪い面も。
荒氏のパーソナリティは「中小企業の商業者オーナー」。大企業のCEOと
はまるで違う。「自分でやってきた」という自負も強い分、他人の言うこと
に耳を貸さない。後継者作りもしていない(中小企業だと息子がなるものだ
が)。70~80年代の政治局員はすべて放逐しちゃったもんな。
「わしはこう思う」と言えばいいのに「同志諸君に訴える」となっておって、自分で読み返してちょっとワロタな。しかしあのほうがリズムにのれるんだよね(笑
まあ、「草加ルト」にも「クスリ」くらいはワロタが、そんなもんに入るほど「同志諸君」がアホでないのは、その後の展開の通り。
>>858
>ともかく、戦旗は荒氏のワンマン経営なんだよ。いい面も悪い面も。
なるほどね。そうかもしれんね。左翼党派は日本共産党も含めて世界的にそういうとこあるけどな。自民や民主とは違う原理で動いていて、対権力ということを考えれば、一定仕方のない面もある。しかし後継者を作らないんじゃ先は見えてしまいますね。
まあ、同志諸君の「ここは2chだから」「多少の原理原則はとっぱらって」という提起にうかうかとのせられて、私も少し「はめをはずして」墓穴を掘ってみようかな?
松原君(いまさらM君でもあるまい)問題に関してだがね。部外者からはどう見えているのか知りませんが、実際の問題として、少なくとも首都圏の当時の学生からは、一人一発ずつくらいなら殴られても仕方ないだろうと思っているんですが、どうですかね。
本当に全員から一発ずつ殴られたら顔がなくなってしまうので、誰か数人が代表でフクロにしに行ったということなら、私としてはなんとなく納得します。荒さんと意見が対立したとかそういうことではなくて、実際それだけのことをしてたと思うんですがねー。
まあ、それこそ左翼が組織的に個人をテロってもいいのかという「原理原則」の問題は別にあるのですが、そういうこととは別に、押さえつけていた素直な人間的な感情としてはね。
松原君の件に関しては、彼が組織を離れる過程で身近にいたわけでないから、単なる感じであり、伝聞でこれ以上はなんとも言えないが。。。
この過程で彼の身近にいた人はどう思っているんかな?
Tとか、まわりの人がやられたんじゃ? だから酷いと。
80年代の話はなかなかわからないですね。
そういえばもうすぐグランワークショップです。
また荒氏の著作も出版されますね。
どなたか、グランワークショップへ参加したり、
荒氏の新刊を読んだりする人はいるのかな?
組織の利益を主張しつつ、実は私益に固執する動機づけをもつ輩とは、あなたの隣にいる
内部者かもしれないし、あなた自身であるかもしれません。
これって粗のことだよね?ww
ブハハハハハハハハハハハハハハ
「おお!なるほど!」と思った椰子がbund構成員になる。
やめても騙されていた事に気がつくのに時間がかかる。
組織を伸長させることができたのだろう?
新左翼全体が伸びているならともかく、実感としてはもう「冬の時代」だったし
ABCD問題などがあったにせよインターの凋落などは集会ごとに「減ったな~」と
思わせるほど顕著なものだった。
「主張に魅力があった」と考えるのはいくら元でも戦旗贔屓すぎるだろう。
思うに情宣に次ぐ情宣の日々が実を結んだということなのだろうか?
考えてみれば日常の活動の9割が情宣とオルグだったような気がしている。
学生だったオレは本当に文字通り毎日どこかで情宣していた。
「過激派の日常って案外地味だな...」と思ったおぼえがあるよ。
はたして戦旗の情宣の数は同時代の他派よりも多かったのだろうか?
多かったでしょ、ダントツに。
昔、情宣で狭間派とぶつかったよき、「署名運動ばかりやりやがって!」
と吐き捨てるように言っていたのを思い出す。
ただ、85年10・20に向かう過程の中核は連日夜中まで情宣してた。
オレら(戦旗)や統一協会もびっくり!
各所で、街頭キャッチオルグ必死にやっていたもんな。
うーむ...やはり多かったんだ..。
じゃあその間他の党派は何やってたんだ??
大学や職場なんかに確固たる拠点があれば別だけど
自派の主張を少しでも多くの人にアピールして結集を呼びかけるためには
結局街頭情宣しか方法は無いと信じてやってたけどね。
別に闘争をネグレクトしてまで情宣に明け暮れていたわけではないので
そのこと自体をどうこう言われることもないとは思うんだけど、
確かに「職場や大学にじっくりと足場を作る」ということにはあまり熱心でなかったのは
否定できないな...。
中核は10・20に向けてはそこまでやってたんだね。
中にいた人にしてみると10・20当日もさることながらそこへ向う過程でも色々
エピソードがありそうだね。
正義・自由・愛・希望
あらゆる未来が語られていた。
それで?
中核・革マル・解放派の内ゲバ、インターの凋落という客観的な状況もあった
だろうけど。
指導部の官僚主義のせいで、目が曇っている」なんて、言ってたなぁ。
半身不随とは可愛そうに
親に頼るな・・・と個人批判してみる
なして、泣き寝入りなん?
ゴミの親が弁護士で、被害者に不利な判決がなされた
ひでえ話やな。
そんなひどい香具師が車文化を云々している
しかもブント今や環境保護のNGOだ
(それだけでも突込みどころ満載だが)
ここでいう松原とは、80年代戦旗派の社学同指導部、女たらし松原のことらしい。
日共(行動派)大武礼一郎議長の下に走った松原博志氏とは無関係。
ああーほっとした。松原博志さん、戦旗を再興する気ない?
外からみたら意味わかんねんだが。
両川さんが別れ、本多さんが別れ、松原さんも別れ・・・
ああー、惜しい人材がはなれてしまったあー。
戦旗に限らず、「ブントは分派」ってことかな。
> ああー、惜しい人材がはなれてしまったあー。
ギャグですか?w
落ちつけ、日向。w
そこが80年代の「元」と外部からの印象の大きな違いの一つなんだよなぁ。
80年代の元活からしてみたら、パラチェンとか荒氏の個人崇拝とか
そういう90年代戦旗のネガティブな部分は全て「ビックリするような変貌ぶり」であって
現役時代にその萌芽を感じ取ることはできなかった。(オレが鈍かったのか??)
80年代後半から90年代前半にリアルで活動していた元戦旗ならば、段階的な変化を感じ取っていたかもしれないけど、武闘時代しか知らない人間は自分達の延長に今の戦旗を感じることはできないな。
今、中枢にいるのは「80年代」の連中だぜ。
今もやってる連中と元活とは、意識の差が「南アの高峰」ほどあるさ。
同志諸君、覚えているか?
あの冬山訓練はオレの生涯で、忘れられないモニュメントのひとつだ。
そういう切り返しは、なんだか、かなり痛々しいな。
AIコースケと議論しよう!
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