戸村一作:著『小説三里塚』(目次へもどる)
第58話 地下壕を掘る(1)
多事多端な年も暮れて、一九七一年を迎えた。
正月を迎えても強制代執行を目前に、準備は常に怠らなかった。緊張感も一入深まっていったが、農民は見るからに楽天的で、悠揚迫らざる風情だった。
おいおい地下壕の数は増え、バリケードもますます強固に構築されていった。砦に来る者は誰といわず必ずといっていいほど、自家用トラックにバリケード用の丸太を積んで運んできた。
未だ正月も明けきれない一月八日のことだった。
天浪の例の公団分室前の丘の上には、各部落の農民、各団結小屋の学生らが、群をなして集まった。
手に手に鍬、鎌を持っていた。
いつもなら一月といえばどこの部落でも酒を酌み交し、正月気分に浸っている頃だった。だが間近に迫る第一次代執行のことを想えば気は納らず、のんべんだらりと酒も呑んでいられなかった。
この日、天浪一六番地点では初の地下壕掘りが始まった。
この丘には駒井野の清宮力や、藤崎米吉らの土地があった。一六番地点清宮力の土地には、今年、農民放送塔を建てる計画だった。
藤崎米吉の土地には、今年になって、もう一つの強固な地下壕を掘る方針が立てられていた。一六番地点にはすでに櫓やバリケードの材料が山と運ばれてあった。
この辺り一帯は空港のターミナル地点で、公団にとっては最も重要なポイントとなる土地だった。したがって公団は一刻も早くものにしなければと、焦りに焦っていた。真先にここを収用しなければ、空港にならないのである。
その頃から公団は清宮と藤崎の切り崩し作戦を、密かに巡らしていた。彼等の考えた作戦は、親戚、兄弟、知人から成田市長まで使った、手のこんだ泣き落としと、それに加えた私服による恫喝である。
しかし、二人は頑としてそれを受けつけなかった。誰が来ても門前払いを食わせ、歯が立たなかった。すでに丘の下には四つの団結小屋が建ち、四本の地下壕が完成した。それに一六番地点に建てる農民放送塔の材料も整って、組立てるばかりになっていた。
丘にはあと、二本の地下壕が掘られる計画である。年頭から、それが一斉に開始されたのだ。丘の前に立って右側から中谷津、辺田、白枡、木の根、東峰の順序で、それぞれ地下壕の作業の分担がきまっていた。
武治は今日の作業の指揮者として、まず、一同の前に立って、年頭の決意を述べた。
「この地下壕作戦によってどうしても土地を死守しなければならない。百姓は土の中に這いつくばっても、金玉を柱にくくりつけても、土地は敵に波せない。わしはそのためには生命を賭けても闘う決意です。みなさん、団結して頑張ろう」
武治の口角からは白い泡が吹き出し、興奮してか言葉は異状なまでにカを帯びていた。後の方で岩山部落の岩沢久治が腕組みしたまま、「うーん」とうなった。集まる者四〇人は一様に武治をみつめて、その気迫に引きずり込まれていった。
すると、誰かが「この地下壕戦も武治おっちゃんがいい出したことだよ!」といった。周りの者がその声に注目した。見ると、辺田部落で武治の本家の正夫だった。
彼は幼い頃、戦争で父を失い、七歳の頃、木の根に入植した武治の小屋へ、暗い夜路を辿り左がらランプを届けたことを、武治の語を聴きながら想い出していた。
正夫は三七歳になっていた。彼は辺田部落の中堅層で、専業農家として自立していた。日頃から叔父の武治に従いて、彼も熱烈な反対同盟の一員だったが、叔父がこんなにも熱情家であったのかと、改めて武治の顔をみつめるのだった。そして、彼は武治の語る言葉に痛く感動し、農民としての自覚と、空港阻止の闘いの重要性を新しく知ることができた。
丘の上から双眼鏡をこちらに向けた二人の私服刑事が、しきりに反対同盟の動静を探っているのが見える。作業は一斉に開始され、武治と戸田は穴の中から絶えず掘り出されてくる土を、もっこで外に運び出す作業をうけ持った。
武治は鼻の頭に汗をかいていた。一二時になると武治の合図で、穴の中から体中赤土だらけの若者たちが、ぞろぞろともぐらか何かのように這い出してきた。それを見て婦人行動隊のおっ母さんたちが「シャツ一枚で寒くねえのか」と訊いた。すると、白枡の木内武が、「穴の中は夏は涼しく、冬は温いんだから心配はねえよ――」といった。そこから思わざる人間の穴談義に話は展開した。
この丘の前は駒井野部落の水田で半ば公団によって埋められていたが、田んぼの畦道を伝って小さな流れがあった。穴から出てきた学生たちは上半身素裸になって、体を洗っていた。
「真冬だというのに穴の中は.シャツ一枚だよ。冬の地下壕戦だって平気ですよ」と学生がいうと、一段と甲高く頓狂な声で、「穴は全くいいな……。かあちゃんの穴はなおいいよ」という声がした。――中谷津からきた髭面の丸山だった。クスリと誰かが笑った。
すると、すかさず天神峯の加藤が、丸山を見ていった。
「おめえは毎晩かあちゃんの穴掘りか……」
「なんだ変な話になっちゃったな、今日の穴は穴でも、この穴だよ」と武治が地下壕の入口を指した。
「あの穴もこの穴もねえ、穴という穴はみんな温ったけえだよ。『かまくら』って雪の穴ぐらだって温ったけえっていうからな」
一月、二月は下総高原で最も寒い季節だ。よく晴れて冬の陽は輝いているが。風は寒い。焚火を囲んで、みんな暖をとっていた。溝の流れで手を洗い終わった岩山の岩沢が、焚火の中に割り込んできた。
「おっかあ、早く腰巻かせよ」と、濡手を拡げて辺田の小川さくの腰の当たりに近づけた。さくはニッタリ笑って腰を捻ると、岩沢もそれを追うようにして、「おっかあ、腰巻だよ」という。
「なんだい、今時腰巻なんて認識不足だど……。岩山の父ちゃんともあろうもんがよ。こりゃ桃色のパンティだよ」と、さくは笑いもしないで、紺絣のモンペの前を摘み上げて見せた。中年の小太りしたさくには、岩沢も顔負して濡れ手を引っ込め、焚火にかざしていった。
「なんで俺らいつでもかあちゃんの腰巻で拭くだからよ」
岩沢の顔を見て、みんな腹を鞄えてどーっと笑いこけた。いつもこんな剽軽なたわいのないことを、なんのためらいもなくいって人を笑わせる岩沢久一だった。岩沢も武治とともに、地下壕作戦の唱道者の一人だった。
こんな屈託のないように見える岩沢も、一度穴掘り作業にかかると真剣だった。学生たちに対しても、びしりときついいい方をした。
みんな思い思いのところに腰を下ろして、弁当を開いて食べ始めた。弁当は握り飯だが、誰も必ずといっていいほど、余分に持ってきていた。団結小屋から来る学生たちのことを思う心尽しであった。
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