「普通の人」というレトリックの本質
: 「反日」とは戦前の「非国民」の言い換え

差別と排除を許さない!
「俺たちは普通であいつは反日」とは戦前の「非国民狩り」の再現

 よくネトウヨさんが使うレトリックで「自分は右翼じゃない、普通の人だ」って常套句がありますよね。 左派にはこれを即時的に嘲笑して「どう見たって右翼じゃんw」という人が多いのですが、私は少し違う考えを持っています。

 だって、それじゃあ、右翼的な考えをもっている市民は「普通の人」じゃないとでも言うのでしょうか?右翼だって左翼だって、みんな普通の人ですよ。普通の人々がいろんな考えを持って、それが自由で対等にごちゃまぜになって市民社会を構成し、その最大公約数として「普通」が生まれるのです。つまり「いろんな考えを持つ一人一人の人間」を超越したところで、「普通なるもの」が市民社会の外に超然と存在しているわけではありません。考えてみれば当たり前のことなんですがね。

 つまりこういう自称「普通の人」の問題点というのは、徹頭徹尾、自分を基準にし、自分と同じ考えや行動をしない人間を「普通ではない」とレッテル貼りして、その考えを考慮する必要は無い、排除してもかまわないという理屈になる点なんですよね。(ちなみに政治的なこと以外の日常生活でもそういう言い方をする人いませんか?めちゃうっとしいですよねw)

 たとえば「○○に反対しているのは普通ではない人間(左翼・反日・プロ市民etc)だ。だから反対意見は考慮しなくていい」「反対している奴らは監視・弾圧してもかまわない」という具合です。要するに「いろいろ」という自由や民主主義に不可欠な要素、他人の意見を尊重するという態度に著しく欠けているということの自白が自称「普通の人」であるわけです。

 だからネトウヨさんに「お前らが『普通の人』であるものか!」みたいな批難をすることは正鵠を射ていないと思います。彼らだってその実存はまぎれもなく普通の人なのです。そうではなくて、批難さるべきは、自分(たち)だけが普通であって、自分と違う傾向を有した人間を「普通」から排除して考えるファッショ的な発想なのです。

 本当に「普通」であるならば、いちいち聞かれもしないのに、文中に「普通」「一般」などの文字を多用・強調する必要はありません。この手の文章の本質というのは、自分達が普通であるという点にあるのではなく「自分と違う考えをしたら、お前を普通とは認めてやらないぞ」という論理的帰結にこそその本質があるのです。

 どういうことかと言うと、それは戦前の「非国民狩り」と全く同じことなんですね。それが証拠にこういう文章を書く人は、よく「日本人ならば……」「日本人のくせに……」という言い回しを使うことに気がつきませんか?要するに、民主主義がコンセンサスを得ている世の中で「お前なんて非国民だ!」と露骨に言う代わりとして編み出されたレトリックが「自称普通の人」、あるいは「自称中道」なわけです

 この危険性(ファッショ性)に無自覚にこのレトリックを使っている人が多すぎます。さらにもう少し正直なネトウヨさんは、非国民と言うかわりに「反日」という用語を使って、はっきりとそのことを宣言しておられることからも、それがわかると思います。

 ここでは、自分と違う考えの「普通でないやつら(反日)」のブログや掲示板を荒したり、監視などと称して圧力を加えるなどの言論弾圧を行っても、それを全く問題であると感じない歪んだ感性が一番の問題であると思います。原則的に、個人がどんな思想を持ったり、それを自分のブログやサイトなどで発表しても、他者の人権を侵害しない限り(差別文書など)は、いちいちそれを「悪」として咎めることはない(できない)と思います。それは自分を彼らと同じ陥穽に陥らせることではないでしょうか?

 他人のサイトを荒すことと、自分のサイトで意見を発表していることは同じではありません。たとえ自分にとってどんなに気に入らなくても、明白に人権を侵害していない限りは、「意見の内容」という個人の思想信条を基準にして圧力を加えることが許されるはずもありません。

 自称「中道」も全く同じ。中道なんてもんは左右の範囲の決め方でいくらでも動くもの。何が中道かは、その時々の時代や地域における社会的諸勢力の力関係によって決まるのであり、それは常に暫定的で変化し続けるものです。坂本竜馬は幕末なら「極左過激派」で今風に言えば「テロリスト」ですが、現代社会にそのまんまタイムスリップしてきたらバリバリの右翼です。だから普遍的に「中道なるもの」があるわけではない。くり返しますが、それは常に力関係によって決まるにすぎないのです。(拙文「『中道』について考える」)

 だから何かしら「中道」が良いものなわけでも、偉いものなわけでもありません。腐れた社会の「中道」はやはり腐れているんではないでしょうか。だから問題は(その社会における)中道かどうかではなく、そこが(今が)どんな社会であるか、そしてこれからどんな社会を作るかなのです。

 常に自分を基準にする尊大で自己中心的な態度では、時代も地域も超越して、たとえどんなに極少数派になろうとも、常に自分が「中道」になるにきまっています。いったいそんな自己満足に何か意味があるのでしょうか?

 思うにこれはおそらくウヨサヨの問題ではなくて、この手のお調子者の付和雷同分子が、昔は左翼につき、今は右翼についているだけのことであろうと思っています。こういうネトウヨさんの態度(排除の論理)は、かつての左翼運動の中にも多く見られたものですし、「反革命」というレッテル貼りが、ネトウヨさんにおける「「反日」と同じような使われ方をしたこともあります。

 つーか、私は彼らを見ていると、一昔以上前の左翼運動の醜悪なパロディを見せられているようで、猛烈に恥ずかしくなることがあるのです。レッテルや線引きで排除し、線の向こうに排除した後は何をしようがどんな手段で叩こうがかまわない、それこそが「よりよい世の中」を作るのだ、一言でいえば「やつは敵だ!敵は叩け!」という以上の内容をもたない、窮屈で幼稚な政治はもうコリゴリです。左右のどちらがこういった幼稚な政治から早く脱却できるかということだと思います。

補足
当サイトでは、右派的考えを持った市民一般ではなく、その中でもコメント機能などを悪用して他人の善意を揶揄することに使ったり、荒し行為や、高圧的な書き込みで目的意識的に相手の言論を萎縮させるなどの悪質な言論弾圧を行う人のことを「ネトウヨ」と呼んでいます。その裏返しの「ネトサヨ」というのもあり得ます。もちろんあなたは違いますよね(笑

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7件のコメント

この草加さんの意見には、ほとんど賛成。
右も左もない。他人、他者の意見を、力でもって抑圧するのはホーリズム。
ソ連東欧の「社会主義」の崩壊は、そういうホーリズムが破産したということを意味しているのだと、私は思います。
また、第二次世界大戦でのファシズムの敗北も同様の意味を持っていると。

しかしながらそうしたホーリズムを、内在的に克服するのは至難とも。
だからより害悪が少ない民主主義という政体を選択肢とする以外ないと思われます。
例えそれがブルジョア民主主義と言われようと、金持ちのための民主主義と批判、非難されようと、スターリン、ポルポト、毛沢東の「社会主義」が歩んだ後の累々たる民衆の屍を見せつけられた者にとっては、そう考えざるを得ません。
また、スターリン主義の内在的克服を目指したはずの、われわれの拙く愚かな歴史的経験の帰結をもっても、同様の結論に至るだろうと考えます。

土岐さん、書き込みありがとうございます。
もう何と言うか、左翼における「あいつは○○だ」という排除の論理、それと全く同じことである、「あいつは○○じゃない」という最近のネトウヨさんによく見られる排除の論理、どっちにも心底嫌気がさしています。

内在的克服が一番難しいというのはその通りですが、反面、一番簡単な気もするのです。要するに人のことをつべこべ言う前に、自分がそうしなければいいのですから。人に求めるほど偉い人間でもないので、とりあえず自分はそうしないということでやっていこうと思います。

ネトウヨとは草加さんの言うとおり、自分の意見以外をすべて排除しようとする言ってみれば「俺流」の人々ということも出来ると思いますが、興味深いのは彼らの意見が無責任なことに匿名であって、本来なら社会に何の影響も与えるものではないのも関わらず、ここ最近とみにメディアに取り沙汰されていることでしょう。彼らの意見、というより「言い草」は彼らの意見であることには変わりない。なぜ「言い草」になってしまうかというと、彼らネトウヨの言い分がたいてい根拠や考慮を欠いているからですが、そのような意見も、海外では記名で投書されることが多い。海外では匿名のネットの意見は、ある程度の文章としての礼儀や言葉遣いが守られていない、単なる非難中傷だけのものは意見としてみなされないです。
極のつく右翼も左翼も世界のどこに行っても存在します。しかし、日本でもまた、(今更ながら)それをうまく利用しようという政治的動きが出てきたのは注目すべきだと思います。ネットで交わされる意見を国民の大勢とみなして、それに便乗した小泉政権などがそのいい例でしょう。

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