1970年10月、チリの大統領選で、左翼政党の連合「人民連合」を率いるサルバドール・アジェンデが大統領に当選した。
しかし、中南米に左翼政権が成立する事を嫌った米国ニクソン政権とCIAの後押しによって、1973年9.11、ピノチェト将軍率いる軍部がクーデターを起こす。陸海空軍と治安警察の全軍がこれに加担。大統領府は軍部に包囲されて孤立した。
しかし、この状況を前にしてアジェンデは、「私を支持した人民に命をもって報いる」と大統領の辞任を拒否。大統領執務室から電話を取ると、まだ軍に制圧されていなかった最後の放送局、マガジャネス放送に電話をつなぎ、国民にお別れの挨拶をおこなった。
この放送の後、アジェンデはピノチェトらクーデター軍の降伏勧告を拒否。やがて歩兵のみならず、なんと戦車から爆撃機までをも使った自国の大統領府への総攻撃が始まる。アジェンデは自ら自動小銃を手にして、ほんのわずかな数の民兵とともに最後まで徹底抗戦した。そして炎上する大統領府の中で現職大統領のまま、65歳の生涯を閉じたのである。
その後、16年の長きにわたるピノチェト軍政下ですさまじい弾圧が行われ、アムネスティの調査によれば約4万人の人々が虐殺された。
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