日本人よ大人を逃げるな!-極右デモを人間の鎖で阻止したドイツ市民の勇気

ドイツのドレスデン市民が人間の鎖で極右デモを阻止
Dresden 13.Februar 2010Februar Naziaufmarsch in Dresden

 すでに超有名になっているニュースですが、あらためてドレスデン市民に敬意を表したいと思います。大きな勇気をいただきました。(詳細と動画はこちら)。

 たしかに欧州とは違い、日本において、ネオナチを社会的に克服していく歩みは、いかんせんまだはじまったばかりです。少なくともこの点においてはですが、日本社会は20年以上は遅れた段階と認識にあります。

 一方でそれは、(まだ人権擁護に対するバックラッシュがおこる段階にすら達していなかったとはもちろん言えますが)今までその必要が社会的にはなかったという意味では、逆に幸福なことでもあり、むしろ欧米に対する日本社会のいい意味でのバランス感覚というか、その長所を示すものですらありました。一般の人々の認識としても、日本で反ネオナチ運動が必要になるような日が来るとは思っていなかった人が大半だったと思います。

 しかしもう、そうも言ってはおれなくなりました。そういう意味で、このドイツ市民の行動には大きな勇気をもらいました。「自由の敵に自由を許すな」です。人を差別し、傷つけ、ましてや襲撃することを「自由」だの「言論」だのと呼ぶことは、先人たちが血を流した闘いの末に勝ち取ってきた尊い自由や言論に対する許しがたい冒涜です。(参照:何度でも言う。差別は「言論」ではない

 逆にそういうことをやめさせるためにこそ、この世からなくするためにこそ、自由というものが闘いの末に勝ち取られてきたというのに!まさしく自由とは他人から与えられるものではなく、ドレスデンの市民が示したように、自分で血を流して勝ち取り、また、闘って守り抜くものなのです。

 日本でも市民の良識とバランス感覚が健在であることを示しましょう。自分には関係ないと思わず、ほんのちょっとした勇気をみんながもちましょう。みんなが身近でやれることを少しづつやりましょう。なぜなら、ネットの匿名社会において、憎しみや差別を撒き散らすヘイトスピーチが現れたとき、言論の自由というものの意義をはきちがえ、それに一般の人々がちゃんと対処しなかったことのツケが今まわってきていると思うからです。

 人権教育を敵視さえしてきた自民党政権のもとでの教育の荒廃も問題ですが、今や子供たちはこういう大人たちのせいで、人を傷つける「言論」は、「サイトの主催者が禁止しているから」書いてはいけないんだとか思うようになってしまった。そんなのわざわざ決まりを作らないといけないほうが情けないわけじゃないですか。じゃあ、法律や規約で禁止されてなかったら、何をやってもいいのかって話ですよね。ついにはネットをイジメの道具に使う子供たちまであらわれてきた。

 ネオナチは憎しみや差別を組織化し、ヘイトスピーチを正当化することで育つのです。いまさらネオナチに流れる若者が増えたからと言って、毅然とした態度をとってこなかった私たちに、こういう子供たちを非難する資格があるのでしょうか。彼らは私たち大人社会の鏡なんです。むしろこの子らは人権が守られない今の社会の被害者でさえあると私は思っているのです。

 つまり、ネオナチの台頭は、たとえば列に割り込んだ人にちゃんと注意したり、傷ついて困っている人がいたらちゃんと声をかけてあげるくらいの、そういう小さな勇気、差別や偏見を当たり前に注意できる大人の態度、その程度の小さな良識を、市民みんなが持つことだけで充分に防げたのです。それはネットであろうがリアルであろうが同じことです。

 「困った大人にしないために」という公共広告機構のCMがありますが、「自分には関係ない」と見てみぬふりをせず、自分の子供の前でも、親がそういうことをちゃんとした態度で示すべきです。
 「左右対決だろ」みたいな言い訳してんじゃない。単純に「大人を逃げるな」ってレベルの話なんですよ。今まで権利の上に眠っておいて、お尻に火がついてから愕然としても遅いですからね。

 外国人排斥主義のファシスト側は、人々の憎しみやエゴや差別心をかきたて、それを正当化し組織化することで伸張しています。私たちはこれに対して人々の愛や連帯、思いやりの心を束ねることで対抗していくべきです。憎しみに対して憎しみで闘ってはなりません。それでは大衆は「どっちもどっちの左右(主義主張)の対立」としか見てくれません

 私たちの彼らに対する怒りの出発点は、すべての人間存在に対する愛と思いやりを基盤としたものであって、弱者を平気で踏みにじる者たちへの怒りであったはずです。

 もちろん彼ら排外主義者が攻撃をエスカレートさせている現在、今後は街頭で彼らの暴力と対峙し、これを撃退しなければいけなくなるような局面も予想されますが、どのような局面になろうとも、これが「憎しみVS憎しみ」の闘いではなく、人間という存在の内部における「愛VS憎しみ」の対決であることをいつも忘れないようにしてください。

 闘いは自分の外の誰かとだけあるのではありません。本当の闘いは自分の中にこそあるのだと私は自戒しています。もし、私たちが最終的に負けることがあるとすれば、それは彼らの憎しみの心に、私たち自身が汚染された時だけなのですから。

参考⇒壊れる前に…「市民の勇気」当日の写真など多数あり

(補足)
 ちょっと古くてドレスデンの件と直接の関係はないけれど、昨2009年6月の欧州議会選挙の頃、極右政党、イギリス国民党のグリフィン党首は議会前で 「移民排斥」を訴える 会見していたところ、反ファシズムの市民から卵を投げつけられ、大勢から罵声をあびてほうほうの態で逃げ出すという事件もありましたね。

 ヨーロッパではこのグリフィン党首が欧州議会選挙で初の議席を獲得するなど、「外国人排斥」などのレイシズムを掲げるファシズムやネオナチの台頭が世界的に懸念されています。しかしその一方で、民主主義が定着している国では、今のところ、ファシスト復活を数倍する勢いで、それに抗議する反ファッショのカウンター行動がおこなわれているようで、欧州市民の良心が示されています。これからは日本の市民も頑張らなくっちゃ、日本人の恥だよねと思う。

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22件のコメント

「在特会」を生で見る

毎月の第一水曜日に大阪駅前の歩道橋の上で、従軍慰安婦問題の解決を訴えるために「水曜デモ」というのが開かれているのだが、昨年の秋ぐらいから「在特会」が妨害に来ているということが2・11共同行動でも報告されていましたが、今日はその第一水曜日…で、大阪駅前に行ってみた…

こちらであまり強調することじゃないと思いますが、『愛国心』というものがどういうものかを深く考えさせるような教育をしてこなかったのも一因のような気がします。
むしろ、戦争の一因が愛国心にあると思い込み、きちんと教育してこなかった結果ではないでしょうか?

「何故、日本が好きなのか?」「どこが好きなのか?」「日本人として恥ずかしくない行いとは?」「日本を外国から見た場合、どう見えるのか?」
「行動した結果、『日本』という看板を泥だらけにしていないか?」「そもそも、国とは何なのか?」

『愛国』を掲げながらレイシズムに走る連中は、これらのことについて全く何も考えていないように思えます。
悪いことに、彼らを包囲するべき側(特に右側の方)も『愛国』とはどういうものか、かなり曖昧になっている感じがします。
かつての自分もそうですが、『憂国・想国の志』だけでこと足りると考えているから道を誤るのではないかと・・・・
大切なのは『人としてどうか?』という良心であり、その上で右か左かというのを論じるべき所を、良心抜きで論ずるからおかしなことになるんじゃないかと思います。

ちなみに、現在の自分にとって彼ら(レイシスト)がどう見えるのかというと・・・

うだつのあがらない連中が、冴えない自分の姿を直視したくないがために自らのアイデンティティを国家に重ね合わせることで、自己の認識を図ろうとする。
しかも、それは自分にとって都合の良い『脳内国家(ファンタジー)』であり、現実と乖離する部分を自分に説明するために『異分子』を設定して誰彼かまわずレッテルを貼りまくる。
劣等感から逃れたいがために、自分より弱い(と思っている)『異分子』を攻撃することで優越感に浸ろうとする。
弱者を攻撃するための口実として『国家(しかもファンタジーの方)』を持ち出そうとする。

・・・『愛国心』どころか、ただの自己満足に過ぎないように思えますね。

まぁ、自分にもそういうところがまったく無いと言えば嘘になりますが・・・(滝汗)
(『理想の国家像』くらいは持っていたいのです。ただ、それを口実に他者を攻撃するのは言語道断だと思うのです。)

しかし・・・中途半端に大義名分(『愛国』)を掲げているだけに、子供のイジメよりもタチが悪い・・・

>たけ(39)さん
意見を拝見して彼らは自己満足だろうという点に関してはそうだと思います。
更にご自分で書かれていますが、
恐らくたけ(39)さんご自身が一番レイシストな考え方の持ち主なんでしょうね……。
もっと他者を認める思いやりが大切だと思いますよ……。

そのレイシズムですが、
欧州のそれと日本では全く異なるものだという認識です。
海外では移民や難民に関して法によって門戸を開放したせいで、
深刻な社会問題にまで発展しているために、
極右を中心として暴言・暴力でもって排除しようという運動が活発になっています。
それに対して市民が人間の鎖で抵抗するという手段は素晴しいと思います。

現在の日本では、逆に中核派や在日コリアン勢力のほうが強いですよね。
それに対して我々市民は暴言・暴力で排除するより、
こうした人間の鎖で抵抗するのがいいのかなとも思いました。

右にも左にもブレないように。
何事にもバランスが大切です。

>まる さん

>恐らくたけ(39)さんご自身が一番レイシストな考え方の持ち主なんでしょうね……。

その辺は自覚しているからこそよく見えるのでしょうね。
自身の心の汚点をそのまま拡大して見せられているような感じになるからこそ彼等のことが許せないのでしょう。
実際、そういったものを持たない人は本当に自然体ですから。

欧州と日本のレイシズムの違いというのは歴史の違いそのものだと思います。
日本はずっと単一の民族であったのに対し、欧州は国を構成する国民が単一の民族であったという例はほとんど無かったと思います。
『力のある側が弱者を迫害する』欧州の歴史のほとんどはこの繰り返しだったのではないでしょうか?
挙句の果てはナチスの凶行ですから、ネオナチ等の姿は欧州の人達の目には『自分たちの愚行の歴史』そのものとして映っているんじゃないかと思います。
だからこそ本気で取り組んでいるのではないでしょうか?

右派同士の会話にどう入っていけば噛み合うのかわからないので激しく悩んでしまいますが、一応は左派の発想を理解していただくという意味で…

もちろん皆さん方は違いますが、よく政府の政策に批判的な考えを持っている人を「反日」とレッテル貼りしているのを見かけますよね。そんなレッテル貼りを常套している人から見たら、私なんて「反日」そのものなんでしょうけど(笑

で、もしもの話、そのレッテル貼りをまにうけた人からですね、「お前は日本のどこが嫌いで反日なのだ?」とか問われたとしますよ。で、つらつら考えてみるとですね、私、別に日本で嫌いなところってあんまりないんですよ。
つーか私、「日本が好きで愛している」と公言できますよ。だからこそ「日本」を少しでもよくしようと思っているわけじゃないですか。私の政治傾向を知らない友人からは「お前って典型的日本人だな」としょっちゅ言われるくらいですからね。

だって生まれ育った故郷であり、愛する家族をはじめとして、多くの人たちとそこで生きてきた土地ですもん。自然や文化も含めて好きですよ。「国」というのはその「日本」という記号で表されるものの一部であって、後天的な社会システムなわけでしょ。国籍というのもそのシステムの一部にすぎないし、だいたい「政治」だけが日本のすべてではありませんよ。まず何よりも現にそこで生きている「人間」が第一だと思います。「天賦人権・人賦国権」ということです。

そんな私から見たらね、「反日」とレッテル貼りしている連中の脳内にある「日本」というのは、現実にそこにある「日本」とは違う、どこか別の世界のイデオロギー的な観念の産物にしか見えないんですよ。その観念を現にそこで生きている人間の上位におき、さらにそのイデオロギーを正当化するために、そこから逆算して現実をなで切っているというか、世間で通用しないような不思議な理屈(純粋に机上の論理としては成り立つとしてもですよ)を次々とネット上で発明・流通させているだけです。そういう現実とは無関係に大量生産され続ける屁理屈に、いちいちつきあう気もないんですけどね。

要するに、私が純粋・素朴に好きな「ふるさと日本」と、こういう人の脳内にのみ存在する「日本」は別物だということですね。それを政治宣伝としては意図的に混同させようとしているわけですけれど。

結局、「日本」という記号の中には、山のような概念や現実や様々な立場とか利害の対立が含まれているわけで、単に「日本」とか「反日」とか語っても、単なるイデオロギーとしてしか意味を持たず、少なくとも現実の政治としては何も言ったことにはなりません。「愛国」とか「民族」という言葉も同様。そんなのアメリカと闘う小国の左翼ゲリラでもかつて普通に使ってきた言葉なです。スターリンは「祖国」を連発したし、北朝鮮にいたっては「民族」を連発し、日本共産党なんて「真の愛国者の党」で「米軍の駐留を認める右翼に愛国を語る資格はない」とか言ってますよ。

つまり現実の人間一人一人を離れたところで、そんな「日本」「祖国」「民族」なんて概念をアプリオリに語られても、特に積極的な意味はない。その何をどうしたいのか、だいたいそこに生きている人間にしても、様々な階級や階層の人がいるし、日本の国籍をもっている人ばかりでもない。そいういろんな人々で構成されている「日本」の中で、自分はこういう立場なんだと語っていただかないと、たとえば「日本を守る」だのなんだの言われても、それだけでは何を守りたいのかさっぱりわかりませんし、私には何も言うべきことがありません。つまり「日本」一般の利害なんてないと思います。よしんばあったとして、そんなの毒にも薬にもならない無難な意見にしかなりえないでしょう。

まあ「反日」とかレッテル貼りしている連中に対して何かいうとすればね、「あんたいつから全『日本』を代表するほど偉くなったの?」くらいでしょうかね。当たり前のことですが、ありとあらゆる「日本」をすべて代表するなんて、生きている人間には不可能です。それができるのは神様くらいだと思います。もちろん天皇も神様ではなく生きている人間の一人であって、「日本」の中の一部分なわけです。彼は人為的に作られたある種のシステム(諸関係)の内部においてのみ天皇なのであり、同時にその社会的諸関係の一部分である一個の人間にすぎません。そのことはたとえ右翼であろうと近代的な理性をもった人間なら、本当は誰でもわかっていることだと思います。

まるさん>

ごあいさつを忘れましたが、ご投稿ありがとうございます。
今回は思い切り左翼に走って書いてしまいましたが、また何かあればどうぞ。
ただしレスは期待しないでね(苦笑

> 現在の日本では、逆に中核派や在日コリアン勢力のほうが強いですよね

って初耳です(笑
単に「在特会」の構成員(公称6000人だったか?)との比較で言っているのかな?
単純に在日コリアンの人数(全人口の1.4%)で言えば、確かにこういう排外主義者よりは数は多いでしょうけど。
いや、それもわかんないかな。ネットの実感では排外主義者も3%くらいはいそうな気がする。

まさかと思いますけど、カウンター行動や集会に参加・賛同した人を全部「中核派や在日コリアン」に分類してませんよね?
だとしたら私も中核派に分類されてしまうが(爆笑

一応まじめに書いておきますと、中核派(系列を含む)は、つい最近まで、この手のカウンター行動には来ていませんでした。昨秋くらいから周辺の人や、中核派の本部とは袂をわかった反主流的な部分をちらほら見かけるようになったくらいです。もちろん個人的にはいたのかもしれませんが、それはわかりません。在日コリアンの方々についても、今までは個人的な参加にとどまってきました。

ただ、朝鮮学校の(よりにもよって)子供たちを襲撃して以降は、空気が変わっているんではないかな?(単なる私の予測ですけれど)。だって中核派がということではなくて、とにかくみんながかなり怒っていますからね。
さらに上にあるみさんの報告記事のトラバもありますが、関西の「在特会」では、いままで市民団体のビラまき活動を粘着に妨害してきて、そのこと自体が許せませんが、その枠をこえた暴力的な襲撃が日常化してきていると聞きました。

これは、いくらなんでもちょっと調子にのりすぎじゃないか(特に関西)と思いません?事態がここまで深刻化してくると、今後はどういう流れになってくるか予測はつきません。「在特会」にも内部にはいろんな人がいるらしいよとは聞きましたが、こういう他者への妨害や襲撃をする人を追い出して、自分たちの言論で勝負するように方向転換してくれたらいいんですが。あ、でもそれだと代表を追い出さないといけないか(爆

このままいけば、私は中核主流派を含めた「オール左翼」の連合とか、さらには左翼の枠を超え、関西地方限定で地域的な「反ファシズム国民戦線」が成立する可能性もあるとみています(これも私の個人的な予測にすぎません)。それはそれで、もし、私のこの希望的観測が実現したら、今までばらばらで何の力も持たなかった左翼に共同戦線の雰囲気をもたらしてくれるわけですから、まさに「在特会」さまさまだったよねというオチになりますが(笑

だいたい彼らが臆病者だから、弱いものイジメ専門に徹して、絶対に勝てるとか、絶対に反撃してこない市民団体とか子供とかばかり襲撃しているから、だんだんとそういう空気になるんですよ。私が現役の「過激派」だった時代には、右翼も私らの本部ビルをわずか数人で襲撃したりしてきたもんですがねえ。それが今では小学校を襲うとはね!まったく落ちたものですよ。

まあ、カウンター行動のほうが「強い」なんてのは(まだ)認識違いですが、彼らがこういう弱いものイジメを嵩にかかって続けるなら、今にどこかで足元ををすくわれるのは確かだろうと思っています。なぜなら私はそこまで「日本人」というものを卑下していないからです。今のうちに彼らが自制して普通の右翼団体になるのが一番いい。それだとこういう襲撃を楽しんでいる実行部隊やネトウヨ部分が離れてしまうでしょうが、そのほうが彼らにとっても将来的には正しい選択だと思いませんか。

草加さんのおっしゃるような、いわゆる『郷土愛』こそ健全なナショナリズムだと思うんです。
政治が介在しなければ、まず間違いなくそちらの方向に育つはずなんですよ。

しかし現実には、『愛国心』と聞けば『天皇陛下』とか『皇国』とか仰々しいものを連想する人があまりにも多いのです。
私はその理由を『教育してこなかったこと』ではないかと考えています。
もちろん『教育勅語』みたいな刷り込み型の教育ではなく、良心に基づいて自発的に芽生えた『何か』を肯定し、確信させていくタイプの教育なんですが・・
(小学校とかの『道徳』の時間なんかがそれに該当するのでしょうけど、自分の記憶だと教科書の内容をなぞっただけだった気がします。)

人間というのは自分がどれだけ正しい考えを持っていたとしても、周りがまったく違った考えを持っていて、しかも「それが正しい」なんて言われると、よほどはっきりした確信を持っていないと結構簡単に流されてしまうみたいです。
それに、『愛国心』云々というのは誰しも一度は考えることだと思います。
でもきちんとした教育を受けてこなかった場合、明確な回答というものは、なかなか見つからないと思うのです。
大抵の人は、自身の持つ『郷土愛』が『愛国心』に繋がると漠然と理解はしているはずですが、確信をもっている人はまずいないと思います。
そのようなときにある程度完成された『ネトウヨ理論』なんか目にしたらそれが『真実(健全な考え)』だと誤解する馬鹿が必ずいるんですよ。(GOさんのところの二人とか・・・)
しかも良心まで捨て去ってしまうほどの馬鹿が・・・(だからレイシズムなんかに染まったりするのでしょう)

そういうのを防ぐため、ある程度でも自分の考えを早いうちに持たせる教育が必要なんじゃないかと思うのです。

所詮は『借り物』なんですが、それを自覚していない馬鹿があまりにも多すぎる・・・

たけさん>

おっしゃっていることは、とてもよく理解できます。
どこかの町に行って「ああ、ここはとてもいい場所だな。好きだな」と思うこととか、自分の生まれ育った場所を「いいとこだよ」というのが、イコール右翼ということにはならないという意味で。バリバリの左翼の人たちにだって、そういう心情はごく普通にあるのですから。

おそらく普通の保守派から社民派にいたるまで含めて広範に同意できる、そういう意味では今の日本社会では「健全でまっとうな意見」に分類されると思います。だから、たけさんは私よりもネトウヨよりも遥かに多数派のお一人です。

ただ、これはたけさんにではなくて、このブログに来られる他の左翼の皆さんへの言い訳なのですが(爆
そういう素朴な郷土愛を、愛国心に結び付けて教育しちゃうということに私は賛成しているわけではないです。そこではまず「国」という言葉で何を代表させているのかを明確にしてもらわないといけない。国家という概念と郷土を無批判にイコールで結びつけられては困る。

別の言い方をすれば、心の中にまで国境線を引くような教育は害悪だと思う。目の前に困っている人がいるから助けたい。そのときに、その人の民族が何人だとか、国籍がどこであるとか、ましてやまったく初対面の人に「お前たちは・・・」なんて(ほめるにしろけなすにしろ)ありえないことを言うような大人になってほしくない。

たけさんの意見に戻ると、現状で「健全な愛国心教育」を国家主導で行うというのは極めて難しいか危険かのどちらかではないでしょうか。まず人権教育が行われていないところに、愛国教育だけを導入しても、それこそ、たけさんおっしゃる「誤解した馬鹿」が大量発生するだけのような。

「いや、そのあたりは中立に徹すれば」ということになるんでしょうが、早い話、私の語った「素朴な郷土愛」の中には、日の丸や君が代なんてもんは(日本の内部でも利害が対立する社会システムの一部だから)入る余地がないのですが、たけさん的にはそれでもいいのかな。「愛国心教育」を叫んでいる人にとっては、むしろそのあたりが肝になっているので、「それは違うんじゃないか」という話なのですが。

ALL>
今回、ひさしぶりに文章を書くための「マメ子さん」が降りていましたが、エントリーではなくて、あっちこっちのレスに全部使ってしまいました。

なので(おそらく)当分の間、目立つ場所での更新はありません。
次に降りてきたときこそ、エントリーに使いますので、どうか見捨てずにご訪問くださいませ。

草加耕助さま、お久しぶりです。

記事を読んで思ったのは、「日本なら、まず包囲デモに許可は出ずに、警察が両方を引き離すだろうな」ということと、「生卵を投げつけた人間が逮捕されて、極右が被害者然として我が物顔で振舞うであろうな」ということです。

今、直リンできませんが、「あらゆる暴力を許さないという言説は、結局は今ある暴力を黙認することである」という小生の考えを改めて思い起こさせました。

日本にあるケッタイな「非暴力主義」について、小生は激しい違和感を常に感じています。

TAMO2さん>

「いかにもありそう」じゃなくて、まさにそうなるでしょうねー。

蕨の時がまさにそうでしたもんね。
つーか、合法的に滞在許可がおりている13歳女児の実名を、「犯罪者」と横断幕に書いて、その自宅や学校周辺を練り歩こうとしたわけですから、これはファシスト側が先に暴力的な攻撃をしかけてきたケース。そこで最低限の行動としてとっさにその横断幕の掲示だけでも、体をはってやめさせようとした青年がいた。

これって、普通に考えたら、どう考えてみても英雄的な行いにしか思えないはずなんですよね。それが女児に名誉毀損行為を行ったファシスト側ではなく、それを止めた青年が逮捕された。全く恥ずかしいったらありゃしません。

イギリスでファシストが撃退されたニュースも、最大限市民側に好意的な映像に見えますが、日本で同じことがおこったら、卵一個で「テロじゃテロじゃ」と大騒ぎでデマ宣伝するんだろうなー。
なんせ(景気付けかなんかしらんが)背後でいちびってバクチク鳴らしたやつがいただけで、「爆弾を投げ込まれた」とか宣伝している(爆笑)くらいですからね。

>日本にあるケッタイな「非暴力主義」について、小生は激しい違和感を常に感じています

昔のやりすぎの後遺症じゃないですか?
非暴力と無抵抗はやはり違うと思いますがね。自衛の権利はあるはずですし、左派側は十分に今までやられ放題で我慢して、ファシスト側に自制の機会を与えたと思いますけどね。

ドレスデンの例は、京都の外国人排斥デモなら、1万人の市民が河原町通りを封鎖して、その先頭に京都市長がいたというようなもの。民主主義の力の差を思い知らされます。

あ、横レスすいません。

>> 現在の日本では、逆に中核派や在日コリアン勢力のほうが強いですよね
>って初耳です(笑

これは、包囲する人間の群れについてのことではないでしょうか。中核派というのは、恐らくはとりあえず思いついた活動家集団の名称に過ぎず、まるさんが仰ることは、活動家でない市民ではなく、殆ど活動家たちだけで包囲している状況――事実その通りだと思います――のことではないかと。小生みたいな「元」でも、正直入り難いんですよね、こういう行為は。何かに属しているわけでももうないし。(くそだいこ騒動のせいで色々関係を絶ちました。迷惑掛けないために。)

何やら草加耕助さんが たかしズムに書き込んでおられるのを見たので、とりあえず以下を目通ししてください、と、連絡。

—-
ぶさよでぃっくに関するエントリーではないがコメント欄にぶさよ軍団が湧いているもの。

<ETV特集「戦争とラジオ」>
http://takashichan.seesaa.net/article/142431559.html#comment
—-
TAMO2@xxx は、彼ルールではマルチらしいです。そういう人、ということで。

さて、たかしさんのbusayo_dicさんへの疑問は当然のことだと思います。しかし、その上で、busayo_dicさんの行為について「じゃあ他に何があるの?」と考えれば、小生は支持します。万人にとって納得できる行為ばかりじゃない、ということを知っているので。(学生運動をやってた頃、とある争議に関連して対象者を拉致・監禁をしたことがあります。モロ法律違反です(笑)。でも、他に選択肢はないと判断したし、今でもその判断は正しかったと思ってます。それにくらべると、busayo_dic氏の行為なんか可愛いものだ。)

TAMO2さん>

仕方がないのでしぶしぶ書きますが・・・

1、室岡さんとこへのコメントみたいに自分で持ち込んだ場合は別ですが、そうでもないのによそのブログのエントリーに書いたコメントについてまで、ここで唐突に連絡なり反論なりされましても、読んでいる人には何のことかわからないのではないでしょうか。基本はそのブログのコメント欄に(そこのブロガーさんが定めたルールの範囲内で)書いていただきたいと思います。それに決してみんなが知っているわけでもない、ネット上のローカルな揉め事について、それとは直接関係の無いエントリーのコメント欄に持ち込まれるのもちょっと迷惑感があります。そのために議論用掲示板があるわけですし。

2、私は一般論として警察も監獄も軍隊も必要で「正当防衛」という概念もありだと思っていますから、イコール暴力肯定論者で殺人も容認している者という結論になります。死刑という名前の人殺しについては廃止論者の肩を持つことが多いですが、本音の部分では揺れています。だから気色の悪い御都合主義のエセ非暴力論者と一緒にしないでほしいと思うし、合法だから何をしてもいいとも、違法なものはすべて不当だとも思いません。現実社会でも、そのあたりを調節するためにこそ、警察や検察に多少の現場権限が与えられているのであって、だからこそそれは恣意的に運用されてはいかんのだと思っています。実力闘争や、非暴力不服従、非暴力直接行動などはすべからく「違法行為」なわけですが、だからこそ人を感動させるような高い道徳性と自己犠牲精神の発露が必要なのであって、強者の攻撃から弱者を守るために他に方法がないなどの厳格な基準があると思う。自分の判断で好き勝手にやっていいというものではありません。

3、「○○に比べたらたいしたことない」なんて言い方は、ありとあらゆる残虐行為が人類史に刻印されている中では、ほとんどなんの意味も持ちません。比喩としてなるほどと思える場合にのみ、文章として「うまいこという」くらいの意味しか認められない。この場合はそれにあてはまらない。「自分がしたことにくらべたら・・・だから許してやってくれないか」なら文意はわかりますが、正当化の理由にはつかえない。

4、問題が発生する前のネット上の喧嘩については興味はないです。そんなものは論点になりません。参考程度のものです。ぶさよてぃっくさんがそれを理由にして、喧嘩相手のブロガーさんをリアルでつきとめて写真を撮ったり、個人情報をネットで公開すると脅迫したり、さらには本人のみならすその家族にまで対象を広げるような行為が許されるかという点については、さほど深く考えなくても「許されない」でいいと思います。ぶさよてぃっくさんがご自分でおっしゃっている正当化事由は、相手のブログにアクセスした時の、プロバイダのIPを公開されたということに尽きますが、たかがそんなこと程度では到底正当化事由にはなりません。

5、その行為以前のネット上の喧嘩についてはまったく独立した別の論点です。そこにおいてどちらに分があるのかという点については興味がありません。私は喧嘩屋ではないので、いちいちよその喧嘩に首をつっこんで口を出してまわる気はありません。そんなものは、別に政治系のサイトや掲示板だけでなく、趣味の世界でもえげつない事例が山のようにあると想像しています。自分の知らないところで知らない人同士の間で発生したものにまで、私が首を突っ込むいわれはありません。

6、いずれにせよ、ネットワーカー同士の喧嘩において、ネット外のリアルの世界で相手を直接に攻撃する行為に出るということは、それまでとはまったく違う世界に入っていくことは確かです。絶対にやってはいけないというよりは、それは今まで口喧嘩していた相手をいきなり殴りとばすのと同じことなのですから、世間の8割を敵に回そうとも我行かんくらいの、充分な決意と確信と覚悟がなければやってはいけない。つまり、ぶさよてぃっくさんはルビコン川を渡ってしまったのです。なのにそれまでと同じネット上の喧嘩と同じ気分しか持ち合わせておられないことについては、その常識感覚を疑います。

7、もし、ぶさよてぃっくさんが自分のサイトをサイバー攻撃されて、頻繁にダウンさせられていたくらいの事実があるのなら、話はずいぶんと違ってくると思います。その場合は、私の価値基準では「どっちもどっち」「どちらの味方もできん」くらいになります。

8、TAMO2さんやぶさよてぃっくさんの価値観にどうこう言う気はありませんから、プロバイダのIPを公開されたことがそんなに一大事だと思うなら、それはそれでご自由にやればいいでしょと思います。「私はそうは思いません」という以上には何も言えませんし、それで充分だと思っています。「他にどうすればよかったのか」という問いについても、事態の重要性についての認識という出発点が違うのですから議論になりません。これを「お前ならどうしたのか」という問いに読み替えるならば、「特に何もせずに放置した」ということになります。「草加耕助」というネット上の人格を、ネット上でいくら攻撃されても、「中の人」であるリアルの私は痛くも痒くもありません。ですがネットを離れてリアルの私が攻撃対象になるのなら、それはまったく別次元の問題であって、そこでは「草加耕助」というネット上の人格はもはや関係ないのです。それが私の価値観であって、その個人的な価値観に、TAMO2さんやぶさよてぃっくさんやたかしさんからとやかく言われる筋合いはないと思います。

9、いずれにせよ、私はこの話題について、そんなに熱くなれません。たかしさんとこみたいに「キャンペーン」を張る気もさらさらないし、正式にエントリーに取り上げる予定もまったくありません。つか、単にこの話題をとりあげておられるよそのブログに、ちょっと自分の感想を書いたにすぎないのに、たかがそれだけでここにまで(参照URLまで貼り付けて!)話題を輸入されるほど熱くなっておられることのほうが、私にとってはむしろびっくりで、大変に迷惑といった気分です。

10、こういった判断の基準になる事実経過については、現時点で確定しているというのが私の認識です(繰り返しますが、その中に「ネット上の喧嘩」は参考程度の意味しか私にはないので、いくら熱心に説いていただいても、たいして知りたいとも思いません)。ぶさよてぃっくさんがこれ以上エスカレートした行動をとられるならまた話は別になりますが、そういうことはないだろうと信じたいところです。

あんたはこういう行動を礼賛するがねぇ。
ドイツと日本とじゃ状況が違うんだよ!!!!!!
わかってるのか!?お前は!
在特会などの連中の行動は許すべきことではない。
しかしな、お前らニセ「左翼」の行動を権力側に逆手に取られて国民の政治的確信を失わされてることをわからないのか!?
はっきりいってお前が権力から金もらってない限り、単なる馬鹿としか思えないぞ。
お前らの行動こそが、国民からこういう問題から意識を遠ざける結果にしかならないんだぞ!!
仮にお前らが権力側を喜ばせる行動じゃないという行動だとしよう。
だとしたらお前らの行動はなんだ?
結局は在特会などの連中を喜ばせる結果になってるんだぞ!
お前らがああいう敵対的行動をしたところで、連中は行動を止めることは決してない。絶対にない。ありえない。
だとしたら、連中の行動を止めるには何があるか。政治だよ。政治。
選挙で政治家を生み出す以外に方法はない!曲がりなりにも民主主義の国でああいう行動で何かを変えられるなんてのは大間違いだ!日本共産党に集まれよ。ふざけたことはやめろ。

ひさしぶりに「ニセ左翼」呼ばわり キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

一応マジレスすると、本物の共産党のみなさんは、ありがた迷惑してると思うよ。「あ」さんは共産党の評判を下げるためになりすましてるネトウヨだという説が私の周辺では有力だけど。だとしたら、アクセスした人は「あ」さんの投稿を呼んで、共産党への悪感情を持つだろうけど、それはまさに思う壺ってわけだよね。

まあ、あんたこそニセモノだろうとか言い合っても仕方ないしね。一応は「本物だろうと推定しつつも、共産党にもいろんな人がいるってことだよ」程度に思っておきましょうよ、みなさん。

その上で、以前にも書きましたが、私は「馬鹿」と呼ばれるのはむしろ光栄なんですよ。
http://bund.jp/md/wordpress/?p=224
私が「バカ左翼」なら、あなたは「左翼バカ」ですね。

まあ、なりすましたネトウヨじゃなくて本物だと仮定しての話ですがね。
だって宮本顕治さん全盛時代に彼の「人民的議会主義論」を教条主義化していた時代ならいざしらず、今どきの共産党の人はここまで石頭な言い方はしないもんね。言葉使いも共産党ぽくなくて何か変だし、疑いは晴れないわけではあるけれど。

それはともかく、私はね、自分の正義感にしたがって、あくまでも個人的に行動しているだけで、それが結果としてサヨっぽくなってるだけなのよ。別の言い方をすれば、私にとっての左翼ってのはね、結果であり手段であり生き方なの。「左翼」が先に存在する目的のようなものではないのよ。

だから自分の考えにすぎないものを、人に押し付ける気もないし、逆に安全なところから、安易に人の人生を否定するのも許さない。ましてどっちが本物でどっちがニセモノなんて、競うもんではさらさらない。

だからね、「あ」さん、あんた人に言うからには日本共産党に「集まって」(←こういう言葉使いが本物っぽくないんだよな)活動してんだろ?
だったら頑張っておくれよ。あんた攻撃する相手を間違えてるよ。サヨっぽい人が全員、共産党の主張ややり方に同意できるわけじゃないでしょ。それを許せないとか裏切り者だの「ニセ」だの言っているようじゃ、30年前の共産党と何も変わらないよ。

あたしゃべつに共産党に対抗して運動してるわけじゃないんだよ。自分でやりたい、正しいと思ったことをまったく個人的にしてるだけさ。その個人として、一人の国民として、共産党には言いたいこともあれば、期待することだってあるさ。当然だろ?それも許せないかい?

私は自分が左翼であることに固執してないし、いつでも右翼に「転向」する覚悟だってあらあな。ただ「変節」だけは絶対にしたくないと思っている。

だからあなたと同じステージでは議論できないわけよ。わかってもらえるかな?それとも「何わけわかんないこといってんだこいつ?」と思うかな?

追記:
基本的には「あ」さん自身が思う方法で「在特会」と対決し、こういったファシズム潮流を社会から克服して見せることが一番だと思います。その時に初めて私(たち)を見返せばいいのではないでしょうか?

人がその目的のために一生懸命やっていることを「そんなんじゃだめだ」と、「ダメ」しか言わないで、自分は何もしない人、何もしないだけならまだしも、人の邪魔しかしない人が、相手や第三者から見てどんなふうに思われているか、いちいち教えてあげる必要もないと思います。

個人ではなくて仮にも「党」を名乗るなら、口だけの「うどん屋の釜(ゆーだけ)」政党ではいけません。ただ無力な主張を繰り返すのではなく、その主張を実現する「力」としたたかな戦略がなければ、誰も「集まろう」なんて思いませんよ。

「あ」さんがこんな書き込みをしても、喜んでいるのは右翼だけ。幻滅するのは市民です。それを目的にしたネトウヨのなりすましに私が釣られただけなら、何の実害もないのでちっともかまわないんですが、もしそうでないのなら、敵の前で頭を殴りあうのではなく、敵に対する実践で競い合いましょう。「あ」さんの実践の報告をお待ちしています。

何が共産党っぽいといわれても分からないね。
俺は共産党員だ。ちゃんと党費も納めてるし支部会にも出てるし活動にも参加している。党史は学習しているけどもあんたのいう「共産党の言い回し」なんかの本なんか無いしね。あんたらがやっているデモこそが右翼を利していると思うぞ。
何度でも言うが、あんなデモやったところで在特会が「ははぁー!すいませーん!もうレイシスト活動はやめまーす!」なんてやると思ってるのか?
馬鹿げてる。
社会を変えるには政治しかねーんだよ!選挙しかないんだよ!
あんたは俺をネットだけで活動している人間としか思ってないみたいだが、ちゃんと宣伝だってやってるし、ポスティングだってやってるし、赤旗も配達してるし、集金だってしてるし、電話かけだってやってる。それこそが日本を変えるたった一つのやり方なんだよ。
しかしニセ「左翼」どもはそんなことお構いなしに暴力行為じゃないか!そんなんじゃ変わるわけないだろ!
こんなこと言ってもネットなんだから俺のことをネトウヨだと思うかもしれないが、在特会のやってることなんてのは権力側から踊らされてる結果なんだよ!お前らニセ「左翼」と同じような利用をされているんだよ!用が終わったらお払い箱さ。お前らだっておんなじだろう!
みんなが共産党に結集すれば、社会は変わるはずだ!そう思わないでなんで活動ができるんだよ!
あーあーあー!どーせ俺は酒が入らないとまともなことは言えないさ!荒らしだと思われても仕方ないさ!共産党っぽくないといわれても仕方ないさ!
でも言わないとならないんだよ!!こんなに自分が苦しいのは原因があるんだよ!!
大企業や資本家やアメリカだよ!
あいつらのせいでみじめな生活をしないといけないんじゃないか!それを乗り越える方法があると知った時俺は嬉しかったんだよ!!!
俺は大学時代、自治会がニセ「左翼」系統でね。ニセ「左翼」に対する嫌悪感っていうのが人一倍あったんだ。あんたがたはニセ「左翼」は数が少ないからたいした問題じゃないみたいなこと言うが、大学という箱の中にいたらニセ「左翼」がいたらニセ「左翼」=「共産主義」になっちまうんだよ。
労働時間が短くなって、趣味をやる時間がたくさんできるようになって、そういう生活を手に入れる知恵があるって知った喜びがあったんだよ!
でもそれを阻もうとしている人間を知ったんだ!お前らニセ「左翼」じゃないか!
権力というのは凄いよな。共産党と似たようなことを言う連中を野放しにして国民が共産主義に対しての誤解を生みだそうとした手口は凄いよ。とんでもない悪知恵が働くよ。
あんたがネトウヨとやりあってるのも見てきたが正直全部読んでないからあんたがどういう人かもしらないし、こういうのはよくないのはわかってる。でも言わずにおられないんだよ!
「人民的議会主義論」っていうのはよくわからない。勉強不足で申し訳ないが。

なんかあんたのブログ直接書き込むと書き込みにくいからwardで一度書き込んでコピペして書き込んでるんで色々あんたの書き込みと対応してないところあるけどさ。
「押しつけ」ないでどーやって思想を広めることができんのよ?
在特会だって、結局はそれがいいことだと思ってやってる連中だろ?
そういう奴をどうやって説得するのよ。押しつけるぐらいの勢いがなきゃやれないんじゃないか?
本当の敵はマスコミ使って良いようにやってるわけじゃないか。それを上回る方法なんて無いと思うよ。
だから「対話」「宣伝」じゃないか。それをやってるのか?あんたは自分の思想を押し付けないというが、インターネットで発信している以上それは思想を広めようとしていることじゃないか。その目的が無ければこういうサイトを作るわけないじゃないか。あんたの「左翼バカ」の文章を読んだよ。俺は小利口か?こんなところで馬鹿な文章打っててそれが小利口な奴のやることか!?
頭のいいやつだけが思想を語れるのかよ!「馬鹿左翼」にだって思想を語りたいんだよ!くそ野郎!畜生!
あんたが心やさしい人間だってのはなんとなくわかるよ!でも暴力はダメだろ!在日とかどうでもいいんだよ!!同じ人間だろ!!なんで分からないんだよ!!わかってくれよ!!!俺だって辛いんだよ!しらねーんだよ!!わからねーんだよ!!畜生!!!畜生!!!畜生!!!!

草加耕助様。失礼しました。

メールでやったほうが良さそうでしたね。なお、上に書いた次第で、たかしブログに書き込むことは出来ません。

「あ」さん>

気持ちをぶつけてくれてありがとね。
なんだ、「あ」さんもバカサヨ仲間だったのか(笑

勘違いかもしれませんが、ひょっとして私が「利口」に見えるの?
それは違うよ。単に「自分の知っていること」を語っているだけ。
私の経験は偏っているからねー。

これは日常生活でもよく騙されるから気をつけないと。
「自分が知っていること」を語り続ける人って、なんだか物知りに見えてしまう。
実際にはそういう人が物知りとは限らない。ちょっと突っ込んでみればすぐに化けの皮がはがれる。
って、私に突っ込んで恥かかせるなよ(笑

それでですね、「わかってくれよ」というか、書いていることはわかりますが、こちらへの批判のポイントがわからないです。何か勘違いされておられるような。
「在特会」が許せないのは共通しているわけですよね。それで別に私は(そして具体的な反ファシズム運動をしている人も)、みんなで「在特会」を襲撃に行こうとか主張しているわけでもない。日常的にやっていることは、内容はともかく、外形的には「あ」さんがやっていることと変わらないと思うのですが。あと「暴力はダメだろ」というのは、「在特会」とか三里塚の機動隊に言ってくれと思います。私に言われてもという感じです。

それでいろいろつらつら想像しますに、どこか知らんが新左翼系の自治会のある大学でイジメられた体験と、共産党の公式な新左翼批判の内容がドッキングして、私(たち)に対する評価が確定しており、それを「当然の前提」として書き込んでおられるのかなと。そういう前提が私にないので、話がよくわからないのでないかと想像しました。

でもまあ、そういうことを言い出したらねえ(笑
私だって民青が自治会をとっている大学でさんざんにイジメられたし、暴力だってふるわれたし、そういう体験とドッキングさせて、反代々木系左翼の人が書いた共産党批判とか読みますと、「ほんとに共産党は民衆の敵だな」とか「共産党は権力者の味方をして左翼民衆運動を弾圧している存在だ」とか、「あんな運動をしている人の気がしれない」と思うようになるわけでね。

でもねえ、今さらこの21世紀の世の中で、そんなこと言い合ってもしょうがないでしょう。

——
(以下ちょっと人格を変えて書くので「あ」さん以外の共産党関係者は該当部分を読まないように(爆)

それとも、この場で、いかに「ニセ左翼」なり共産党や民青から酷ことされたか、右翼や「在特会」も読んでいる中で罵倒大会、暴露合戦でもしますかね?そんなネタなら私にだっていくらでもありますよ。それとさー、「ニセ左翼」かなんか知らないけど、もともと反・非代々木系の左翼運動って、ものすごく雑多で多様性のあるものなんだから、あまり一緒にしないほうがいいですよ。だいたい共産党の新左翼批判っていうのは、カクマルの政治主張と中核派の内ゲバやゲリラを並べて批判するという、絶対にあり得ない構造になっていることが多いですよね。まあ、絶対に結びつかない両者を並べて見せられたら、私だって「わけがわからんテロリスト集団」に見えますわな(笑)。

共産党とカクマルの二派は、よく「わが派と進歩的人民を弾圧するために、権力はわざと中核派などを壊滅させずに泳がせているのだ」とか「彼らは実は権力のスパイなのだ」とか言うんだけど、そんなアホな謀略論を信じているのは自分たちだけですよ。つか、よく現役時代には、「あいつらって、自分で自分の言っていること信じているのかなあ?」って話題になっていたくらいですから。直接聞いたら「信じている」って言うに決まっているから、本当のことはわからないわけですけれども。そんなこんなで共産党とカクマルっていうのは、当時の私にとってはほぼ同列の奴らという印象しかなくてね。カクマルには「第二民青」というあだ名があった。

実際にはさあ、私らって、道を普通に歩いているだけで職質されて鞄あけられて、機関紙とか持っていたらそれだけで逮捕って状況だったのよ。逮捕の理由は逮捕してから考えるってなあんばいでさ。毎日が必死でしたよ。これのどこが「泳がせ」で、これ以上、どう弾圧しろって権力に要求するわけですか?全部撃ち殺せとか要求するわけ?左翼同士はどんなに喧嘩していても、反弾圧・人権擁護についてだけは、どんなに嫌いな相手でも協力した。この左翼の常識が、共産党とカクマルにだけは通じないんだよなあ。つか、どっちかと言えば権力弾圧に協力するくらいだし。

(人格変換ここまで)
——
って、まあ、「あ」さんにとって不愉快な内容だった思うけど、別に不愉快にさせるために「反論」として書いたのではなくしてね、反対側から見たら全く違う世界があるということを知ってもらいたかったわけです。だからもう少し中立的な視点でみてほしい。私はとりわけ学生時代には、共産党の新左翼批判の文書なら、ヒステリックなものから冷静なものまでたくさん読んだから、自分としてはその定石はだいたいわかっていると思うけど、もうそんなのどうでもいいじゃないかという気持ちです。今さら共産党にうらみはないですよ。世の中の人から見たらどうでもいいこと。どっちもどっちなんですよ、そんなの。

さて、もし「あ」さんと私がお互いに、「なるほど、相手からはそう見えていたんだな、そりゃあんな酷いこともするわな」と互いに認め合えたとしてですよ、その上で、何か提起があったら書いていただければと思います。今のところ、「あ」さんの提起は
「市民活動家はそんな運動なんかやめて、全部共産党に結集せよ」
「おまいらの運動なんて何の力にもならない、共産党にはいれ」
としか読めないんですよね。私の理解力不足かもしれませんけど。

これねー、私も現役党派活動家だった時代に、「あ」さんに近いことを思ったり、思うだけならまだしも、学内のノンセクトの人に言っちゃったことがあって、党の上の人から怒られた経験がありますよ(爆)。最近も、なんか中核派の学生さんがこれに近いことを言ってしまってね、ネット上では揶揄の対象になってましたけど、私は笑えなかったなあ。

だからこういうことを説きたくなる気持ちは本当によくわかるし、批判も、ましてや馬鹿にしたりなんかはしないけど、いきなり共産党でやれと言われましても、ちょっとそれも急な話でして、もう少しその前に何か具体的にないだろうかと。
それと、「在特会」を許せないのであれば、むしろ自分なりにそのことを理由つきで先に書いていただければ、そこからスムースに話がすすんだかと。「在日とかどうでもいいんだよ」ってのは、ちょっとスルーできない発言ですが、今回は目をつぶります。

基本はね、「おまいらは間違っている!許せん!」みたいなネガティブな殴りこみよりも、「おれは具体的にこんなことしている、協力しろ!」のほうが個人的には嬉しいなあ。共産党のやっていることなら、私にだって協力できることだって沢山あるだろうしね。まあ、書き込み内容を強制することではないけどね。

あと、「あ」さんのレスを読んで、他にちょっと思うことがありましたので、それはこのレスとは別にエントリーとして独立させることにしますので、この書き込みへのレスも含めて、そちらのエントリーに継続していただければと思います。

朝鮮学校への攻撃をゆるさない!3・28集会

 共同アピールの賛同人・賛同団体の皆さん、すべての仲間の皆さんに、3月28日の京都円山公園野外音楽堂での集会の最新の要綱、およびこの日の在特会や主権回復を目指す会の動き(3月20日の段階で変更)についてお知らせします。

 この日、在特会らは、午後3時に京都朝鮮第一初級学校の近くの北岩本公園に集合し、学校にデモをしかけるという形で、朝鮮学校への三度目の襲撃を行なうと宣言しました(この日は学校は休日で誰もいませんが)。なお、彼らはこの日の行動開始時間を午前12時30分としており、北岩本公園に集合する前に何らかの予告無しの行動を予定している可能性もあります。また、在特会らは、朝鮮学校への襲撃にとどまらず、3月6日には在日コリアン生活センター・エルファへの襲撃、3月9日には朝鮮総聯京都府本部がある朝鮮会館への襲撃など、京都において在日朝鮮人への直接的な襲撃をくり返し…

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