だいたいの20日の経過については、前のエントリのコメント欄に、速報として書いたとおりで重複しますが、遅ればせながらの勝利報告です。
⇒画像報告 ⇒twitterでのリアルタイム報告
◆封鎖阻止闘争は全面勝利!
結論から申しますと、成田空港株式会社(NAA)が看板で通告していた、20日からの団結街道の廃止は当面なくなりました。そういう意味ではこの日の阻止闘争は全面勝利となりました。NAAは私たちの封鎖阻止闘争を受けて、マスコミの取材に対し、「20日より通行できません」という看板の趣旨について、「廃道という意図ではありませんでした」という、論理整合性のとれない意味不明のコメントを出しました。「通行できなくなる」ことがなんで「廃道ではない」ことになるのかわかりませんが、要するに事実上、看板の内容を全面撤回させたということです。
実は成田市は、第3誘導路計画が認可すらされていないのに、団結街道を廃止して市東さんの生活を破壊するのはおかしいではないかという、市東さんの申し入れに対し、「公道でなくなったからといって、その必要もないのに廃道にすることはできない」と説明していたのです。だからこそ市東さんは、NAAの一方的な「通行禁止」の立て札に猛然と抗議したわけで、その抗議はどういう立場から見ても正当だったのであり、空港会社のほうがデタラメを言っていたわけです。この看板はNAAが法的な根拠もなく、しかも成田市や千葉県警も全く知らないうちに独断でたてたものであり、その内容自体も虚偽であったのです。寝耳に水の成田市は、ひっきりなしに鳴る抗議電話への説明に追われることになりました。市東さんの逮捕に対する全国からの抗議は、それが正当なものであるがゆえに、自分の正当性を全く主張できない成田市やNAAを動揺させ、この日の勝利につながる大きな役割をはたしました。
このような事態なのに正当な抗議をした市東さんだけを逮捕したのは、全く不当であったことが明らかになりました。毎日畑にかよう生活道路を、事前の行政側の説明を無視して勝手に封鎖されようとしたら、そりゃ誰だって抗議しますし、そんな虚偽の内容の道路標識を掲示するのはやめさせようとするのが当たり前だったのです。もし自分の自宅前でどこぞの株式会社が、行政にすら無断でそんな看板を立て、生活道路を独断で封鎖しようとしたらどう思うか、読者の皆さんにはそういう当然の想像力や常識感覚をもってほしいと思います。
ですがこういう当たり前のことでさえ、市東さんが体を張ってまで抗議し、全国の人々が成田市やNAA、警察署に抗議や問い合わせをおこない、市東さんの畑にかけつけて「本当に廃道にするなら体を張って阻止する」という姿勢をみせて、やっとこさ空港会社も自分が間違っていたことをしぶしぶ認めたということです。誰も抗議しなかったら、いったいどうなっていたことか。法律がどうであれ、そしてそれがどんなに正当な主張であれ、運動的に勝利していかねば民衆の権利は何一つ守られません。そのことの重要性がしみじみわかりました。
もちろんこの勝利は緒戦での勝利であって、団結街道を横切り、市東さん宅やその畑を空港内部に閉じ込めてしまうことを目的とした、第3誘導路計画がなくなったわけではありませんし、市東さんは未だに勾留されたままです。運動潰しの本命は第3誘導路計画であり、団結街道の廃止はその前提であるわけです。本日(24日)には、第3誘導路計画認可のためのステップである公聴会が成田市内で予定されており、それへのカウンター行動も組まれています(詳細はこちら)。
◆前日の夜から現地入り
さて、その20日の報告ですが、平日の緊急行動ということもあり、われらが三里塚勝手連からは、私と中野由紀子さんの二名の参加となりました。何しろ早朝7時までに三里塚現地の市東さんの畑に集合というスケジュールであり、たしかどこかのブログには「可能な方は前日から現地入りしてください」と書いてあった記憶があったので、中野さんとも連絡をとりあって、前日の夜から都内を出発、雨の中、市東さん宅前に到着したのは深夜0時頃でした。
私たちは勝手連なので、事前連絡なしに勝手に駆けつけたわけで、こんな夜中に押しかけるのもはばかられ、市東さん宅の一角にある監視やぐらの明かりを頼りに、その脇の木の下に陣取って朝を待つことにしました。やぐらの上で徹夜の監視行動を続けておられる支援の方がおられまして、軽く挨拶をかわしましたが、他に支援の姿は見えません。てっきり「前日から」という呼びかけがあったので、そういう支援の人が他にもいるのかと思ったら私たち二人だけ。雨が強くなる中でカッパを着たまま木の下に座り込んで寝ましたが、そのうち私服刑事の車がきて、嫌がらせ的に長時間、顔をライトで照らされ続けるわ、そのうちカッパの中にまで水がしみてきて服がぐっしょり濡れるわで死ぬかと思った(笑)。
この時にやっと、そういえば「前日から来てほしい」と書いてあったのは、反対同盟のブログなどではなく、中核派のブログで見た文言だったと思い出した。こりゃちょっと失敗だったかと思い始めたころ、反対同盟の方が迎えにきてくれて、市東さんちの納屋の中に、泊り込み組(つーても私らだけだが)のための寝床を用意してくださって本当に助かりました。リアルタイムで状況を送っていた旗旗のツイッターなどを見て「畑で寝ている人がいる!」(爆笑)と、「市東さんの農地取り上げに反対する会」の方が現地に電話をかけてくださったらしいです。見張りに立っていて私らと声をかけあった支援の若い方が「いやー、気が利かなくて申し訳なかった」とわざわざ納屋まで謝りにきてくだすって恐縮しました。こちらこそ勝手に押しかけてご迷惑をおかけしました。
そのうちやっとこさ夜もあけてきまして、午前5時前には農民や現地に詰めていた支援の方も集まりはじめました。解放派の若い現闘の方は私たちをいろいろと気遣ってくださり、「現地以外からは一番乗りですよ」と言われました。じっとしていてもしょうがないので、勝手連の旗を立て、団結街道を通って集合場所の市東さんの畑に向かいました。そこで雨よけの簡易テントをたてておられた方に、「何かすることはないですか」ときいて、参加者のために掘られたトイレの便器などの掃除をしました。市東さんの畑の中に入ったのははじめてですが、本当に美しい畑です。三里塚の土はどこも肥えていて、素人目にも素晴らしい農地なのですが、特に市東さんの畑は本当に土や作物を慈しむように手入れされていることが一目見てすぐわかります。これだけ手入れが行き届いて雑草ひとつ見当たらないのに、くるぶしまでもぐってしまうくらいまで耕された柔かい土の上には、足跡ひとつ残っていません。まるで手品か魔法のようです。
そういえばここはいつもデモの解散地点なのですが、デモが解散地点に着くや否や、いつも市東さんはすぐに自分の畑に入って農作業をはじめてしまう。本当に暇さえあれば畑にいるという感じで、その姿は耕すというより、慈しみ、抱きしめんばかりに見えます。そんな市東さんは、今頃どんなにやきもきして、畑のことを考えているでしょうか。市東さんを取り戻すまで、絶対にここには薄汚れた手で指一本たりとも触れさせたくないと強く思いました。
さて、私はてっきり当日から団結街道の封鎖にかかってくるのかと思っていましたが、見張りの機動隊も特に何も言うことなく、遠巻きにしています。私たちは団結街道を普通に何度も往復し、それどころか宅急便のトラックなど、一般の車両もごく普通にバンバン通行しています。封鎖を通告した当の本人であるNAAなど、影も形も見えません。まさに「20日から封鎖」などという状況にはほど遠い状況で、時間と共にどんどん集まってくる参加者が団結街道を端から端までパトロールしたり、反対同盟の宣伝カーが走り回っても、私服や機動隊は何一つ介入してくることができません。
団結街道一帯を私たちが完全に制圧する中、中間報告の集会が開かれて、NAAが主張を撤回したことが報告され、完全勝利が確認されました。午後4時で勾留期限の切れる市東さんについても、この段階で正当な逮捕の理由を完全に失ったこともあり、これ以上の抗議闘争の継続・発展を防ぐ意味でも釈放されるのではないかという雰囲気がありました。そのまま引き続き、団結街道には見張りだけを残して、千葉地裁での市東さんへの激励行動に向かいます。時間が迫っていますし、私たちは移動手段がないのでそのまま残るつもりでしたが、関西実行委の方が、「車に空があるから乗っていかないか」と私たちに声をかけてくださいましたので、お言葉に甘えて便乗させてもらうことにしました。ただ、市東さん宅の庭で鈴木加代子さんが用意してくれていた、炊き出しの味噌汁を飲めなかったのが心残りでした。
◆市東さん激励行動へ
車で千葉市内の地裁に到着しました。なんでも裁判所と検察は地下通路でつながっているらしく、市東さんがどちらから出てくるかわからないということで、私たちは二手にわかれて待ちます。釈放かと思われていましたが、地検は裁判所に10日間の勾留延長を請求したようです。これは市東さんをさらに痛めつけるとともに、一緒に「公務執行妨害」で逮捕した活動家一名を、もう少し勾留しておきたい、そのためには「妨害」の本件である市東さんを釈放するのはまずいということらしい。そんな理由で必要もない人間を10日間も獄につなぐという重要な行為を、何も考えずに平気でおこなえる本末転倒な感性を疑います。
裁判所の本審査の前に、裁判官と事前折衝をした遠藤弁護士よりの説明がありました。市東さんには勾留の必要条件とされている「逃亡のおそれ」も「証拠隠滅のおそれ」も全く考えられないことのほかに、その罪状とされている「器物損壊」について、そもそもNAAの看板自体が虚偽の内容を記載した違法道路標識なのであるから、器物損壊の構成要件を満たさず、罪自体が存在しないことが明らかなことを強く申し入れたということでした。しかしながら、現在の司法の中で、検察が出した勾留請求が裁判所で実質的に審査されて却下されるのは、0コンマ数パーセント、つまり1%もない、無罪判決に匹敵する状況であるということでした。案の定というか、しばらくして、市東さんの勾留延長が決定されたという報告がありました。
これは余談ですが、法政大学弾圧で逮捕された学生たちは、検察の勾留請求を裁判所が却下して釈放されています。逮捕自体がむちゃくちゃな人権侵害でしたから、これはあまりに当然のことなので見過ごしがちでしたが、これは本当に稀有な事例だったのであり、それだけ逮捕がひどかったということであって、勾留請求却下は逮捕された学生たちの無罪判決に匹敵したということです。にもかかわらず、この公権力による人権侵害である逮捕に抗議するどころか協力し、あまつさえ、裁判所の無罪判断のあとに、逮捕を理由として学生を処分した、法政大学当局が、「学問の府」としては失格であり、普通の感性に照らしてもあまりに非常識であることをあらためて再確認しました。
それはともかく、そのまま私のいた一団は検察前のほうに待機し、ときおり抗議のシュプレヒコールなどをあげていました。私は前夜から雨の中、ほとんど一睡もしていなかったので、気がつくと道に座り込んでいつのまにか少し眠り込んでしまったようです。警察などは遠くから見ているだけでしたが、何しろ市東さんの正当性が明らかになり、不当なのはNAAだったことが確定しているのですから、完全にこちらのほうが雰囲気として押しています。警察側は、これ以上刺激して抗議や怒りが大きくならないように神経質になっているようでした。
やがて裁判所前にいた人たちから、「こっちだ!」という知らせが入り、私たちは走って裁判所のほうに移動します。市東さんを乗せた車と、一緒に逮捕された支援連の方を乗せた二台の車が車庫から出てきます。窓には濃いスモークが貼られていて、よほど近づかないと顔が確認できません。それでも車が動き出すと、私たちみんな、「市東さーん!」「頑張って!」と必死に追いすがり、窓をたたき、声を限りに追いすがりました。車が走り去り、市東さんらが連れていかれるその後ろ姿を、声をからして見送りながら、不覚にも涙が出そうになりました。何かしゃべると本当に泣きそうで、なんだかカッコわるかったのでじっと黙っています。ふと後ろを見ますと、中野由紀子さんは本当に泣いておられました。「大丈夫だと思っていたけど、涙が…とまらない」と目頭を押さえておられます。声をかけたかったけど、そうすると私までボロボロ泣きそうだったので黙っていました。
この日は、今後の第三誘導路計画との闘い、そして市東さんの農地強奪裁判闘争への支援連帯を確認して解散。みんなと別れて帰宅いたしました。やはり雨中の夜明かしがたたってかなりフラフラでしたが、精神的には勇気をもらいました。今後とも多くの皆さんと共に、できる限りの支援と注目をしていきたいと思います。
参考】反対同盟声明
弾劾声明
三里塚芝山連合空港反対同盟
(連絡先)事務局長・北原鉱治 成田市三里塚115
5月17日に警察権力が強行した市東孝雄さんと支援者1名の不当逮捕を、反対同盟は満身の怒りをこめて弾劾する。どこから見ても正当な市東さんの抗議に対して、寄ってたかって暴行し、あろうことか手錠をかけ、かけつけた支援者を数にまかせて押さえ込み、2人をパトカーの中に押し込んだ県警・機動隊と成田警察署の所業は、断じてゆるすことのできない暴挙である。反対同盟はこの暴挙を徹底弾劾し、市道(団結街道)閉鎖阻止、第3誘導路認可・着工粉砕の実力闘争を決意する。
空港会社が設置した看板の掲示内容は、事実上、団結街道の閉鎖通告である。一部が空港会社の私有地だからといって、団結街道全体の機能を奪うことが、どうしてできるのか。通行止めする道の先には、市東さんのもうひとつの畑がある。じつに卑劣で悪らつな屈服要求なのだ。しかも、看板は「5月20日」の期限のわずか3日前に、断り無く立てられた。
「管理期間満了の5月20日から1~2ヶ月間の払い下げ手続きが済むまで閉鎖は難しい」と答えた片山成田副市長の回答は、まったくの虚偽だったのだ。
市東さんの怒りは正当、抗議は百パーセント正義。市東さんを守るために闘った支援者の闘いもまた百パーセント正義である。
そもそも、空港会社が市道廃止の口実にあげる第3誘導路計画は、暫定滑走路の破たんの結果の場当たり的なものである。見よ! 昨年7月に供用を始めた2本目の誘導路はいまや無用の長物と化している。「羽田ハブ(基軸空港)」への転換と、世界的大不況による航空資本の破たんのなかで、空港会社はかつてない危機にあえいでいる。第3誘導路計画は、これによる無理・無謀の終着点である。このようなものに、天神峰・東峰、飛行直下の住民の命と暮らしが踏みにじられていいはずがない。
しかも成田空港は、朝鮮有事の際の米軍作戦計画の拠点にされており、戦争・改憲攻撃の中で、その軍事化がますます切迫している。軍事空港建設阻止の三里塚闘争は、沖縄の反安保・基地全面撤去の闘いとひとつである。
労農連帯の旗のもと、農地を守る市東さんの闘いは三里塚闘争の、まさに象徴なのである。
市東さんは「自分は元気です。私は頑張りますから、皆さんも頑張って下さい。これで俺たちは本気だということを、空港会社に知らしめることができた」と力強く呼びかけている。
全国のみなさん! 市東さんの闘いこそ、三里塚に脈々と受け継がれる実力闘争の精華である。この決起に応えて、とことん闘おう。不当逮捕徹底弾劾! 不当に勾留されている市東さんと支援者を即刻釈放せよ! 団結街道閉鎖阻止! 5・24公聴会粉砕! 5・25市東さんの農地裁判を、法廷をゆるがす怒りの大闘争としよう。
2010年5月20日
参考リンク
◆市東さんの決起に応え、閉鎖を打ち返した(反対同盟ブログ)
◆市東さんへの不当弾圧弾劾!団結街道封鎖を許さないぞ!(関実・三里塚)
◆5月20日、早朝から市道を監視しました(市東さんの農地取り上げに反対する会)
◆現場から(農家便り)
◆かけつけられないけど せめて(つぶやき手帳)
◆ああ。団結街道(ニャンケのブログ)
◆団結街道は当面守られたが、市東さんの拘留が続いています(たたかうあるみさんのブログ)
◆市東さんが弾圧された!(不条理日記)
◆ある国のある農村の話(ネクラのみ来ん)
◆市東さんに10日間の勾留、地裁前で弾劾と激励に決起!(『前進』速報版)
永田町政治の手のひらの上
国会前、三つ並んだ議員会館の前の歩道ということですが、たいがいそこへ集合して、スピーチしたりシュプレヒコールしたりというのが、運動のパターンですね。
あー、でも日本政府が嫌がって、アメリカ政府も、あんまり日本に無理強いするのはやばいかな、と思うのは、国会前にいって気勢をあげるのではなくて、アメリカ大使館前にたむろすことだと思う。
スタンディングに許可はいらないといっても、交通の妨げだとして、すぐに排除されますけどね。
国会前のヒューマンチェーンの人数が、アメリカ大使館前に集まって、中には日の丸を振る参加者がいたら、運動シーンは変わると思う。
これが他の国ならアメリカにたいしてアクションするのは当たり前だと…
いつも楽しく拝見させていただいております。
闘争ご苦労様です。
市東さん、萩原さんへの逮捕、許せませんね。
微力ながら応援しております。
頑張ってください。
リンク、お断り
削除してください
たかがコメントにも
nameとmailadressを入力強要するのは、権力の情報収集と変わらない
三千光年さん>
すべてのサイトの管理人のハンドルネームを記憶しているわけではないので、何を削除すればいいのか、しばらくかかりましたよ。たとえこんな形でも、はじめて書き込んでいただいたことはとても嬉しく思います。要請は受け入れたいと思います。
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5)以上の原則を確認表明しつつ最後に申し添えます。左派(に限らずあらゆる社会運動)は、社会のあらゆる場所、あらゆる階層に浸透し、味方を作っていかなければなりません。敵がおさえている領域の中にさえです。その意味で従来の左翼運動は、まったく逆に、ありとあらゆる味方の中に「敵」を設定し、権力と闘うよりも、この味方の内部に設定した「敵」を叩くことのほうにより血道をあげる傾向があったと思います。そのことのために左翼は民衆から見放され、労働者から遊離して壊滅していきました。私はこの左翼の負の歴史を、せめて私個人の範囲内だけででも、克服し、乗り越える発想と行動をとりたいと思っています。その意味で、こういう好意的なリンクでさえ許容されなかったのは残念ですが、いっしょにやれないのなら無理にいっしょにやる必要はないし、敵対しあうのではなく、「別個に進んで共に撃つ」の精神で対処していきたいと(たとえそれが私の側からの一方的な態度表明になろうとも)考えます。
末筆になりましたが、三千光年さんの今後のご健闘、ご健筆を(皮肉や社交辞令ではなく心から)お祈り申し上げます。(以上)