熱田派反対同盟の旗開きへの参加報告(後編

投稿者:草加 耕助
加瀬勉さん
挨拶する加瀬勉さん

  動画の編集を先にやっていまして、続きが遅くなりました。先日書いた前編では、事情を知らない方には意味がわからないかと思い、報告とは直接には関係のない円卓会議のことをくどくど書いて長文になってしまいました。おかげで、柳川さんに対して、やや非難がましい書き方になってしまい、後悔すると共に、いまさら心を痛めています。

 非難されるべきは、だまされた農民よりも、だました政府・空港会社のほうです。まずそのことを念頭に置いて報告は報告として書き、円卓会議やそれに参加したことの評価(総括)は別にまとめて整理するべきでした。それをごっちゃに書いたので、何が言いたいのかさっぱりわからない駄文になってしまいました。読者および柳川さんや関係各位の皆様には謝罪いたします。

加瀬勉さん-「原則を堅持して闘おう」

加瀬勉さん

 さて、その上で続きを書いてしまいます。柳川さんに続いて、加瀬勉さん(多古町農民・反対同盟大地共有委員会代表)の発言がありました。

 加瀬さんはまず第一に「20万回、30万回飛行という人権蹂躙、人権侵害を回復させるために断固闘う。あらゆる手段で闘う」と力強く語りだされました。
 第二に具体的な課題として、24日からの一坪共有地強奪のための裁判、そこにおける証人尋問を、「一寸の土地も譲らずに闘う」こと、第三にTPPによる日本の農業破壊との対決、そして第四に沖縄普天間基地などの問題をあげられ、「全国の反戦、反権力の勢力との共闘」、「常に原則を堅持して闘うこと」の重要性などを述べられたと思います。

 次に加瀬さんはこの1月31日に、関西三里塚闘争に連帯する会の主催による「関西三里塚闘争旗開き」に招かれていることをあげ、「私は『講演』をしにいく気はさらさらない。覚悟を求めにいくのだ」と述べられました。
 「(管制塔(占拠闘争)以降私は、全国戦線には出ない、ずっと三里塚にいるということを、政治組織と約束した上でやらせてもらってきた。そのことを初めてあきらかにするけれども、関西に呼ぶということは、その禁をそっちのほうから破らせるということだ。ならばそれ相応の覚悟をもって呼んでほしい。私もこれを人生の転機とする覚悟をもって行く」と述べられました。明らかに、今年は去年までとは違うのだという決意がみなぎっていました。

 加瀬さんは参加者の中では一番か二番目にご高齢のはずなのですが、同じく最高齢を争う高見圭司さんと並んで、このお二人が一番元気がよかった。なんだか萩原進さんの話を聞いているような気になりました。本来それが当然なんでしょうが、加瀬さんのお話は萩原さんともそんなには矛盾しなかったです。

 思えば、現役時代の私から見て、加瀬さんは本当に「一坪再共有化運動の権化」みたいな人に見えていました。当時の現地攻防として、成田用水攻撃や「話し合い」攻撃など、三里塚勢力が一丸となって対処せねばならない具体的な課題がある中でも、なんか「再共有化」しか言わない人というイメージがあって、そういう意味では齟齬を感じていた人です。

 ですが、とにかくブレない。自分の戦略が一貫していてその点では断固とした人でした。そんじょそこらの農民より三里塚闘争歴だって長いし、三里塚のために命を賭けているという点では、私など足元にもおよばない人です。そして今や事業認定も失効し、強制収用手続きも不可能となりました。そんな中で、一坪共有地が敵にとって大きな障害の一つとして立ちはだかっているのです。

 なにしろ、あの中核派でさえ、かつては一坪再共有化に応じた熱田派の協力者に、テロ恫喝をもって「共有者から降りろ!」と脅し回っておきながら、なんの総括も謝罪もなく、その同じ人に「共有地の維持を呼びかける」などと表明し、中核派にさんざん脅された人々から、激しい怒りや失笑をかっているくらいです。

 ことここにいたっては、加瀬さんの言葉が私の中で大きく位置づくものであるのも当然と言えば当然のことです。かつては「脱現地攻防派」の人々の象徴だった一坪再共有化運動が、空港会社側の共有地取り上げ策動の全面化のせいで、むしろ現地攻防の環の一つとなっている。

加瀬勉さん

清井礼司弁護士-「空港会社は何の権利も取得していない」

清井礼司弁護士

 そして次に清井弁護士より、今後の裁判の進め方についての報告がありました(⇒動画)。まず、この提訴そのものが、「決して強制的な土地取り上げはしない」と閣議を通した政府の約束に反するものであることも裁判の中で主張していく。さらに「再共有化運動の思想を法律問題とセットにして主張していく」という方針を示されました。

 これはどういうことかと言うと、熱田派の「再共有化運動」による一坪運動は、「空港反対運動の全国化のため」として提唱されたものです。この点が北原派系の党派からは「全国の不特定多数に土地の権利をばらまく」と批判されたわけですが、その契約内容は「空港に反対する意思と目的」のための権利取得ということが重要な要素になっています。
 つまり、具体的にその土地を使用・収益することを前提とした権利を、共有者は最初から取得していないという構造になっているのです。土地を使用・収益する権利(本権)はあいかわらず元の権利者にとどまったままになっています。

 ゆえに、この契約は、一坪共有者が共有地に出かけていって、何かしらの具体的な権利を主張できる性質のものではないのです。83年以降の熱田派の再共有化運動で取得された共有権は、本権者が「空港反対の意思」を放棄しない限りは、土地の使用について本権者に口を出すことができない、名義だけしか主張できない、そういう「空港反対の意思と目的」から切り離すことのできない権利(契約)だったわけです。

 つまり、空港会社が買収した共有権も、そういう「空港反対の意思」とセットになった形式的な名義を承継したにすぎないわけで、それをいくら集めたとしても、土地を空港建設に使用することはできません。この点は土地の本権利を分割した北原派の一坪共有地裁判とは、かなり性格が違うものとしてあるそうです。

 次に万が一、この点について裁判所が理不尽な判決を下し、空港会社がここを突破したとしても、次にはその上に建っている建物がある。土地を取られても、それだけでは建物に手をつけられない。民法の規定によれば、建物の所有権は、材料を提供した人、具体的に労力を提供した人などの共有物になります。このあたりの権利関係を、当事の歴史を掘り起こしてこと細かく立証して反論していく方針だそうです。

 そしておそらく空港会社は、建物の権利を取得してこれを撤去するための理論がまだないのではないか。一坪共有地を取られても、その上の建物を撤去しなければ空港はできない。とりわけ横風用のC滑走路はできない。するとおのずから飛行回数の上限は狭まって、「30万回飛行」などの生活・営農破壊を阻止していくことにつながる。そして、もし理不尽にも建物を破壊しようとしてきた時には、「私もその現場にかけつけて一緒に闘う。皆さんも共に闘おう」と結ばれました。

2011.01.16.三里塚反対同盟(熱田派)旗開き4/8-清井礼司弁護士の報告

「『続』木の根物語プロジェクト」からの報告

木の根ペンションプール再開作業へのカンパ(2011年反対同盟旗開きにて)

 主催者の3名からの発言に続き、支援挨拶のトップとして、『続』木の根物語プロジェクトの大森さんからの報告がありました。

 大森さんは昨年末の東峰現地行動で生まれて初めて集会で発言されました(⇒動画)が、その時は「木の根ペンションのプール再建に個人として取り組む若者」という紹介でした。その後、三里塚の闘争とは関係なかった若い人を中心に、何人かの人々が協力を申し出て、ついに今回は個人ではなく、「プロジェクトからの報告」という形になりました。

 大森さんご自身は、ご父君が若いころに支援として三里塚闘争に参加していた縁から、木の根やプールのことは幼少時の思い出として心に残っていたそうです。その彼が、自分では直接にかかわっていなかった三里塚・木の根を、誰に言われるでもなく突然自分から訪問した心の経緯については、協力の要請ともども文章にして旗開き当日の参加者に配られています。当エントリの巻末に転載しておきますのでお読みください。

 報告の中で大森さんは、プールにたまっていた2トン以上にもおよぶ泥を、すべて人力でかきだす(これは想像以上にすさまじいことです)など、作業が順調に進んでいること、いつの間にか数人の若者らなど協力者が増えてきたこと、今年の夏にはプール開きができそうなこと、それだけではなく、ここを会場にして小川プロの作品などを借り、「星空映画祭」を開催したいなどと今後の夢を述べられました。

 大森さんの「木の根を自分の子供の頃のような、人が集まるにぎやかな場所にもう一度したい」という、ほとんど執念のような熱意には頭が下がりました。そして、私(たち)のようなかつての空港反対派よりもずっと下の世代が、私(たち)が誘ったわけでもないのに、自力で三里塚に集まり、ネットワークを築きつつあることが何より嬉しかったです。ご父君が使用していたというヘルメットが会場に回されると、たちまちみんな千円、五千円とお札をカンパしておられました。

 ただ、星空映画祭に続いて「最近流行のお見合いパーティ」とか「プールを使った釣堀」などという思いつきを述べられた時にはちょっと疑問を感じました。三里塚闘争にふさわしくない云々とか、そういうまじめな話をする以前に、そもそもそういうことを木の根ペンションでやって人が来るの?という「企画としてどうよ」というレベルで。 あそこでやるなら、なるほど木の根ペンションでやる必然性があるなあと、皆が感じられるものでないとダメじゃないかと思いました。

 後で聞いたところでは、「とにかく木の根を再生させたい」という一心で、三里塚闘争の経験のない若者たちが、いろいろとアイデアを出し合うなかで出てきた思いつきなんだそうです。この点については、決定ではなく、「みんなの意見を聞いていきたいです」ということなので、私のような闘争当事者ではないおじさんが目くじらをたてるよりも、ゆっくりと皆で話し合っていけばいいことかなと思います。何より現地に貼りついて汗を流して頑張っている若者のやる気を、自分では何もしていない街暮らしの中年オヤジが、上から目線でやみくもに批判するような、みっともないことは絶対にしたくないですから。

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加瀬さんからの補足発言

 この若い大森さんの発言については、長老の加瀬さんより補足発言がありました。まず、私たちはとうとう日本のハブ空港建設を阻止しきったんだということ。羽田の国際線開港の華やかさに比べて、成田は奴らがどんなアイデアを出してイベントなどをしても、常に機動隊がうろちょろ出てきて闘争の歴史が前面にでてしまう。空港が要塞化しているんだから、何をやってもイメージがあがらない。

 これに対して私たちは、それこそ大変な犠牲をはらったけれども、三里塚に素晴らしい空間を作り出しているんだ。この空間を、もっと誇りをもって皆が利用したらいいし、いろいろ利用するべきだと述べられました。こういう頑固で原則的なおじいちゃんが、若い者の熱意に対して文句を言う前に、「まあ、思うようにやってごらん」と励ましたり助け舟をだしたりするのは、見ていて気持ちのよいものです

2011.01.16.三里塚反対同盟(熱田派)旗開き5/8-「続」木の根物語プロジェクト

今や「おじいちゃん」が一番かっこいい件について

高見圭司さん

 発言はその後、運転労働者の高見圭司さん、全金田中労組の刈谷稔さん、大阪府泉南市議の小山広明さん、成田プロジェクト、東水労青年女性部と続きました。

 刈谷稔さんからは、今年はこの1月30日午後2時より、尼崎市立労働福祉会館において、加瀬さんを招いて「関西三里塚闘争旗開き」を開催することを報告され、「加瀬さんの言う通り、受け入れる私たちも覚悟をもって今年の闘いに望みます」と決意表明されました。

 また、79歳の高見さんの演説はかっこよく感じました。特に壇上から村山富市をはじめとする旧社会党の元幹部連中を自身の経験を元に糾弾し、この幹部が顔をあげられなくした話とか。

 そういえば、先日行ってきた「アジア人権人道学会」での報告において、引退した革命前からの中国共産党の元古参幹部の間では、ノーベル賞を受賞した劉暁波さんを擁護する声が結構あると聞きました。劉暁波さんが今主張していることなんて、実は権力奪取前の共産党の党大会では堂々と議論して語られていたことじゃないかと、現代中国を指導する「若造ども」に苦言を呈しているとか。
 まあ「今の資本主義中国が我慢ならん」という動機なんでしょうが、こういう昔のことを知っている「おじいちゃん」が一人いると、若い者にとってもなかなか痛快ではありますね。

高見圭司さん

 そういう報告を聞きながら、横堀農業研修センターの中も見てまわりました。そのうちのいくつかは画像報告のほうに載せてありますが、特に「横堀音頭」のCDが目にとまりました。

横堀音頭CD

 CDを手にとって見ていますと、センターの方が「興味があるならあげる」と言われましたが、このCDは最後の一枚だそうで、やはりここにあるのがふさわしいと思います。とりあえずお借りしてきましたので、当サイトにアップしてからお返しするつもりでいます。厳密に言うと、作者である「田んぼクラブ」さんの著作権の問題があるそうですが、まあ、三里塚を応援する趣旨なら問題なかろうということのようです。もし、著作権者からクレームがあればアップしませんのでご了承ください。

 ちなみにそのセンターの方が、「三里塚勝手連で発言したら?」と言い出されて、そばで聞いていた会場係(?)の支援の方まで「是非、発言しなよ」とか言い出されるので、びっくりして首をぶんぶんと思い切り横にふりました。「勝手連というのは闘争の時にだけ個人が勝手に集まっている個人共闘だから『団体としての意思』というものはないんです」と説明しました。
 北原派の関係の催しで何度か発言させていただいたことはありますが、それはあくまでも集会などの打ち上げの席における「自己紹介」であって、勝手連の発言ではありません。

 それにしても、昨年の東峰現地行動でも、司会の山崎さんに「勝手連として来ました」と言うと、「じゃあ、勝手連で集会発言しますか」と、いとも簡単に言われたのでびびりまくりました。北原派系の党派の皆さんからは、すぐに批判されたり排除されそうなイメージがありますが、旧熱田派系の党派ってそのまったく逆に、油断してるとどんどん巻き込まれてしまいそうなところが恐ろしいですよね(笑

敵の嫌がることは何でもやっていこうと思った

小山広明さんのブログより

 そうこうしているうちにすべての発言も終わり、最後に団結カンバローを三唱してすべての予定を終えました。旗開きの後は都合で帰宅した人をのぞき、横堀大鉄塔の現地調査に臨みました。

 小山広明さんのブログでは、鉄塔の上から空港を睥睨(へいげい)する「闘う農民の像」をバックにした、小山さんの写真がアップされていますが、この写真は小山さんに頼まれて私がシャッターを押したものです。その後、いったん横堀農業研修センターに戻って解散となりました。私は車で駅まで送ってもらうつもりでいましたが、東京まで戻る車がありましたので、それに小山さんらと一緒に便乗させてもらいました。ちなみに、現役左翼時代、関西新空港反対闘争であれだけ一緒にいたにもかかわらず、小山さんが私のことをまったくこれっぽっちも覚えておられなかったのが、ちょっぴり寂しかった(笑

2011.01.16.三里塚反対同盟(熱田派)旗開き-大阪府泉南市議・小山広明さん

 総じて言いますと、前編で書いた通り、今でもシンポ(円卓会議)での約束を真面目に考えている柳川さんの善意あふれる態度に、深い敬意と同時に違和感も感じたことは事実ではありますが、それ以外はそんなに違和感なく、むしろ畳の上で比較的に少人数だったこともあり、なんとなく「参加者同士で空港反対闘争に向けた意思をつうじあった」ような気分で、気持ちよく受け止めることができました。

 思えば反対闘争の分裂前は、いわゆる北原派におけるような雰囲気や路線を中心としつつ、こういう熱田派的な潮流も混在していて、それが「空港実力阻止」という三里塚の大義の前では共同していたのだと思います。それが分裂によってある意味すっきりと純化したということでしょうか。分裂は、こういう熱田派的な雰囲気と路線を、反対闘争の中心的な流れに逆転しようとしたことによる軋轢として見ることもできるかもしれません。

 北原派の農民の方のお話を伺いますと、その路線と雰囲気が用地内を中心とする農民には受け入れがたいもので、分裂は用地内の一坪反対派農民の目からは、「一坪運動反対」が闘争の大義と継続性を賭けたものと映った、あるいは賛成派も反対派も、農民をそういう方向(路線的分岐と純化)に追い込んでしまったということはあると思います。

 一方で、分裂直後における中核派は、熱田派反対同盟とその支援を、内ゲバによって痛めつけ、解散に追い込めば、それで三里塚闘争が前進して政府・空港公団が窮地に追い込まれるなどと主張していたこともありました。今から考えると(つか当事でも)それは無茶苦茶な主張であったと思います。

 内部にどんな不十分性があったとしても、熱田派とその運動がなくなることは、政府・空港会社にとっては誠に喜ばしいことであり、手をたたいて祝杯をあげた後、今度は北原派に攻撃を集中するだけのことでしょう。ましてや苦楽を共にした農民にまでテロ恫喝をかけるなんて信じられません。今回の旗開きでの発言を見るだけでも、今でも空港会社にとって熱田派の反対運動は、まことにやっかいな頭痛の種であることは明らかだと思います。

 私としては、全体的に見て、やはりいわゆる北原派の方針と闘争原則が自分の中で位置づくし、細かいことを言えばですが、柳川さんらとの考えとはソリがあわないところもあるかもしれません。また、かつて私のいた党派は熱田派反対同盟から絶縁されたという経緯があり、そういう過去のわだかまりが全くなかったと言えば嘘になるでしょう。

 しかし、過去の私たちを絶縁したような中心人物は、だいたいが「空港共存派」になって、反対同盟から出て行ったようです。この日に出会った人々は、考え方の違いがあったとしても、決して敵ではないし、人間的にも尊敬できる人たちでした。

 やはり今の私は「どっちなんだ!」と問いつめられれば、どちらかと言えば中身は北原派だと思います。ですがその一方で、応援したいと思う取り組みや人に関しては、「熱田派だから」という理由で、見捨てたりすることは当然にできないし、絶対に間違っていると思いました。ともかく、「敵の嫌がることは何でもやる」ということを基準に、個人でなければできないことをどんどんやっていこうと思った一日でした。

<転載>『続』木の根物語プロジェクト

木の根プール再開作業にカンパを:大森武徳

木の根ペンション プール再開作業

 私は子どもの頃、辺田部落に住んでいました。木の根のプールができたのは小学生の頃でした。一生懸命自転車をこいで木の根にきて、楽しませてもらいました。その後、現地を出て進学・就職して正直忘れていました。

 2、3年前にたまたま見た雑誌に「滅びゆく風景」として載っていたのが、木の根の写真でした。衝撃を受けて、実際に見に行こうと、現地に向かった。ところが、何回通っても木の根への道がない。ようやく、ここかなと「この先立ち入り禁止」の看板のところでハンドルをひねったら、公安も着いてきて、そこがペンションだった。使えなくなったプールの様子を見て、ショックを受けると同時に、あんなお世話になった木の根をほったらかしていたんだなと責任を感じた。

 その後、プールの清掃作業を始めました。水抜き作業から始め、水を抜いて泥をかいた。汚泥が膝くらいまであったが、水かさがだんだん減っていた。反対同盟の柳川さんたちにも話をして、夏にはプール開きと、4人で作業を進めてきた。2010年夏は雨がほとんど降らず、泥が乾燥して回収しやすくなったので、ある程度回収できた。

 プールの状況を80年代に造るのに携わった人に見てもらったら、元々は要塞を作る予定で鉄骨を入れてあるので、丈夫さは折り紙つきで修理すれば十分使える。再開には地面を整地したり、除草するなどきちんとする必要がある。

 木の根ペンションとプールは空港施設に囲まれていて、昔、水は小川源さんのところから引っ張ってきていました。水の確保については井戸をもっと掘り下げるか。天水を利用する方法を検討中です。

 僕は開港後の木の根しか知らない。開港前にいかに激戦地だったか、いかに開墾で苦労したのか、歴史としてしか知らない。聞けば聞くほど、ここは大事な場所だ。

 プールを再開しても、ずっと維持していく必要がある。朽ち果ててしまったら、人が来なくなる。いろんな人に来てもらう必要がある。人が足を運びたくなるためには、ペンションがあって、プールまである。空港に三六〇度囲まれているこんな場所は日本中探してもない。イベントを打つにはいい場所だ。昔の写真や資料もある。人が来る条件はそろっている。

 プールの再開は新しい「木の根物語」を創っていくための第一歩です。

 改修・塗装などには、見積もりで約55万円かかる。皆さんに協力をお願いしたい。2011年7月のプール開きをめざして作業を進めていきます。7月のプール開きにはプールつくりに携わった人たちをみんな呼びたい。

 皆さん、ぜひ作業への協力、カンパをお願いします。

○郵便振替
 00130-9-710667
 続・木の根物語プロジェクト
○ゆうちょ銀行
 【店名】058
 【口座番号】普通預金 6227312
 【口座名】ゾク キノネモノガタリプロジェクト
※1口3000円。複数口・1口未満も大歓迎

参考リンク

   

2011年三里塚芝山連合空港反対同盟旗開き報告(反対同盟大地共有委員会)
【報告】三里塚芝山連合空港反対同盟 2011年旗開き(虹とモンスーン)
三里塚空港反対同盟2011年旗開き(週刊かけはし)
三里塚へ・空港のどまん中で、遊び学ぼう・財政健全化はどこから(小山広明の散歩)

【呼びかけ】木の根プール再開作業にカンパを(格差と戦争にNO!)
【写真】木の根プール再開作業にカンパを(格差と戦争にNO!)
【報告】木の根プール再開へ奮闘中(格差と戦争にNO!)

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2件のコメント

元熱田派の様子、有り様が良く分る報告をありがとうございます。動画なんかは見きれていませんので、ボチボチと見ていこうかと思います。
>かつては「脱現地攻防」の象徴だった一坪再共有化が、今や現地攻防の環となって浮上しているのですから。
北原派関係の情報しか見ていないと、こうゆうことはなかなか認識できません。

あるみさん>

熱田派の一坪共有地は主にC滑走路の完成を阻止する重要拠点になっているようです。空港会社が北原派への攻撃と一体のものとして、一気呵成な土地強奪路線に「先祖返り」した今、一坪共有地強奪との闘いを機にして、ようやく熱田派も具体的な現地攻防に「戻ってきた」ということになるかと思います。そういう意味でも、今年は三里塚闘争にとって、大きなターニングポイントの年であるということが言えると思います。

人間から猿に退化したがごときの、空港会社の野蛮な先祖返りを黙視してはなりません。その退化を強制したのが反対闘争前進の力であることを確認しつつ、その確信をもって、空港会社の野蛮路線への回帰に痛い目をみせてやらなくてはなりません。

そういう意味でも、空港会社のたくらみの全容は、北原派・熱田派の総体に対する攻撃を総合的に見ないと、なかなかその全体は見えてこないのではないかと思っています。最近の熱田派の集会では、北原派の市東さんに対する攻撃や、天神峰現闘本部への攻撃などにも言及されるようになっているようです。ですが全体としては、つい最近まで、熱田派系の党派の機関紙には市東さんの農地強奪については載っておらず、北原派系党派の機関紙には、東峰部落の現状とか、ましてや木の根ペンションの話題など、揶揄や批判の対象としてしか取り上げることができない現状でした。

どこまでやれるかわかりませんが、当ブログでは、時々はこういう、三里塚への攻撃の全体を客観的に鳥瞰できるような記事も今後載せていきたいと思います。もちろん三里塚を応援する立場から。

今も全国に散在する三里塚に心をよせながら、現状もわからず、つながる方法も持たない人々は、実は膨大な数になると思います。私なりにそういう方向けのアクションや情報提供をしていきたいです。誠に僭越な表現で恐縮ですが、今のところはそれができる(している)のは、当ブログくらいなようですから。

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