GO@あるみさんの質問に答えて

 GO@たたかうあるみさんが、ご自身のブログ、および四トロ掲示板において、旧熱田派系列の人々への質問を掲載しておられます。GOさんの質問は、直接には四トロ掲示板の景清(=まっぺん)さんの投稿に対するものであり、私がどうこう言うのは横レスというもんですが、「草加さんの提起もふまえて」と名前を出してもらったこともありますし、また、この質問は党派にも属さず、中核派に対する歴史的な批判をも共有しない一般大衆の素朴な疑問、つまり三里塚に心をよせる大衆が、運動内部の争いを外から眺めた場合に当然に出てくるであろう疑問のひとつであって、当時その場にいた私(たち)には、それに正面から答える義務があると思います。

 まず、GOさんの質問を読んでもわかる通り、必ずしも反中核派的な立場には立たない「左の左」に属する一般大衆の間ですら、以下の2点について、すでに共有された認識として定着しているのではないかと思われます。これは非常に大きな進歩であり、今後はこの認識を土台に議論を進めていくべきだと思います。すなわち、

1)革共同未来派(=再建協)の自己批判は、三里塚闘争の戦略的領導ひいては階級闘争全体おいて、党が大衆をテロるといった、党と大衆の疎外された関係(恫喝政治)を中核派が構造的につくりだしていったことに対する内省的な捉え返しがなく、不充分である。
2)いわゆる一坪再共有化(=大地共有運動)については、賛否を含めて様々な意見がある(あった)。そのことについては互いに相手の立場を認め合いつつ議論して一致点をさぐるべきである(あった)し、相手を全否定する強硬な態度はやめるべきだ。

 この中でも、(2)については中核派のみならず私(たち)のような旧熱田派系列にも向けられた素朴な疑問であると思います。そして実はこういう疑問はGOさんのみならず、「北原派農民を支援しつつ内ゲバも否定している」ような人々から、私のところにもメールの形で何通もいただいています。とりわけ、すでに熱田派反対同盟が活動を休止してしまった後から三里塚闘争にかかわった若い人は、熱田派系列に対してこういう疑問を抱かれるようで、それももっともなことであると思います。この素朴な疑問にちゃんと答えられなければ、逆に私(たち)のほうが現に三里塚に心を寄せているような一般の人々の間で孤立してしまう、あるいは「過去の人達」として無視されて、貴重で痛苦な体験の歴史的な蓄積がなされないという危機感を持つべきでしょう。

 これに対し、「いや、それは中核派がね・・・」というような回答、あるいは中核派の悪行をザーッと並べたり、「こういう中核派を許すのか!」みたいな逆質問で相手を黙らせてしまう、それで確かに相手は「それはわかるけど」という感じで沈黙してしまうでしょうが、絶対に「納得」はさせられないと思います。
 そういう主張だけでは大衆的な納得を得られないであろうことの根拠は、A)北原派農民の苦闘が現にそこにあるわけであり、それに連帯したいという思いは全く正当なものであること、B)中核派はその恫喝政治においては運動の桎梏であるが、権力とも正面から闘うという評価すべき面をも強くもっている、C)ついでに怒られることを承知で誤解を恐れずに書くならば、それに比して熱田派同盟の「惨状」があります。つまり若い世代はこれら三つの状態を三里塚にかかわった最初から所与のものとして見てきたのです。

 それは別の言い方をするならば、「中核派批判はわかった、それは同意する。ではあなたがた自身はどうなのだ」という、熱田派系列そのものの主体的な立場を問うているのであり、まさしくそれこそが、分裂当時に私たちがするべきであった論争なのです。もし、分裂を「中核派独裁からの自立」というような肯定的なものではなく、「否定的なもの」であるとする立場に立つならば、これはまさに歓迎するべき質問であって、もう一度私たちはいっさいの前提をつけず、この原点に戻って真面目に論争するべきです。これに対する回答を「中核派批判」にすりかえてしまうのはまやかしであり、まさに噴飯物であると思います。そう言って気にさわるのであれば、北原派農民に対する自己の立場の絶対化であって、たとえ辛く認めがたいことであろうとも、自己絶対化を撤回する柔軟性と勇気を、相手に要求すると同時に他ならぬ中核政治を批判する私たち自身がこそ、まず率先して示すべきであると思います。

 そこで、GOさんは必ずしもこういう若い世代ではない(失礼!)ようですが、GOさんの二つの質問に「党派が発表した公式見解」ではなく、当時の熱田派同盟とその支援の人々の本音で回答するならば、以下のようになります。

質問その1)当時の熱田派反対同盟と支援は北原派反対同盟の存在をどのように考えていたのか?

 中核派についていった人、もしくは中核派の説明を鵜呑みにして誤解している人と考えていました。そこにおいて北原派系列とは、中核派系列というのとほぼ同義でした。ですから「三里塚闘争に敵対している」とか、ましてや「ニセ反対同盟」などという認識ではもちろんありません。つまり北原派農民も三里塚勢力の一部であるという認識はありましたが、「間違った(あるいは誤解している)人々」という扱いであったことは否定しません。
ただ、弁明しておくならば、当時の北原派の大地共有化運動に対する批判は、中核派の「公式な」見解をほぼそのまま借用したものであり、その帰結として熱田派を「運動からの脱落派」と規定する以外にない構造にありました。確かにそういう論理が用地内の多数の農民に受け入れられてしまった、GOさんが引用した萩原さんの記述に見られるように、それくらい強い不信感を抱かせ、一坪反対派の農民を怒らせてしまったという点は、熱田派系列の反省材料ではあるのでしょう。しかし脱落派規定を導くために、事実と反する内容を多々含んだ中核派の「公式な」論理を北原派が援用したことは、「北原派系列=中核派系列」と思われても仕方のない面を有していたと思います。

 補足しておくならば、私たちは別に、後に北原派となる一坪反対派の「農民と争っている」という認識は全くなかったのです。そうではなく、ただ「中核派の横暴」を批判して、それをやめさせようとしていただけです。つまり農民ではなく中核派に反対しているという認識しかなかった。さらに言うなら、中核派は反対同盟の意思(=決定)に反してそれを否定し、党派の意思を農民に押し付けようとしているという認識でした。よしんば同盟内多数派の意見に反対したり少数派を支持するにしても、もう少しやり方というものがあると思います。中核派のセクト主義的な運動への介入と引き回しに反対したという、ただその一点においてのみ、私たちは正しかったと今でも思っています。私たちの正当性の源泉はまさしくそこに、そしてそこだけに求められるべきシンプルで明快な話なのであり、それに一坪再共有化運動の正当性のようなものを接木して、話をややこしくする立場に私は立ちません。

質問その2)用地内農民の多数が反対している一坪再共有化を、用地外を含めた同盟内多数派で強行したのは、同盟の分裂に繋がる「多数の横暴」ではないか?

 他の人がどう思っているかはわかりませんが、私は「今から思えば」という前提をつければ、全くその通りだと思います。ですがその責任は熱田派だけに向けられるべきではないと思います。そもそも最初に「一坪再共有化=運動への敵対・脱落」というような飛躍した論理で切り込んできた中核派の手法が事態をエスカレートさせた元凶であることは否定しがたいからです。
 つまりこの点においても私たちは中核派との関係で事態をとらえていたのであり、それは「多数決の横暴」ではなく、党派の介入から「農民の自主性を守った」という認識だったのです。その認識は一面においては正しかったが、別の一面では誤っていたと思いますし、私たちもまた、北原派農民に謝罪すべき点はあると思います。

 つまり、GOさんが(おそらく)思っておられるような、一坪再共有化は正しいのだという前提に固執せず、なんらの前提をつけないところで少数派(用地内多数派)とも話し合い、闘争の大義のために妥協しあうべきだったということは、今から考えればその通りです。ですがその批判は、とりわけ中核派に、ひいては北原派全体にも向けられるべきではないでしょうか?それこそ「中核派のテロとは別の問題」なのではありませんか?

 これらの点をお互いに認め合って「議論の入り口」に立つことは必要なことではありますが、おそらくどちらの陣営にとっても心情的にも受け入れがたい面があると思います。だから双方の陣営でこういう意見は(表面的には)少数派になってしまうと思います。とりわけ党派やそこにつながる人にとっては過去の主張と矛盾する面もあろうから難しい。ですがまず、私やGOさんのように過去のしがらみが無かったり少なかったりする人々が、表面的な少数派となる覚悟と勇気をもって対話を開始することからはじめませんか?もちろん市東さんの農地強奪策動をはじめとする、「現にそこにある闘い」に過去の垣根を越えて連帯し、共に闘う中で。

 なお、ここからの孫引きですが、熱田派反対同盟の公式見解である『戦旗派の提起に答えて』という文書の一部を引用しておきます。これを見れば、私のGOさんへの回答が、私の狭い個人的な経験から語っているのではなく、熱田派全体の見解であり気運であったこと、熱田派は北原派ではなく中核派への対抗という問題意識に色濃く規定されていたことがわかると思います。

> 一坪再共有化運動はフランスのラルザックの闘いに学び、沖縄の軍用他の共有化で再びその力を実証し、三里塚でもはじめたのである・・・この運動をやめることは、公団を何よりも安心させ、喜ばせることである。中核派による御門違いの難くせに屈服して再共有をやめることは、絶対にできない相談である
> 一坪再共有化が分裂をまねいたということですが、その事は全く違います。それは中核派が自分たちの意のままにならないと知った再共有化運動に難くせをつけて、あたかも再共有化に原因があるかのようにして分裂させたのです。・・・すなわち再共有化運動をやめる事は、中核派独裁の復活なのです。
> 再共有化に対して、土地ころがしと思わない人が北原派にも出てきたように、再共有化の力をもっともっと明らかにし、彼等から疑いの目をとりのぞくことが大事なのです。
> (同盟の分裂を決定づけた)三・八総会の評価であるが、この総会の目的は、ゆいいつ反対同盟の自立にあります。この事は中核派も十分に承知していたはずだし、よく考えれば分裂が起る事は当然だったかもしれません。・・・他を認めた自立こそが連帯のカギであり、勝利のカギなのです。

最後に、まっぺんさんの投稿(下記参照)について、私が言わなくてもまっぺんさんはわかっておられることだと思いますが、
> 党がなすべきことはまず、「大衆運動の自主性」を尊重し、その上で運動の勝利のために協力していく、ということです。
という点については、一応はその通りだと思いますが、党は「外から協力する」だけの立場ではいけないし、運動への支援とは無条件に行われたり、ただ「大衆運動の自主性」に従うようなものではありません。党という形式そのものを否定する立場にたつ(それもありでしょう)なら話は別ですが、かつて「レーニン主義党」にいたまっぺんさんには釈迦に説法ですね。
ですからより正確に補足すれば、大衆の自主性の尊重と党の戦略的な領導を両立させていく=大衆や現場の先頭に立ってそこに責任を負い、大衆の気運を体現して引き出しながら、最もよく闘って最も傷つき、しかも倒れたり後退したりしない強さを示すことで、大衆的な信頼を勝ち得ていくということです。大衆に方針を丸投げしてその後ろで「協力」していればいいという意味ではありません。

これは三里塚でも反基地でも反原発でもそうですが、目先の短期的は運動の利害のためには、「左の左」だの、ましてや過激派なんていないほうがいいのです。共産党がまさしくそう言っていますね。また、支援や党派は「運動の外の人間」で「組織の指令によるカンパニア動員」であって、彼らが運動に対して主体的な存在であることなんて認めないという論理(地域主義)は、運動の高揚期には政府・公安・建設推進派が、そして運動の後退期には反対運動の内部からさえ聞こえてくる論理です。そういう運動の全国化に敵対する考え、まさしく自分の問題として主体的に現地にかけつけている人々まで「組織動員」だの「カンパニア」などと罵倒する主張にはついていけません。もちろんそういう批判が出てくる根拠があることは理解し、それは克服されるべきであるとしてもです。


<補足>

【非難する資格はないが、選ぶことはできる】
 -反対同盟北原派農民・鈴木加代子さんのブログ『農家便り』へのコメント- 2009-02-14 09:18:59

 先日、鎌田慧さんの『抵抗する自由』を読んでいたら、その中で(反対同盟熱田派農民の)島村昭治さんが、「闘争は用地内が頑張って脱落しなければ勝てると言われ続けた。でも、そう言っていた用地外の人達が真っ先に騒音補償金をもらって出て行った。今では(脱落するなよと言われていた)用地内の農民だけが孤立させられている」みたいなことを言っておられました。

 それまでの三里塚闘争を旧態依然のように言いなし、「新しい方向」を主張していた人達は、結局は今でも真面目に地域エコロジー運動を続けて空港に反対している人達のほかは、痛みを抱えながらも現地を去っていった人達、そして石毛さんのように空港との共存を掲げて運動に敵対するようになった人達に分かれました。もちろん三里塚から長年離れていた私も「いなくなった人」の一人にすぎないから、個々の農民の方々の判断をどうこう論評する資格はないと思っています。

 石毛さんを批判できるのは、現に空港の犠牲となり、それに反対したというだけで国家から徹底的に痛めつけられてきた人達、しかもそれに屈せずに人間の尊厳を示しぬいて闘いをやめなかった鈴木さんのような人達だけです。それは地域の問題だけではなく、国の無法に対して戦ってくれている私たち全体の、そして世界の虐げられた人々の代表でもあると思っています。その私たちの代表を応援するのは当たり前でしょう。

 いつでも闘争から離れることができて、そして現に離れていた私が石毛さんの判断を非難しても、「いなくなったおまえが言うな」といわれるでしょう。ただ、いくらエラソーに他人を論評する資格はないにしても、今でも闘争が続いており、鈴木さんのように大義を掲げ、地域や個人の利害を超え、私利私欲を離れて闘っている人が今もいます。そういういろいろな人々がいる中で、誰の立場にたち、誰を応援するべきか、こんな私でもそれを「選ぶ」ことはできると思います

 個々の農民を上から目線で、しかも外からどうこう非難することはできません。けど、いろいろな農民がいる中、私は石毛さんではなく、鈴木さんのような立場をこそ選び取り、鈴木さんが戦っておられる限り、最後まで支持し続けたいと思います。

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参考:『四トロ掲示板』より

GO@あるみさんへのお返事 投稿者:まっぺん 投稿日:2009年 3月 1日(日)02時00分59秒

●中核派は熱田派をどう書いているか

GOさんの力作・あるみさんフィギア反対同盟「北原派」と「熱田派」について、どう語るべきなのか。「解任された北原氏がかってに事務局長を名乗ってニセの反対同盟をつくった」と考えるべきなのでしょうか。それについて考える前に、革共同再建協議会の「自己批判書」の内容と、新時代社からの「拒否回答」の内容を読み比べてみてください。まず再建協議会。彼らは徹底して北原派の方を「正統な反対同盟」として扱い、再共有化運動に参加した熱田派の人々を「脱落派」としています。彼らは「正当な反対同盟」の指示に従わず勝手に再共有化運動を推し進めていった事を強調しています。つまり「北原派反対同盟の方が正しく、熱田派は裏切り者」という立場です。これは分裂前の中核派の立場を再建協議会も引き継いでいるのであり、第四インターも含め、熱田派に集う者すべてを「反革命」「反対同盟分裂のために行動する権力・公団の手先」と糾弾している事にほかなりません。中核派による第四インターへのテロが彼らのこの認識から出た行動であることはまちがいありません。反革命だから襲撃した。彼らにとっては何の矛盾もありません。また、それは東北や大阪や三里塚現地で「自分たちが被害者だ」と称する行動においても貫徹されています。

●新時代社は北原派をどう書いているか

では第四インターはどうだったでしょうか? 中核派とちょうど反対の方角から、北原派反対同盟を「反革命」とか「裏切り者」とか糾弾してきたでしょうか? そんな事はただの一度もありません。自己批判への回答文書にはなんと表現されているかをご覧ください。一部引用します。

>こうして、彼らは、一九八三年に始まる反対同盟の不幸な分裂と、中核派による反対同盟(熱田派)の同盟員や支援にたいする、テロをも含む暴力的内ゲバ攻撃を正当なものとし、ただ、八四年一月と七月の同志たち八人への「軍事的せん滅戦」(殺人的内ゲバ・テロ)だけが間違っていたのだというのである。

反対同盟の分裂について「どっちが悪い」などといっさい書かず、たったひとこと「不幸な分裂」と書いているだけです。分裂の原因となったのが一坪再共有化運動であった事は書いてありますが、中核派の「再共有化運動=土地売り渡し」論という全く事実に反するデマゴギーに答えているだけで、それ以上はなにも書いていません。第四インターはあの8人に対するテロ、そして仙台や大阪や三里塚現地、更には全国の学園などで再共有化運動派に対するテロと恫喝について全てを中核派の責任として糾弾しているけど、北原派反対同盟に責任があるなどどはひとことも書いていないのです。おわかりでしょうか?

●反対同盟から去っていった人たち

これは、他の熱田派支援者でもそうだと思います。イレギュラーずさんの気持、私もよくわかります。われわれは深く連帯し一緒に闘ってきたけれども「主体ではない」のです。反対同盟とそれを支援する党派との関係をどう作っていくべきか、そこに中核派と第四インターとは明らかな相違がありました。その違いは「脱落」「反革命」「裏切り」という中核派の言葉の連発に象徴されます。反対同盟農家は今や僅かとなり、40年も続く闘いのなかでかつての「少年行動隊」も孫がいる歳になってしまいました。それでも農民はさまざまな工夫をし闘いを続けてきました。それは素晴らしいことだと思います。しかし、闘争の過程で多くの農民が去っていった事も事実です。戸村一作氏を委員長に結成された時には3000名もいた同盟が権力・公団の様々な卑劣な手段によって切り崩されていったのです。中核派は、去っていく人々の背中に向かって口をきわめて罵り続けました。もちろん中には同情の余地のない人もいたでしょう。でも泣く泣く去っていった人々もたくさんいます。何年ものあいだ共に闘ってきた人たちの苦痛は量り知れません。それを罵倒するのはいかがなものでしょうか。そうした事は反対同盟内部の問題であって、支援者の我々が率先してやるのは間違っています。

●中核派に同調しないものは反革命

北原派反対同盟からは中核派にいやけがさした小川さんたちが出て「小川派反対同盟」を結成した事は憶えているでしょう。中核派はこの時も小川さんたちを「脱落派」「裏切り者」と激しくののしりました。要するに中核派は絶対正しく、それに異論を唱える者、去っていく者はすべて「裏切り者」「脱落者」「権力の手先」なのです。中核派は本質的なところでは何も変わっていないことが、この「自己批判」に現れているのではないでしょうか。第四インターは「反革命だから」襲撃されたわけです。その根拠は「一坪再共有化運動」でした。「反革命」の根拠となった一坪再共有化運動をいまだに「反対同盟分裂の陰謀」「権力が全体重をかけた攻撃」と非難したまま、どうやって「反革命」規定だけを取り下げることができたのでしょうか。「根拠」はそのままで「結論」だけが消えてしまった。たいへん不思議です。このような場当たり的なご都合主義では人民の党になることはできません。ていうか、万が一そんな党が人民の党になったりしたら、恐ろしい。党の言うことに黙って従わないと「反革命」になっちゃうもんね。それどころか「積極的に同調」しないと安心できない。いったいどこが「反スターリン主義」なんだろう。「半スターリン主義」じゃないのか。

●大衆の私物化が内ゲバをもたらす

中核派の考え方は「大衆運動の私物化」に他なりません。大衆の自主性・主体性を踏みにじり、「正しい党が大衆を指導しているのだ。どこが悪いか」という態度です。こうした考え方の中から内ゲバもまた正当化されます。党がなすべきことはまず、「大衆運動の自主性」を尊重し、その上で運動の勝利のために協力していく、ということです。この姿勢がないから、大衆運動の主体に対して勝手に「反革命」などと罵ることができる。中核派はこの傲慢さをまず真っ先に自己批判するべきだと思いますね。


GO@あるみさんへのお返事のつづき 投稿者:まっぺん 投稿日:2009年 3月 1日(日)19時37分25秒

さて、1番目の問題には答えたと思います。続いて2番目の問題について。

●もしも再共有化運動をやらなかったら

あるみさん赤ヘルバージョン>先に引用した萩原さんの言葉を見るまでも無く、敷地内に強固に「この方針はやめて欲しい」という人達が居る中、「反対運動のために良かれ」と思って推進したとしても、それは「多数の横暴(再共有化がいいという同盟員が多数いたとしてもです)」であり、結局は同盟の分裂に繋がるのではなかったのか

これは「もしも」という仮定を前提にした設問ですね。反対同盟の分裂は一坪再共有化運動が「きっかけ」というか「原因」であったと思います。「だからそんな運動さえしなかったら分裂はおこらなかった」といって共有化運動推進派に運動破壊の責任を追及するべきでしょうか。私はそうは思いません。というのは、分裂の真の原因は「一坪再共有化運動をやったから」ということよりも、中核派がその運動を「土地の売り渡し」というデマゴギーによって徹底的に敵対・妨害を繰り返し、「共有化運動派=反革命」のレッテルを貼ったからだと思うのです。そのため、反対派農民も「どっちかの側につく」ことを迫られる事になったからではないでしょうか。「どちらの立場を選択するか」を「革命と反革命」とにまで極端に分断したのは中核派です。

●もしも中核派が妨害をしなかったら

だから「仮定」を基に考えるなら、「もしも中核派があのように激しく一坪再共有化運動に敵対しなかったら」という仮定をもとに考えるべきなんじゃないでしょうか。その場合、はたして反対同盟は一坪再共有化運動を巡って分裂までしただろうか? と思うんです。例え同盟の一部がこの運動に賛同しなかったとしても、その運動に賛成しない人も「自分はやらないけど、やりたい人はどうぞ」という段階に止まっていたのではないでしょうか。果たして「土地売り渡しだ!権力に加担する運動だ!」などと言ったでしょうか? 言わなかったんではないでしょうか。なぜならあの運動は、どう考えても同盟を分裂させるほど深刻な「敵対矛盾」を同盟内に持ち込むような運動ではないからです。沖縄でも「一坪反戦地主会」運動として現に進められている運動なんですから。それをここまで深刻な「敵対矛盾」にまで拡大した責任は中核派にあると私は思います。

●今後どうするのかが重要

以上はいずれも「仮定」のはなしです。すでにふたつの反対同盟が存在しているんですから、その存在をお互いに認め、それぞれ方針は違っていても、お互いに協力しあい助け合っていく事ではないでしょうか。もっとも、離れているあいだに、おたがいの目的などが大きく離れてしまったら、それも不可能かも知れません。しかしいずれにしてもお互いが近づくための努力は重要だと思います。その際、お互いの反対同盟同士の事には、支援者があまり関わるのはどうかと思います。すでに言ったように、主体は「反対同盟」なんですから。しかし客観的に見て、今のままでは中核派がそんな事を容認するようには思えません。反対同盟に対してさえ「革命派」と「反革命・脱落派」とを決めつけて敵対・妨害してきた党派ですからね。

●草加さんのレーニン主義について

最後に。草加さんがちょっと言ってくれていることですが、論としては正しいとぼくも思います。そのうえで、その論を現実の三里塚闘争にどう適用していくのか。そういう部分で、中核派はやはり反対同盟農民に対しても「革命か反革命か」の二者択一をせまり、去っていく者を罵倒してきたという歴史があります。これはレーニン主義の党としても失格ではないかと思うのです。極端なはなし、三里塚闘争の主体である農民が、もう運動をやめようと言うなら、それを強引に運動に連れ戻す権利は「革命党」だろうがなんだろうがありません。その土地に住み、そこでくらし、人生を歩んできた人たちにとって、運動の出発点は自分の生活をまもる事だったんじゃないでしょうか。農民たちは国家権力による凄まじい生活破壊に40年間よく耐え、闘ってきたと思います。運動の限界を突破できなかったとしたら、その責任を大衆に押しつけるのではなく党がみずからの限界として総括するべきだと思います。

●党がもつべき役割とはなにか

党が大衆に対してもつ役割ってなんでしょう。ひとつは運動とそれに対する弾圧の本質をとらえ、宣伝してゆく事です。それによって、運動に関わる人々は「敵は何か」がはっきり見えてくることでしょう。敵が見えてくれば闘い方も見えてきます。ふたつめには、そうして敵をはっきり認識することによって、味方同士を結束させる事ができることです。「敵」が同じならいっしょに闘えますから。そしてみっつめには、その闘いの本質をえぐりだせば、一地域の運動が、地域だけでおわらず、全国の運動に発展できる、という事です。こうして地方の小さな運動であろうとも、違いを超えていくつもの団体、何千人もの人々が一緒に闘えるし、それは同じ「敵」に向かって連帯する「同盟軍」を全国に組織することができるはずです。中核派は「敵」を間違え、また自分に従う大衆に対して「まちがった敵」を教えてきました。自己批判書ではその間違った敵を修正しようとしていません。ここが問題なんではないでしょうか。


景清さんが何を言うかは別として 投稿者:イレギュラーず 投稿日:2009年 2月27日(金)23時30分13秒

>ニセの反対同盟

このようにいうこと,そのこと自身が悲しい。分からないだろうか?

わたしは,開港阻止闘争後5年間の自分の裁判闘争に入ったが,そのころ保釈直後に最初に訪れたところは,石井のおっかあのところだった。あのときごちそうになったショウガは旨かった。もう一人の同郷の被告とその父親とともに伺った。

また,わたしにとっては三里塚で初めて援農に入った家であり,二月要塞戦では他の反対同盟とともに闘った方でもある


Re: 北原派反対同盟のことをどう思っていた(る)のか? 投稿者:セクトNo.7 投稿日:2009年 2月28日(土)17時36分18秒

>当時の「一坪再共有化」および「熱田派」反対同盟のことを、現在の北原派反対同盟事務局次長の萩原進さんは昨年出版された「農地収奪を阻む」の中でも「しかも敷地内反対同盟がその方針に強く反対していたのに、強引に大地共有化委員会なるものをつくった。重大な反対が同盟内にあるにもかかわらず、一方的に強行した。事実上の分裂の強行だ。」(p92)と記述し、「脱落派」と規定しております。

私らがどう思うかは人によって様々でしょうが、脱落派と規定してんなら『一坪を売るな』なんてどっかでお茶を沸かすような言動をする団体をどうにかしてほしいな。どうせ脱落派なんだから「あいつらはいつかは売り払う」くらい言ってもらいたいな。

人が悪く根に持つタイプなんであえて言うけれど。
共有者への中核のテロを北原派はどのように総括しているのかな?もちろん表立っては言えないことだけれど、表立って言えない現状をどう認識してるのか興味があることです。

私みたいな悪趣味者はそんな多くないんで極端な見方だけれど、昔からあった反対同盟持ち上げ派みたいなありようは今も好きじゃない。
で、なんで「熱田派」反対同盟で北原派反対同盟なのかな?カッコ意味するところは微妙に立ち居地を表しているようで?考えすぎかな?


北原派がインターへのテロに対してどう思っているか 投稿者:GO@あるみさん 投稿日:2009年 2月28日(土)22時39分51秒

どうもありがとうございます。
街頭でたたかうあるみさんたち>共有者への中核のテロを北原派はどのように総括しているのかな?もちろん表立っては言えないことだけれど、表立って言えない現状をどう認識してるのか興味があることです。
ぶっちゃけた話、私には分りませんので、誰か分かる人(今の中核派現闘に近い人)にここに書き込んでいただければいいのでしょうが、難しいでしょうね。
公式的に北原派反対同盟から再建協への自己批判に対してどうのこうのということは、まだないようです。まあ、ご存知かも知れませんが、革共同中央派と呼ばれる人たちは、本音は三里塚闘争を「清算」したがっているようですので、いくら「再建協憎し!」と言えども、「三里塚から出て行け!」なんて無茶は言えますまい。
話はそれますが、私がノンセク(反中核)の三里塚学集会に参加したとき、インターへのテロに対して北原派は「党派のやったことで、我々とは関係ない」というようなことを言っていたそうで、ノンセクの人たち(心情的北原派もいました)は、「それはおかしいだろう」と批判しておりました。


本当は書くべきではないのでしょうが 投稿者:三浦小太郎 投稿日:2009年 2月13日

これは書くべきかどうかずっと迷ったんですが、さらっとだけ書いておきます
2次会で議論になっている中核派の自己批判そのほかの問題ね、私は三里塚闘争や新左翼内部の問題については何も言う資格も知識もないしその気もない。ですから、あくまで一般論として書きます。議論が目的ではないので2次会ではなくこちらの場を選びます。

あらゆる政治運動って、私達右であっても、また自称『無党派』『NGO』を名乗っていても、全てにおいてスターリン主義に陥る危険性があります。中核派だってどの新左翼だって、反スターリン主義は前提だったと思う。しかし、現実には、反スターリン主義を語る党派の実態がスターリン主義そのものである事はよくあるし、わが右陣営も、スターリンもレーニンも一冊も読んだ事のない反共運動であっても、その組織運営はスターリン主義的なものになっていくことはしばしばある。多分そこが根本的な問題なんだと思う。

私の言うスターリン主義というのは、うまくいえないけど誤解を恐れず言えば

1、運動の為には組織内の色々な問題点はひたすら隠す。それを『将来の運動の理想実現』のためには、今の運動の問題点は乗り越えられる矛盾である、という奇麗事でごまかす。
2、政治意識を持った運動家『前衛』を、基本的に政治意識のない民衆より上の存在とし、民衆は指導されるべき存在とみなす。政治意識のない(ように見える)民衆の、黙々と生活者であり続ける事によって生まれる、決して権力に取り込まれることのない、真の意味での民衆の反権力(非権力)意識を、沈黙しているというだけで体制への屈服としかみなさない。
3、党派間闘争を、(2)で示されるような生活者の視点からどちらが受け入れられたかではなく、お互いの議論や時には暴力闘争でどちらが「勝ったか」で決着をつけようとする。これは主観的には双方が『大本営発表』を繰り返すだけなので、永遠に党派間闘争は終わらない。
4、大衆運動を、現実的な目標のために行うと称しながら、実は運動そのものを目的化し、問題解決よりも「理想社会の実現」のためのものとして現実の被害者を置き去りにする。最悪の場合、現実の被害者は既に運動を望んではいないにも拘らず、運動家のために被害者はシンボルとして利用され続け、運動から去ることすら許されなくなる。

まあこういうのは私にとって全部スターリン主義と言うか前衛主義の最悪の形式で、これは右にもいくらでも起き得るんです。私は今、党派なんて古いとか、新左翼なんて知らないとかいっている若い運動家だってこういう危険から免れているとは全然思わないな。これは新右翼とかえらそうに言って来た自分への自己批判でもあるんだけど、『新しい』と『無知』は紙一重ですから。

本当は、ここで書いた2のような非政治的民衆の意識を常に忘れないような運動でない限り、左も右も絶対におかしくなると思う。これは勿論民衆べったりになれとかそういうことではないですし、生活者を美化するのでもありませんけれど、まあそのあたりが私の貧しい運動経験からかろうじて得た結論です。

ここまで読んでいただいてありがとうございます!

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5件のコメント

全ての書き込みを一覧にまとめていただき、ありがとうございます。また、「鉄道むすめ(「革命むすめ?」)の宣伝も、感謝です。
少しいろいろ、考えさせてください。特に「党と大衆運動」のあり方や、それが党そのもののあり方まで、どうあるべきなのか?ということについて、じっくり考えてみたいと思います。

歴史認識の違いについて

俺だって、よく覚えていない。覚えているのは、こわかったこととそれを乗り越えて強くなることができたことだけだ。しかし、そのような経緯を経て掴んだ強さが、俺の感性を歪めたことは確か…

3・8分裂とは何だったのか?(上)

三里塚の反対同盟(北原派)の出した本は3冊あって「増補版 大地をうてば響きあり 十八年目の三里塚 三里塚芝山連合空港反対同盟編著 社会評論社(1984年9月15日初版第一刷発行)」「大地の乱成田闘争 三里塚反対同盟事務局長の30年 北原鉱治著 御茶の水書房(1996年5月26日第一刷発行)」そして「農地収奪を阻む 三里塚農民怒りの43年 萩原進著 編集工房朔(2008年10 月30日第一版第一刷発行)」である。四トロ二次会に投稿したり、まっぺんさんや草加さんからお返事をいただいたりしたので、もう一度これらの本を読み返してみ…

>つまり、GOさんが(おそらく)思っておられるような、一坪再共有化は正しいのだという前提に固執せず、なんらの前提をつけないところで少数派(用地内多数派)とも話し合い、闘争の大義のために妥協しあうべきだったということは、今から考えればその通りです。ですがその批判は、とりわけ中核派に、ひいては北原派全体にも向けられるべきではないでしょうか?それこそ「中核派のテロとは別の問題」なのではありませんか?
というような提起をしてくださっているにもかかわらず、「分裂」や「一坪」等について北原派の立場で書いて、TBしてしまいました。ただこちらの側の書籍を読み返しているうちに、やはり中核の問題として書いていかないといけないところもあり、前ふりとして書いたものです。しばらくお付き合いしてくだされば・・・と思います。

3・8分裂とは何だったのか?(下)

とにかく2つの「反対同盟」が存在することになり、両者とも支援も含め、「わがほうを支持して欲しい。」と思うし、そう行動するのは当然である。様々な宣伝や対抗もなされるであろう。ここではっきりさせておきたいのは、中核派はそのやり方を、「おおいに誤った!」ということだ…

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