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闘いというのは往々にして関係ない人間をまきこんだり傷つけたりするものです。テレビのヒーローであるウルトラマンは、地球の平和のために怪獣と戦いますが、その過程で多くの家屋や建造物が破壊されています。罪のない人も死んでいるかもしれません。
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ウルトラマンは有罪?
30年のローンをくんでやっと建てた庶民の一戸建てが、なんとか破壊されずに怪獣が通過してくれたと思って胸をなでおろしたのもつかの間、たまたまそこにウルトラマンがやってきたがために「やめてくれ~!」と絶叫する間もなく、命がけで建てたマイホームは、ローンを残したまま木っ端微塵に跡形もなく破壊されてしまったわけです。
では、ウルトラマンは有罪でしょうか?
実はこれは法学部の学生のよた話としては古くからある「設問」でして、結論としては、ウルトラマンには損害賠償義務があるという説が有力らしいです。あと「桃太郎は有罪か?」というのもありました。酒の席などで笑いながらも口角泡を飛ばして議論したものです。ちなみに桃太郎には強盗罪が成立するが、鬼に人権享有主体性が認められるかが争点で、認められない場合には占有離脱物横領あたりが妥当ではないかと。
それはともかく、法律的には有罪(賠償義務あり)かもしれませんが、何かおかしい気もします。ウルトラマンが来てくれなかったら、怪獣によってさらに大きな別の被害が出たはずです。
これが私の理解していたこの問題に対する左翼的発想です。これを端的に言い表わしたのが毛沢東の掲げた「革命無罪」のスローガンだと思っています。もちろんこれは総括の時の考察なのであって、事前に「正しい目的のためには手段を選んでいられないのだ」的に曲解してはなりません。
そこで次にもう少し、左翼の『目的そのもの』についてみていきたいと思います。
左翼革命の本質は「防衛」(左翼が「何でも反対」のわけ)
左翼思想とは、一国の政策的な課題や「国の進むべき方向」を云々するためのものでは全くありません。私は「政治」ですらないと思っています。世界規模の「プロジェクト」といったほうがしっくりきます。だいたいの人がここをわかっていないので議論が噛み合わないことが多いように思います。
対象として考えられているのは「人類史」であり、教科書に載っている「世界史」(階級社会)など、そこからみれば一瞬の過渡期にすぎません。ましてや「日本史」など単なる地方史です。よってそれは愛国主義思想の対極にあるのです。
とは言え、人類史という大河の中の一滴にすぎない私たちは、その内容が極めて理想主義的であればあるほど、闘いの過程で多くの人々が傷つき、死んでいく(しかも時には残酷に)という現実に、活動家であれば一度は悩みます。いえ、悩まなければ嘘です。そんな活動家は左翼とは言えません。
ゆえに革命とは本質的に「防衛的」なものでなくてはなりません。
左翼思想は資本主義というイデオロギーに対抗する別のイデオロギー(=主観)ですから、現実の人々を苦しみから解放するのではなく、ただ観念的に「思想(=主観)の実現」を目的として闘ってはならないのです。それをやったら左翼の思い上がりです。それは運動体の道徳的な基準としてだけではなく、現実問題としても、そんな運動は「政治的カルト」としか見えないでしょう(右翼にもそういう思い上がった人が大勢いますよね)。
このへんが「国の進路」をめぐっての論争を主とする体制内野党(=護憲派)と左翼が根本的に違うところです。彼らは「体制はそのまま」で指導者や政策を変えようと言っているにすぎないのですから、まあ大いに「政策提言」をしていただいければいいわけです。
いずれにせよ敵階級の暴虐や搾取が先にあってはじめて、後からそれへの人間的な怒りや反撃が革命闘争となるのでなくてはなりません。左翼たるもの絶対に「攻撃」を己の本質としてはなりません。体系的思想を持つ運動が攻撃的になったら恐ろしい結果を産みます。左翼は専守防衛、「反対ばっかり」でいいのです。
また、左翼は「国」という枠を認めない、もしくは無視しますから、たとえ国内の人民に一定の自由と生活を保証しようとも、そのために中東やアジアの人民が虐殺されていくなら、左翼はそのような「保証」を拒否して闘います。その闘いの本質はやはり全世界的な観点で人民の側からの「防衛戦争」と言うことができます。
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